肝炎薬害資料2002
7/17 血液製剤肝炎 旧ミドリ十字、回収半年前に感染把握
6/1 フィブリノゲン、米製造禁止から2年後やっと制限内示
<C型肝炎>原因の血液製剤の製造中止を検討も継続 旧厚生省
5/31 米のフィブリノゲン製造停止直後、厚生省にも検討打診
6/1 フィブリノゲン、米製造禁止から2年後やっと制限内示

 血液製剤「フィブリノゲン」による薬害肝炎問題で、旧厚生省が1985年に開始した同製剤の「再評価」は、米食品医薬品局(FDA)が同製剤を製造禁止にした措置を受けて、肝炎感染の危険性を検討するのが主目的だったことが、厚生労働省が公開した内部資料から明らかになった。しかし、旧厚生省が再評価の内示を出したのは、同製剤による集団感染問題が発覚した後の87年7月で、対応の遅さが浮かび上がった。

 85年1月に開かれた中央薬事審議会血液用剤再評価調査会の記録には、同製剤について「米国では副作用(肝炎)のため販売が禁止されており安全性に問題がある。再評価指定の必要あり」と明記されていた。

 また、「再評価に関する経緯」というタイトルの文書でも、再評価実施の理由として「肝炎発症の危険性等、安全性が問題」と記されていた。

 同調査会での再評価作業が正式に始まったのは85年10月。しかし、その後は、87年2月の同調査会記録に「(出産時の出血などで起きる)後天性(低フィブリノゲン血症)については、有効性、安全性に問題があるので、申請者(旧ミドリ十字)に資料を整備させ、次回検討する」という記述がある文書が残っているだけだった。

 その直後の87年4月、青森県三沢市で同製剤による非A非B型肝炎(現在のC型肝炎)集団感染が発覚。結局、旧厚生省が、先天性低フィブリノゲン血症以外の患者に止血剤などとして同製剤を使用することは認めないとする内示を出したのは、集団感染を受けて旧ミドリ十字が同製剤の自主回収に乗り出した後の同年7月。最終的に同製剤の効能を制限したのは98年3月になってからだった。

 医薬品の再評価は、販売開始後に、「有効性」と「安全性」を確認する制度。厚労省は「緊急に安全性を審査する制度ではなく、審議に時間がかかることもある」としている。(読売新聞)

<C型肝炎>原因の血液製剤の製造中止を検討も継続 旧厚生省


 旧ミドリ十字(現三菱ウェルファーマ)の血液製剤「フィブリノゲン」によるC型肝炎感染問題で、米国が77年に同製剤の承認を取り消した際、旧厚生省内でも製造中止が一時検討されていたことが31日、厚生労働省が公表した内部文書などから分かった。

 問題の文書は旧厚生省の国立予防衛生研究所(旧予研、現国立感染症研究所)で82年6月に開かれた「生物学的製剤検定協議会」の議事録と、その録音テープ。同製剤をめぐる安全対策について省内調査中の同省が、旧薬務局OB約650人へのアンケート結果と関係文書120点を中間公表した中に含まれていた。

 議事録などによると、旧予研の血液製剤部長だった故・安田純一氏が、米国が同製剤の承認を取り消した当時を振り返り「その時に(旧予研の)検定部長が製造中止を日本でも考えてもいいということで、私が厚生省に打診したが、医師会、特に産婦人科の方でなお需要があるということだった」などと発言していた。

 厚労省の血液用剤再評価調査会は85年、「米国では販売が禁止されており、安全性に問題がある」としてフィブリノゲン製剤を再評価指定。中央薬事審議会は87年、止血剤としての効果はないと再評価した。しかし、日本産科婦人科学会などから反対の声が上がり、継続使用されていた。

 厚労省は結果的に使用が続けられた裏にどのような議論があったのかなどをさらに調べ、「薬害肝炎」に対する国の対策の実態を報告書にまとめる方針。 【須山勉】(毎日新聞)
5/31 米のフィブリノゲン製造停止直後、厚生省にも検討打診

 血液製剤「フィブリノゲン」による薬害肝炎問題で、米食品医薬品局(FDA)が1977年、肝炎感染の危険があるとして同製剤の製造承認を取り消した直後に、当時の国立予防衛生研究所(予研、現国立感染症研究所)幹部が厚生省に対し、日本でも製造中止を検討すべきだと打診していたことが、予研の内部資料からわかった。しかし、当時厚生省側は、産婦人科治療で需要があるとして、製造を継続させていた。

 薬事法に基づく血液製剤の国家検定を行っていた予研は82年6月、「生物学的製剤検定協議会」を開き、同製剤を検定品目から除外するかどうかを議論した。出席者は全員、予研の幹部職員。議事録や録音テープによると、当時の血液製剤部長(故人)が冒頭、「米国では本剤によるB型肝炎の感染の危険が大きいということで製造が中止された」と報告した。そのうえで、「日本でも(製造中止を)考えてもいいのではないか」と判断した77年当時の一般検定部長(故人)が血液製剤部長を通じ、厚生省に製造中止を打診していたことを明かした。

 打診の際、血液製剤部長は同省側から「医師会、特に産婦人科で需要がある」と説明を受けたという。

 その後、同製剤は、87年に青森県内の産科医院で起きた集団感染が発覚するまで、毎年2500以上の医療機関に4万―7万本が販売された。同製剤によるC型肝炎ウイルス感染者は、国内に約1万600人いると推計されている。

 これまで、同省がFDAの措置を初めて知ったのは、84年とみられていた。

 77―78年当時の2人の旧同省薬務局生物製剤課長は、読売新聞の取材に対し、いずれも「(打診もFDAの措置も)記憶がない」と回答した。

 一方、厚生労働省は31日、薬害肝炎問題に関する省内調査の中間集計を公表した。77―98年までに旧薬務局に在籍した633人に調査票を送付、577人から回答があったが、米でフィブリノゲン製剤が製造中止になったのを「記憶している」と答えたのは1人だけだった。(読売新聞)