『日本教について---あるユダヤ人への手紙---』 [ もどる ]
イザヤ・ベンダサン Isaiah BenDasan 著 山本七平 訳 文藝春秋 1972年刊
《このファイルは、上記の書籍からその思想のエッセンスと思われる箇所を、わたくし日暮景が抜粋し、編綴したものです。なお[ ]内の表記は、わたしが必要に応じて記入したもので、それ以外はすべて原文からの引用によっています。なかでも[略]と[中略]の違いは、主として前者が短い章句の省略であり、後者は文章単位の省略であることを表しています。
ところで、三〇年近くも前に出版されたこの本は、今なお極めて多大な説得力をもって、わたしたち日本人の「本質」に光を投げかけています。サイレント・マジョリティ諸氏におかれては、この書にみなぎる普遍の真理が、迷走する現代日本の病根をえぐりだし、「あるべき姿」のイメージを指し示していることを、わずかなりとも感得していただければ幸いです。(2000.7.31 日暮 景)》
◆◇ 言葉の踏絵と条理の世界 ◇◆
日本人がいかに理解しにくい民族であるか。理解したと思い込んだとき、実はそれが誤解にすぎない場合でも、それを誤解だと証明することすら不可能に近い、という事実をまず指摘したいと思います。
日本人が「私は自由主義者だ」「私はマルクス主義者だ」「私はクリスチャンだ」と自称しても、それらはすべて、[中略]日本教を表現するための方法にすぎないと考えております。
戦後の日本人がアメリカ型民主主義の言葉で日本教を語っているからといって、彼らを民主主義者と考えることは誤りです。
日本人の質問とは、自分にわからないことを相手にきいているのではないのです。「言葉の踏絵」を差し出しているのです。これは国会の討論であれ、新聞記者のインタビューであれ同じであって、質問者はさまざまの「言葉の踏絵」を次から次へと差し出して、相手が踏むか踏まないかをテストしているのです。
この踏絵という方式は、一宗教団体が異端者を排除するために用いる方法であって、そこには正統と異端しかないというのが前提です。
日本人は日本教徒ですから、日本教徒としての前提でことを判断するわけですが、日本人は、この前提を意識しておりません。[中略]一応これを「無意識の前提」としておきます。[中略]従って、やってしまって、その結果を見てはじめて、自分の前提の当否が検討できるわけです。[中略]すなわち何を前提として踏絵を差し出しているのか、三百年前の日本人も、現代の日本人も全く意識していないのです。しかし、日本人が意識しようとしまいと、踏絵を差し出すからには、差し出す基礎となる教義があるはずです。わたしが日本教と呼ぶのは、この教義を支えている宗教です。
さてこの「条理」という日本語ですが、[中略]「論理ではないが、なにかそれに似た順序で、結論を追って行く方法」という意味であることは理解していただけると思います。
さて、日本語には論理はありません。日本語とは「ロゴス(論理)なきロゴス(言葉)」です。[中略]論理がありませんから、厳密な意味の叙述はありません。すなわち、ある状態がある状態であることをそのまま叙述することは不可能で、その状態を誰かに説明するという形にならざるを得ないのです。
従って、日本人が何かを論証しようとする場合、すべてが相手を説得するという形になります。[中略]議論といっても相手を論理的に破綻さすことではありません。[中略]これは、ある教理を援用した説得術が、論理のかわりに使われているということです。
「条理をつくして諄々と説いている人」の「論理的破綻」を指摘しますと、その人も、また周囲の人も非常に怒って「『理屈』ばかり言って人の真意を理解しない」といいます。この「理屈」という言葉は、時には理論(セオリー)の意味に使われ、時には口実(プレテクスト)の意味に使われます。すなわち理屈=理論(セオリー)とは、教理に従わないための口実(プレテクスト)なのであります。
日本人は怒りっぽいとか、議論をするとすぐ感情的になるとか、冷静に論じあうことができないとかいったことは、世界的な定評かと思いますが、[中略]日本教の教義(ドグマ)を基にして logical sequenece (論理的続唱すなわち条理)で諄々と説いているのを、相手が論理に基づいて何かを論証しようとしているのだと誤解して反論すれば、その人が怒るのは当然といえましょう。
日本教にはもちろん神父がいます。この神父の一人に『日本人を考える』の著者森恭三氏があります。氏の条理がどんなものであるかは、いずれ解説したいと思いますが、ここでは簡単に私の結論だけを申し上げましょう。
@ 日本人には、人間(という概念)があり、これから万人共通(と日本人が考える)の一つの基本的な教義を引き出し、その教義に基づいて相手を説得するわけで、何かを論証するのではない。また相手がその教義を認めていないかも知れぬ、などどいうことは、全く考慮さえしえないほど、この教義が固く人びとに信仰され、捧持されていること。従って前述の「踏絵」の場合も同じで、踏絵を踏む際、その理由は、それぞれ別の教義に基づくとは思っていない。
A 日本語そのものが、いわば日本教の宗教用語であって、その基礎は教義であって論理でないこと。従って、この教義を離れると日本語は全く意味をなさない言葉になってしまうので「(教義を援用して)条理を尽くして諄々と説く」以外に、言葉を使う方法がない。
以上の二つは、明らかなことと私は考えます。私が日本教と申しますのは、この教義を支えている一つの宗教です。
◆◇ 実体語と空体語のバランス ◇◆
日本人は狡猾であるという印象をもつ外国人は少なくありません。[中略]もちろん、狡猾さが皆無の個人も民族も現実には存在しないと思いますが、日本人が特にそう見えるのは、日本人が日本人独特の、不思議な世界に住んでいるからです。
これは非常に面白い一種の論理(とは言えませんが、ほかに言いようがありません)で形成されている世界で、簡単な実例をあげますと、「安保は必要だ。だがしかし、安保反対を叫びうる状態も必要だ」という一種の「考え方の型」といったものです。もう一つ例をあげれば「自衛隊は必要だ。だがしかし、自衛隊は憲法違反と言える状態も必要だ」となります。この「考え方の型」は、単に、以上のような大きな政治問題ばだけでなく、小団体の問題から個人の日常の些事まで、すべてに共通する「考え方の型」、いわば基本的な型です。
日本という世界は、一種の天秤の世界(もしくは竿秤の世界)と考えています。そしてこれの支点となっているのが「人間」という概念で、天秤(もしくは竿秤)の皿の方にあるのが「実体語で組み立てられた世界」で、分銅になっている方が「空体語で組み立てられた」もう一つの世界です。
この「空体語」を無意味、無内容の言葉(これはどの国の言葉にもあります)と誤解されませんように----いうまでもなく、分銅も確かに一種の実体ですが、たとえ質量があり、かつ手で触れることができても実は一種の尺度であって、尺度に過ぎないという意味では実体ではありません。しかしそれでいて、天秤を水平に保つにはどうしても必要であり、天秤皿のうえの実体と同じだけの重さがなければ、分銅になりません。問題はここです。「自衛隊は必要である」という「実体語」は口にせず、「自衛隊は憲法違反であるといえる状態も必要である」という分銅の方を尺度として口にし、それによって天秤の平衡を保つことは、たとえ口にしなくても自衛隊の存在を認めてはじめて言える言葉ですから、「実体語」でいえば、「自衛隊は必要だ」ということです。だがそれを「空体語」で言わないと、天秤は平衡を保てなくなってしまいます。
この「実体語」と「空体語」の関係を、日本人はよく、西欧の「思想」と「現実」の関係と混同します。いや混同ではなく同じことだと思い込んでいるようです。[中略]言うまでもなく西欧では、原則として、「現実」という言葉で規定されているものを自分が現在立っているスタートラインとすれば、「理想」はそのゴールを規定した言葉であります。従って議論は常に、言葉によって現実をどう規定するか、また言葉によって理想をどう規定するか、まずこの二つを規定してから、この「言葉によって規定された現実」から同じく「言葉によって規定された理想」までをつなぐ道を、また言葉によって規定し、それをどう歩むかを「方法論という言葉」で規定するという形になります。
この場合、「現実」という言葉も、「理想」という言葉も、ともに同じく言葉であることは、議論をする場合の当然の前提ですが、日本人の場合は、この前提がすでに違うのです。[中略]ここではただ、この差は「具体的」「抽象的」といった差とは全く別のものであり、そこで私が「実体語」と「空体語=分銅」という奇妙な比喩を使わざるを得なくなった理由であると申し上げるに止めます。
分銅はたとえ、天秤皿の上のものと同じ材質でできていても、「もの」でなく「尺度」であり、分銅の材質が何であるかを論じても無意味で、要はそれが、天秤皿の上のものと、どうバランスをとっているかが問題だということです。
「現実問題」という「実体語」の荷が天秤皿にのると、平衡を保つためには、天秤ならば分銅の数を増し竿秤ならば分銅の位置をずらして目盛りの高いほうへあげて行かねばなりません。こういう状況は、常に、日本全体の問題にも、一個人の問題にも起こります。
例をあげれば、文字通り、いくらでもあります。今から一世紀ほど前、日本が鎖国をやめて開港せざるを得ない状態になったと、ほとんどすべての日本人(少なくとも知識人)が内心で感じたとき、激烈な攘夷論が起こりました。[中略]従って「実体語=開港」は沈黙し、さらに、開港が必要になればなるほど攘夷の声は高くなってゆき、ついに、天秤の分銅は最大限、竿秤なら竿の端まで分銅があがって行きます。そして、その結果はどうなるか。天秤ならば平衡が破れて一回転し、天秤皿の上の荷も分銅も落ちてしまう----御一新で、皿は空、分銅なしの平衡状態となります。従って攘夷論じゃが政権をとったのに開港したということは別に不思議ではありません、同じことをただ「空体語」で言っていたのですから。これは革命と呼ぶべきことではありません。
実によく似たことが、第二次大戦の末期に起っています。すなわち敗戦は避けられないとほとんどすべての人が内心で感じたとき、分銅は極限まであがって「一億玉砕」になり、ついで天秤は一回転して重荷も分銅も落ちてしまうと、天秤皿は空で、分銅なしの虚脱状態、すなわち精神的空白の平衡が再現し、当然、言葉は失われます。そしていずれの場合も支点は微動もしていません。将来も同じことが起きるでしょう。
この天秤の支点が実は「人間」という概念であり、それが私のいう日本教において「全能者的役割」を演じていることは、[中略]ある程度は理解していただけると思います。そこで、この支点を解明することが日本教を解明することです[略]。
[王陽明が「庭の竹」というモノに至ろうとして全力あげて努力し、とうとうノイローゼになって断念したことを例をあげて]このように中国人は、「対物関係」においてノイローゼになりうる民族ですが、一方日本人は「対人関係」すなわち日本人のいう意味の「人間関係」では絶えずノイローゼになっても、「対物関係」においてノイローゼになるなどということは、空想すらできな不思議な民族です。ソクラテス以前のギリシアの哲学者たちの努力は、文字通り「無意味な詭弁」として一笑に付され、彼らが言葉によって「物に至ろう」と努力したことなどは、夢想だにしません。
◆◇ 『檄文』の論理 ◇◆
私が、[略]「氏[三島由紀夫]のあやまりは、このような状態は戦後の日本のみのことであって、むかしはそうでなかったと考えたことでした」とのべましたのは、[氏の『檄文』の]冒頭の主張と、この結論です。
すなわち「国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎの偽善に陥り、自ら魂の空白状態に落ち込んでゆく」「日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ」「われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか……われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである」とのべたそのことです。
実は、そういう「真姿」は、「天秤の世界」には実在しないのです。[中略]従って氏が、「体をぶつけて死ぬ」と言った相手は実は「憲法」そのものでなく、この憲法への日本人の態度に象徴される「日本教」そのもの、すなわち「天秤の世界」であったはずです。
氏が『檄文』で何をのべようと(氏が切腹しなければ)日本人はこの『檄文』の言葉を「空体語」に組み入れてしまい、人間という支点を使って「実体語」とバランスをとり「なるほど三島氏のいうことは論理的で筋が通っている。まさにその通りだが、しかし『人間』を忘れてはいけない」という意味のことをいい、同時に「なるほど三島氏はそういうであろう、だが彼も『人間』だから、彼(という『人間』)を支点として、この『実体語』の世界を、彼なりの『空体語』で言っているだけだ」と考え、それで終りにしてしまいます。事実、彼が切腹するその瞬間まで、すべての日本人は彼の言葉をそのように扱い、従って、彼が何を言おうと大して気にかけていませんでした。[中略]
そして彼が、「人間」という支点を無視して(「生命尊重以上の価値の存在を見せてやる」)、分銅をいきなり天秤に移し、その論理を物差のように使って「実体語」の世界を規定しようとしたことは、日本教徒にとっては、「気が狂った」としか思えないわけであり、同時にこの分銅の移動という考えられぬ行為は、当然、天秤の支点を壊し、これは、いわば彼という「人間=支点」の首を斬り飛ばしただけでなく、全日本教徒の信仰の対象である「人間=支点という概念」の首も折りそうになりました。
これがいかに大きなショックであるか。日本人は少なくとも徳川時代から全員が無神論者ですが、「無人間論者=無支点論者」が存在するなどとは、夢にも考えられない民族ですから、当然のショックです。従ってこのショックが逆に、日本教を強く浮かび上がらせる結果にもなりました。すなわち、断固として日本教徒の立場に立った司馬遼太郎氏の反論(乃至は批判)がそれです。
『毎日新聞』に掲載された司馬遼太郎氏の『異常な三島事件に接して』という一文は、逆に、この事件によって触発されて、日本教徒の本心、すなわちその「考え方の型」を思わず率直に語ってしまったという点で、実に貴重な一文であると思います。[中略]
事件が起ったのが、十一月二十五日、この一文が掲載されたのが二十六日の朝刊ですから、おそらく非常に短時間に一気呵成に書き上げられらものでしょう。従って短い前文が終ると、いきなり「日本教」の核心ともいうべき言葉が来ます。
@ 思想というものは、本来、大虚構であることをわれわれは知るべきである。思想は思想自体として存在し、思想自体として高度の論理的結晶化を遂げるところに思想の栄光があり、現実とはなんのかかわりもなく、現実とはかかわりがないところに繰りかえしていう思想の栄光がある。ところが、思想は現実と結合すべきだというふしぎな考え方がつねにあり、特に政治思想においてそれが濃厚であり(と氏は書いていますが、私はむしろ、日本では、「政治においてそれが露呈する」と考えます)、たとえば吉田松陰がそれであった。
と、ここでプラトンを思い出すのは、おそらく私だけではありますまい。彼の記すソクラテスは、司馬[遼太郎]氏とは全く逆で、ロゴス(言葉=論理=思想)は現実と結合しなければ無意味だと次のようにはっきりと断言しているのです。
私(ソクラテス)としては、今に始まったことではなく常に、私に関する限り、私には最良と思われる思考の結果であるロゴス(言葉=思想)以外には、絶対に従わないという人間である。今まで口にしてきたロゴスを、私の運命がこうなってしまったからといって、今、捨て去ることはできない。いや、それ(ロゴス)はほぼ同じだと私には思えるし、以前同様それをうやまい、尊んでいる。今、われわれが語るべきより良きものを持たないならば、知れ! 私はあなたに従わないことを。
……………
正しいと同意したことは、実行すべきか破棄すべきか……実行すべきだ。(『クリトン』)
以上のプラトンの言葉を頭において、司馬遼太郎氏の次の言葉をおききください。
A 松陰は日本人がもった思想家のなかで、もっとも純度の高い人物であろう。松陰は「知行一致」という、中国人が書斎で考えた考え方(朱子学・陽明学)を、日本ふうに純粋にうけとり、自分の思想を現実世界のものにしようという、たとえば神のみがかろうじてできる大作業をやろうとした。虚構を現実化しようとする方法はただひとつしかない。狂気を発することであり、狂気を触媒とする以外にない。要するに大狂気を発して、本来天にあるべきものを現実という大地にたたきつけるばかりか、大地を天に変化させようとする作業をした。当然この狂気のあげくのはてには死があり、松陰のばあいには刑死があった。
さて刑死という言葉がでてきますと、当然ソクラテスが連想されます。[中略]彼(ソクラテス)の場合は「思想が現実と結合すべきだ」と考えない人間がいたら、その人間こそ「狂気を触媒として」思想という名の妄想を抱いているにすぎないことになるでしょう。[中略]彼ソクラテスの場合は「思想」のみが「現実」ですから、現実の「彼」は言うまでもなく「彼の言葉」です。
これは西欧人にとっては自明のことであり、従ってソクラテスが、生きるも死ぬも、自分のロゴス(言葉=論理=思想)で自分と自分の世界を律しているのもまた当然で、ここに狂気が入る余地があるはずがありません。言うまでもないことですが、「言葉」が「人」である世界、「言葉」が「人間」を律しうる世界には、論理的狂人が存在するはずがありません。では一体なぜ、日本教徒には論理的狂人が存在しうるのでしょう。司馬氏の次の言葉がそれを問いてくれます。
B かれ(松陰)ほど思想家として結晶度の高い人でさえ、自殺によって自分の思想を完結しようとは思っていなかった。さらに松陰の門下から多くの思想的奔走家や政治的奔走家を出したが、かれらの一、二をのぞいては死そおうと現実が別物であることを知っており、現実分析による現実的行動によって歴史を変革することをなしとげた。というより変革期にきている歴史的現実を、現実的にとらえ得た。
この言葉を理解するには、もう一度「天秤」を頭に浮かべていただかねばなりません。支点である人間という概念は、「言葉」では規定できないというのがこの考え方の大前提なのです。これは日本人にとっては当然であって、支点は、天秤皿の上のものすなわち「実体語の世界」からも、分銅すなわち「空体語の世界」からも、ある一定の距離を保っていなければ支点になりません。人間は言葉では規定できない(もちろん実体語でも空体語でも)、従って、「人間は言葉にあらず」「言葉で規定しようとしたとき人間は人間でなくなってしまう」(=支点ではなくなってしまうから人間ではなくなる)というのが、実に、日本教の根本的な教義の一つ、すなわち教義の第一条というべきものです。
従って松陰の門下は(@Aを除いて)、「本来、大虚構である」「思想というもの」を、はっきりと「空体語の世界=分銅」として扱い、この思想と「実体語の世界=現実とが別個のものであることを知って」、人間という支点を媒介として、「現実分析による現実的行動」により両者のバランスを保つことによって、松陰の「思想」を「現実面」に生かして、「歴史を変革した」ということになります。これが日本教徒の正常(ノーマル)な行き方です。ということは論理は人間(という支点)で中断され、これが直接に現実を律することはあり得ないのが正常なのであって、これを無視する者が「論理的狂人」です。従って人間という支点で論理を中断する者が「非論理的正常人」となるわけです。従って司馬氏は結論として次のようにのべております。
C いずれにせよ、新聞に報ぜられるところでは、われわれ大衆は自衛隊員をふくめて、極めて健康であることに、われわれみずから感謝したい。三島氏の演説を聞いていた現場自衛隊員は、三島氏に憤慨してヤジをとばし、楯の会の人をこづきまわそうとしたといったように、この密室の政治論は大衆の政治感覚の前にはみごとに無力であった。このことはさまざまの不満がわれわれにあるとはいえ、日本社会の健康さと堅牢さをみごとにあらわすものであろう。
このように強固な「天秤の世界」にいる日本教徒が三島氏に同調することは、ありえないことです[略]。三島氏は生前、司馬氏に極力触れまいとしていたようです。私の知る限りでは「司馬氏の史観は好まない」といった意味の短い言葉があるだけです。
ここで司馬氏に、ソクラテス流の質問をしてみたいと思います。氏に向かって「『思想は思想自体として存在し……現実とはなんの関わりもない』というあなたの思想もまた思想なのだから、それはあなたの『頭脳』という『密室』の中で構成された『大虚構』なのではないか。何を根拠にあなたは自分のこの思想は『現実』で『大虚構』ではないと主張するのか。もしそう主張しないといわれるなら、あなたも新聞にただ新しい別の『虚構』を発表されただけということになる。もしそうならあなたの一文は全く無意味になるではないか」と。
ソクラテスは、自分大家族、子供、友人のこと、すなわち「現実」を考えろといわれたとき、相手のこの言葉を「現実という名」の一つの「思想」として受けとり、この「現実という思想」を自己の思想と突き合わせて、いっしょに考えよう、そして正しい方を選択しようといいます。そしてその場合、自分の思想も相手がいう「現実という思想」も、世間一般の人びとが言う「思想というもの」もすべて同一水準へおき、これは「思想」だ、これは「現実」だといったわけ方はしておりません。
以上がソクラテスが考える場合の前提ですから、『檄文』も「司馬反論」も同一平面において共に思想として扱うべきだと考えて上記の質問をしたのだ、といえば、おそらく司馬氏は、私の問いにもソクラテスの言葉にも、微笑を浮かべて何も答えないでしょう。理由は、[略]司馬氏がのべているのは、反論を許されない日本教の教義であり、私の問いは、その教義に従わないための理屈になってしまうからです。教義ですから、もはや論証の世界ではありません。
では、日本人を律しているものは何か? 一言にして言えば「人間という支点の位置」とこの支点が立っている台です。[中略]まず位置から考えてみましょう。
天秤が平衡を保つには、二つの要素が必要です。一つは天秤皿の上のものと分銅との関係であり、もう一つは支点の位置です。支点が天秤皿すなわち「実体語」のすぐ近くに寄っていれば、ほんのわずかの「空体語=分銅」で天秤は平衡を保ちますが、もしこれが逆になり、支点が「空体語=分銅}の方へぐっと寄っていれば、ほんのわずかの「実体語」と平衡を保つために、驚くほど膨大な「空体語=運動」が必要になります。私が申し上げているのは、この位置のことです。もちろん支点が動くのではなく、天秤の竿(横棒)が左右に動いて支点を変えるとお考えください。
この支点の位置は、実は、絶えず左右に移動しているのです。日本人全体を見た場合、時代によってこの位置が変りますし、個々の日本人を見た場合、一人一人で、各々この位置がはじめからちがいます。また一個人の生涯を見た場合、年齢により境遇により、この位置が変化していきます。そして、「人間は支点であって言葉では規定できない」というのが日本教の教義の第一条なら、「人間の価値はこの支点の位置によって決まる」というのが日本教の教義の第二条ともいうべきものです。
この第二条は、日本教の非常に重要な教義であって、これに疑いを差しはさむ日本人は皆無だと断言してよいと思います。日本人は「人間」を「純粋な人間」と「純粋でない人間」とに分けます。もっともこのように大きく二分している考えては誤りで、この「純粋」という考え方は、やや、金属の精練度(もしくは純度)に似たものとお考えください。
この純度表が何によってきまるかといえば、前述の支点の位置で決まるのです。すなわち支点が「空体語の世界=分銅」に近づけば近づくだけその人は「純粋な人」です。従って、純粋の人とは非常にわずかの「実体語の世界」と平衡を保つために、実に大きな「空体語の世界=分銅」が必要です。一方「純粋でない人」は、支点の位置が「実体語の世界」に非常に近接しているので、ほんのわずかの「空体語=分銅」で、膨大な天秤皿の上のもの、すなわち「実体語の世界」と平衡がとれるわけです。
この「支点の位置」は倫理以前の人間判別の基本的基準として日本教徒の日々の生活を律しているのみならず、戦前戦後を通じて、実に、法廷における判決をすら左右しています。また日本全体を一つの天秤と考えるなら、その政策をすら決定しているのです。
◆◇ 神は空名なれど…… ◇◆
次の一文をお読みくだされば、「空体語」ということばが果たして私の新造語なのか否か、また何に基づき、どういう内容の言葉を指すのか、またなぜ私が日本教は宗教であると言いつつ一方では日本人は[少なくとも徳川時代以来だれもが]無神論者であると断言したのか、おわかりになることと存じます。
実を申しますと、「空体語」は私の新造語とは言えません。これは一八二二年に鎌田柳泓
(かまたりゅうおう)という人が書いた『心学奥の桟(かけはし)』という本からヒントを得た言葉で、この本では「空名」となっております。[中略]まずその一節を意訳してみましょう。[中略]この『心学奥の桟』は民衆教化の書ですから、語義の厳密な規定はそれほど問題でないはずで、従って私は、教育なき民衆の一人としてそれを聞き、その言葉を受け、受けたままを意訳しても、大過なきものと考えてよいと思います。
がんらい神は、本質的には「空名(名ばかり・原注通り)であるが、その名があることはすなわちその「理」があることで、その「応」はまたむなしくない。そうであるから、これらの「神」や「仏」(一応神と同義とお考えください)はただ「空名」だけだけれども、すでにその名があるということは、それなりの「理」があるのであって、従ってその「応」は、ないといってはならない。
どうお考えですか? 意味が通じますか? もちろん通じないと思います。[中略]これが「空体語」というものなのですから。
確かにこの文章は、論理的に意味が通りません。[中略]「その名は空名にすぎないのだから『理』(存在理由(レゾン・デートル))があるはずはなく、従って『理』(リーズン)もあるはずがない。故に『応』(レスポンス)があると考えるのは誤りである」となるのが当然です。
第一、「神は空名なり」という言葉を口にした瞬間、ヨーロッパ人なら強い一種の緊迫感があります。「名は実体」の世界ではこの言葉自体が一種の対決です。
「日本人は全員が無神論者である」が、「日本教は宗教でありうる」のは、一言にしていえば、日本教では「人間は被造物」でなく「神が被造物」であり、かつ「空名」だからです。そこで必要に応じていつでも「神という空名」を創出できます。
「われらは無神論者なれば、われらにとって神は空名なり、されど空名としての理あり、理あれば応あり、従ってその応は認め評価する」という一種の信仰告白だといえば、驚くのは彼ら自身でしょう。日本教徒のこの信仰への挑戦ほど難しいものはありません。日本人は私のこの言葉すらすぐに「空体語」に組み入れ、人間を支点としてバランスをとり、私の言うことも一理ある、従って人間という支点を媒介として応がある、というでしょうから。
日本人が絶対に排除している言葉があるのに気づきます。[中略]何かを排除するということは、それと絶対に相いれぬ主教もしくは宗教的思想があるわけで、従って、排除されたものを探究していけば、逆に、日本教が浮き彫りにされてくるはずです。「インカーネーション」は、この点で、非常に興味ある言葉です。
日本の英和辞典はこの語を「化肉、受肉、顕現、権化」と訳していますが、[中略]驚いたことに日本語の辞典(漢和辞典)には「化肉」も「受肉」もありません。[中略]
これは当然であって、「言葉が化して肉となる」とか「言葉が肉を受ける」とかいった考え方は、日本教とは全く相いれないからです。人間は「支点」であって、言葉の範囲外にあるのですから、言葉を受けるのはどちら側かの天秤皿であって、人間ではありません。従ってキリスト教徒とは分銅に十字の刻印がある人、ということになるでしょう。
ある席で若い日本人カトリック教徒が非常に謙虚な態度で「私は六日間ただ忙しく働いており、七日目に教会に来てはじめて信徒であると自覚するような信仰の浅い者ですから、こういう席で何かを発言する資格があるとは思いませんが……」と言ったので、彼[ある神父]は思わず大声で「今のは主に対する裏切りの言葉」と言ってしまったそうです。ところが言われた日本人も周囲の日本人も、この神父の発言にむしろ怒りを感じたらしく、「彼が自分の状態を主の前に正直に告白しているのがなぜ裏切りですか」と抗議されたので、また思わず、「これ以上、傲慢な言葉はない」と言ってしまったそうです。[中略]彼が大声を出したのは、もちろん、一見、外交辞令にすぎないこの日本人カトリック教徒の言葉が、実は、非常に明白な「言葉への拒否」であることを知ったからです。
申すまでもなく、カトリックは「神の言葉を受けた肉」を信徒と考えるわけで(逆に言えばその言葉が肉をまとっているのが信徒)、その言葉は普遍(カトリック)の真理であるから、まとう肉体が白であれ黒であれ黄であれ、すべて普遍(カトリック)な信徒である、という立場をとるわけですから、前述の日本人カトリック教徒の言葉は、この教義への恐るべき挑戦と受けとられ、カトリック教徒といいながらこういう挑戦をすることは裏切りであり、同時にこれにまさる傲慢はない、と言ったわけです。だが、だれ一人この神父の言葉を理解しなかったわけです。
無理もありません。前述の日本人カトリック教徒が言った言葉は、「私の『空体語=分銅』はカトリックの言葉ですが、平生は、私(人間=支点)がぐっと実体語の方に寄っているので、『空体語=カトリックの教義=分銅』は非常に小さく、あるかなしかの状態でバランスをとっております。しかし日曜日には私(人間=支点)がぐっとカトリックの教義(空体語=分銅)の方へ寄るので、その分だけ分銅の方を大きくしてバランスとっている人間です。こういう状態では『純粋』ではありませんから、発言の資格はないと思いますが……」という意味であって、彼はあくまでも言葉を分銅として天秤皿にうけ、支点を移動させるのが当然のことと考えていたのです。
一方神父は、カトリック教徒という以上、その言葉をまとった肉なのだから、職場にいようと教会にいようとカトリック教徒であって、それ以外のものでありうるはずがなく、以上のような言葉が出てくること自体、裏切りとしか言いようがなかったわけです。しかし、前述のような言葉を口にする日本人は、非常に立派な日本教徒であることは日本人も異論がないので、周囲の日本人は[神父の反応に対して逆に]怒りを感じたわけです。
以上で「空体語」とは何かがおわかりいただけたと思います。「神は空名であるが、名があるからその『理』がある、したがってその『応』もないといってはならない」はそのまま「空体語」の定義になります。同時にこれは、日本教の第三条にもなります。
日本人が宗教的に寛容だというのは誤りです。確かに分銅の刻印はあまり問題にしません。しかし、この第三条を認めないもの(それは天秤を認めないものですが)は、徹底的に排除していしまいます。
しかもその時は、「非日本教徒]として排除されるのでなく、「非人間的]として、すなわち人間でないものとして排除されるのです。そしてその排除は実に徹底しておりますが、一方、日本教の教義に従い、「天秤の論理」で純粋と認められたものは、もっとも卑劣な殺人者でさえ、裁判所すら、無実に等しい判決を下さざるを得なくなるのです。
◆◇ 五・一五事件と純粋人間 ◇◆
日本の新聞・雑誌を見ていますと、繰り返し繰り返し、実に執拗なまでに絶えず強調されている言葉があります。それは「まず、人間であれ」という主張です。「教師である前に人間であれ」、「政治家である前に人間であれ」、[中略]「あの人はクリスチャンとしては立派だが、人間としては尊敬できない」といういい方もあり、さらに「父親である前に人間であれ」という言葉まであります。
この「人間であれ」とは何を主張しているのでしょう。一言にしていえば、「まず、日本教徒であれ」ということで、いい換えれば「日本教の教義(人間規定)に忠実であれ」ということなのです。こういう主張は、いずれの場合であれ、宗教的ドグマの一方的主張であって理論ではありません[略]。
日本のアパートの台所で犬や蛇を裂いて料理をしている現場を発見されれば、必ず追い出されます。[中略]日本人は「日本教には日本人の食物規定があり、それに違反しているから居住を許すことができない」とは考えずに、「蛇や犬! そんなものは人間の食べるもんじゃない」といいます。[中略]この場合の人間とは日本教徒の意味であって、「蛇や犬は(日本教の食物規定に触れるから)日本教徒の食べるべきものではない」という意味です。したがって、[中略]日本人が「人間を尊重せよ」といっても、これをヒューマニズムの意味にとってはいけません。従って「人間を尊重せよ」と叫びつつ、人間に暴行を加えることもできるわけです。この場合[略]の「人間」とは日本教の教義の人間規定の意味ですから。
日本人は、ものごころのつくころから、食物規定から思考の型に至るまで「われわれ人間(=日本教徒。この場合も『私』ではない)はいかにあるべきか」について一貫した徹底した教育をごく自然に受けており、前述のように新聞・雑誌等もまた常にこれを強調し続けています。
大部分の日本人は実質的には外国人と接することなく、または多少接しても、日常生活を共にする隣人として、外国人に立ち混じって生涯共に生活することはありません[略]。そして自分たちの「考え方の型」が日本語と日本教の教義という実に強力な枠にはめこまれていて、この枠から出て「自由」にかんがえることは不可能に近いことだなどとは、夢にも考えられないのです。
従って、自分たちが自由でないと意識しないという点では、日本人は戦前戦後を問わず実に自由な民族であり、この点、この教義の枠は実に牢固であって、その前には法律といえども無力になってしまいます。
日本人はその「食物規定」同様に、実に強固な思考の型にはめこまれて、それ以外の考え方はできない[略]。[中略]それが全くできないが故に「自由」に考えていると信じ込んでいるわけで、自分たちには「食物規定」はなく、何でも自由に食べていると信じ込んでいると同じです。日本人は、自らの教義が存在するという自覚さえ持ち得ないまでに、その教義が徹底的に浸透している民族なのです。
従って法の前に教義があります。裁判がどんな形式で行われようと、裁判官は「裁判官である前に人間(日本教徒)であれ」であり、検事も、弁護人も被告も一般大衆もすべてそうですから、まず、日本教の教義の「人間規定」が優先するのは当然です。そこでまず、教義の第二条「人間の価値は支点の位置によって決まる」が取り上げられ、被告の支点の位置はどこか、すなわちその純粋度をどれだけと認定すべきか[中略]が決定的な問題となるのです。[中略]この純度が決定した後に、はじめて法が適用されるわけです[略]。
それ故私は、日本は徹底した差別の国だと思っております。ただこの差別は、必ずしも皮膚の色とか人種・民族によるのでなく、日本教の教義に基づく「人間の純度」という不思議な尺度に基づく差別なのです。ただこの差別は、「純度」の認定によって絶えず変化しますから、「人間の純度による流動的アパルトヘイトの国」と規定してよいと思います。
それゆえこの「純粋人」と認定された被告に対しては、その行為[五・一五事件での犬養首相暗殺の例]がどれだけ卑劣であろうと、三十五万通もの減刑嘆願書が寄せられるわけです。この点はもちろん戦後も変わりません。変わったのはただ「純度表」の表現だけです。
◆◇ 日本人の政治的反応度 ◇◆
[日本人は]あらゆる対象を政治という観点から見てしまいます。そして対象を、政治的観点から見たとき、はじめて真剣になり、現実感が出てきて多くの人の共感を得、時には熱狂的にさえなります。
たとえ無理な詭弁を使ってでも政治と関連づけて政治問題として取り上げますと、たちまちすべての人がそれに関心を示し、関心を示さないものは異端者として扱われ、魔女狩りの様相を示すことさえあります。これは、日本教の教義の「支点」である「人間」が、論理によらず政治を媒体として作用するからでしょう。
日本教では政治的解決がすなわち宗教的解決であって、それですべてが解決します[略]。日本政府とは「日本教団政務院」のようなものですから、従って日本では西欧のような「政教分離」はありえません。靖国問題もその一つの証拠です。
日本においては宗教上の問題は実は政治問題であり、これを裏返せば政治上の問題もまた宗教上の問題になって、両者を分けることが不可能に近い[略]。
西洋における政教分離が、遠くは、悲惨を極めた宗教戦争[フランス宗教戦争][中略]の時代への反省から、教会が教会(宗教団体)として政治に干与することは絶対にせず、政治はあくまで個人として参与し、これによって宗教団体の方も政争の導入による自己崩壊を防ぎ、一方政治は、宗教団体の加入による狂信的な政治的な対立を防ぎ、教会と国家の併存という形になったわけですが、日本人が「政教分離」という場合、こういう考え方は全くないように思われます。
「日本教キリスト派」とは、[中略]分銅に十字の刻印が打ってあるだけで、いわば「キリスト教的表現」で「日本教」を語っているだけですから、[中略]「行為を(音声または文字によらざる)言葉」と考え、「言葉を見る」ことができると考えることは不可能だと思います。従ってこの殴打という暴力行為[日本基督教団で生じた内紛による暴行事件]を一種の言葉すなわち思想乃至は思想の表現とは到底考え得ないので、何のためらいもなく「物理的な力」と[機関誌『教団新報』に]書いたのでしょう。
人間暴力を言葉(=思想)と切り離して一種の自然現象(=物理的)のように見、従って思想とは無関係の自然現象のように見る見方(=思想)は非常に古くからある一種の伝統的な考え方です。
[大阪]万博が、一部評論家などによって、日米安全保障条約改訂と関連づけられて一種の政治問題として取り上げられると(典型的な日本人的行き方です)、これに刺激されて、[略]キリスト協会内にも急に、[キリスト教館の]万博出の可否が政治問題として、ついで、これに付随して宗教問題として取り上げられ、一種異様な興奮状態になってきました。
問題はすぐさま「キリスト教館出展の可否」を飛び超えて、「万博は七〇年代の侵略体制にふみ入った日本の独占企業群の帝国主義的再編の先取りであって、それは約圧された人間の側に立って闘ったイエスの志向とは相反するものだから粉砕しなければならない」となり、「そこでさしあたって教会を、生産点および街頭闘争のために精神と肉体を武器へと転化する拠点と考えるほかない」から、そういう体制にない「基督教の総体を根底から問う」のだということになり、従って「基督教館出展は万博の犯罪性への加担行為」であって、それをあえて強行する「教会」の幹部を「告発する運動」を「総会その他で展開」すると発展していったわけです。このように展開された運動において、この出展を「犯罪性に加担す行為であることを認識せず、人間性回復とかキリストの臨在性とかいう美しい宗教的言辞によって、その犯罪性をカモフラージュした」北森教授に「物理的な力」が加えられたわけです。
まず第一に、「万博の犯罪性」とか「万博を粉砕する」とか「教会を闘争の拠点とする」とかいう言葉を字義通りに受けとって、この人びとを誇大妄想教乃至は精神異常者と見、その行動を精神異常者の集団的行動と考えてはならない、ということです。「教会を(革命の)拠点とする」などということは、[中略]それを口にしている人さえ字義通りにその言葉を受け取っているのではなく、意識せずともただその言葉によって生じる「政治的効果」だけが念頭にあって発言しているはずです。
ところが戦前・戦後を問わず、こういう発言に対して、日本人は、常に抗弁も反論もできず沈黙してしまうのです。
言うまでもなく、原因は、その底に、日本人が無条件に服している「日本教の教義」があるからです。すなわち、これらの言葉が「空体語」にすぎないことは、口にする人自身がよく知っているのですが、「神は空名(空体語)なれど、名あれば理あり、理あれば応あり」であって、これらの言葉はもちろんのこと、「神」という言葉ですら、それを口にする人は、一種の政治的効果しか念頭にないわけですが(といっても無意識のうちにですが)、この言葉を口にした瞬間、その人は、空名の絶対者から委任された「絶対的審判者」のようになり、その人から何を言われても何をされても抗議できなくなるのです。したがって、北森教授に加えられたのは「物理的な力」と表現せざるを得なくなるのです。
この考え方は、キリスト教徒だけでなく、全日本人に非常に広くかつ深く浸透しています。この事件に先立って起った[東京神学大学の]一連の大学紛争でも、リンチを受けた教授たちに対して「純真な学生たちの真剣な問いかけに正しく応答しないのが悪い」といった非難がましい論評が支配的でした。
「神は空名(空体語)なれど、名あれば理あり、理あれば応あり」従って学生たちの、この「理ある空体語」に正しく「応」じない教授会は、確かに日本では、非難されて然るべき存在なのでしょう。
では、最終的にはこういう事態がどのように収拾されるのでしょう。結局は日本教の教義に従って収拾されるわけですが、それはこれら事件の当事者たちが「純粋でない」ことを証明すれば良いのです。上記の事件の前に起った一連の大学紛争では、すでに新聞等で手の裏を返したように紛争を起こした学生たちが非難されていますが、それが「学生たちは純粋でない」という判定に基づいてなされるのです。まず「学生運動は純粋でなくなった、初心を忘れるな」といった警告(?)が発せられ、ついで純粋でなくなったと判定されると、彼らがそれまでと全く同じ行動をとっても(否、はるかに温厚な手段をとっても)、それが普通の刑事事件として扱われるのが当然といった論調になります。これを私は[略]「流動的アパルトヘイト」と呼んだわけです[略]。
戦争直後には、東条以下の戦時中の指導者たちが、実は純粋でなかったことが新聞で強調されており、東条氏が家を建てたことが実に強く非難されています。[中略]そのうちの多くは相続した財産であったにもかかわらず、[中略]これが、彼らが純粋でなかったことの証拠として強く打ち出されております。この点は、もちろん戦後のキリスト教会でも同じで、純粋であるかないかが、常に、決定的な判定の基準になっています。しかし、「行動は言葉である」から「暴力は暴力という思想」であり、この思想と「信教の自由」とは相容れないが故に、キリスト協会内のその思想を追究するといった考え方は、[中略]あるはずもありません。
以上のことから、この問題に関する日本経の教義として、次の三点が明らかになったと思います。
@ 政治問題における「純粋な人間」による殺害もしくは暴行は、空名の絶対者の委託を受けた「審判者」による告発・判決・刑の執行と見なされ、従って法律による規制の対象とはならない。従って一見被害者と見られる者も、実は被告であって、刑を執行されたにすぎず、問題は執行の際に逸脱があったかどうかに限られる。
A ただしこの告発・判決・刑の執行は、政治問題に限られる。宗教上の問題、経済上の問題、個人的倫理的問題では、いかに「純粋な人間の真剣の問いかけ」においても「天誅」は認められず、暴力は通常の暴力事件として処理される。
B 上記の行為も、行った人間がもし「非純粋人」ならば、その行為は「空名の絶対者」の委託を受けたとは認められず、従ってその行為は通常の犯罪として法律によって罰せられる。
「空体語」という分銅を極限までつみ重ねたとき、天秤は平衡を失って一回転しますが、その時に天秤皿の上の実体語も空体語もすべては落ちて消え、関係者はすべて言葉を失うでしょうが、天秤そのものは「言葉」ではない「人間」を支点に、何事もなかったかのように静かに平衡を保っているのです。[中略]この状態を日本語で「心機一転」といいます。これは、試行と模索によって、心(マインド)が新しく方向を転ずるのではなく、支点を中心とした一種の一回転=自転(ローテーション)です。これによってすべての言葉が投げ捨てられた状態を、日本人は「心機一転、裸になって……」といいます。そしてこれが、小規模にまたは大規模に行われる状態を、私は、天秤体制(バランスクラシー)と呼びます。
◆◇ 「成長」「変節」のない思想 ◇◆
仮にその人の名を安保教授としておきましょう。この記事によりますと、安保教授は戦時中は帝国海軍の機関で働き、戦後は民主主義の旗手となり、ついて一九六〇年の日米安全保障条約の改訂にあたっては、同条約の破棄を主張する一大運動の中心的指導者となったのですが、七〇年の同条約の自動延長に際しては、この問題に見向きもしなかったということです。そして、これは変節ではないかと批判されたとき、「人が思想的に成長するのは当然のことで、人の思想的成長を認めないやつは撲ってやりたい」と言った、とこのコラムの記者は書いております。
事実、氏は、この十年間にも、多くの西欧の思想を紹介したり解説したりしていたようで、安保教授自身は、これを自らの思想的成長と思い込んでいるようです。
しかし私にとって、最も興味があったのは「人の思想的成長を認めないやつは撲る(撲ってやりたい)」という思想です。いうまでもこれが安保教授の思想、すなわち自己規定で、この思想に関する限り、氏はその生涯において成長も変節もしていないと思います。
一定の思想からの転向ということは、その本人にのみ関係あることで、それを人が認めるとか認めないとかいうことと無関係ですから、認めるかいなかが念頭に浮かぶということ自体、まことに不思議なことと言わねばなりません。これは一体、どういうことでしょうか。
問題点が三つあると思います。まず第一に、安保教授にとって、「思想とは踏絵」だということです。[中略]これはあくまでも、相手に差し出してその反応を見るものであっても、その図柄が自己を規定するわけではありません。規定しているのは踏絵を「差し出す」という行為の元となる思想で、この思想がその人の思想であり、その思想は、差し出された相手の反応によって影響されることはあっても、踏絵の図柄で影響されることはありません。
安保教授は一九六〇年には「安保」と書いた踏絵を皆に踏ませ、この異端審問は相当に過酷であったようで、当時ある人は「まるで、安保に反対せずんば人に非ず」といった風潮だと書いています。
ところが、七〇年には何もしなかった。これは一見、何の踏絵も差し出さなかったように見えたので、前述の批判が出たわけですが、結局安保教授は、踏絵の図柄を変え、規模が小規模であったというだけで、同じことをやっているのです。すなわち、「思想とは、相手に差し出して何かを認めさせるものだ」という思想を一貫して持ちつづけ、また、差し出された「思想」に彼が期待するように応答しないものは撲る(暴力によって排除する)という点でも、何の変化も認められないわけです。しかし、戦争中から現在まで、氏の差し出す踏絵の図柄だけは絶えず変わるようで、氏はこれを自分の思想と勘違いして、自分がたえず「思想的に成長している」と思い込んでいるわけでしょう。
第二の問題点は、この安保教授は「思想の成長を認めない者」への非難を、あくまでも一般論としてのべていることです。氏の所論を要約しますと、「人間は自由である、従って思想的成長も変化も自由である。この自由を認めないことは許されざることである。それ故、私の思想的成長を認めないことは容認できない。従ってそういう人間は容認できないから撲ってやる」。どうか私が「笑話」を創作したとお考えにならないでください。[中略]「思想的成長の自由」を認めないと、撲られて沈黙を強いられ、従って、「思想的自由」がなくなるのですから。面白いことは、このことを書いている安保教授自身も、編集者も、読者も、これに全然気づいていないことです。
第三の問題点は、安保教授は上記のことを一般論のようにのべていますが、「認める」「認めない」という踏絵方式には、二人称しか存在しないことです。すなわち「踏絵」をはさんで、お互いに『お前』と呼び合う関係しか成り立たないことです。日本が「二人称」しかない社会であることは、パリ大学教授森有正氏[当時]が別の立場から詳細に論じております。
安保教授が「認めない者は撲る」というは「私」が存在せず、「お前」と「お前のお前」(お前が「お前」という者)が「私」のかわりに存在しているためで、「お前」が「お前」と認めてくれない限り、「お前が『お前』という者」すなわち「私」が存在しなくなるからです。従って「お前」と「お前のお前」という関係でないなら(すなわち「認めない」なら)「お前」は存在してはならないことになります。これは日本教の教義に基づく普遍的な思想で、このことを日本人は「すべては相手の出方次第」といいます。すなわち踏絵を契機として、それへの「お前」の反応によって「お前のお前」(すなわち「私」)が律されるわけで、これは、西欧の自律的・他律的とは全く別のことです。
以上のべたことを一つの図式にまとめますと、次のようになります。[中略]氏[安保教授]は、日本教の規定する「人間」なのです。踏絵すなわち彼のいう「思想」は空体語で天秤皿の一方に載って分銅となっており、従ってこれの支点である「人間」に影響を与えている点では「理」があり「応」もあります。そして「撲る」という言葉は「実体語」であって、もう一つの皿にあり、分銅と平衡の関係にあります。しかし、支点「人間」は、双方から一定の距離にありますので、安保教授はどちらの言葉にも規定されていない(ということは、どちらの言葉も氏の思想でない)ということになります。分銅の刻印の変化を「認められて」いればこれで平衡を保っていられるのですが、「理」ある批判を受けますと、それには「応」がありますので、天秤皿の空体語=分銅は次々に消去されざるを得なくなります。するとそれに応じて天秤の支点は徐々に実体語の方に寄せないと平衡が保てなくなり、これが極点に達したとき、ついに支点と実体語が重なり、ここで「人間」は実体語に規定されます。ここまで達した状態を日本では「言わせておいて、片づける」状態といい、その時に「天秤」はほぼ「実体語」を支点として一回転するわけです。そしてこれが、大小を問わず、日本におけるあらゆる問題の処理方法なのです。
ここで非常に面白いことは「言わせる」から「片づける」まで一定の時間があることです。[中略]「あれだけ言われれば、撲るのもあたりまえ」と暴力が許される一つの状態が現出して、はじめて「撲ること」が公認されるわけで、[中略]結局これは、「あれだけ言われて(批判され)、そのため空体語が消去され、平衡を保つため支点を移動させたのだから、支点が実体語と重なるのは当然だ」と思われる時間でしょう。
もちろんこの場合、批判の「空体語」は、[中略]純粋な人間が純粋に口にしたものでなければならないのであって、そうでなければ「空体語」としての「理」がなく、従って「応」もありませんから、「空体語」に対して作用できません。しかしこれが的確に作用しますと、批判されるほうは前述のように支点を次第に実体語の方に寄せざるを得なくなります。しかし実体語はそういう議論では口にできない言葉ですから、実体語に近づくに従って、批判される方は、次第に沈黙していかざるを得なくなります。
いわゆる大学問題は、世界の多くの国で起りましたが、この処理の仕方が、日本では[中略]文字通りに「言わせておいて片づける」方式をとりました。当時の新聞を参照しますと、批判されている大学当局や教授は、[中略]ほぼ沈黙してしまいました。それが一定の段階に達しますと、大学の総長が何か合図らしきことをする。するとたちまち[中略]警視庁の機動隊があらわれて、あっという間にすべてを「片づけて」しまうのです。これが問題の「処理」「解決」であり、それですべては「完結」します。
この図式は、形態はさまざまに変化しますが、ほぼ共通した、解決の基本図式です。考えてみれば、「天秤の世界」にこれ以外に解決の方法があろうはずはありません。
実をいいますと、この方[直接手を下さず自発的にやめるようにもっていくやり方]が、日本における基本的な「片づける」方式なのです。警察官の導入などという過激な方法はむしろ例外であって、通常はこの方法がとられます。いわば「本人の意志」で「自分自身を片づけさせる」わけです。これは、いわば間接的な方法による自殺強要に似ていますがこの方法は昔から非常に広く行なわれていたようで、「つめばら」というはっきりした用語があります。[中略]切腹はあくまで自殺ですから、その死に対してだれも責任を負う必要はないが、実質的には「片づけられた」という状態です。
この元委員長の抗議の手紙[東京神学大学の学園紛争が警察官によって片づけられたことに対する、元東神大自治会委員長からキリスト教団総会議長に宛てた質問状]は、何の効果もないのでしょうか。何かこの手紙によって事態が変わるでしょうか。もちろんそういうことは起りません。彼の言葉がいかに「理」があろうと、天秤皿の空体語はもう消え去っているのですから、影響の仕様がありません。空体語は、人間を支点として、実体語とバランスをとってはじめて実体語に作用しうるものですから、そうでなくなれば何物への「応」もないのです。
では、この元委員長はどうすれば良いのでしょう。天秤皿に新しい空体語が載ってから、「思想的に成長した」新しい空体語でこれに応すればよいのです。このゆえに安保教授は、次々と新しい「思想」をとりあげて「成長」し、「お前のお前」になって、すなわち「認められ」、それによって「存在」しつづけて来たのですから。このため日本人は、時としては「ジキル博士とハイド氏」のように見えます。すなわち、空体語を口にしつつ、実体語で行動し、さらにこの空体語が、実体語とバランスをとるため常に「思想的に成長する」ので、二重にそう見えるわけです。「偽善者」「嘘つき」「うす気味悪い」といった批評[中略]をはっきりと口にした人[外国人]は少なくありません。
前述の行き方が、日本人の[思想」で、日本人は少しの「変節」も「成長」もなく、従って、「偽善」もなく、この思想に基づいて、昔も今も、事件の大小に関係なく行動し続けてきたことは、明らかな事実です。
日本の驚異的な発展の原因の一つは、この「片づける」という方式によります。従って、こういう体制すなわち、「天秤体制」を巧みに運営するのが政治家の主要な任務になるわけですから、政治家は常に空体語と実体語とのバランスにのみ注意が向きます。
◆◇ 「お前のお前」の責任 ◇◆
[日支事変後の]実情を知りかつ見通しは全くつかないが故に、国民の全員がこの事変に着いて非常に強い不安感心をもっており、従ってこの早期解決を、いらだたしいまでの焦燥感をもって待望しておりました。それでいてだれひとりその「実情」を[中略]口にできないのです。口にしたら最後、「そういう弱気なやつがいるから今日の事態を招いたのだ」という反論(?)に会い、その「弱気を口にした人間」が今日の事態の帰結ですが全責任を負う結果になるからです。日本人が太平洋戦争を自分の方から開始したのは、この論理の帰結ですが、非常に不思議なのは、この場合の「責任」とは何か、いや、日本人が「責任」という場合、それがどういう事柄を指しているかという点です。この論理(論理といいうるならば)がなぜ通るのか、そして、なぜ有識者・学者・言論機関がほぼ一致してこの論理に同調するのか、という問題です。
これは応答できない論理ですから、議論は不可能です。従って日本人には議論はありえません。従って議論のかわりに、日本独特の「対話」という不思議な方法で事態を収拾することになります。すなわち言葉を、二人称だけの世界に入るための手段として使う一定の方式です。これはもちろん「空体語」と「実体語」の天秤の論理に基礎づけられています[略]。
「二人称のみの世界の対話方式」は国内問題に関する限り、まさに絶対的ともいいうる方式で[略]す。
[恩田木工(徳川時代にある小藩の財政建て直しをやった人)は]対話をはじめる前に、彼はまず自分が、「純粋人間」であることを立証しようとします。そのために必要とあれば妻を離別し、子を勘当し、使用人を一切やめさせ、衣服その他はすべて新調せず、最低の食事・最低の生活も辞しません。ついて自分の行為も言葉もすべて「純粋に領民のことのみを考えていること」を立証しようとします。さて、この立証が終ると、次に領民との「対話集会」を開きます。
ところで、この「対話集会」ですが、これが実に不思議な集会なのです。恩田木工は、この集会の人びとと徹底的に議論して、その多数決に従って、何かを決定しようとしたわけではないのです。といって前期の方針を命令のように一方的に布告したのでないのです。そんなことをしたら、たちまち収拾のつかない一揆になります。[中略]何はともあれ、これは「話し合い」なのです。
この一種独特な「話し合い」はどうしても必要なものであって、[中略]たとえ実際には、自分の方針を一方的に強行した結果になることがはじめから明確であっても、この「話し合い」は必要なのです。なぜか? 簡単にいえば、日本語には「二人称」しかないからです。すなわちこの対話集会で「お前」と「お前のお前」(お前がお前と呼ぶ者)という関係に入り、それが確認されてはじめて、無視されていない者、すなわち認められた状態になるのですから、そこで初めて「お前のお前(私)」が存在しうるわけです。従ってそれをしないと[中略]「農民を無視した」ということになります。[中略]「撲ってやる」ことになるわけです。
天皇制とはまさにこの「二人称」の世界の制度なのです。[中略]日本の宮廷のスポークスマンは言うに及ばず、日本の言論人も、天皇が「純粋」であることに、異論を差しはさむ者はおりません。おそらく天皇が「純粋」であることは、何びとにも否定できぬ事実なのでしょう。
第二に、天皇の行動は常に純粋であり、一点の私心もなく、常に国民のことのみを考えていることも絶えず強調されます。これもおそらく事実でしょう。そしてここに「天皇」と「国民」の間に「二人称」の関係が成立しているのです。すなわち天皇はただ一心に国民のためをのみ思い、国民はただ一心に天皇をためのみを思う、という一つの相互関係、すなわち「お前のお前」という関係は、戦争中の「国民はただただ天皇のため」「天皇はただただ国民のため」という関係によく現れております。そしてこの関係(お互いに「お前のお前」といい合う関係)には、この関係を律する第三者としての「法」が入る余地がありません。
恩田木工も[中略]、「純粋人」であることを立証した後、ついで自分の行なうすべてが、「純粋行動」すなわち「純粋に領民のため」のみであることを立証しました。[略]ここで[彼は]小天皇となり、天皇制の原則に基づいて、領民との間で、対話集会を開いて、二人称の関係に入ります。面白いことに日本人は、この関係に入ることを「民主的」といいます。従って戦後には、「天皇制」そのものが「民主主義または民主的」といわれているわけです。二人称の関係には「私」は存在しませんから、恩田木工は対話集会でまず「自分の立つも倒れるもお前たちの意向次第」と宣言します。これは多数決による支持を求めるというのではなく(これは当然で、対話集会には議決権も任免権もありませんから)、「お前のお前」という関係である間は「お前のお前」(すなわち私)は存在する、という意味です。ついで恩田木工は、貢税の徴収に関して、それまでに行われてきた違法を一つ一つ指摘し非難していきますが、その最後に必ず「かく申すもそれは理屈なり」とつけ加えます。
この「理屈」とは、「理論(セオリー)」と「言い逃れ(プレテクスト)」の両方の意味をもった言葉なのです。従って違法の指摘は逆に、日本教の教義に従わないための言い逃れになると言ったわけで、それにつづいて彼は必ず、この違法が行なわれたのも「ただただ主君を思うが故である」とつけ加えます。すなわち「ただ主君のため」「ただ領民のため」という二人称の関係をその度ごとに強調し、その関係が法に優先することを確認してゆきます。
恩田木工はこの方式で、自分の行なおうとすることはすべて「純粋」に領民のためのみであることを、一歩一歩と立証して行きます。そして[中略]、実に考えられないような再建案[第一に債務(藩が二、三年先まで先取りしている租税の返納義務)は一切帳消し。第二に武士の俸給の未払分(二分の一)は帳消し。第三に町民への借入金返済は無期限延期。そのうえで、当年分の租税は月割りにして完納すべし]を、全員が喜んで承諾するに至らしめるのです。しかし彼の行なったことは、当時の法律からみても法律違反であり契約の一方的破棄です。しかし二人称だけの世界には、この対話をする両者を共に律する第三者としての法は、はじめから入る余地がありませんから、これは問題になりません。したがって法に違反し、契約を破棄したものは称揚され、法の通りに行なったものは逆に非難されるわけです。
日本人はこの「お前、お前のお前」という二人称の世界を「われと汝」という西欧の対話と混同している----というより、この二つが全く別のものであることを、全く理解していないように思います。
さてここで、日本人にとって「責任」とは何かという[略]問題に入るところまできました。二人称の関係に入らなかったことが、その者の責任として糾弾さるべきだという日本教独特の考え方を一つの疑問として最初に取り上げたのは、私の知る限りでは有名な作家夏目漱石です。
[小説『坊ちゃん』の中で、]坊ちゃんが赴任して間もなく、宿直の夜、寄宿舎の生徒たちが集団で、彼をからかって騒動を起すのですが、この生徒への処罰を合議する職員会の会議で、[中略]校長の「狸」が言っていること[に対して坊ちゃんがいだいた感想は、日本教では誤りで]「自分は(寡徳で)純粋度が足りなく、生徒との『対話が不完全で『二人称の関係』に入りえなかったことは、自分の責任だ」[といい、]そして「それは私の責任だ」ということによって、逆に自分の純粋性を証明すると共に「二人称」の関係に入ろうとしているのですから----これは、西欧の「責任」という言葉とは全く無関係です。「責任」という日本語には「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。従って、もしこれに対して責任を追及すれば(応答の義務の履行を要求すれば)、逆に「相手は自分の責任を認めているのだから追及するな」といわれ、追及するほうが逆に非難されます。
これは考えてみれば二人称の世界では当然のことで、「私の責任」とはつまるところ「お前のお前の責任」ですから、この場合、応答の義務を負うのは「お前」の方になります。従って「相手が私の責任といっているのだから(すなわち『純粋人として対話の関係に入ろうとしているのだから』)お前も何とかいったらどうだ(それに応答すべきだ)」ということになります。
この関係が全日本的な規模で非常に明確に出ているのが「天皇の戦争責任」という問題です。[中略]天皇は自分の「責任」を認め、ついで全日本を巡業して各地で「対話集会」を開き、国民はこれに対して「一億総ざんげ」で応答し、「天皇は国民のため」「国民は天皇のため」という「お前のお前」すなわち二人称の世界は、再びここで確立しました。当時の日本は恩田木工が登場したとき以上にあらゆる面で破産状態でしたから、これこそ実にみごとな「対話方式」による再建でした。もちろん、あらゆる意味の「債務」はこれで帳消しですが、「だれひとりお上をうらむ者なく」と木工が言ったのと同じ状態が現出したわけです。
ここで前述の問題の一部に入ります。二人称の世界に神が住みうるか、否、その前に法がありうるか、法に基づく「責任=応答の義務」がありうるかという問題です。
◆◇ 朝日新聞の「ゴメンナサイ」 ◇◆
ある無実の人間が、別の人間の偽証によって死刑の判決を受けたのなら、これは何の疑いもなく「偽証(による)殺人」と考えるのが常識です。私は何度も、読み違いではないかと[八海事件を題材とした映画の]ポスターを眺めました。しかし何度見なおしても、書かれているのは「司法殺人は許されるか!」であって「偽証殺人は許されるか!」ではないのです。
日本人には偽証という考え方が全くないのです。[中略]では日本では偽証してもかまわないのか、と問われれば、私が言うのはそういう意味でなく「証言」ない世界に「偽証」はありえないからだ、とでも申し上げる以外に言葉はありません。
八海事件[強盗殺人事件。裁判において、被告人は単独犯であるにも関わらず共犯者がいると偽証し、自分は従犯だと主張]でも松川事件[列車転覆事件。容疑者赤間が逮捕され、その証言に基づいて、佐藤らが共同謀議および実行犯として逮捕され死刑判決。しかし、上告の結果全員無罪]でも、実に不思議なことですが、すべての人が、この偽証問題にだけは、絶対に触れないで、避けて通ってしまうのです。
[ユダヤ教の]申命典に従えば、[中略]まず最初に問題にされるのが「偽証の責任」であることは異論の余地がないと思います。しかし日本では、この偽証の責任を追及せず、無意識のうちに全日本人が、まるで本能的とでもいいたいような態度で、徹底的にこの問題から目をつぶり、避けてしまうのです。ということは、「個人(偽証した者)の責任は追及してはならない」という確固たる律法があるとしか考えられません。
『朝日新聞』が、中国で日本人が行なった虐殺事件の数々を克明に記載した記事で、大きな反響を呼んでおります。ただ不思議なことは、この記事も、この記事への反響にも、責任(個人の)の追及が全くないことです。
では一体『朝日新聞』は何のためにこの虐殺事件を克明に報道しているのでしょうか。これによって「だれ」を告発しているのでしょうか。「だれ」でもないのです。ちょうど「偽証(による)殺人」を「司法殺人」というように「戦争殺人」「侵略殺人」「帝国主義殺人」を告発しているのであって、直接手を下した下手人個人および手を下させた責任者個人を告発しているのではないのです。そしてこの殺人事件を起こしたのは「われわれ日本人」の責任だといっているのです。しかし、そう言ったからといって、この言葉を、「われわれ日本人の責任だから、われわれの手で、われわれの法と義に基づいて、その下手人と責任者を告発し、裁判に付することによって、われわれ日本人の責任を果たす」という意味にとってはならないのです。では一体この「日本人の責任」とは、どういう意味なのでしょうか?
「狸」氏への「坊ちゃん」の批判をそのままここへ適用しますと、「われわれ日本人の責任だというなら、そう言っている御本人も日本人なのだろうから、そう言う本人がまずその責任をとって、記事など書くのはやめて、自分がまっ先に絞首台にぶら下がってしまったら、よさそうなもんだ」ということになります。しかしもしそう言えば、この記者はもちろんのこと、『朝日新聞』も識者も読者も非常に怒り、[中略]「そう言うことを言うやつがいるから、こういう事件が起るのだ」と言われて、この言葉を口にした人間が責任を追及されます[略]。
日本教=二人称の世界では「それは私の責任」だということによって「責任=応答の義務」はなくなるのに、この論理は逆に「責任だと自供したのなら、自供した本人がその責任を追及されるのは当然だ」としているからです。[中略]これは日本教では絶対に許されません。もしこれを許したら、日本教も天皇制も崩壊してしまうからです。
従って、子供が物心がつきますとすぐ、「私の責任=責任解除」という教育が、ほとんど無意識のうちに徹底的に行われます。日本人のうち、子供のときに「(私の責任です)ゴメンナサイ(またはスイマセン)と言ってあやまりなさい。そうすれば(そのことの責任は追及せず、無条件で)ユルシテあげます」と言われなかったものは一人もおらず、いわばこの考え方は、「子供のとき尻から叩き込まれる」のです。もし子供が、その行為に対して、むしろそれに相当する処罰を受けた方が良いと思って「ゴメンナサイ」とも「スミマセン」とも言わなければ、この「ゴメンナサイ」とも「スミマセン」とも言わないことに対して「強情なやつだ、ゴメンナサイといえ」といって、ゴメンナサイというまで処罰がつづけられることはありますが、この処罰はあくまでも「ゴメンナサイ」と言わないことに対してであって、そのもとになった行為に対して処罰が下されているのではないのです。
「日本は戦争責任を認め、中国に謝罪せよ」という強い意見があります。[中略]それらの意見を仔細に調べて見ますと、[中略]「私の責任です、といって謝罪することにより責任が免除され、中国と『二人称の関係』に入りうる」という考え方が前提に立っているとしか思えないのです。
理由は私の見るところでは非常に簡単で、日本人と中国人とは「お前のお前」という二人称のみの関係に入りうると、日本人が勝手に信じているからです。
日本教徒内部の問題の処理には実に有効な「二人称のみの関係」「私の責任だということによって責任が免除され、対話に入りうる」という方式を、そのまま中国にも援用しようとして、絶えず失敗したにも関わらず、また同じ方式しか取りえないのです。
これは日本人にとって、この行き方がいかに決定的であるかを如実に示しているというより、それが通用しない世界があるなどということは、夢にも信じられないからです。
ここでは「松川事件」ではなく、「松川事件裁判」だけを取り上げて、日本人における「自白」すなわち「自由意志に基づく証言」と「偽証」を探究してみたいと思います。
この裁判問題のすべては、結局は「赤間自供」に要約されます。そして何が「赤間自供」を生み出したかに要約されるのです。何が? それは「天秤の論理」「言葉の踏絵」「二人称だけの世界」(二人称の関係に入ろうとする欲求)「私の責任=責任解除」が生み出したのです。
◆◇ 松川裁判と証言 ◇◆
まず[小説家]広津和郎氏と同じ前提に立って、この十四年にわたる裁判の一部を、経過を追いつつ調べてみたいと思います。広津氏には三つの前提があります。
前提(一) この裁判は単なる刑事裁判であって政治裁判でない。[以下略]
前提(二) いわゆる「拷問」はなかった。[以下略]
前提(三) 被告および証人の警察および第一審の法廷における自白・証言および供述の一部は全く信用できない。
この前提(三)は非常に重要です。というのは、もしこれが正しく、[広津氏の言うところの]「鸚鵡的供述」をするだけの「オシャベリ機械にすぎない」もの----いわば、広津氏と同様に、われわれの考えでも、もはや人間とはいえない一種の「機械」もしくは「もの」が人間の姿を借りて存在し、松川事件の「自白組」といわれる八名およびそれに関連した証人がこの「機械」もしくは「もの」であって人間でないという前提、もしこの前提が証明されれば被告は無罪であり、証明できなければ被告は有罪になるからです。広津氏は反論の余地のないほど的確に被告達の無罪を証明しましたが、そのことは同時に「鸚鵡的供述」をする「オシャベリ機械」という「意志なき人間」の存在をもまた、反論の余地ないほど的確に証明しました。同時にその機械の始動の仕方も運転の方法も明らかにしたわけです。
純粋な自白もしくは自由意志に基づく証言であっても(いや、むしろ自由意志に基づく証言であるが故に)、それを裏付ける証拠が必要ですが、そういう意味での自白の信憑性は、「松川事件」でははじめから全然問題になっておりません。[中略]これは、日本教には「自白(コンフェッション)は、侵すことのできない人間の基本的権利」で、この権利を喪失すれば「機械」もしくは「もの」にすぎないのだという考え方が[略]なかったためです。[中略]そこで前述の前提(三)が成り立つわけですが、しかし、この前提(三)が成り立つということが、非常に「特殊」な、また不思議な状態であるとは、日本人は考えていないようです。
「自白(コンフェッション)」および「自由意志に基づく証言」は誰も侵すことのできない基本的な権利だ、権利であるが故に「自白」を買うこともありうるから「免罪符」というものも存在しうる。これを「権利」と考える考え方が全くない([略]あれば前提(三)は成り立ちません。調べる方にも調べられる方にもこの考え方が全くない場合にはじめて成り立ちます)ことは非常に特殊な状態だ、と[いえます]。
広津氏の前提(三)には大きな矛盾が含まれております。[中略]矛盾とは、申すまでもありません。「自白組」といわれた人びとおよび一連の証人たちが、自己の意志がなく、ただ検事や判事のいう通りにしゃべっている「オシャベリ機械」で「意志なき人間がいわれるままに供述している鸚鵡的供述」をしているにすぎないならば、自白を翻した法廷における供述も、同じことではないのか、もしそうなら、以上の規定そのものが、広津氏の論証を根本から崩してしまうのではないか、とういうことです。
この点、前提(三)はまさに両刃の剣であって、広津氏の立論が立つも倒れるも、この矛盾が、強弁でなく、本当に論理的に納得しうるように解決できるかどうかに、かかっているのです。[しかし]氏には非常に明確な基準があったのです。その基準とは「言葉」すなわち日本語でした。[中略]氏は小説家として、日本語の専門家(エキスパート)として、文章すなわち、調書・供述書・論告・判決文等の文章から、事実を描写している記述(嘘のないもの)と、事実を描写していない記述(嘘)とを、実に明確に分けて行き、事実を描写していない記述を明確な反証で崩していったのです。
日本のジャーナリズムの論評は、当然のこととはいえ、相も変わらぬ「天秤の論理」で「裁判所の判決は正しい」だがしかし、「裁判所の判決は正しくないといえる状態も正しい」のだから「雑音」としてこれ[広津氏の松川裁判批判]を排除するのは正しくない、ということでした。
[ユダヤ教の]申命典以来、証言という世界に生きているわれわれは、広津氏が、「鸚鵡的供述」とか「オシャベリ機械」という言葉を事もなげに使って、しかもその人びとを少しも非難していないことに驚かざるをえないわけです。これはわれわれから見れば比重に「特殊」な世界ですが、これを「特殊」だといえば『毎日新聞』の『余録』の執筆者に、「こじつけである」[中略]と逆に[広津氏が]非難されねばならぬほどに、日本人にとっては当然なことで、それ[人びとを少しも非難していないこと]が、「特殊」かも知れぬという考え方すら、絶対に受けつけられぬほどに徹底しているのです。
『毎日新聞』の『余録』は「相互理解のうまい方法を発見するのは大事なことだ」と書いておりますが、もちろん「うまい方法」などあるはずはありません。要は、それぞれ自らの生きている世界の「基準」を相互に「見ること」であって、その際、自分の基準で相手を即断しないことでしょう。とすれば相手を「特殊」だと見ること、すなわち「自分と同じでない」と見て、自分の基準で相手を裁かないことが理解の第一歩と思います。
話は横道にそれましたが、前述のように「判決」と「雑音」を天秤の世界におくということは、[中略]広津氏の言葉を「空体語」と規定し、この「雑音」すなわち「空体語」は、「人間」を支点として「実体語」すなわち判決とバランスをとる(裁判官も「人間」であらねばならず、人間という支点を無視してはならない)という意味でだけ価値がある、ということになります。
広津氏も最も純粋な日本教徒として、同じ立場に立ちながら、これに対して、自分の言葉こそ実体語であり、判決は空体語にすぎないこと逆に証明することによって、天秤皿の位置をかえさせ、それによって天秤を一回転させて「無罪」の判決に導いたといえましょう。従ってこの証明は、日本語において実体語とは何か、空体語とは何か、を知る点で、実に貴重な資料といえましょう。
同一の人間[I証人の証言]が、同一の場所で、しかも同一の時間に、相手[検察官および弁護人]によって、未来形になったり過去形になったりすること[検事の質問に対して、「私は警察に行った時に、その時、赤間君から列車の転覆があるんじゃないかという話があったといいました」その後、弁護人の質問に対して「私はひっくり返ったんじゃないかと質問のようにいうのを聞いたのです」と答えている]は、もはや嘘とか真実とかいう問題でなく、I証人に「自由意志に基づく証言」という考え方が全くなく、相手の希求を先取りして、相手の言いたいことをいっている、いわば相手に「自分の口を貸して」相手の言葉を自分で述べているにすぎません。
確かにこれでは広津氏の言う通り「鸚鵡的供述をする」「オシャベリ機械」の運転であって「証言」ではありません。そしてこれが典型的ともいえる「二人称しかない世界」の対話なのです。すなわち「私」が存在せず、「お前のお前」しか存在しないので「私の証言」が実は「お前のお前の証言」になってしまう。それいは証人として検察官の前に立つことは「お前(検察官)のお前(証人)」になること、弁護人の前に立つことはやはり同じように「お前(弁護人)のお前(証人)」になることだとしか、この証人には理解できないからだ、といえます。
[松川裁判では]これと同じような「証言」が、これでもか、これでもか、というように次から次へとつづくのです。
◆◇ 広津氏の四原則と『中国の旅』 ◇◆
広津氏が、この「運転」によって生じた供述の一つ一つの信憑性を、どのような基準を基に診断していったかを、調べたいと思います。[中略]そこで、この原則だけ(補則その他を除いて)を要約しますと、次の五つであることが明らかになります。
@ 情景の描写または記述が明確に脳裏に再現できること。再現できないものは、供述している人の脳裏にもその情景がない証拠であり、従って、身に覚えがないことを、誘導によって「鸚鵡的に」供述させられていることになる。従ってまず信憑性が疑われる。
A 脳裏に情景が浮かばすことができないのに、日時・距離・時間・金額その他の数字が異常に正確なものは、さらに信憑性が少ない。これは誘導している捜査官の脳裏にも何ら具体的情景は浮かんでおらず、従ってその供述を、供述させた本人も信用しておらず、意識的か無意識的かは別として、いずれにせよ数字によって信憑性を補強しようとしている証拠である。従ってこの場合は、逆に、その数字を仔細に検討すれば「必ず数字に矛盾が出てくる」。
B @とAにより極めて信憑性が乏しいにもかかわらず「供述が詳細にしてかつ整然たる」ものは、さらに信憑性がうすいと考え、その整然たる供述の中に自分自身を置いてみる。そして、場所・時間・距離・動作等を「整然たる供述」通りに脳裏で演じてみる。そしてどう演じてよいかわからぬもの、動作不可能のものは、虚偽の証言とする。
以上が主要な原則で、広津氏はこの三つだけにあてはまれば、それだけではっきりと、虚偽の証言だと信じているのですが、さらに
C 現地で実際に供述通りに行動する、もしくは第三者に行動してもらう。----これは、原則というよりもむしろ裏付けと見るべきでしょう。
D 以上のような供述は、論理的にも結局は辻褄が合わなくなるので、供述の結末で無理をして(特に距離・時刻等で)辻褄を合わせているか、あるいは巧みにぼかしてある。
以上のうちCは実地検証で、供述そのものの真偽判定ではありませんからこれを除き、他の四つ@ABDを「広津氏の四原則」と考えてよいと思います。
この場合、最も重要でありまた一番大きな問題が含まれているのが@でしょう。論理的には全然破綻がなくとも、記述された描写が脳裏に明確に再現できなければ信憑性が少ない----というより、極端にいえば「ない」のであって、他の三原則は、いわばこれの裏付けにすぎないからです。
日本語の特質を考えるとき、確かにこれは、適用さえ誤らねば、非常に確実な基準となりえます。[中略]「日本語は写生(スケッチ)の言葉」といえましょう。いわば非常にわずかの単語で的確なスケッチのできる言葉で、その良い例が俳句です。[中略]従って、明確な事実があり、その事実を確実に脳裏に浮かべ、その脳裏に浮かんでいることを言葉にしているなら、必ずどこかに「明確な写生的表現」が含まれてくるのが当然で、それがないのは異常だということは、確かに言えます。このことは日本人の「自然」という概念が基になっているのです[略]。[以下、デッチ上げ供述についての詳しい例示が続き、四原則の適用の正しさの証明がなされる]
広津氏の四原則が、日本語によるすべての「供述」にあてはめうる客観的な一般的法則であることが証明されない限り、広津氏の方法が正しいとはいえないはずです。[中略]幸い『朝日新聞』に『中国の旅』という連載がありましたので、これによって、四原則の確かさを調べてみることにしました。
すなわち「情景が脳裏に浮かび(または記者の脳裏に浮かんでいると思われ)(原則@)」、「数字を故意に正確にした跡がなく(原則A)」「記述の中のだれか(民衆の一人でも一兵士でも)を脳裏で演ずることができ(原則B)」「結末または末尾が明確である(原則D)」ものを四点として、一つが欠けるごとに一点ずつ減点していきます。そして零点のものを集め、さらに原則をゆるめて適用し、どのようにゆるめても零点であるものを取り出し、松川事件における、いわゆるデッチ上げの供述と対比して検討してみる、という方法をとりました。この方法で行きますと、確実に零点であるのは次の記述です。[以下、著者が「殺人ゲーム」と名づけた本多勝一氏の記事の引用があり、これに続いて、松川事件のデッチ上げ供述との比較対照が四原則に基づいて詳細に(とりわけ数字の不整合について鋭く)展開されている。]
広津氏の「松川事件」はすでに多くの人が言及しておりますので、上記の四原則はすでにだれかが発表して、その原則の他への適用例もあるのではないか、もしあれば知りたいと思いましたが、私の調べた範囲では皆無でした。
もしないなら、ここに日本人の特徴(欠陥といえるし、長所ともいえます)の一つが表われております。それは、何かの事件があった場合、一つの経験則からその事件に対処した人の方法から、一つの法則もしくは原則を抽出することによって、一個人の豊富な経験をみなの共通の資産すなわち一般原則として共有し、かつ活用しようという考え方がないことです。従って何かの事件が起っても、おさまればまた事件前と同じ状態に戻ってしまいます。これは二人称だけの世界は、第三者としての客観的な法則の存在を認めないからでしょう。そしてこれが、非常に不思議な「迎合」の基と思われますので、ここでもう一度、広津氏の「前提」へもどってみましょう。
◆◇ 「百人斬り」と「殺人ゲーム」 ◇◆
いよいよ広津氏のいわゆる「オシャベリ機械」の「迎合」に入るわけですが、これは日本教を解く一つの鍵ですから、ここで今までのべて来たことを少しふりかえってみたいと思います。まず天秤の世界、「人間」という「言葉の外にある」支点、空体語、鎌田柳泓の「神は空名なれど名あれば理あり、理あれば応あり」という規定、二人称だけの世界、その世界における証言、広津氏の四原則、『中国の旅』と進んで来たのですが、これが広津氏のいう「迎合」で結び合わされて、一つの世界が出来あがります。[中略]こういった簡単な図式で日本教のすべてが理解できるわけではありませんが、この図式で出来あがる世界を無視しては日本教を理解できない、と言ってよいと私は考えております。
さてここで、ファクタ(事実または行為、複数)とファクタ=ディクタ(「語られた事実または行為」もしくは「権威的に語られた事実または行為、複数」)について考えてみましょう。少なくともわれわれ[ユダヤ教徒]にとっては、ファクタとファクタ=ディクタを峻別し、両者が同一であることはあり得ないと考えることが知識のはじめでした。[中略]また「語られた事実=事実」(従って逆に「事実=語られた事実」)であありうるのは神だけであって人はそうでない、と信じることが[中略]われわれの宗教の基本でした。
今まであげた例、すなわち「松川の列車転覆事件」と「殺人ゲーム」をあげてみますと、それの行為者以外はすべて「語られた事実」を知っているだけで「事実」は知らない。しかし、「語られた事実」と「事実」は別だという明確な意識がない世界では、「語られた事実」は「事実」ではないという、ごく当然のことを口にしますと、この「語られた事実」を口にした人はすぐこの「語られた事実」を「事実」だと強調して証拠を提出してきます。
証拠もまた言うまでもなく「語られた事実」ですから、なるべく多くの証拠を集めて、その相互の矛盾から、何とかして一歩でも近く「事実」に肉薄しようとするわけで、従って相互に矛盾が大きいほど有難いわけですが、日本では----すなわち「事実」と「語られた事実」が峻別されず、人は「事実」を知りえない、知りうるのは「語られた事実」だけだと知ることが知識の初めだという伝統のない国では----最初の「語られた事実」が「事実」に転化し、この「語られた事実=事実」を証明するものが証拠と考えられてしまうのです。
「松川事件の犯人なり」(語られた事実)といわれればその者が「犯人」(事実)になり、「殺人ゲームあり」(語られた事実)といえば「殺人ゲーム」(事実)があったことになり、その「語られて事実」を「事実」と断定して、その事実を証明するに必要な証拠、すなわち新しい別の「語られた事実」が集められます。次にその新しい別の「語られた事実」がまた新しい「事実」になり、今度はその「事実」を証明するさらに新しい別の「語られた事実」が集められ、これが何度もくりかえされますから、証拠を集めるたびに逆に事実から遠ざかって行きます。
さらに困ったことに、最初の「語られた事実」を「事実」とするかしないかが[略]一種の「言葉の踏絵」になってしまうので、「語られた事実」は「事実」ではない、その奥に事実の「核」はあるであろうが、その「核」は全く思いもよらぬ所にあるかもしれない、という自明のことを口にしただけで、神聖冒涜者に対するような悪罵がとんで来ます。
すなわちその「語られた事実は事実である」と認めるか認めないかということは、言うまでもなくある神=権威を認めるか認めないかというということ、[略]「空名の神」を認め、「空名なれど名あれば理あり、理あれば応あり」とするかしないかということですから、そうなるのが当然でしょう。
[広津]氏はいわゆる「西欧的教養が豊かな人」よりも、むしろ純日本的な人、いわば実に立派な典型的日本教徒ですが、その氏が、われわれと全く別な道おそらくは「自然」という概念を通して、そして方法論的には「言葉による写生画」の有無によって「事実」と「語られた事実」とを峻別しています。これは違った伝統に発しながら、非常ににた結論になる実に面白い一例であり、また私が氏を全面的に信頼する理由もここにあります。
[最終的な無罪判決に対する最高裁長官の批判への反論として、広津氏は、表現こそ違いますが]ファクタ=ディクタは同時にファクタではありえないと主張し、この両者を峻別した上で、いかなることにもわずらわされず全く自由に、ファクタ=ディクタからファクタへと肉薄することが裁判官の「自由」であり、自由であるが故に責任であると結んでいるのです。
次にその全文を引用しましょう。[以下は著者による引用]
良心的な裁判官が、結局裁判官は「真実」というものを目撃したわけでもなければ、また自分がしたしく経験できるわけでもないのであるから、事実認定といっても、それは歴史の「事実」と同じく、良心と知能とをつくして証拠を調べて「推認」する以外にない、即ち裁判官が掴むことのできる「事実」というのは「推認の事実」に外ならない。そしてそれで満足するより仕方がない、という認識に達するということを、私は是認するものである。それは確かに裁判官は、目撃者でも経験者でもないのであるから、ベストを尽くして推認するほかない。それで満足しなければならない。しかし「それで満足しなければならない」とするその満足のしどころが問題である。
何故かというと、裁判官は「推認」以外に事実を掴むことはできなくとも、被告にとってはそれは「推認」の事実ではなく、「経験」の事実であるということである。被告が果たして犯罪をおこなったかおこなわないかは、裁判官には「推認」の事実であっても、被告には「経験」の事実である。自分が犯罪をおかしているか、おかしていないかは、被告は「体験」によって知っているのである。
そこで裁判官はいつでも被告には「経験」であり「体験」の事実であるということを念頭において、自分の「推認」をそのことによって、何回も何回も吟味し直して見なければならない。そして何回も何回も吟味し、反省して見た結果、ぎりぎり結着の「推認」までもって行って、もうこれ以上「推認」のしようがないところに到達して「これで満足しなければならない」というならば、私はその裁判官の「推認」を尊重していいし、そういう裁判官なら尊敬に値するといえると思う。
国民が裁判官に「自由心証」を認めているということは、裁判官がどういう認定をしても、それは裁判官の自由だというような意味ではない。自由心証を認められたということは、裁判官が「自由」について最高の責任を持たされたということである。[以上が著者による引用]
言うまでもなく「語られた事実」を「事実」に肉薄する、広津氏の言い方を借りれば「ぎりぎり結着の『推認』までもっていく」には「相互に矛盾する証拠」が必要です。いわば、なるべく大きく、しかもさまざまな方向で、またあらゆる面で、徹底的に矛盾した、なるべく多くの「語られた事実」(複数)がなければ、事実」に肉薄することは、少なくとも人間には、不可能です。いわば「全員が同じことしか語らないならば、全員が沈黙しているに等しい」のであって、全く矛盾のない同じ証拠だけが集まってしまえば、われわれは、その「語られた事実」を信じるか信じないかという二者択一を迫られるし、非常に困惑すべき状態に追いこまれてしまいます。そこで、何かの矛盾が見つかれば「ぎりぎり結着の『推認』まで行けるかも知れぬぞ」と[略]驚喜するわけですが、これが「語られた事実=事実」の日本人には非常に理解しにくいようです。
「語られた事実」を「事実」そのものだと言ってしまい、この「事実」を証明する証拠を、さらに「全員が同じことを語る」ように集めれば、すべてが沈黙するのと同じことですから、「語られた事実」が「事実」になって、真の「事実」はわからなくなります。日本人は世界で最も情報の分析が下手だという定評がありますが、これは「うまい」「下手」の問題でなく、ファクタとファクタ=ディクタの峻別がないからだ----というよりむしろ、ある「語られた事実」を「事実」とするか否かを、「言葉の踏絵」に使うからだと言えます。これは昔も今もあまり変っておらず、ただ「事実」とされる「語られた事実」の「語られる内容」が変っているだけですから、この内容を的確に把握して、それを裏づける同一内容の「証拠」をなるべく異なった形式でしかも数多く日本に流せば、日本人を再び「形を変えた第二の真珠湾」に誘導することは、そうむずかしいこととは思いません。なぜならば、「語られた事実=事実」なら、あとは、それを裏づける「証拠」は一に「量」であって「質」ではないからです。面白いことに、また当然のことですが、この場合日本人にとって「証拠」とは一に「量」なのです。「こんなにたくさん証拠がある」「みんながそういっている」という言葉が、証拠の正しさへの最大の証明なのです。しかしそのことが「沈黙」を強いることだとは考えません。
その「語られた事実」は「事実」ではないといえば、日本人は一心不乱に多量の「証拠」を集めます。なるべく同等同内容で量のみ多くする、しかし「全員が同じことを語れば全員が沈黙しているに等しい」とは思いませんし、この証拠すなわち「語られた事実」(複数)も最初の「語られた事実」(単数)も共に同じく「語られた事実」にすぎないのだから、両者を等しく同一平面上に並べて、その矛盾からファクタを追究しようとは、絶対に考えないのです。
『中国の旅』の記述とこの「一九三七年の記事」[著者が本多勝一氏に送った書簡に対して雑誌『諸君』に掲載された、いわゆる「南京大虐殺」事件当時の新聞記事]を、一応前者を「殺人ゲーム」後者を「百人斬り」としておきます。この場合、『中国の旅』の記者が@「殺人ゲーム」という「語られた事実」を「事実」と断定して、その事実を証明するために「百人斬り」を提出したのか、それともA「殺人ゲーム」も「百人斬り」も、ともに「語られた事実」にすぎず、その記述にはそれぞれ内部に矛盾があり、また相互に大きな矛盾があるから、これは実に喜ぶべきことであり、そこでこの二つの「語られた事実」を同一平面上に置いて、この矛盾を道標として「事実」に肉薄し、広津氏のいう「ぎりぎり結着の『推認』までもって行って、もうこれ以上『推認』のしようがないところに到達して、『これで満足しなければならない』というところ」に行こうと言っているのか、それともBこれらの証拠で「ぎりぎり結着の『推断』」に行きついたといっているのか、[略]結局不明なので、[略]@と「推断」せざるを得ませんでした。これは結局この記者に、以上のように@ABとわけて考える、というような考え方が皆無なためでしょう。つまりファクタとファクタ=ディクタの峻別という考え方が全くないということです。
[松川事件裁判に関与した田中最高裁判所長官の]「雲の下」論というのは、「雲表上に表われた峰にすぎない」ものの信憑性が「かりに」「自白の任意性または信憑性の欠如から否定されても」「雲の下が立証されているかぎり……立証方法として充分である」、従って、時日・場所・人数・総時間数等細かい点の矛盾を故意にクローズアップして、それによって「事実」がなかったかのような錯覚を起こさせるほうがむしろ正しくない、という議論です。
[「雲の下」論は]「語られた事実」を「事実」だと主張して、その「事実」の証拠を他の「語られた事実」に求めるとき必ず出てくる議論ですが、広津氏は、これは田中長官が「佐藤一の実行行為の事実」という言葉で、事実か否かが立証されていない「語られた事実」をまず「事実」と断定しておいて、その上に組み立てた議論であることを、鋭く指摘しています。これと同じ言い方を「殺人ゲーム」にあてはめれば、百人斬りの「実行行為という事実」が否定されない限り、「殺人ゲーム」と「百人斬り」の間の場所・時刻・時間・登場人物数・周囲の状況等の矛盾した点を、非常にクローズアップし、それが否定されると、犯罪事実の存在自体が架空に帰するかのように主張し、そしてこれに引き込まれてさような錯覚に陥ることは正しくないし、同時に、そういう議論の進め方をする人間は正しくない人間であることになります。そこで共に「雑音」に耳を貸すな、となるわけですが、この場合も同じで、百人斬りという犯罪「事実」はたれも知らない、知っているのは、百人斬りという犯罪の「語られた事実」だけである。その「語られた事実」(複数)によってこれから「ぎりぎり結着の『推認』」に到達しようというのに、その前に「犯罪事実の存在自体」と断言してしまえば、もう何の証拠もいらなくなります。確かに「いらない」のであり、「いらない」が故に、「同じことしか語らない」という「沈黙に等しい」証拠を量だけ多く集めることになります。従って@であるとすれば、この記者も「雲の下」論者であるというより「雲の下」論を自明の前提としていることになりましょう。
[都合の悪い(矛盾する)証拠を消滅させることは]結局「語られた事実」をまず「事実」(犯行の事実)として、その事実への証明のみを集め、すべての証拠に「同じことを言わせる」ことによってすべての証拠が「沈黙するに等しい」ようにする方法をとるなら必ず出てくる事態です。[中略]「迎合」とはつまり、「同じことを口にすることによる沈黙」なのです。[中略]日本教の世界とは、「口を開くことのよって沈黙し、また、沈黙させるために口を開かす」ことのできる世界です。
本当に「語られた事実」を「事実」とし、その「事実」を「別の語られた事実」で証明し、しかしその証拠が「口を開くことによって沈黙し」その沈黙によってこの「語られた事実」がまた「事実」となり、さらにその「事実」が別の「語られた事実」によって証明され、その証明が「沈黙……」というように繰り返していったら最終的にはどうなるのか? 「語られた事実」(複数)から「事実」(単数)へと肉薄するのなら。「事実」の直前で止まり、そこから先へは進めないから安心だが、その逆だったら際限なく進んで、どこかへ飛んで行ってしまうはずだが----とお考えになるなら、結論を先に申し上げておきましょう。逆方向に進んだ場合もやはり一つの「止め」があり、無限には進んでいきません。
◆◇ 本多勝一氏とおしゃべり鸚鵡 ◇◆
本多氏は『中国の旅』を、本人が意識しているかしていないかは別として、一種の「踏絵」として差し出しているのです。従って「姜さん[「殺人ゲーム」の記事の基になった情報提供者]の言葉」を「事実」とするか「フィクション」とするかは、その人間がどういう政治的立場をとるかの判断の基準、すなわち「踏絵」なのです。「踏絵」を踏まない人間(フィクションとする人間)はアメリカ帝国主義者であり、天皇制支持者であり、[略]軍国主義者であって「事実」とする人間はその逆なのです。
ところが、わざとそう思わせ、それを逆用して誘導していくのが捜査官・検察官の誘導術すなわち「言葉の踏絵」の逆用なのです。従って捜査官・検察官は、特別なトリックを使っているのではなく、日本人として、ごく当然の質問をし、また証人や被告も、本多氏と同様、踏絵として提示され、また踏絵として受けとった結果の自分の「証言」がどういう結論を招来するかを全く意識せずに、証言しているのです。そして全く知らぬ間に、単なる噂、またその基となった全く信憑性がない一枚の新聞記事を基にして、ある一つの事実がデッチ上げられて、ついで数限りない「多量の証拠」が集められ[略]ていくわけです。
さらに恐ろしいことは、この言葉の踏絵の逆用という誘導法は、最後まで、誘導した人間の責任が追及できないことです。
松川事件でも、捜査官がしばしば証人として出廷し、弁護側の反対尋問を受けていますが、常に上記のような趣旨(すなわち「私はあくまでも、それは噂だろうといって尋問した」という)の反論をし、またそれが事実なので、誘導の明確な立証が最後までできず、それが有罪と無罪が裁判官総計で十二対十三になった理由と思われます。
そこで[略]「司法殺人は許されるか!」ということになります。個人の真の責任はすべて、追及したくでも出来ないのですから。これは別の観点から見れば、日本人が世界一「謀略に弱い」理由にもなります。[中略]「言葉の踏絵」をさまざまに逆用すれば、日本人をある方向へ誘導することは、そうむずかしいことではないこともおわかりになると思います。とすれば「真珠湾」の謎も解けるはずです。
広津氏が見落している問題が一つあるように思われます。それは署名です。署名が言葉と人を結びつける、といった考え方は皆無です。「言葉(ダーバール)は事実(ダーバール)である」ために、「言葉」でありながらその「人」である名前を記す----という伝統は日本にはありません。
「語られた事実」と「事実」の区別がないに等しい日本人にとって、署名が何らかの意義を有するはずがありません。[中略]
署名した者がたとえ署名の意義を認めていたにしろ、それは、その本人にとってはあくまでも「踏絵を踏みました」という署名であって、その証言の内容とは関係なく、従ってそれがあるいは自分を拘束し、あるいは自分に責任を生じ、あるいはその内容に対する質問に応答の義務があるなどとは夢にも考えていないことです。しかし法廷は一応ヨーロッパ式ですから、署名さえあれば「本人の自由意志に基づき、本人がその内容に責任を負い、かつ反対尋問その他に対して応答の義務を負っている、非常に信憑性ある証言」と見なすわけです。
捜査官や検察官が被告や証人の口述を筆記し、「ではここに署名しなさい」といったとき、松川事件の自白組の被告たちは、その署名が、自分だけでなく多くの人を絞首台に送りうるのだとは夢にも考えておらず、従ってこの署名によって、そこに「記載された事実」が「事実」になってしまうのだなどとは想像もできないわけです。そこで「語られた事実」が署名によって「事実」となり、その「事実」を証明するための「語られた事実」がまた署名によって「事実」になっていきます。「署名」が実質的には存在しない国で「供述書」に署名させることによって「証拠」としてしまうことは、非常に大きな’わな’となることは否定できますまい。特に二人称だけの世界では、証人の供述か検察官の作文かわからぬもの、というより両者の「合作」、というよりむしろ「お前(検察官)のお前(証人)」の証言に「署名」することになってしまうのです。そしてこのために、広津氏のいう「検事や判事に迎合する相手の思うままにしゃべるオシャベリ機械」になっていくわけです。
◆◇ 宗教用語としての日本語 ◇◆
多くの日本の新聞は、ちょうど松川裁判における検察側の調書や殺人ゲームにおける本多勝一氏の証拠と同じように、「諏訪メモ」や「東京裁判における基礎却下の理由」を排除してしまいますから、新聞を信じるか信じないかという二者択一を迫られても、記述の矛盾から一つの事実に迫るということは不可能です。同時に日本人には、前述のように「事実」と「語られた事実」との区別はつきませんから、この「語られた事実」を「事実」として、一つのフィクションの世界を現実だと信じて生きていくよう訓練されており、このことを少しも不思議に思わないのです。そして、人が現実に処刑される、あるいは処刑された、という事態にぶつかって、はじめて「自分が生きているのがフィクションの世界ではないか」と思うのですが、それも一瞬で、またすぐフィクションの世界に戻ります。太平洋戦争が終ったとき、日本人は一斉に「軍部にだまされた」と言いましたが、実は自分たちが勝手に生きて来たフィクションの世界が、処刑に似た現実の前に崩れただけです。ですから、すぐ別のフィクションの世界に生きてしまうわけです。これが[略]「天秤が一回転した」状態です。
[「百人斬り」という]「残虐事件の張本人」という「語られた事実」を「事実」として、その上に「語られた事実」を積み重ね、さらにそれを「事実」とする、----という行き方をとるこの世界では、「事実」とされてしまったものは、もう否定できなくなります----たとえ事実でなくても。そして、常に「現人神」の存在を信じる如くに、「殺人ゲームの主人公」の存在も信じて生きているわけです。そしてその虚像に、さまざまな形で奉仕し、同時に、それを通して間接的に他にも奉仕することを強制し、奉仕しないものは糾弾するのが、日本教の機関誌[新聞]の役目であるのは当然です。
虚像への着せ替えは、常に行なわれます。この着せかえ人形の象徴もまた天皇の役目であるようです。この半世紀に彼に着せられたさまざまな衣装を展示したら面白い見せ場になるかもしれません。従って日本にはわれわれの意味する「歴史」は存在しません。あるのは着せかえだけで、そしてこの「着せかえ」の権限争いが、目下、ある学者[おそらく家永三郎氏のこと]と行政との間で、法廷で争われており、実に面白い見物です。
しかし日本の新聞が[中略]表面的には「判断を強制」しているように見えても、内容は、購読者=消費者から一定の判断を無言のうちに強要され、それに迎合していると見るべきでしょう。強要された判断が先にくるということは、まず判決があり、次にその判決に合うように「証拠集め」がなされるという形になります。
従って私は、日本の新聞の虚構性は、日本教徒が、そこにおいて思考を停止する宗教的法悦の世界の反映だと考えます。従って日本教の神父たちは、当然、新聞界にいて、全信徒を絶えずこの法悦状態におき、絶対に醒めないよう、次々と新しい主題を求め、それに基づく新しいページェント[歴史的な場面を舞台で見せる野外劇または時代衣装などをつけた壮麗な行列]のための衣装の着せかえを行ない、祝詞(のりと)をあげ、宗教音楽を奏しつづけているわけです。
[著者は、言語学者である浜田教授の書いた、当時の大学構内に林立する立看やアジ演説に関する批判的な論文の一部を引用(省略)して]「人間相互理解の手段として、言語はその中心に座を占めるべきものではなく、むしろ単なる補助手段にすぎないとさえ私は考える」「つまり、言語以前の問題として、人間相互の理解、信頼が存在するか、しないかというということであって、言語はそれが足りない場合にのみ、それを補うものとして必要だといえるのである」----さて、問題はこの点でしょう。[中略]まずこの言葉自体が一つの矛盾であるといわねばならない。[中略]私は、この言葉を知る以前には、浜田教授の存在そのものを知らないのですから、相互の理解も信頼もありうるはずがないのです。[中略]浜田教授は、[中略]「言語以前の問題として、人間相互の理解、信頼が存在するか、しないかというということ」すなわち「言語以前に必要な信頼」ということ、それらのすべてを「言語」だけによって伝えうると信じているはずです。
もちろんわれわれ[ユダヤ教徒]にも「人間も相互の理解と信頼」がまず必要という考え方はあります。「人間は言語をもつがゆえに人間であり」「言語は相互理解のほとんど唯一の手段」であるが故に、「またその相互理解を決定的に破壊できるほとんど唯一の手段」でもありうる。簡単に言えば、言葉があるが故に嘘も偽証もありうるわけで、「言語をもつが故に人間」であるから「言葉をもつが、もっているその言葉は虚偽と偽証のみである」という象徴的存在すなわちサタンという概念も存在するし、「言葉は殺す」という言葉も存在しうるわけです。従って虚偽を排したという「相互信頼」と共通の前提に立つという「相互理解」がなければ、「言葉をもつが故に人間である」人間にとっては、人間でありえなくなってしまう----という意味で、浜田教授が「相互の理解と信頼」といったのであれば、これまたきわめて理解しやすいことですが、もちろん、そう言ったのではありません。浜田教授は[略]「言語に対する信頼がばたばた倒れていった責任は、言語そのものに負わされるべきものではなく、まさに人間自身が負うべきもの」とされています。もちろんこの場合、この「人間自身」は言葉の圏外にある何者かのはずです。とすれば、ここに「人間は言葉ではないし、言葉では規定できない」という考え方が、自明の前提になっております。言うまでもなくこれが日本教=天秤の世界の支点としての人間です。なぜそうなるのか、それは日本語が宗教用語だからです。
日本人は非宗教民族といわれますが、これは実は「宗教」という明確な分野が社会にない、ということで、従ってあらゆる対象が宗教的法悦の世界の道となりうるということです。[略]安保条約改正であれ、隣国との外交関係であれ、天皇機関説という法的問題であれ、軍事とか情報の分析とかいう最も冷静な問題であれ、すべては日本教的法悦の世界に入り込む道となることができます。
そしてその入り込んでいく方法は、あらゆる宗教と同じことで、語られた事実を事実と信ずる「信仰告白」にはじまり、その「信仰」を保証するためさらに「語られた事実」が「事実」とされ、それが次から次へと重なるたびに事実から遊離し、最終的には言葉がついに「音」「声」「リズム」に分解して、言葉として機能しなくなる、そしてそこが、その限界です。これが[略]「止め」で、ここで一切の言葉はなくなり、人びとはリズムと掛声だけによる行動[横列や縦列にスクラムを組んだジグザグデモ(スネーク・ダンス)]に移ります。
そしてこの場合のリズム[アンポッ ハンタイ! (ピッ ピッ) トーソー ショーリ! (ピッ ピッ)]は、日本人独特のリズムであって、このリズムに関する限り、昔も今も変っておりません。このリズムに乗ると、日本人は完全な思考停止状態になります。
以上のような極限状態を示せば、「アンポ」が「ワッショイ」同様の音声にすぎないことはだれも異論がないと思いますが、ただ困ったことに日本人は、「事実」とこの「極限」との中間で生きているのです。いわば全員が「半宗教的・半法悦的状態」いわば「半酔・半醒」ともいうべき状態にいます。そして彼らは人間はこの状態にいるのが当然で正常だと信じて少しも疑いません。
そしてこの状態を反映しているのが日本の新聞であるわけです。そしてこの故に最初にのべました独特な「日本人の判断」が生れ、「事実」と「語られた事実」との区別がなくなっていき、半ばフィクションの世界に生きて行けるわけです。確かにこの状態を当然とするならば、人間は言葉で規定できません。従って、言葉では規定できない人間が支点となり、実体語・空体語を天秤皿に乗せて、支点を移動させつつバランスとっているわけです。そしてこの状態がとりもなおさず、半醒・半法悦状態で、各人のその度合は支点の位置で決まります。
何か突発的な事件が起ると(たとえばテル・アヴィヴ事件でも)彼らはハッと目がさめますが、すぐまた半酔・半法悦状態の半ばフィクション世界に戻っていきます。ただその度合は支点の位置によって各人各様であり、日本全体を一つの天秤と考えれば、時代々々によっても、度合がちがいます。しかしその根本にあるものは結局「安保条約は必要である。しかしアンポッ ハンタイと言って踊れる状態も必要である」という天秤の論理で、このように踊れることを、日本人は「信教の自由」と考えております。[中略]しかしそのことは同時に、「自由に信ずる」「自由に考える」日本人は存在し得ないことを示しています。従って「自由」という言葉は日本人にとって実質的に禁句になっております。
◆◇ さようなら「天秤の世界」 ◇◆
日本教徒は最も徹底した「歴史なき民族」です。天秤の世界に歴史が存在しえないことは当然でしょう。[中略]日本人全般を考えた場合、日本人に欠如しているのは、ある対象を「歴史として感じる感覚」です。
ある一つの時代を「歴史」として感じる感覚がないので、常に歴史が現在に還元されて、そのまま規範ともなれば現状の評価ともなり、価値判断の基準、行動の基準ともなってしまうわけです。従ってそういう基準で律することができないと、ある人間の行動を「歴史的所産」として見ず、簡単に狂気と片づける結果になります。
明治維新後の日本人は、徳川時代を「歴史として感じる」ことができず、これを抹殺して白紙にするか、明治以後に組み入れて価値判断の基準か行動の基準に改訂しております。
歴史を「歴史として感じる感覚」がないということは、歴史から学ぶことが不可能だということであります。
最近、天皇制が日本でも論議を呼んでおりますが、その論議の基を歴史に求めることをしないので、徳川時代の天皇論などは一切無視されております。天皇をシンボル(象徴・信条)と規定した新憲法が、実は熊沢蕃山という徳川時代の思想家の「威も力もなき人を日本の主筋とし、かくのごとくあがめ奉り、主君となして、かしこみ給へる」のが秩序の元で「やはらかにして上におはしませば、いつまでも日本の主にておはします道理にて侍り」と考えた、この伝統的な考え方が明治以降も一貫してつづき、それが知らず知らずのうちにこの憲法の基礎になっており、これが伝統的な考え方であるが故に日本人はそこで安定し、戦前のような人為的緊張状態を必要としないのだ、と私は考えます。従って天皇を論じるなら、この「考え方」およびこの考え方が出てきた原因を探究し、それを「歴史として感じること」と、その歴史を「歴史として」検討することから始まるべきだと思うのです[略]。
「歴史として感じる感覚」のない日本人が「日本を考える」とどういう結果になるか。その非常に面白い例が[略]日本教の大祭司・森恭三氏の著作『日本を考える』にあります。[中略]著書から受けた印象を一言で申しますならば、この著者は温厚・篤実、広い常識と穏健な意見の持ち主であり、教養豊かで粗暴な点の皆無な紳士と思えます。[中略]おそらく氏は、良き意味の典型的な礼儀正しい日本人でしょう。
この著書を分析してまず感じることは、著者には@歴史として感じる感覚が皆無なこと----これは言うまでもなく歴史的記述がないという意味ではありません----。A「見る」よりも価値判断が先行するために、「対象を見ること」が不可能になること。B著者自身が自己の論理的矛盾に全然気づかないこと----[中略]常に「条理をつくして諄々と説いている」のですが、その条理に内在し、また各条理の間に存在する大きな論理的矛盾を完全に看過していること。C自己の条理が何を基準としているかについての自覚がないこと----即ちある考え方が、本人が意識できないほど強く徹底的に本人を拘束しきっていること。従ってD[中略]いわば自己の言葉を客体化して、自らこの言葉を対決することによって、自己の言葉から自由になる、としてこれを「自由」と考える、という考え方が皆無なこと。もっともこのDはすべての日本人に共通しております。これはCでのべましたような自覚がない限り、人間は自己の条理から自らを解き放って自由になることは不可能です。
[上記著作中のユダヤ社会のキブツに関する森氏の感想(省略)に対して、著者は次のように分析し批評する。]まず、「歴史感覚」の欠如です。従って歴史的所産として対象を見ることができないわけです。これは天秤の世界に共通しており、日本人には「過去の遺物」と「歴史的所産」の区別がつきません。従って「これは歴史的所産だ」といえばすぐに「過去の遺物」と考えます。従って「新しく出来たものであるがゆえに歴史的所産」だとは考えられないわけです。
次に「見る」前に「判断」が先行してしまう。モシャブはキブツに劣り、そこにいる人間の知的水準もキブツに劣る、という判断です。ここにはっきりと(一)キブツ、(二)モシャブ、(三)一般社会という序列が先行しております。
[高名な宗教哲学者でシオニストでもある]マルティン・ブーバーは、こういう「序列づける考え方」自体を否定し、「この三つの体制のうちどれがもっともすぐれているか」という設問自体を拒否して「自らの意志で、自己に適合すると考える体制を選択できるそのこと」に意義があると答えております。このブーバーの考え方はもちろん歴史的所産であり、「どの体制、どの国家を選ぶかを自らの意志できめることができたら」という長い長い離散時代の望みが反映しているのでしょうが、いずれにしろイスラエルがまたキブツが、森恭三氏のような判断=考え方への拒否を基盤としているのは事実でしょう。
この点、森恭三氏は、キブツを破壊してしまう考え方(知的水準と体制で人間に序列をつけたらキブツは存立しえませんから)、すなわちその考え方を排除することによってキブツが成立しうる、というその考え方を基にして、キブツを高く評価しているわけです。そしてそのことに氏は全く気づいていません。これが前述のAになるわけで、この「条理の民」は、こういう論理矛盾には完全に盲目だといってよいと思います。
それがつまるところCになるわけです。すなわち何かを基準に、このような序列づけをして、モシャブを程度が低いと考えても、ブーバーのようには考え得なかったのか、それには氏に意識せざる自明の前提があるはずです。この前提を明確な言葉にすることによって、自らの前提=言葉から自由になる、という考え方は氏には皆無と思われます。私は氏のこの序列づけには前にのべました日本教の「純粋人」という考え方が前提で、教育を精錬と見る見方が基になっていると思います。従って、森恭三氏の評価自体は、マルティン・ブーバーと同じように歴史的所産なのですが、ブーバーはもちろん自らの言葉を歴史的所産と知りつつ発言しているわけですが、森恭三氏にはそういう意識は皆無と思われます。----すなわち、自己の言葉への「歴史的感覚」が皆無なわけです。
[同書の別の箇所の文章を引用(省略)した後で]前の文章では、キブツは共産村で、能力に応じて働き必要に応じて取るのが共産主義で、「キブツは完全な共産主義」を実行していると書かれています。ところがここでは「農業のように、人間労働に依存する程度が非常に高い産業分野において、本当に人間を働かすことにかけては、共産主義はこれまで成功していない」と断定されております。確かに工業キブツは存在しますが、その初期においてキブツは文字通りの「集団農場」でした。こう見て来ますと、この二つの文章は全く矛盾していますが、その矛盾は前の文章に内在した矛盾と同質のものでしょう。
矛盾は事実に肉薄する手掛りですから、これらの矛盾は大変に有難い存在ですが、その矛盾を矛盾と感じさせないことは、そこにある種の絶対的な世界が前提として存在しているわけで、[中略]キブツを賛美する言葉でキブツを否定することは、前に述べましたように、日本のキリスト教徒が神を賛美する言葉で神を否定しているのと同じであり、これまた逆転すれば、本多勝一氏のように、天皇を否定する言葉で天皇制を支持する形になり、そしてこれが非常に端的に出ているのが、[略]「自衛隊は憲法違反である」という否定で自衛隊を肯定するという天秤の世界であり、そしてそれは、[中略]日本人の「考え方の型」であります。
しかし日本人は、ブーバーと違って、この自らの「考え方」を、「歴史として感じる感覚」がないので、その思考法を言葉にすることによって、その思考法から脱却すること、すなわち「自由」になることができず、そのためこの思考法が、実に決定的に日本人を拘束して、一種の「宗教的法悦状態」ともいうべき「半酔・半醒」の世界を現出しているわけです。
「マルクス主義にとって、もっとも根本的に大きな問題は、人間性の理解において欠けていることです」と氏は断定しています。また一方では、日本の新聞・雑誌を見れば「資本主義は人間性を否定している」という断罪がいたるところで見られます。すなわち共産主義も資本主義も人間性を否定していると断罪されているわけですが、これは言葉を変えれば、日本以外の全世界で、「人間と人間性は否定されている」というに等しいことになります。
資本主義社会も共産主義社会も、日本教徒が絶対の実在として信じ、それを支点として生きている「人間」「人間性」という概念を認めないが故に、絶えず糾弾されているのです[略]。「人間」という言葉は日本人にとっては単なる言葉ではなく、他のすべての言葉と対置さるべき「実在」であります。この点ではキリスト教の「神の子」と類似しているかも知れません。すなわちその本質は他の言葉で規定することが拒否される「実在」であり、またあらゆる論理的矛盾がこの言葉で止揚される対象なのです。そしてそれを止揚する方法が天秤の論理です。
「神の子」という言葉は「父なる神」という概念がなければ成り立たないように、すべての論理が天秤の論理で止揚されるその天秤の支点=人間には、その支点が立つ基盤があるはずです。この基盤が「自然」です。「人間」は「自然」に立脚しています。
「自然」という語は、日本人のもつ一つの理念ですから「天然」を人工的に「自然」に作りかえて、それを「自然」と呼ぶ場合ももちろんあります。[中略]従って日本人は「天然」の中に「自然」を見ても「天然」とは見ない----いわば「天然」を感じる感覚が喪失しています。従ってこの「自然」という理念に反する「天然」を人工的に「自然」にすること[たとえば日本の造園術]は、日本人にとって当然の行為です。
この「人工的天然としての自然保持」は、さまざまな面で見られ、[中略]ある人工的自然庭園には、プラスティック制の「自然石」があるそうです。従って日本人が「自然」に帰れといった場合、これは「日本人の意味する自然という秩序にもどれ」ということであって、「天然に帰れ」という意味ではありません。そして支点=人間が立っているのは、この自然という概念ではあっても、「天然」ではありません。
この自然という概念に基づく秩序(コスモス)は、日本人にとって絶対的な外的存在、すなわち日本教の世界(コスモス)です。従って何が失われてもこの「自然」と自然に立つ「人間」は、絶対的な実在として残っており、そこが最後には人間が帰っていくところ、キリスト教のいわゆる「主のふところ」であることを彼らは信じており、一瞬たりともそれを疑ったことがありません。そしてこれが彼らの「実在の世界」です。
「国破れて山河あり」という言葉[中略]は、第二次大戦後、日本のほとんどすべての都市が廃虚になったとき、多くの日本人が口にしました。中国の詩人が、また芭蕉がこの言葉で何を意味したかは別として、このときの日本人の引用の仕方は「国は破れても、山河はある」という意味でした。山河とは「自然」であり、この「自然」すなわち「人間という支点」が立つ土台と人間という支点だけは、たとえ何が失われても存続している、という意味です。明治以来、日本の政府や指導者が一心に教え込んだはずのもの、神州不滅も、不敗の帝国、万邦無比の国体も、一瞬にして蜃気楼のように消えてしまいました。対象を「歴史として感じる感覚」なき民族にとって、以上のすべては「人間」と「自然」という概念とはちがって、フィクションの世界であっても、実在の世界ではなかったわけです。天秤は一回転して、天秤皿の上のすべての言葉は捨てられて、ただ支点=人間と、それを支える人間だけが残ったわけです。
《以上で、抜粋による要約を了す》