◎ 自分が怖いというものが自由の本質には必ずある 人間というものは、広大無辺な人間性から守ってほしい、救いだしてほしいという一方、そういう恐怖と脅威の観念をもっている
私は人間というものをヒューマニティと考えれば、人間性をヒューマン・ネイチャーとして区別する
◎ 現実にある国家や社会はわれわれの保護監察機能をもって存在する
われわれを危険から、われわれの中に潜む人間性から人間を救いだすために、われわれは好んで保護してもらっている
◎ 国家の第一の機能は人間の保護監察機能
小さな共同体のなかの保護観察が大きな共同体、さらに国家というものに成長してナショナリズムの元になっている
同時に、国家というものは、そこで一つの権力をもてば、権力がそれ自身を守る機能というものも、当然そこにでてくる
国家ないしそういう共同体は、一方では民衆に対する保護監察権能があって、一方では国家権力自身の権力防衛機能というものがある
国家というのは、保護者であることが強ければ強いほど圧迫をかけることも強い——これはほとんどひとつの問題の両面
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◎ 言論の自由というものを政治と完全に抵触する概念と考えるか。あるいは、それは政治と調和する概念と考えるか——これが問題の分かれ目
◎ 政治というものは必要悪であって、妥協の産物であって、相対的な技術であって、政治になんら理想はない
民主主義に理想を求め、民主主義の行く手に人民民主主義の理想を追求して現在の民主主義を改良できるという革新の方法は、論理的でない
なぜなら、われわれの普通選挙制の議会制民主主義というのは、理想主義とはなんら縁のない政治形態だからである
この政治形態のなかでは、言論の自由というものは政治と根本的に関係のないものである
言論の自由の延長下には政治は必要悪にすぎない、政治の延長下には言論の自由というものは邪魔ものにすぎない
これがわれわれの政治形態の特徴——そういう政治形態がいいかわるいかについては議論があるだろうが、ファクトとしては、われわれはここで言論の自由を味わっている
こういう、享楽する言論の自由というものはなにを意味するか。これと政治の関係はなんなのか
こういうことから私は、さらに戦争の問題、平和の問題、その他さまざまの問題に触れていきたい
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