明かされたカバラ08:『彼以外には何もない』パート1 1/3

KABBALAH REVEALED

アンソニー・コジネック
Anthony Kosinec


《 明かされたカバラ08:『彼以外には何もない』パート1  1/3 》 


 こんにちは、『カバラ・リビールド』にようこそ、トニー・コジネックです。このレッスンでは、以前に勉強したカバラの記事をより詳細に見ていきます。『彼以外に他は在らず』という記事です。
 この記事はシャマティ(シャマティとは「私は聞いた」という意味)と呼ばれる本からのものです。それらの記事は、バール・ハスラムが生徒たちに口述した レッスンです。そして彼の息子、ラバシュ(バルーフ・シャロム・ハレヴィ・アシュラグ師)も、生徒の一人であり、父親の言葉を小さなノートに書き残しまし た。彼はこのノートを肌身離さず持ち歩いていました。彼は常に参考にしていた本が幾つかありました。彼はこの本、彼の父の言葉、指示、指針を自分の側から 手放しませんでした。
 私の先生、そしてブネイ・バルーフの先生でもある、マイケル・ライトマン師はバルーフ師の個人秘書でした。彼は師の全ての事の世話をし、いつも一緒でし た。彼は師の直系の弟子でした。バルーフ師の最期の頃にライトマン師は彼と一緒でした。彼は病院で師と一緒でした。師が入院していた期間です。そこでの勉 強で、ラバシュは、ライトマン師の見たことのない、そして他の生徒とも共有されたことのない、多くの文献を見せました。そしてライトマン師はこのノートの ことを知っていました ―― 彼はそれを見たことがあり、時折それから学ぶ為にノートを借りました。そのノートはとても重要な物でした。ラバシュは臨終の床で、 この本をライトマン師に与えました。
 マイケル・ライトマンはその本を出版し、それには人間の内面的作業に関する美しい記事が含まれています。カバラにおける多くの勉強は、テクニカルなもの です。『10個のセフィロートの研究(タルムード・エサー・セフィロート)』、『生命の樹』、そして『ゾハール』など、 それらは創造に於ける技術的な側面だけでなく、それらに関わりのある内面状態も扱います。著書『シャマティ』の記事は、自分自身を見つけ、内面状態を確認 し、これらの内面状態をテクニカルな勉強とカバラの全勉強に関連させようとする生徒のために特別に作られたのです。そして、それらには最も高いレベルの現 実からの思考が含まれています。この特定の記事『彼以外に他は在らず』には、カバラの方法論のすべてが要約されています。人が行う必要、知る必要、または 考える必要のあることで、この記事に載っていないものは何もありません。
 ラバシュはライトマン師に、この記事を何百回も読むことを勧めました。今回は全て読めるか分かりませんが、この記事を一度読みたいと思います。毎回のことですが、これを行う理由は、唯一“上層の光”を引き寄せるためです。そして、私たちに必要なこととはこれを読みながら、著者の考えと感覚に繋がろうと努力することだけです。
 『彼以外に他は在らず』 「彼以外に他は在らず」と記されている。その意味は、彼に反して何かをする能力を有する他の力が存在しないということであす。そして、人間が目にするも の、すなわち、上層の王室を否定するものが世界に存在していることは、彼がそう望んでいるからです。言い換えると、一つの力が存在している、一つの能動的 な力が存在している、現実の中には1人の動作主が存在しているのです。その他に、権力を委任されている機関や人は存在しない、現実の中で生じるどんな物事 に対する作者は他にいません。
 しかし、対抗する力が存在するように見えるといった方法で世界が造られていると、私たちが目にする事実に対しては、これは意図的になされたことであり、 それは私達のためであるということです。それは利用される必要があります。それは理解される必要があります。それは私達の知覚の中に包含される必要がある のです。そして、「左は拒絶し、右は内転する」と呼ばれることは、是正であると考えられている。その意味は、左が拒絶するということが是正とみなされてい るということです。これは、世界の中には最初から人を正しい道から逸らすことを目指すものが存在し、それらがその人を神聖から退けるということを意味して います。
 クリエーターの隠された状態とは、物理的な隠蔽ではありません。私たちは彼が存在しない、または彼を信じていると感じるかもしれませんが、私たちはその 証拠として、彼が私たちの目の前に現れるようなことを要求しているのではないということを既に分かってます。私たちは物理的な証拠、物理的な現実について 語っているのではないことを既に分かってます。クリエーターが隠れていることは、単に身体的な感覚から隠れているだけではなく、彼は私達の内面的な感覚、 繋がっているという気持ち、信仰、思考に於ける直接的な感覚からも隠れているのです。
 私たちの疑念が、彼を隠すのです。私達には内面状態の特性というものがあり、私達が疑念でいっぱいであるとき、拒絶が生じ、隠蔽が起きます。私たちは、 何らかの力が存在するかもしれないということはありえないと感じます。私たちの疑念、内面的に隠されているといった状態、この感覚が、どんな物事の裏にも 何らかの神の指導、又は理由が存在すると感じることを、完全に覆ってしまうのです。これがクリエーターの隠された状態であり、これが私達に対する、彼の教 え方そして育て方なのです。

 <2019.4.8 テキストファイル化>   


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