明かされたカバラ04:発達の力と苦悩の意味
KABBALAH REVEALED
《 明かされたカバラ04:『発達の力と苦悩の意味』 3/3 》
私たちの段階を上昇させてクリエーターに対する理解と知覚を可能にしてくれる上層の光を引きつけるひとつの方法は、カバラの書物の学習です。
カバラの書物を勉強する唯一の目的は、改善する光を引きつけることです。それは知識を得るためではなく、内面の変化を生じさせるためです。
この書物を読み始めるにあたって、あなたの最も知りたい質問を思い出して覚えておいてください。知的に理解するしないは問題ではありません。あなたに必要なものとあなたの感覚だけが重要なのです。
この記事は『彼以外に何もいない』というバール・ハスラムの発言を彼の息子のラバッシュが書き留めたものです。
「『彼以外に何もいない』と記されているその意味は、彼に対し何かをできる能力をもつ他の力は何も存在しない、ということである。そして人間が目にするもの、すなわち、上層に宮廷があることを否定するものが世界にあることの理由は彼の意志によるものである。」
言い換えると、私たちに良い事と悪い事があると感じさせるように、ある体系が故意に作られてるということです。そして私たちは善に対抗する力があると感じます。つまり、私たちが気持ちよくなることを妨げる何らかのものがあるということです。
そして、これが起きる理由は上層の力それ自体がそれを望んでいるということです。それには意図があり、それがそうしているのです。なぜならこれを実際に生じさせている力がそれ以外に存在しないからです。
「『左が拒絶し、右が内転する』と呼ばれるものは、是正としてみなされる。その意味は、左が拒絶するものが是正としてみなされるということ。この意味は、世界には最初からひとを正しい道からそらすものがあり、それがそのひとを神聖から退けるのである。」
ここで彼は、クリエーターを直接的に知覚できない経験、そしてこの力が私たちを突き放す感覚の経験が「是正(修繕・改善)」と呼ばれるものであると言っています。これは何かを生じさせて私たちを変化させる力です。それは指導システムの一部であり、「左が拒絶し(突き放すこと)、右が内転する(クリエーターに近づくように引きつけること)」と呼ばれるものです。
ここでは、クリエーターを知覚したいと願う人について語っています。人生における単なる普段のでき事ではありません。自然の全段階がまったく同じ原理で機能するため、それらにも同じ構造があるのにもかかわらず、しかし「この意味は、世界には最初からひとを正しい道からそらすものがあり、それがそのひとを神聖から退けるのである。」
その意味は人がクリエーターを感じたい、人生を支配している法則を知りたい、神聖を味わいたいと望むとき、それはケデュシャ(Kedusha)です。その意味は、分離すること、離れるということです。
ケデュシャの特質は授与する意志の特質です。それは完全にこの世界から分離しているものです。それは完全にその上にあるものです。よって、この体系のなかに、たちがこの神聖を知覚することを不可能にさせるものが故意に存在しているのです。
「そして、これらの拒絶の恩恵とは、これらを通じて、人は神に助けてもらいたいという完全な願望と、欲求を受け取るのである」 この突き放し――一度願望が存在すれば、一度クリエーターを知るという決意が存在すれば――この突き放しは私たちがこの自然体系全体のなかで目にしてきた事をします。
それは私たちに欲求を生じさせるのです。その意味は特別な欲求が作り上げられていることです。これやあれに対する欲求――車、富、食べ物、性交、知識、権力に対する欲求ではありません。それは、ある特殊な欲求を作り上げているのです。
「これらの拒絶の恩恵とは、これらを通じて人は神に助けてもらいたいという完全な願望と欲求を受け取るのである」 作り上げられている願望とは、神に直進という願望です(ヘブライ語でYashar、Kel、-、ヤシャー・ケル)。上に在るものへ直進という願望です。
「さもなくば彼は途方に暮れると分かっているためである」 言い換えると彼らには万物を支配する上位の力とのつながりが必要であるということです。「彼は業において進歩しないだけでなく、自分が後退していることを目にする」 つまりこれが人にとって必要であればあるほど、更に光が彼の内面状態と光のそれとの相違を示すのです。これを「悪の啓示」と呼びます。
何のためにこれが必要なのでしょうか、これが必要な理由は、これが私たちの測定方法だからです。私たちは対比や相違によってでしか何かを知ることができないからです。私たちは愛の範囲、創造の思考の完璧性をその内側で自己の性質を感知するようになる障壁に比べて測定します。
よって、この対比のプロセスはクリエーターの性質と上層の世界だけでなく、自己の性質も明らかにするのです。また、受取りたい願望が大きくなるほどそれがクリエーターにコンタクトをし、クリエーターを知覚する強さも増して、それを満たすことができるのです。
「彼は業において進歩しないだけでなく、後退していることを目にする」 言い換えると彼が彼とクリエーターとの、違いを目にするということです。「そして、彼はたとえそれが彼女の名のためでなくても、トーラーとミツヴォットをを遵守する力を失う」 つまり、その人はクリエーターを直接的に感じれないだけでなく、クリエーターに到達することだけの為にそれをしているのだと、自分自身を騙すことさえもできないということです。
その人は最も大きな相違を感じますが、それは恩恵です。なぜなら受取る意志の発達とその是正によって、私たちは実際に向上(発達)するからです。
「理性を超えて、真にすべての障害を克服することで、彼はトーラーとミツヴォットが遵守できるのだ」 つまり、彼自身の力でも知識でもどんな概念やセオリーでもなく、実際に光を受け取ることだけによるのです。それは彼の理性よりも上でなくてはならないということです。
このつながりは受取る意志と欲しいものの獲得方法に関係したすべての考えよりも上なのです。良いまたは悪いでき事として私たちが経験するこの力がクリエーターの左右の手であり、普段の生活のでき事を通して私たちを幸せにしたり不幸にしたりて導くのです。
これは直接的に神のところへ行きたいという願望を得て、それを正しく理解したときの場合です。人生でどんなでき事が起きようとも、この願望を持っているのなら、この特殊な欲求はいずれこの想像上の世界の全体を包みこみ飲みこむようになるまで発達し、私たちを現実との完全なる接触に至らせます。
これは、これら美しい記事のちょっとした味わいです。これらの記事そしてカバラの中になにが在るのか、これからもその発見を続けていきます。またお会いしましょう。
<2009.7.7 テキストファイル化>