明かされたカバラ03:『苦難の道とトーラーと戒律の道』

KABBALAH REVEALED

アンソニー・コジネック
Anthony Kosinec


《 明かされたカバラ03:『苦難の道とトーラーと戒律の道』 2/3 》

 よって、個人は心の点でスピリチュアリティへの欲求を感じます。王の財宝からのコインのことです。心の点に加えて心に存在するその他612の欲求は、このプロセスを逆方向に動かすために、少しずつより高い段階へと、つまりクリエーターの性質に類似するように、変化させなくてはなりません。回帰・是正(ティクン)・変化・創造の思考の成就、といったプロセスは必ず起きます。
 私たちの全員、集団魂の60万の破片は再び結合し、肉体的で自己中心的な認知、苦難に満ちた世界から、完全に互いが一体化した状態に戻り、創造の目的地に到達します。それはクリエーターとの一致、制限のない最高の喜びによる完全な充足です。これは起きますが、問題は私たちの合意の上で意識的に起きるか、または強制で起こるのかということです。
 目的地は1つで、保証されていますが、そこへは2つの行き方があります。1つが“苦難の道”と呼ばれるもの、もう1つが、“トーラーとミツヴォット(戒律)の道”です。苦難の道とは私たちがすでに歩んでいる道です。それは実際に道とは言えません。それは私たちが“歴史”と呼ぶ苦痛を伴う遅い人類の進化です。
 身体的な認知方法、直すべき性質に執着するようなこと、無意識に進化してきたことが原因で、私たちは様々なでき事に後ろから突き動かされます。大災害、津波、戦争などに直面し、人生において痛みや苦しみを個人的に経験します。理由は欲求の発達プロセスとその是正に、意識的に関与していないからです。この道を歩み続ければ、いずれ悲劇を引き起こします。しかし内面に心の点が現れると、それは意識的な関与になります。これがトーラーとミツヴォットの道です。
 トーラーは“光による指示”を意味し、ミツヴォットは613の欲求の特質の1つを利己的な表現から利他的な表現に変えることを意味します。実は人生における全でき事はミツヴァです。是正の機会が示されているのです。
 なお、私の意味するミツヴァとは、特定な行為の指図のような身体的な戒律ではありません。Shulchan、Aruchや律法の表などに記載されいる、身体的にこれをその時しなさいというものではありません。私は身体的なことをするなと述べているのではなく、内面的な是正、欲求の是正について言っているのです。
 よって、外的に行われる善行、それが宗教的なことだろうが一般的な親切な行為でも、それをしたところで、心は嫌悪と自己中心性で満ちた状態から解放されません。外的な行為では何も判断できないのです。人生のでき事として送られてくる613の欲求の1つについて言っているのです。
 人生のすべては、まず利己的な欲求を感じる機会が与えられて次ぎにそれを利他的な形に変えることで、クリエーターの思考、その機会が与えられたことに潜む思考を理解できるようになるために差し向けられています。なぜなら、スピリチュアリティ空間の中に入って昇進する為には自分の内的性質をスピリチュアリティの性質に類似させること以外ないからです。従って、この新しい欲求、クリエーターへ直進という欲求は、クリエーターを知りたい、彼を直接的に感じたいことです。
 自分の欲求と実際のでき事を通して、上層の者・上層段階の思考が何なのか感じたい。私たちに完璧に作られた状況と機会を初めは不正な形でプレゼントのように与え、それが何であるか分析し、そこに潜む彼の思考を感じること。それがミツヴァ、それがティクン(是正)、それが変化です。
 私たちはこれらの125の状態を通り、完全な現実との連結状態から分離された地位まで下降し、個人の人間および欲求となりました、この125段階も613のミツヴォットによって完全に網羅されているので、これらの変化の是正は梯子を登らせ個人を回帰させます。
 これのもう1つの特徴は、各段階を降下したことが遺伝子のように私たちの中に刻みこまれていることです。全箇所で受取る意志がますます増えたことは、道筋を教えるパンくずのように記憶されています。この心の点、私たちのアセンションへのアクセスは、最初のスピリチュアリティの遺伝子であり、実際には“レシモット”(記憶)と称されるスピリチュアリティの遺伝的連鎖の入口の点です。
 そして、人生の全でき事は受取る意志の613の変化を授与する意志へつなげクリエーターに接合させます。私たちがしなくてはならないことを認識させる機会を与える為に各でき事は完璧に並べられています。この是正、変化の行為、このティクンは私たちがするのではなく、スピリチュアリティの光と接触したいという欲求がもとになり、光によって行われます。
 欲求を持つことで、光が働くのです。それは“周囲の光”が私たちに対して働く行為です。ゾハールの書には“人々が自分自身を浄化しにくるとき、上層から助けられる”と書いてあります。言い換えると、4つの肉体的欲求に以前使われていた生理的な欲求が授与の特質が何であるかを知らせる大きな欲求に変化したことの結果です。
 自分たちの力でこれにいたることは無理です。この働きは“神の働き”と呼ばれます。理由は兵隊のように神に課せされた仕事を遂行するというものではなく、私たちの増大した欲求がもとになって光が、私たちを浄化、変化、ティクンしてくれるからです。“光”という言葉に惑わされないでください、それは物理的な光ではありません。スピリチュアリティの世界の特性は属性の質であることを忘れないでください、意図・意向、気分状態といった性質です。

 <2009.7.7 テキストファイル化>   


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