明かされたカバラ02:現実の感知
KABBALAH REVEALED
(〜前略〜)
第一回目のレッスンでは何がカバラで、何がそうでないかを見てきました。カバラは何のためにあるかをもう一度言うと、それは「私の人生の意味は何か(What is the meaning of my life?)」という疑問もつ人のためのものです。{そこで、}ここから始めたいと思います。
まずはカバラの定義から{はいります}。{さて、}どのような展開になるのか見ていきましょう。
カバラは人が上層現実を感じ、知ることを可能にする英知・科学である。
Kabbalah is a wisdom/science that enables a person to feel and know an upper reality.
このように、人生の目的について関連させていますが、疑問も投げかけます。人とは何か? 人間とは? 上層現実とは? 何をもって上層現実を感じることができ、そこにはいれるのか? 前回で使った図を見てみましょう。私たちは何からも影響を受けない完全で無限の現実のなかに存在していて、その中では、すべてが完全にたがいに結ばれ、無限の喜びが満ちあふれ、すべてを知り、現実に存在するすべてのものと触れあっています。
しかし、全体系に到達したカバリストの伝えることは、私たちはある目的のために、この存在のあり方、複数の“世界”という体系を通ってこの存在様式まで降下したと{いうこと}。複数の世界は“オラミム”と言います。ヘブライ語の“オラム”からきています。その語源は“エレム”、「隠すこと」「隠されていること」を意味しています。私たちはこの現実の完全連結から降下し、バリアという交差点に達し、ここ、私たちの世界でとても制限された状態で暮らしています。私たちの世界には、これらの世界の感覚はまったくありません。これらすべては霊界です。ここが物理的世界、または“身体性”です。
もし人生の意味・目的を知りたいのなら、その計画が何なのかを知っておくべきです。それは不可能なことにも見えます。人生の意味や目的の答えを知っているなんて、冗談に聞こえます。しかしカバリストはそこから始めます。この全体系に到達した人たちは、現実全体と全創造に計画・青写真があると伝えます。人生の目的とは、被造物を創造し、その被造物を無限の喜びで満たすことだと。被造物を創造し、その被造物を無限の喜びで満たすこと。それが全部で完全な意味、目的、方向性{であり}、今までに起きたこと、起きうること、そして起きるであろう全現象は、その目的のためだけに起きます。創造の裏に隠された思考、意向・意図、そして全現象の法則においても、霊界と物質界を支配する主要な全法則の根本はその唯一の思考にあります。被造物を創造しその被造物を無限の喜びで満たすこと以外の目的で起きることは、この世界において何もありません。
では、人が霊界にはいることを阻止するものは何か? 人とは何なのか? 理解しなければならないことは、私たちがどのように現実を感知していて、それが私たちから物事を隠すことの原因になっているのか、です。これが人です。五個の穴の開いた、閉ざされた箱です。これらの五個の穴は私たちの五感です。人の周りにあるものは、上層現実、完全な現実、霊的なものです。その完全な現実から何かが近づきます。外の現実として映っている無形の何かかが、人に接近するのです。そして、私たちの持つ五感を通じて、それが何か決断します。
言い換えると、五感によると現実は何から構成されているのかということ{です}。この霊的な物体がこの箱に近づきます。しかしここで変わったことが起きます。それは実際には箱にははいりません。箱は閉鎖体系です。なぜなら、この物体がはいる代わりに、バリア、変換機のようなものに当たるからです。例えば、鼓膜、網膜、肌の表面にある神経、味蕾です。外にあるものを捉える代わりに、この物体は軽減され、箱のプログラムのなかを通過します。そしてそれは通過しながら、プログラムのなかで一定の原理にしたがい、私たちの理解できる何かに解釈されます。いったんそれがここを通過すると、それは私たちの箱またはこの機械から立ち去り、私たちの現実を作りだすのです。よって、このセンサーの感度は問題にされません。
目であるなら、それはハッブル宇宙望遠鏡でもよいし、非常に近眼で目の前のものが見えなくてもかまいません。感度は問題とされません。問題とされるのはプログラミングです。この主観的なシステム、機械のなかで起きることです。どんなものがこの中にはいろうが、それはプログラムの決断したものにしかなりません。これが何かではなく、プログラムの理解できる{ように}軽減されたものです。
では、これを制限するプログラムとはなんでしょうか。これが客観的現実です。そしてこれが私たちの知覚する、その一部の制限されたものです。このプログラムは「エゴイズム」と呼ばれるものです。それは自己を配慮すること。私の得るものはそこにあるのか? それは私にどのような影響を及ぼすのか? その結果、人はこれらに対する主観的な見解のなかに監禁されます。箱のなかで感じることにしか関連できないのです。そして、箱の外に実在するものを感じることはないのです。よって問題があります。なぜなら、五感のどれもが同じプログラムで働いているからです。五感は、プログラムの外なるものについて何も教えることができないのです。
私たちを取り囲むより大きな現実を知るためには、第六感とカバリストが呼ぶ、もうひとつの感覚を養う必要があります。占い師などの第六感ではなく、自我のプログラムで制限されていない外在現実を実際に感知させる感覚のことです。そうするには、その要求がなくてはなりません。箱の外側で働き何かを築くには、自分の利得で満足していては無理です。しかし創造の思考のなかには、人を完全な充足にいたらせる法則があります。
私たちを動機づける力が、箱からの脱出に対する必要性を感じさせる状態にいたらせます。私たちが自分たちの正体を理解すれば、私たちが“受取る意志”、利己的な存在、エゴイストとして創られたことです。それでも悪いわけではありません。この充足にいたるために実際に必要なことなのです。私たちは創造の思考がくれたこの進化させる力の正しい利用法を学ばなくてはならないだけです。
では、現実のなかで物事を動かすものは何でしょう? 何がもの事を生じさせるのでしょうか? この世界で人が行うこと、それが内面的だろうが、この世界を超越した霊的なことであろうが、すべてが唯一起きる理由は……考えてみましょう。ああなたはそこに座っている。姿勢を変えたり、見るために目を動かしたり、飲み物を手に取るなど、あなたがいましているどんな動作も一つの計算で起きています。
それはあなたが今いる状態で不快になり、あなたのなかに要求が現われて、いまより快楽があると信じる新しい状況、または状態に動いたのです。この快楽における不足と充足および欲望の力が現実のすべてのものを動かします。これはいずれ人をこの身体的世界から、{すなわち}物質界の感覚、制限された経験とそれに付随する苦しみから、正しく利用することで、バリヤを通過させ霊界に到達させます。
私たちには欲求とその変化を感じることはできますが、私たちのなかにあるこのシステムによく注意を払わないため、それが私たちにないをしているか理解していません。最初に把握する快楽とは、人生に必要なものです。最初の快楽で必要なものは、セックス、食料、住居です。私たちの全努力、仕事、世の中で感知するもの、人生の目的はこれらの獲得と関係があり、この欲求は動物にもあります。それは単に生存するためであって他人を要しません。
いったんこれらを満たすと人生はこれだけではないと考え、満足しなくなり第二の願望が現われます。富への願望です。富は第一の願望の蓄積であり、生存することの心配がなくなるというものです。この富への欲求を満たすと「人生ってこれだけ?」と感じるようになり、新たな願望が現われます。それは単にもう一つの願望ではなく、より大きな願望であり前のものを包含しています。言い換えると、ここではまだ小さな欲と小さな充足{ですが}、ここでは欲が大きくなり、大きな充足を要求するのです。これはこの中に包含されています。
そのとき富で満たされないなら、新たな願望が現われます。権力に対する願望です。これは個人だけに起きることではなく、歴史的にも人類全体に起きたことです。全歴史はこれらの願望追求の進化でした。権力は1と2の両方を獲得させます。これらを最も収集させる全システムのことです。これは政治力、帝国主義、職場での力などです。それを得るとまた満足できなくなります。自分が空になり虚無を感じ、第四願望が現われます。それはより大きな全願望を包有するもの、知識への願望です。知識はある意味、物質的な世界の境界を定めているバリア(障壁)といえます。
これらの願望1、2、3、4のすべては、私たちが快楽として感知するものと関係があります。それらは私たちを満たす私たちの欲しいものです。知識は科学であり、宗教であり、アートであり、それは私たちが考えている人間の到達可能な頂点です。しかし、この欲望に真剣に取り組み、それらを満たそうとする人も、最終的にはこれも空っぽだったと発見します。科学には物事の原因に対する本当の答えがないということです。目的に対する答えがないので、機械的な答えしかありません。答えはこれらの願望に関係するものだけなのです。宗教は信仰を与えますが、私たちの本当に望んでいる直接的な知識は与えません。
これ{ら}を持{(たせたことにより-->)ったことで}空になると、今までとは違った特別なことが起きます。この世界にはない新しい願望が現われるのです。この願望は私たちの心のなかにあり、心はこの世界とそれを超えた世界の願望を合わせたものです。この願望はより大きな異なる段階の現実から、私たちのなかに置かれたものです。私たちの心のなかに現われるものは、「心の点」とカバリストが呼ぶものです。この点は、より大きな現実の一部です。それには霊性の性質があり、その願望が満たされると、今までの願望とは違って、それは私たちの全部の経験と存在を占めるまで大きくなり続け、霊界に至らせることができます。
では、上層現実とは何でしょう? 全現実に到達したカバリストは、それは特定の質から構成されていると伝えます。私たちは上層世界に存在する特質と相反に創られていて、これが外在現実を感知できない理由であると彼らは伝えます。よって、そこにはまったく何もないように見えるのです。私たちがこの絵から分かったことは、私たち被造物{である}人間が、エゴイズムから構成されているということです。それが箱のなかに在るものなのです。箱の中に在るものは「受取る意志(Will to Receive)」と呼ばれています。この受取る意志が私たちに制限された存在、苦しみ、孤立、人生におけるすべての困難を経験させます。
この外側に存在するもの、エゴの非主観的状態の中には、客観的現実でありカバリストが「授与する意志(Will to Bestow)」というもの{が在るの}です。言い換えると、外側での体験とは無限の存在と無制限の喜びと幸せです。しかしそこに到達する手段がないため、これを感じることはできません。本当でしょうか?
霊界には物質界とは異なる特質が存在します。物質界において動くことは完全に機械的です。つまり、形状と目的の異なる二つの物体を手に取り機械的に近づけ{ると}、ここには近さがあるといえます。しかし、霊界における近さとはまったく違う条件を要します。時間も空間もなく、機械的なものが存在しないためです。カバリストは、霊界を構成するものは感覚状態と内的な特質に関係する勢力範囲であると伝えます。また、霊界のすべての動きは二つの特質{(または-->)である}感覚状態の相違または相似から生じます。
それを友情に置き換えて説明すると、もし私の友人がコメディが好きでそれを楽しんでいるのに、私は真面目でコメディに興味がないとしたら、私たちが親友になる可能性はとても低いといえます。もし私がコメディが嫌いなら、私たちは離れているとみなされますが、もしコメディが好きで、友だちと同じ漫才師や彼らの出演する映画が好きなら、コメディが好きということに関して、友だちと私は感覚的に近いことになります。言い換えると、霊界においては二つの特質と感覚が類似しているなら近いとみなされ、相違しているなら距離があるとみなすのです。
しかし、これは私たちにとって最も美しく貴重なことで{あり}、実に私たちを身体性から霊性に至らせること{なの}です。つまり、もしそれらにまったく同じ特質と目的と意向があるなら、それらは同一で結合していて繋がっているのです。そして「形状の同等性の法則」と呼ばれるこの法則は、私たちの分離した利己的な状態からもう一つの感覚を発達させて、外にあるものを感じさせるのです。
私たちに必要なことは、自分の内側に類似した周波数、類似した性質、授与する性質をもつ異なる感覚を発達させることです。まだ私たちはそれを簡単に感知することはできませんが、カバリストは現実のなかに存在するものは二つしかないと伝えます。創造主と被造物だけです。私たちの感知するすべてのものは、単に創造主の特性と被造物の特性です。創造主は上層世界で被造物は下層世界です。創造主の特性は授与する意志。被造物の特性は受取る意志。存在するものはこれだけです。箱の外側に出ることは霊性の空間に移動しなくてはならないことを意味します。霊性空間への移動はここの特性の変化を意味します。つまり、受取る意志という被造物の性質が創造主の性質に徐々に類似していくことです。
これらの世界からの降下を通じて全世界が隠されてきた{(点-->)わけですが}、これらの世界は単に受取る意志と授与する意志の比率からなっています。私たちがこの世界に降下してきた梯子を登らせる方法は、私たちの受取る内的性質、エゴイズム、自己のために取得する欲望を変化させ、受取りではない授与する意志の比率を徐々に増やすことです。これらの一つ一つの状態、梯子の階段は受取る意志に比べて増えていく授与する意志の割合{を}です。
この類似性を拡大することにより、{換言すれば}授与の性質が実際に何であるかを感じられるようになることにより、存在するすべてを愛し支えることの意味、{つまり}自分の内側にその類似性を築くこと。これがカバラの扱う内容です。それは授与を感じることを可能にし、この特質の類似性を自分の内側に作り上げる方法です。これが隠された英知の鍵に注目しながら、私たちが研究していく内容です。
<2009.7.7 テキストファイル化>