明かされたカバラ01:基本的概観
KABBALAH REVEALED
こんにちは。カバラ・リビールド(KABBALAH REVEALED)にようこそ。コジネックといいます。私はマイケル・ライトマン博士の生徒の一人です。
(〜中略〜)
私たちは真正なカバラについて話を進めていき、学者のではなく、カバリストという実践者たちの視点について説明していきます。また、真正なカバラの概要だけでなく、基本概念とこの英知を開示させるためのアプローチ方法も提供していきます。なぜならそれは通常とは異なる習得法、考え方、感じ方であり、どんなスキルもそうであるように、基本をマスターすることが必要だからです。
(〜中略〜)
まずはカバラの概観からはじめましょう。
(〜中略〜)
カバラは“隠された科学”と呼ばれます。その3つの理由は、
{(1-->)まず初めに}、カバラはそれを実践する人カバリストたちによって意図的に隠されていました。カバラは約4千年前、紀元前1947年〜48年頃にアブラハムが始めました。そのときから2千年間、第二寺院が破壊される西暦紀元の初頭までカバラは隠されておらず、広く教えられていました。
(〜中略〜)
しかし、西暦初頭に寺院が破壊されたあとにあることがおき、その時代以降の2千年間はだれもカバラを理解できなくなりました。その時点で宗教が生まれたのです。その時点で、この世界の働きについての推測が現われ、宇宙とは何であるか、創造主とは何であるかなど、法則に従いながら想像が膨らみ、人間はその最前線にまで発達しました。人間のこの特質がカバラの理解を阻止し{たので}、カバリストたちはそれを隠したのです。
アクセスはなくなりましたが、本はあります。問題は、本自体も読者に気づかれないよう特別な言葉で書かれていたことです。カバラの全書物は「杖の言葉」と呼ばれるこの世界の単語を使う言語で書かれています。物体、コップ、本、机、家族、旅、戦い。『モーセ五書』や他のカバラの全書籍に記されたそれらの言葉で、この世界のことを指すものは何もありません。ひと言もないのです。それらは、この世界に現われるものを創造し維持する、上にある力について言及しているのです。カバリストは本当の内容を特別な言葉を使って表現し、ある程度の英知を獲得した生徒だけがそれを理解できました。
ここで知らなくてはならないことは、私たちのいるこの世界は「原因の世界」ではなく「結果の世界」ということです。私たちがこの世界ですることで上層世界に影響を及ぼすものは何もありません。そこは私たちの源が下降してくる場所で{あり}、この世界で見られるものの根源はそこに置かれています。物理的な行為でそこに効果を及ぼすものはなく、これが、この世界で問題を解決するために私たちが行うことがその結果に対して何の効果も及ぼさないことの理由です。
ものごとの原因レベルである根源につながらないかぎり、私たちは効果を及ぼすことができません。そしてこれがカバラのあつかう事柄です。私たちの現実の全体は、いわば上層と下層に世界が存在しているように構築されています。「枝の言葉」は下層の世界に存在するものを指します。それが指すもの、例えば「家族」にしましょう。トーラーにも書かれていることです。
トーラーはユダヤ人の物語のように見えます。家族が「土地」と呼ばれる場所に移動する。しかしカバリストは、まったくそのことについて言及しているのではありません。彼らはそれを創造し発生させる抽象的な上層の力について言及しているのです。そして賢い生徒だけが、ここで何が起こっているのかが理解できるのです。ここが枝(Branch)のレベル。そしてここが根(Root)のレベルです。
人が「賢者の言葉」と呼ばれる言語の鍵を理解し、読み方を学ばないかぎり、物事がこの世界に存在するものとして見つづけます。カバラが隠れていることにおける2つの側面の結果、そして、伝授系統と真の方法論にふれる機会がないという理由もあり、人びとにまだ知る要求がありました。しかし彼らは空想し、話を作り、理解できることに従うしかありませんでした。正しい教えも、それを理解することを可能にする適正な内面性も持たずにいたので、多くの神話が増えました。
これについては、カバラの他の基礎概念の説明のときにもっと詳しく説明しますが、2つの主要なものを挙げると、カバラはユダヤの神秘主義であるというものです。それは宗教でも神秘主義でもありません。カバラは宗教に先攻する英知です。宗教は上層の力との分離現象です。それはカバラの誤解と推測です。たとえカバラとの形式的類似性があっても、それは単にカバリストたちが、ハラッハや私たちが聖典とみなし勉強する書物を作ったからです。私たちの伝統などもそれに由来しています。しかし、それらの目的と意味、聖典の書かれた本当の理由、そしてその本の内容について、私たちはあまり理解していません。よって、{(ユダヤ教との関係はカバラと記憶喪失みたいなこと-->)ユダヤ教とカバラの関係は記憶喪失みたいなもの}です。
神秘主義に関して言うと、カバラは科学であり神秘主義ではありません。それは、不思議で理解できないものに直結する方法です。その理由は、単に現在の認識段階でそれらの働きを理解していないからです。科学技術を知らない孤島に住む部族にライターを持っていくのと同じです。あなたは火の神と思われるでしょう。手のひらで火をだす何らかの神秘的な存在として、それは単に何が明かされていて何が隠されているかの問題です。
それが魔術だということ。{そういった考えは}魔術が上層の力を使い、人を操作して欲しいものを取得し、利得または他者に危害を加えることなどを伴いますが、道徳上の内的性質が変わらないかぎり、上層の力に触れることはまったく不可能です。カバラにおける達成とは内的変化の問題です。それなくして、力のとの接触は不可能です。これはだれかの空想以外に何の関係もないことです。
数名の人だけがカバラの勉強を許され、{それには}条件があるということ。ユダヤ人でないとダメだということ。そうではありません。なぜならカバリストたちは、ユダヤの生まれでない人も教えてきました。偉大なカバリストたちには実{際}に異邦人もいます。(〜中略〜)カバリストの全員が立派な生徒をとったのです。身体的特徴ではなく「イェフッド」といわれる内面的特性を基準にしていました。それについては後で説明します。
グマラやミシナなどの英知に事前に精通しなければならないことについては、もしトーラーやグマラに記されていることが理解できないなら、カバラも理解できません。事前に精通しておく必要があるというのではなく、予備の英知に霊性を発見できないのなら、霊性について直接説明する書物に移行しなければならないということです。この世界を指すトーラーの言語やアガダなどの物語の言語を誤解しないように。
魔除けやお守り、そして数字や文字を使っての創造または人を悪から守ることについて、これはカバラの扱うこととまったく逆なことです。それは実{際}に禁止されています。上層の力を個人的な理由で利己的に使うことは、偶像崇拝とみなされています。それに、身を守る必要のあるものなどは存在しません。よって聖水、魔除け、赤い糸などは心理的なもので、カバラとはまったく関係ありません。私たちは何も知らなかったという理由で、霊性を率直にあつかう仏教やヒンズー教とカバラを関連させました。それは単に、霊性をあつかうカバリストの書物が開示されていなかったからです。しかしそれは変わりました。
1995年からカバラの全書物は開示されました。カバラの生徒として受け入れられ、気軽に安心してカバラを見ることができ、自分が求めるものも探せる唯一の条件……カバラを学ぶ生徒になるために唯一必要なことは、その要求が自分にあるということです。人生の意味や出来事の起きた理由、そして自分の役割に対する答えなど。もしこれらの答えがほかで見つからないなら、それが必要条件です。すべてのカバリストはそのように言いました。アリの時代以降、彼は必要条件にこの願望があることと言いました。
(〜中略〜)
最後に、私のもっとも好きな神話は、カバラを勉強すると頭が狂うということ。好きな理由は、すべてに言えることですが、それは単にものの見え方です。カバラにおける達成の結果として、人に起きる内面的変化の種類、現実の理解とつながりの達成によっての、彼らの感じる喜び、{その}喜びの源は普通の考え方とはとても異なります。それは逆であり、その理由は、その考えが霊界に存在するものだからです。よって、冷静と反対の目的を持つ人にとっては正気でないように見えます。でも本当はちがいます。
そして、カバラが「隠された科学」と言われる第3の理由は、それが五感から隠れたものを扱うからです。それは他の方法では答えられない質問に答えます。それが答える質問は、基本的に「私の人生の意味とは何か(What is the meaning of life ?)」ということです。これは深く、厳しい質問です。なぜならこの疑問をもち、伝統や科学やアートや文学や心理学が教えることに答えを見つけられない人は、私の人生の意味は何かという質問に答えること以外、単にどんなものにも満足できません。このような人は五感を超えるものを感じる用意ができています。
カバラの書物は、私たちが現実の全体のなかにいると伝えます。現実の完全体があり、そこが私たちの実在する所。しかし、私たちにその感覚はまったくありません。自分たちが何者でどこにいるのかについての感覚は完全にかぎられ、次の瞬間に人生で何が起きるか知らないぐらいです。私たちは、なぜ物事が起きるのか、いつそれが起きるのか、私たちがどこから来て、どこにいて、どこに向かっているのか知りません。すべての部分を含んだ完全体の現実が存在し、この現実は分けられていて、複数の“世界”という体系に弱められています。
5つの世界からなる完全現実の作用で、永遠の光は弱まり、私たちが知覚できる明るさになります。この最初の世界はアダム・カドモン(Adam Kadmon)と呼ばれ、次の世界はアズィルット(Atzilut)、次がベリア(Beria)、そしてイェツィラ(Yetzira)の世界、そしてアスィヤ(Assiya)です。これらは意識、近さ、または距離のレベルとして解釈できます。私たちは完全の現実、その繋がりと認識から下降し、最後にマクソンまたはバリアと呼ばれる分離点に達します。これら{5つの世界}は霊界です。このバリアの下には私たちの世界があります。ここでは私たちに霊界の感覚はまったくありません。
私たちが実際にいる所、最初にいた所の感覚、ここでは私たちは“肉体”または“身体”という限られた感覚を持ちます。もし私たちがこの完全な光と現実の全体のことを知り、それと繋がることができたなら、私たちは運命を制し、過ちをなくし、私たちを導く力を理解し、すべての生き物の利益のために人生をフルに生きれるぐらい、力とのつながりを手に入れるでしょう。しかし、カバラが隠されていたように、この力、この完全な現実も故意に隠されてきました。これらのレベルを通り、125段階の体系に従って、弱められてこの世界の中に至りました。
カバラの目的は人に、この世界への下降から霊界にある私たちのルーツ、私たちの源と完全現実に結合するまでの125段階を遡らせることです。その達成を可能にするため、私たちが「創造主」と呼ぶ慈善の力は、{(故意に-->)意図的に}この体系を私たちのために創造しました。言い換えると、この創造の地図は、創造の完結ではなくまだ中間点ということです。それは創造の計画を完結させるため、この完全現実と再結合するために、私たちが霊界のルーツから今の私たちがいる状態まで下降してきたプロセスです。
トラー、ミシナ、そしてグマラを含むカバラの全書物の伝えることは、これらのレベルの中での状態だけです。私たちの魂が完全結合から転落しながら減少したことと、上昇して遡るときの私たちの状態、{(両方-->)この二つ}です。カバラの方法は人に霊界の感知を始めさせ、そこにはいることを可能にする手段です。
そうするためには、私たちは教えを受ける必要があります。私たちが何から創られているのか。私たちがこの世界にはいることを阻止するもの。霊性の感覚を取りもどすことを可能にする方法。これ{ら}にはとても特殊なマテリアル、人を霊界にはいらせる目的で直接的に創られたものが必要です。
カバラの書物は枝の言葉でかかれており、その理解は私たちにとってとても困難です。どのようにしてこの高次現実にはいれるのかについて、私たちが何かを学ぶために、それらを地上階で使用できるようになることがとても難しいことは、少しも不思議ではありません。しかし、カバラのもたらす偉大なことは、我々の世代において、1995年にカバラが世界全体とそれを本当に必要とする人々に開示されてから、特別な書物が私たちのために用意されました。
これらの書物、注釈書は、バール・ハスラムと彼の息子で弟子のラバッシュによって書かれました。それは初めて、霊界のなかにすでにいるカバリストのために書かれたものではありませんでした。それらは霊界にはいることを望む人びとのために書かれました。それらは、人びとが梯子の最初の段に足を掛けることを可能にする特別な言葉でかかれています。これからのレッスンでは、それらの書物からの資料を使います。見ていく内容は、私たちを霊界にはいらせない特質は何か、私たちが霊界にはいることを可能にするものは何か。バール・ハスラムの功績を通して、カバラの科学において顕示された方法です。
<マイケル・ライトマン博士からの引用>
カバラの英知は、上層世界と私たちの存在のソースに到達する実用的な方法を教えます。人間はまだこの世界のなかで生きている間に、人生の本当の目的を理解することによって、完全性、平安、際限のない喜び、そして時空の限界を超越させる能力を獲得します。
(〜以下略〜)
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