カバラにおける祈りとは?

(回答者)アンソニー・コジネック
Anthony Kosinec


【質問】
 世界中の多くの人はお祈りをしますが、世界は良くなってるように思えません。私の質問は、カバラには祈りというものがありますか? 祈ることは助けになるのですか? 祈りは届いているのですか?

【回答】
 それは「祈り」の意味合いによります。なぜなら、私たちは色々なやり方でお祈りをするからです。自分の考える「神」に話す時、本当は何をしているのでしょう?
 なぜ祈りは、ほとんど叶わないのでしょう?
 カバラでの祈りは口や舌を使って、言うことではありません。神を讃える華麗なお祈りを読むことや、思いついた言葉でもありません。それらは宗教上での祈りです。カバリストは「上層の力」は言葉を聞くのではなく、人の心に反応を示すと言います。
 そして唯一、真の祈りしか叶わないのです。それは心の底からの要求です。何時でも自分の中にある一番強い願望です。さらにそれは正しい願望でなくてはなりません。宗教では、すべてを制御する神を信仰します。人々には、色々なでき事が起き、それを「良い」または「悪い」と感じます。悪いことが起きていると思えば、人は祈りはじめます。
「神様、どうか態度を改め優しくして下さい」「災難を無くして状況を良くして下さい」 この祈りにおけることは、神の態度は変化するものという考えです。祈りとは、神が変わるべきで、自分の人生は常に幸せであるべきということ。ここでの心の願望は、神が私に仕えるべきということです。
 このような祈りは叶うことはないのです。なぜなら、そのでき事の起きた理由や、神の態度にまったく付随していないので、何も変わることがないからです。これでは、結果も、神も、人も変化しません。これは祈りではまったくなく、効果のないワイロのようなものです。
 カバラでも、この世に創造主や人がいて、でき事を「良い」または「悪い」と感じます。しかし、カバリストは創造主の行為と態度は不変であり、すべて善という観念から始まるのででき事もすべて善であり、ただ人がそう感じれないというだけなのです。ですから、問題は人にあり創造主にはないのです。
 この場合、人はどのようなことを訴えることができるでしょうか?
 カバリストは創造主に、自分を変えてくださいと頼みます。でき事が良いと感じることができるようにです。内面の性質を変えることで、そのでき事を起こした創造主の愛を感じることができるようになるためです。
 実際、それが受取ったことの理由です。創造主のレベルに到達したいという、真の要求を発達させれるからです。創造主が与えたいものを欲するようになるためです。
 その欲求こそが「祈り」なのです。この祈りはすぐに叶います。そしてその人の現実は本当に変化します。なぜならその人はまったく異なる世界を認知し、そこに住むようになるからです。

 <2019.4.1 テキストファイル化>   


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