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リクード党首アリエル・シャロン(72)の異名は「ブルドーザー」、14歳でアラブとの闘いに身を投じ、20歳で対パレスチナ・テロ組織を結成した。この頃から「天才野戦指揮官」と言われるようになった。アラブ社会からは最も嫌われている人物だ。去年(2000年)9月28日にエルサレムの聖地に足を踏み入れたことで、今日のような流血の紛争に至っている。シャロンはここで「私は平和の使者としてきた」と臆面もなく述べているが、1982年のイスラエル国会においては「イスラエルの土地は渡さない」と言明していた。
1982年6月のイスラエル軍のレバノン侵攻では国防大臣として、彼は事前の決定を無視してイスラエル軍をレバノンのベイルートまで侵攻させた前科がある。この時シャロン党首は、PLO拠点を追い出し、9月の親イスラエル住民による約1000人のパレスチナ人虐殺を黙認した。
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レバノンのハリリ首相は言う。
「我々は1982年の虐殺事件を覚えている。シャロン氏の名前はこういう暗い過去を思い出させる。彼が和平を望んでいるかは疑問だ。むしろ中東和平は後退するだろう」
そのシャロン氏は選挙用CMで「人は穏やかで愛のある生活をしなければいけないのです」と言ってみせ、対戦相手のバラク氏は中東和平のタイトルを踏み潰す戦車のアニメで対抗する。その戦車にはむろんシャロン氏が乗っている。
(2001/02/06テレビ朝日放映「ニュースステーション」より要約抜粋)