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【02/03/15 (金) 】

シャロン首相「特使に協力」、西岸自治区から撤退撤
ヨルダン川西岸で車両爆発、ファタハ構成員ら4人死亡
米国、イスラエルにパレスチナ自治区からの全面撤退求める
イスラエル軍の完全撤退が中東和平交渉に応じる条件=シリア駐米大使
新型核爆弾開発に向け核実験再開も 米民間研究所
東ティモール大統領選挙始まる 独立の最終段階に入る
鈴木宗男氏離党表明・記者会見全文


シャロン首相「特使に協力」、西岸自治区から撤退撤

 【エルサレム15日=当間敏雄】イスラエル軍は15日未明、ジニ米特使の調停再開に合わせ、軍事制圧していたヨルダン川西岸のパレスチナ自治区の中心都市ラマッラをはじめカルキリヤ、トゥルカレムから撤退した。パレスチナ紛争沈静化に本腰を入れ始めた米外交に配慮したもので、先月から続いたイスラエルの軍事攻勢が一時停止して、休戦状態に向かう公算が大きくなっている。

 イスラエルのシャロン首相は14日夜、ジニ特使と会談した際、「全面的な協力」を約束した。特使は「今回は長く滞在することになるだろう」と述べ、完全な停戦の実現には時間がかかるとの見通しを示した。ベンエリエザー同国国防相は15日午前、特使に対して、「パレスチナ側が(テロ抑止の)責任を負うなら、完全自治区からいつでも撤退する」と確約した。

 ジニ特使は、同日中にもラマッラを訪問して、自治政府のアラファト議長らと会談する予定だ。

 ジニ特使の調停は、前回2回は失敗に終わったが、今回は、米国の意欲や国際環境が大きく異なっており、イスラエル政府から、協力姿勢を引き出した。

 「対テロ戦争」を掲げてイラク包囲網構築を目指すブッシュ米政権としては、パレスチナでの武力衝突を沈静化させなければ、アラブ諸国の協力を得るのは困難だ。国連安保理で12日、ブッシュ米政権がパレスチナ国家樹立を促す決議の提出国となるなど「傍観」から「積極姿勢」に転換したのもこのためだ。中東歴訪中のチェイニー米副大統領も18日にも当地を訪問する予定だ。

 また、「イスラエルの占領地からの完全撤退と引き換えにアラブ諸国がイスラエルを承認する」とのサウジアラビアのアブドラ皇太子の和平構想が脚光を浴び、事態打開の契機になりうるとの期待感も一部に生まれている。

 しかし、国際環境の変化とは裏腹に、現地情勢はテロと激しい軍事報復の応酬で先月末以来、双方で200人以上の死者を出し悪化の一途をたどって来た。イスラム原理主義組織ハマスの精神的指導者ヤシン師が14日、特使滞在中も武装闘争を継続する方針を明確化するなどテロ続発の懸念は強い。

 パレスチナ側もラマッラ撤退などを「世界の目を欺くトリック」(自治政府高官)とし、都市包囲を続けていることに強く反発、自治区から完全に撤退し「活動家暗殺」を含めたすべての軍事行動を停止しない限り停戦はありえないとしている。

 自治区では「イスラエルの姿勢が米国を向いたものである限り本質的解決にはつながらない」(パレスチナ人記者)との声も根強く、3度目となったジニ特使の今回調停が、完全停戦から和平交渉再開へとつなげられるかは微妙な情勢だ。(読売新聞)
ヨルダン川西岸で車両爆発、ファタハ構成員ら4人死亡


 [トルカレム(ヨルダン川西岸) 14日 ロイター] ヨルダン川西岸の都市トルカレム周辺で、車両が爆発し、乗っていたパレスチナ人4人が死亡した。
 パレスチナ自治政府の治安維持筋は、この爆発はイスラエル軍によるものと見ている。
治安維持筋の1人はロイター通信に、死亡した4人のうち、少なくとも2人はパレスチナ解放機構(PLO)の主流組織、ファタハの構成員だった、と述べた。

(ロイター)
米国、イスラエルにパレスチナ自治区からの全面撤退求める


 [ワシントン 14日 ロイター] 米国務省のバウチャー報道官は、イスラエルに対してパレスチナ自治区から全面撤退するよう求めた。
 これより先、イスラエル外務省高官は、シャロン首相が軍に対して、ヨルダン川西岸地区のラマラから段階的に撤退するよう命じたことを明らかにした。
 バウチャー氏は、「(イスラエル政府が)全面撤退について協議したことは望ましいことだ。米政府はイスラエル軍のラマラ占領に関する声明を検証している。イスラエル軍はパレスチナ自治区から完全に撤退するものと強く期待している。こうした動きはジニ中東問題担当特使の調停作業をきわめて円滑にするものだ」と述べた。
(ロイター)
イスラエル軍の完全撤退が中東和平交渉に応じる条件=シリア駐米大使


 [ワシントン 14日 ロイター] シリアのロストム・アルゾウビ駐米大使は講演で、イスラエル軍が1967年の第3次中東戦争で占領した地域から全面撤退することが和平交渉に応じる条件だとの意向を表明した。
 このなかで、シリア政府はサウジアラビアのアブドラ皇太子が提示した中東和平案を全面的に支持していると指摘し、「シリアの立場はサウジと同じであり、アブドラ皇太子の中東和平案を支持している」と述べた。
 シリアの和平構想の詳細について問われ、同大使は、「何をすべきか、結論を急ぐのは控えたい。まずイスラエル政府が、アラブ諸国の提案どう対応するのかを見守りたい」と述べた。
(ロイター)
新型核爆弾開発に向け核実験再開も 米民間研究所

 米国の軍事問題研究所グローバル・セキュリティーは14日、米国防総省の機密文書「核戦力の見直し」の抜粋をウェブサイトに掲載した。それによると、同省は、現在の米核戦力では、地中深くにつくられた戦略施設を確実に破壊できないとし、貫通力の大きい新型核爆弾の開発を提唱、凍結中の核実験の再開が必要になるかもしれないと分析している。

 この研究所は兵器や偵察衛星による情報の分析に詳しい。パイク所長は文書の公開について、「国益を害するとは思わない」と言う。

 文書は少なくても70カ国に1万以上の地下軍事施設があり、このうち約1400が大量破壊兵器を貯蔵したり、命令指揮機能を担う戦力施設と指摘。現在ある対地下施設用のB61改良型核爆弾の貫通力には限界があると分析している。


 このため、現在の核実験凍結が「無期限に継続できないかもしれない」と指摘している。(22:27)

東ティモール大統領選挙始まる 独立の最終段階に入る

 東ティモールの初代大統領を選ぶ選挙戦が15日、始まった。勝利が確実視されるシャナナ・グスマオ氏は中心地ディリでの集会で、住民和解の促進とインドネシアとの関係改善に先頭に立って取り組む考えを強調した。投票は4月14日。5月20日の独立に向けた準備は、最終段階に入った。

 グスマオ氏は選挙公約として、民主的な社会の構築や外国投資の促進、均衡ある発展なども掲げた。ゲリラ司令官や住民組織の長として独立運動を主導してきた歩みに触れながら、「国のために今度は大統領として尽くす」と訴えた。


 一方の対立候補で、初期の独立闘争の中核を担ったザビエル・ドアマラル氏は「グスマオ氏に敬意を表する」として、予定されていた演説会を17日に延期した。(20:18)

鈴木宗男氏離党表明・記者会見全文

 鈴木宗男氏が15日、自民党本部で行った離党記者会見の内容は以下の通り。

 私はただいま山崎幹事長に会って離党届を提出して参りました。

 今回、私の政治活動や言動につき、また私設秘書の件について、様々なことが国会などで指摘され、私自身深く反省すると同時に、このままでは党に大変な迷惑をかけると思い、離党を決断いたしました。

 中でも、北方領土返還運動の一環として私が取り組んだ北方四島支援事業について、国民のみなさまに多くの疑念をもたれたことについて、大変申し訳なく思っています。また、私と外務省など役所の関係、いわゆる政と官のあり方の中で、私の言動が圧力ととられ、国民の皆様の厳しい批判を受けていることについても、深くおわびと反省をするものです。

 ただ、私は私なりに11日の証人喚問で、精いっぱいお答えさせていただいたつもりです。

 しかし、外務省という役所は、田中(真紀子)大臣が更迭された後、今度は6年前、7年前の一方的なメモが次々と使われ、私の排除といいますか「つぶし」といいますか、なにがしかの意図や思いがあって今の事態に至っているなと、こんな風に考えています。

 特に、私は政治家として、北方領土返還運動をライフワークとして取り組んで参りました。その私が北方領土不要論という言葉は使うわけもなければ、ない話なんであります。それが「地元の中にこういう声もありますよ」と言ったのが、一方的に「鈴木宗男が言った」と、こう表現されたメモが出て参りましたが、今ここにいるお集まりのみなさま方も、私自身一生懸命、北方領土返還に向けて行動してきたことはおわかりいただけるものと思いますし、また政策的に私は齟齬(そご)があったというわけではないと、このことだけはあえて強調したいと思います。

 一方的な思惑や、あるいはメモというのは、書いた人のメモ能力やまた主観で残されては、私は公平ではないと思っております。その点、私は国民の悲願である北方領土返還を実現するためにも、ぜひともみなさん方に私のとってきた行動だけはおわかりをいただきたい。こんな風に考えております。

 私自身至らず、また反省すべき点、今も多々あると思っておりますが、私は反省すべきは反省しながら、おわびすべき点もしっかりおわびをしながら、また、私の立場で私の役割を果たしていきたいとこう思っています。

 私は国会での質疑等を見るときに、これ以上、党に、また多くのみなさんに迷惑をかけるのは申し訳ないとこう思って私は離党いたしました。この私の離党が自由民主党の改革や外務省の改革になるのなら、私なりにそれなりによかったという方向付けが出ることを心から願ってやみません。

 私はいま、昭和58年(83年)、最初に国会に出るべく、手を挙げた時を思い起こしながら、一からスタートしたいとこう思っております。ただこの間、多くの後援者やまた自由民主党党員のみなさま方にお世話になってきました。心から厚く、お礼と感謝を申し上げます。

 同時にこの1カ月、厳しい中にあっても絶えず私を励まし、激励してくれた心ある仲間の先生方や、あるいは全国各地の私の後援者のみなさん、とりわけ選挙区のみなさま方は一喜一憂しながらも私を見守ってくれました。改めて厚くお礼と感謝を申し述べたい。

 また何十年と家庭を顧みなかった私ですが、この1カ月、家内や子どもたちがしっかりと支えてくれました。改めて家族のきずなを知っただけでも私はよかったかな、とこんな風に思っています。

 また、うちの事務所の秘書のみなさんは、嫌がらせの電話やいろんな心ない電話がかかってきても、必死に受話器をとって、丁寧に対応してくれておりました。この仲間の秘書のみんなに私は感謝をしたいと、こんな風に思っております。

 以上、自由民主党を離党した報告をさせていただきました。

 (具体的に反省すべき点はどういう点か)すべて指摘されている点を反省していきたいと思っております。

 (違法行為があったと考えるか)私自身、悪いことをしているという認識で政治をやってきたことはありません。


 (議員を辞めることを考えるか)私は今、与えられた立場でその中で反省おわびをしながら、与えられた中で私の責任を果たして参りたいと、こう思います。(19:09)