アフガニスタン情勢

アフガニスタン紛争地図

◆タリバン(タリバーン)
 内戦の続くアフガニスタンで最大勢力となった原理主義集団。タリバンの意味はイスラム神学生「タリブ」の複数呼称。その名が知られるようになったのは1994年秋頃からである。旧ゲリラの腐敗体質を批判して、地方の村から彼らを追放するなどの活動を展開したことから「世直し青年団」として住民の支持を受けるようになった。遊牧民族だったパシュトゥーン人の新興勢力でもある。1996年9月に首都カブールを制圧、1997年に入ってパキスタン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦がその政権を承認したが、その後、承認国は増えていない。厳格な原理主義を標榜していて、女性が学校に出るのを禁じるなどの政策を打ち出し、世界世論の非難を浴びた。
 1994年8月、クエッタの神学校を出た100人ほどの神学生たちが「祖国を良きイスラム教徒の国にする」と決意、カンダハル州西方のピルザデーで蜂起し、悪名高いムジャヒディンを駆逐した。タリバンの本部はカンダハル州の州都に置かれ、その最高指導者にモハメド・オマール師が就いた。タリバンの最高指導部(中央評議会)は、クエッタの神学校出身のムラー(導師)たちによる合議制となっているらしい。かつて勢力を誇っていたイスラム党ヘクマティヤル派を支援していたパキスタンは、住民の支持を失ったヘクマティヤル派を見限り、タリバン支援に切り替えている。
 一般的にタリバンを支持しているのはパキスタンの「イスラム法学者協会(IUJ)」とされているが、その背後にはパキスタン政府と軍部、特に軍諜報部(ISI)の存在がある。カブールの攻略作戦でヘクマティヤル派の反撃に劣勢となったタリバンだが、パキスタンのISIがタリバンの神学生たちを特訓し、その結果タリバンはアフガン西部のシンダンド空軍基地を制圧、一気に首都攻略に転じている。
 これにタジキスタンの反政府勢力「イスラム復興運動」(サイド・アブドゥラ・ヌーリ議長)がタジク人主体の政府軍の支援を受け、バダクシャン州の秘密基地からタジキスタンに出撃してきた。タジキスタンには数万のロシア軍が駐留し、タジキスタン政府軍と共にイスラム・ゲリラの鎮圧にあたるという複雑な様相を示している。ブルハルディン・ラバニ率いるアフガニスタンの政府軍「イスラム教会」はイラクが支援し、同じく政府軍のラスール・サヤフ率いる「イスラム統一体」にはサウジアラビアが支援、これに対してパキスタンが支援する「タリバン」ほか勢力範囲不明のイスラム・ゲリラ集団が入り乱れて闘いが続けられてきた。現在ほぼ全土を支配下に置いたとされるタリバンだが、水面下ではいつ他の勢力が奪回を狙ってタリバンを駆逐しかねない緊迫した状況は変わらないだろう。

◆アフガニスタン・ムジャヒディン・イスラム同盟
一九八五年五月に結成されたアフガニスタン反政府運動組織の連合体の一つ。パキスタンのペシャワールに本拠地をもち、イスラム教スンニ派の組織。原理主義派四組織(イスラム党、イスラム党ハリス派、イスラム協会、イスラム統一体)、穏健派三組織(イスラム革命運動、アフガニスタン民族解放戦線、イスラム革命民族戦線)に二大別できる。しかし他方では、二大グループの別を超えてサウジアラビアとの関係の深い勢力もありまた穏健派といわれる諸組織は王党派・前国王(七八年五月のアフガニスタン革命で追放)派ともいえるもので、この同盟の内部も複雑である。

◆アフガニスタン・イスラム連合評議会
アフガニスタン反政府運動組織の連合体の一つ。イスラム教シーア派の組織でイランに本拠地をおいている。イスラム運動、イスラム統合戦線、イスラム軍事機構、イスラム聖戦防衛機構の四派からなる。イランからの直接間接の支援・影響を受けているが、穏健派も含まれ、ムジャヒディンに比して組織は小さい。