斉藤牧場の奇跡
あまり人手をかけずに牛の自然行動に任せる。こうしたやり方は「やけっぱちで始めたのだ」と斉藤老人は語る。この地に入植したのは終戦直後の昭和21年、斉藤さんは北海道開拓団の一員としてまだ19歳で入植した。その最年少の斉藤さんに分け与えられた土地は一番奥地の岩だらけの山だった。結婚したばかりの斉藤さんは必死で荒地を開拓したが、いくら開拓しても作物が小動物に食べられたり、作物が実ることも少なく自分が食べることにも事欠く悲惨な状況だった。八年間の苛酷な開拓に斉藤さんは負けつづけていく。妻の富子さん(現在70歳)は当時を振り返って「本当に逃げ出したくなることもあったんですよ。でも橋がなくて逃げられなかった」と笑う。斉藤老人がその言葉をつなぐ。「それで何か考えなくちゃならんと山から眺めていると、鳥や虫、昆虫たちが悠々と・・・カネを使うわけでもなく生活を営んでいることにあらためて気付いた。人間はカネや労力をつぎ込んで必死で努力するが、そうすればするほど苦しくなってくるとなれば、このままではどうしても生きられないとすれば、鳥や虫たちの姿勢に立ってみればどういうことになるだろうと・・・」自然にあるものをそのまま活かす、笹も野草も牛が食べれば牧草だ。斉藤さんは思い切って牛を山に放してみた。
斎藤さんが編み出した山を拓く方法・・・まず牧草にしたいところの笹を刈り、そこに火を入れる。そうすると立ち木や雑草が燃えて消滅する。笹を刈らずにおいた場所で火は止まる。その焼け跡に七種類のごちゃ混ぜにした牧草の種を蒔く。その土地に見合った植物が生えるだろうという考えだ。そこに牛を放つだけだ。最初に生えてくる笹や雑草は柔らかいうちに牛が食べてしまう。そのときに牛は蹄でさらに種をしっかりと土中に埋めてくれる。かくして牛が歩いたところには牧草が繁茂していく。この方法はすでにスイスのインターラーケン地方などで伝統的に行われてきたものだ。牛は朝、山を登って日没に降りてくる。このとき蹄耕法(ていこうほう)と言われる、牛が蹄で土地を耕すことが自然と行われる。これが緑の絨毯に覆われたスイスの風景となってきた。
北海道では開拓当初からから畜産を農業の中心として進められてきた。牛乳が学校のメニューに決められたことで畜産農家は一気に増加する。経済成長期を境に政府は畜産の有料増量推進をはかり、餌も穀物主体の濃厚飼料へと替えられた。牛を放牧せず牛舎内で育てる畜産農家も増えていく。通常の年間一頭あたりの乳量は7238キロ、それに対して一日牛一頭与えられる濃厚飼料は約10キロとなっている。しかし野草中心に育てている斉藤牧場では年間乳量4300キロと少なく、その代わりに濃厚飼料も4キロで済ませている。一般畜農家みられる牛の病気もこうした濃厚飼料主体にあると考えられている。
牛には四つの胃があり、食道に近い第一胃(ルーメン)はドラム缶ほどの大きさで1兆もの微生物と共生している。このルーメン微生物が植物のセルロースを分解して牛乳を生成する過程に大きな役割を果たしている。通常の牛の胃液に含まれるセルロース分解菌が5000に対し、斉藤牧場の牛はその170倍の860000に達していることも分かってきた。濃厚飼料を食べさせられている一般畜農家の牛が病気がちなのに比べ、斉藤牧場の牛は健康で寿命も長い。
旭川にも遅い春が訪れようとする四月下旬、斉藤牧場はさらに新たな研修生を迎えていた。まだ雪が残るうちに放牧の準備が始まる。一般の畜農家ではこの時期牛の爪を削るのだが、斉藤牧場ではそれもやらない。そして四月下旬、冬の間畜舎に入れられていた牛たちが一斉に野山に放たれると、牛たちは飛び跳ねるようにして野山に散っていく。通常の牧場ではこんなに早く牛が放牧されることはなく、食べられる牧草も少ないという理由から早くてもそれより一ヵ月後のことになるという。しかし斉藤老人は「だからこそ牛を早く放つのだ」と言う。牛たちはまだ生えていない牧草の代わりに、笹や野草を忙しそうに食べ歩く。決して牛を甘やかさない斉藤牧場のスタートだ。
一般の牧草地はストリップ放牧といわれる区画ごとの移動放牧が主体で、一方の牧草が食べられている間に、もう一方で牧草を育てるという方法をとっている。しかし斉藤牧場はそんな方式をまったく無視した自然任せの自由放牧で成り立たせ、北海道大学農学部畜産科学科の近藤誠司助教授を驚かせている。「そんなことはありえない」というわけである。そのありえないはずの奇跡が斉藤牧場では現実に起きているのだ。近藤助教授はGPSで斉藤牧場の牛たちの行動追跡を開始、その自由奔放な牛たちの行動に何とか法則性を見つけようとしている。不思議はまだある。最初に食べ尽くされたはずの斉藤牧場の牧草地で、なぜ牛たちは生き長らえることができるのか?その食べ尽くされたはずの斉藤牧場の牧草地が調査されると彼らは再び驚く。「嘘だろう?そんなわけがない」と、採取された牧草地の量の多さに首を傾げる。植物の高さが低いから草の量が少ないと思われた斉藤牧場の牧草だが、実際に調べてみると1uあたり通常牧草地5033本に対し、斉藤牧場では10916本と密度がカバーしていることが分かった。つまり、早すぎるように思えた斉藤老人の放牧は、結果的に牧草の繁茂密度を高めていたのだ。研究者たちは牧草もまた生きるうえでの適応能力を備えていることを考慮していなかったのだ。成長途上にある牧草が食べられてしまうと、植物はそれに適応しようとして自分の生育過程を短縮して早めに穂を出すという驚くべき奇跡を起こしていたのだ。
今では斉藤牧場の奇跡に全国から研修生たちが、酪農家が、バスで斉藤牧場の不思議を見ようと子どもたちが教師に引率されてやってくる。その子どもたちに斉藤老人は説明する。「おじさんの牧場は牛がつくった牧場なんだよ。牛はね、何でも自分のこと自分でやってしまうんだ」・・・牛と戯れる子どもたちの眼は心なしか輝いているようだ。
【2000/09/10放映、宇宙船地球号「牛が造った不思議な牧場」より 】