史実・黄金伝説メニュー
続々発掘される山下埋蔵金と消えた資料
- 有名なところではモンタルバン発掘現場があげられるが、ここではフィリピンの将軍などがオーナーとなっている例もある。モンテンルパ刑務所に収監されているオランド・ドウライ元キリノ州知事は、日本兵と共に2億ドル相当の財宝を箱12個にして埋葬したと証言する。終戦直後、事実を知る元日本兵らのガイドとして再度財宝を掘り起こし、数千本の金の延べ棒が日本へと持ち運ばれたと言う。モンテンルパ刑務所では丸福金貨が出回ったことがある。当時フィリピン軍収監部技師だった皇(すめらぎ)睦夫(現80歳)氏は、その丸福金貨を求めて手に入れるのに20年かかっている。氏によると丸福金貨は日本が民間に委託して作らせたもので24金33.75グラム、主に闇の通貨として華僑の間で使われていたという。金塊が日本に運ばれた例はもっとある。現地人レオポルド・ギュント氏によれば「洞窟の中から50体の骨が出た(埋蔵に駆り出された現地人が財宝と共に埋められたと思われる)。その側には壺があり、壺の中には一本10キロの金の延べ棒が24本入っていた。それらはクマザキという日本人が船底に隠し、飛行機に積み替えて持ち去った」と証言する。また10年間も埋蔵金目当てに掘り続けている日本人もいる。彼は三回掘り当てたが、それらはフィリピン軍部に没収されてしまったという。掘り当てた当時は壺で、タールを剥がしていくと光り輝く金塊が現れたと言う。現在もフィリピン政府は発行許可証を発行しているが、それには政府75%と発掘者の取り分25%が明記されている。
- アメリカ政府もこうした事情は把握しており、中国情報収集のCIA要員だったジョン・シングローブもヤマシタ財宝の存在を認めている。フィリピンのマルコス元大統領のイメルダ夫人もそれを隠さないで証言している。「マルコスは確かにヤマシタ財宝を発掘した。それをマルコスは貴金属貿易で増やした。そのヤマシタ財宝は共に発掘した仲間と分け合った」防衛庁資料室の奥深くには比島作戦記録「呂栄(るそん)島に於ける作戦」として、その他紙幣150トン、硬貨40〜400トンを放棄する命令書が保管されている。しかしフィリピン公文書簡にはヤマシタ財宝に関する記録は一切残されていないばかりか、アメリカの公文書も何故か抜かれた形跡を残して、依然空白のままになっている。