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マルコスを大統領にした金塊
- その香港銀行を最大限に利用したのがフィリピンの元大統領フェルディナンド・マルコスであった。第二次世界大戦の終結に前後して、マルコスは日本軍の戦利品、通称「山下将軍の財宝」でのし上がっていく。1978年においてすでに大統領となっていたマルコスは、それらの財宝である金塊2200トンを売却している。香港の金取引商らはマルコスの金塊の「AAA」という刻印に惑わされたが、これはかつてオーストラリア市場で品質保証のために刻印されたものであった。また第二次大戦の初期にオランダ領東インド(現インドネシア)からオーストラリアに移送された金塊は「スマトラ・ロイド」という刻印が押された。オーストラリア政府はマルコスが1981年から83年にかけて隠匿した450トンの金塊に「AAA」の刻印を押していたことを確認している。マルコスはオーストラリアの「ヌーガン・ハンド銀行」香港支店を使って金塊を移送させていたが、その秘密を知りすぎたオーナーのフランク・ヌーガンは謎の射殺死体となって発見されている。香港に渡った金塊は上海銀行、ハンルン銀行、オナーズ銀行、三菱銀行香港支店など香港の銀行の売り手、買い手、仲介役を経由して、最終的にはロンドン金市場カルテル会員社の地下倉庫に眠る。そのカルテル会員社は「イングランド銀行」「ロスチャイルド」「ジョンソン・マッセイ」「モカッタ&ゴールドスミッド」といった世界的な金融マフィアで構成されている。マルコス一族の子息がイギリスに留学した際にはロスチャイルド家所有のマンションが提供されたという。これまで分かっているマルコスが隠匿した金塊は75000トンに及び、これは全世界で掘り出された金の公式総量数と同じになる。これらの金塊移送はマルコスの友人であるオーストラリア人富豪が取引のブローカーを引き受けていた。【参考『赤い盾・上』140〜141頁、『マルコス王朝・下』209〜210頁】