ウォレン委員会
ケネディ暗殺めにゅー
●アール・ウォレン
ウォレン委員会委員長。1948年、ニューヨーク州知事トマス・デューイが共和党から大統領候補として出馬した際に、その副大統領候補として立候補したが敗北。ウォレンの死後、彼に関する個人的資料は故郷カリフォルニア州記録保存所に収められたが、JFK暗殺に関連する内部資料の一部は紛失している。
●J・リー・ランキン
ウォレン委員会首席顧問。1973年3月、ランキンはウーターゲート事件調査委員会の特別検事役にニクソンからアプローチをかけられる。
●ジェラルド・フォード
ウォレン委員会メンバー。最もオズワルド単独犯説を強調した。CIAのベスト・フレンドと噂されている。ロックフェラー家の顧問弁護士。ニューヨーク州知事トマス・デューイの法律事務所からフィリップ・バカン(後にフォード政権下の大統領顧問)を招いて、自分の法律事務所を経営する。
●ジョン・マクロイ
ウォレン委員会メンバー。ロックフェラー財団理事。CIAの前身OSS幹部。ロックフェラー家のチェースマンハッタン銀行会長。同じくロックフェラー家のユナイテッド・フルーツ社理事。1954年、ユナイテッド・フルーツはCIAと組んで、グァテマラ左翼政権アルベネス転覆に成功。1920年代、マクロイはロックフェラー家のスタンダード・オイルの顧問弁護士として、チェースとマンハッタンの合併を成功させてロックフェラーに高く評価された。
●アレン・ダレス
ウォレン委員会メンバー。CIA長官(1953−61)。アイゼンハワー政権下で冷戦外交を展開したジョン・フォスター・ダレスの実弟。1961年、キューバ侵攻作戦に失敗してJFK大統領に解雇される。
●リチャード・ラッセル
ウォレン委員会メンバー。上院軍事予算委員会委員長として地元ジョージア州に多くの軍事基地を建設する。FBIとCIAが重要情報をウォレン委員会に提出しないことに疑問を抱き、JFK暗殺に陰謀の疑いありと発表した直後、他界した。
●ジョン・シャーマン・クーパー
ウォレン委員会メンバー。JFKの首に当たった弾丸と、コナリー知事の胸を貫通した弾丸が同一とする報告に疑問を呈する。しかし報告書が刊行された時点で沈黙を守り、後にニクソンの指示でインド大使に任命される。
●ヘイル・ボッグズ
ウォレン委員会メンバー。ボッグズ下院議員は「FBI報告はデタラメだ」として食い下がり、フーバー長官を「無能な老害だ」として辞職を迫っている。「ミッチェル司法長官は法と秩序の信奉者を自認している。しかし、その法と秩序が基本的人権を抑圧し、個人の自由を剥奪するものならば、私は『神よ、我々を助け給え』と言う他はない」(合衆国下院演説)。このことが、ある筋を激怒させた。後にFBIはボッグズに関するデマを流すことになり、1972年10月、ボッグズの乗った飛行機はアラスカ上空で消息を絶ち、その死体さえ見つかっていない。第二次ニクソン内閣のインディアン問題委員会にローラ・バーグト女史が任命されたが、彼女はアラスカ・インターエア社の社長夫人だった。その航空会社はボッグズが行方不明となった飛行機の持ち主でもあった。