JFK暗殺めにゅー
JFKの頭を吹き飛ばした男
ロスコー・ホワイト写真資料
- JFK暗殺の最大の焦点は暗殺犯の確定であろう。研究家
ゲーリー・マックとジャック・ホワイトが特定した警察官のボンヤリした輪郭が鮮明になってきたのは、1991年に私が偶然手にした月刊誌「現代」2月号によってであった。そこには、末期ガンに犯された当時60歳のジェネーヴァ・ホワイトなる夫人の証言が載っていた。彼女によれば「これまで身の危険を感じて証言台に立つことをためらってきたが、末期ガンになって何も恐れることがなくなった今、全ての真実を明かしたい」というものであった。そして、その真実が彼女の口から語られる。
- ジェネーヴァ・ホワイトの証言(暗殺犯を語る)
- 「私の夫ロスコー・ホワイトは元警察官だったが、CIAでも働いていた。そしてその夫が『今までにCIAの命令で十人殺してきた。大統領を殺すことは今までの中でもっとも難しいことだった』と告白したのです。私の夫はCIAの命令でケネディ大統領を暗殺したと言うのです。でも夫は任務を遂行したのです。CIAによれば、ケネディ大統領はアメリカにとってもっとも危険な人物だということでした。私は夫が告白する以前からジャック・ルビーと会っていたことも知っていたし、それとなく嫌な予感がしていました。そして大統領が暗殺された日もテレビを見ていました。警官が一人殺されたというニュースにも『夫かも知れない』と死ぬほど恐かったことを覚えています。七時過ぎに夫が戻ってくるまで死ぬほど心配しました。そして帰ってきた夫は、その日の記念に写真を撮るように言ったのです。夫はとても興奮しているようでした。夫は『急いで町を出なければならない。とても危険なんだ』と言い、私は三日間ほど子供を連れて実家に身を隠していたくらいです」
- ロスコーはケネディ暗殺の17日前にダラス警察に入っていた。そしてその2日後にジャック・ルビーはオズワルドを射殺するのである。ルビーは終身刑で服役するが最高裁長官アール・ウォーレンとジェラルド・フォードに『テキサスから、自由に話せるワシントンに連れていってほしい』と何度も嘆願して退けられている。そして新たな裁判を前に注射を打たれ、ガンで死亡している。ルビーは『妙な注射を打たれた』と気にしていたという。暗殺事件の後、ロスコーは2年間いたダラス警察を辞めると言い出した時、夫人は夫にただならぬ脅えを感じた。夫人の証言は続く。
- 「夫は生命の危険を感じていました。何かがうまくいかなくなって夫は殺されかかっていたのです。私は気分転換にと、化粧品を売りながらニューオーリンズまで旅行することを思いつきました。しかし夫はどうしても行かないと言い張るので、私一人が行くことしたのです。そんな最中に一人の男がやってきて『あなたは監視されている。あなたの夫はCIAから抜けようとしているが、すでに殺人を犯しているので抜けることはできない。彼は24時間連絡をとり続けなければならない。さもないと、あなた方の幼い子供が殺されることになる』と脅されました。私はダラスに戻って夫を問い詰めました。夫は『CIAに入るまではそんなことは知らなかった。いったん入ったら出られないことも知らなかったんだ』と苦しげに弁明しました。私もまた悩み、自殺未遂で三ヶ月ほど入院するはめになりました。そしてあの奇妙な事故が起こったのです。私の夫ロスコーが溶接バーナーに点火しようとして突然燃え上がり、体の90%に大火傷を負ったのです。私はとっさにCIAが溶接に仕掛けをしたのだと思いました。それでなければ取っ手の部分からガスが吹き出すようなことは考えられないからです。彼はベットに横たわりながら『これは事故ではない。自分の死によって子供や妻に危険が及ばないことを約束させたのだ』と言い、25時間後に息を引き取りました。夫は日記を遺していました。そこには大統領を暗殺したことが書かれてありました。夫は『ケネディを殺した。アメリカ合衆国の大統領を殺した』と書いています。そしてCIAはチピット巡査を殺すことを夫に命じたのです。チピット巡査も陰謀の中に組み入れられた仲間でした。十番地とパットンの通りで夫とオズワルドがチピット巡査に会った時、夫はいきなり彼を射殺したのです。驚いたのはオズワルドでした。オズワルドは『オレは騙された!』と叫びながら逃げ出したそうです。日記にはそう書いてあります」
- ここで食い違いがみられる。当初、ピット巡査殺しの犯人とされたオズワルドは映画館に入っていた。目の前でチピット巡査が殺されて驚愕したオズワルドが、落ち着いて映画館にいられるわけがない。この映画館でオズワルドは巡査殺しの容疑で逮捕され、やがて大統領暗殺の犯人に仕立て上げられていく。チピット巡査殺害の現場にはドミンゴ・ベナスデスという機械工が居合わせている。彼は五メートルも離れていないトラックの中から殺害の瞬間を目撃した。彼は「オズワルドが犯人ではない」と証言している。事件から三ヶ月後、彼の双子の弟エディが何者かに頭を撃ち抜かれて死んだ。何者かが口封じの相手を間違えたようだ。もう一人の目撃者アキラ・クレメンスという女性は、二人の男がチピットを撃った後別々の方向に逃げたと証言している。そしていずれもオズワルドではないことを強調している。また警察官が撃ったとも言ってはいない。するとロスコーの告白日記とは辻褄が合わなくなる。ロスコーは警察の制服を脱いでいたのであろうか・・・このへんの食い違いもいずれ後世になってから、2039年には明らかにされるのだろう。そしてその頃には当事者はすべて寿命がきているというわけである。
- JFK暗殺事件の背後には周到に用意された罠が幾つも張り巡らされているようだ。11月9日にオズワルドがルース・ペイン宅で妻のマリナに会っている頃、もう一人のオズワルドがダウンタウンの新車展示場に現れトラブルを起こしている。セールスマンのガイ・ボガードは彼の相手をしていたが、支払いの段階になって「クレジットがそんなに難しいものなら、ソ連に帰ったほうがましだ。少なくともあの国では働くものを人間として扱う」と喧嘩腰に拒否したという(大統領暗殺聴聞会記録第26巻685頁)。同じ日、第二のオズワルドは市内の射撃練習場にも現れ、他人の的を射撃して顰蹙をかっている。そこに居合わせた人々は彼の正確な射撃の腕に目を見張ったという。本物のオズワルドが就職先のTSBDで働いている間も、第二のオズワルドは床屋、食料品店、銃器店など行く先々でトラブルを起こし『俺はオズワルドだ』と捲し立てて印象を残している。これらは偽者のオズワルドを用意したCIAによって、やがてはオズワルド本人が大統領暗殺者としてのっぴきならぬところへと追いつめるための布石でもあったろう。オズワルドのソ連行きも、彼が帰国する際も全てはCIAの息がかかっていた。アメリカの市民権を放棄したはずのオズワルドが帰国できた背後には、その責任者ボリス・クロッソンがいた。そのクロッソンのボスはキッシンジャーであった。キッシンジャーはクロッソンをSALT(核兵器制限交渉)の政治情報担当に抜擢するなど、旧ソ連の二重スパイと噂されるクロッソンを引き立てている。無名のキッシンジャーをロックフェラー家が拾い、ロックフェラー秘密工作員と影で名指しされてきたキッシンジャーの過去を考えれば、オズワルドを本当に利用した黒幕が浮き彫りになってくるだろう。
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