ボスニア戦争の悲恋
ボスコとアドミラの場合

 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ、この町の中心を流れる川に一本の橋がかかっている。ブルバナ橋である。7年前、この橋の上で対岸まであと15メートルたらずのところで一組の若い男女が射殺された。セルビア人ボスコとイスラム教徒アドミラの共に16歳の若いカップルだった。

ズイヨ・イスミッチ(アドミラの父・イスラム教徒)
 娘の恋人がセルビア人であることは全然気にしてませんでした。私の親友の奥さんもセルビア人でした。宗教の違うカップルなんてサラエボでは当たり前のことだったんです。

 二人の恋は、高校を卒業し、ボスコが兵役でサラエボを離れてからも続いていた。

ボスコの手紙
 愛するアドミラ、毎晩、君のことを考えると眠れない。僕の幸せは君なしではあり得ない。
アドミラの手紙
 愛しいボスコ、夜のサラエボは最高の美しさです。あなたとこの町で暮らせる日を夢見ています。その日がくれば、もう誰も私たちを引き離すことは出来ません。

 その翌年の1987年、兵役を終えたボスコがサラエボに戻ると、アドミラと共に小さな雑貨店を開くことにしていた。

ネーラ・イスミッチ(アドミラの母・イスラム教徒)
 アドミラはいつもこんなことを言ってました。『ボスコと結婚したら子どもをいっぱい生むから、そのときはママも助けてね』

 だがそんな未来の夢も突然断ち切られる。1992年4月、イスラム教徒が多数派を占めるボスニア・ヘルツェゴビナが独立、それを認めないセルビア人の間で激しい戦闘が始まる。セルビア人とイスラム教徒という対立は、ボスコとアドミラの運命をも否応なく巻き込んでいく。昨日まで隣人だった人々が敵と味方に別れて殺しあう、これがこの町で起きた戦争だった。周囲を山に囲まれたサラエボはセルビア人に完全に包囲され、徹底的な破壊を受ける。それまでサラエボで暮らしていたセルビア人もイスラム教徒の報復をおそれ、次々と町から脱出していく。だが、ボスコはアドミラのいるサラエボに踏みとどまった。そればかりか、ボスコはイスラム教徒が大半を占めるボスニア政府軍に志願する。

ラーダ・ブルキッチ(ボスコの母・セルビア人)
 息子にとって、ボスニアの政府軍に入るのは辛い決断でした。自分と同じセルビア人に銃を向けなければならないんですから・・・あの時はほかに道はなかったんです。あるとき、私は息子に訊ねてみたんです。『あなたたちは大丈夫なの?』って、そしたら彼女はこう答えたんです。『私たちの仲を引き裂けるものがあるとしたら、それは銃弾だけよ』って・・・

 8年前のオリンピックで世界に平和をアピールした町が、今では戦場となった。安全なところなど何処にもない。憎しみが憎しみを呼ぶ、終わりのない殺戮が続く。
 そして・・・1993年5月、イスラム教徒が支配する軍警察から、ボスコにスパイ容疑で出頭命令が下った。ボスコに出頭命令が出たのは、当時彼の親友のセルビア人がイスラム教徒政府軍の機密情報を持ってセルビア陣営に寝返ったことにあった。むろんボスコは事件に無関係だったが、ボスコは自分がセルビア人であるために無実を主張しても信じてもらえないと思い込んでしまった。72時間以内に出頭しなければならないボスコは追い詰められていた。ボスコとアドミラは死を覚悟のサラエボ脱出を決意するが、今度はイスラム教徒であるアドミラが、セルビア陣営の中でボスコと同じ恐怖を味わうことを意味していた。当時セルビア陣営では民族浄化でイスラム教徒への大量虐殺が行われていた。それでもアドミラはボスコに付いていくことを決心する。

ネーラ・イスミッチ(アドミラの母・イスラム教徒)
 アドミラに最後に会ったのは、脱出する日の朝でした。外国に行ってもボスコと結婚できるようにと、出生証明書を取りに来たんです。私はあの子を留めることは出来ませんでした。私もあの子と同じ頃、真剣に人を愛したことがありましたから・・・

 ボスコが逃亡ルートに選んだのが町の中央のブルバナ橋だった。ここはイスラムとセルビアの両陣営が対峙して、互いに狙撃班を置く危険区域だった。しかし、ここを除いてサラエボを脱出する道はない。


 1993年5月18日、午後4時30分、ボスコとアドミラはゆっくりと橋を渡り始めた。この時、対岸までおよそ50メートル・・・こみあげる恐怖と戦いながら、ふたりはゆっくりと夢に近づいて行った。しかし・・・橋の中央まで来たとき、ふたりは堪えきれずに走り出してしまった。一発の銃声がボスニア橋の上空に響き渡ると、ボスコが倒れた。即死だった。そして、もう一発の銃弾がアドミラを貫くと、彼女はボスコに寄り添うようにして倒れる。その直後、まだ彼女には息があった。アドミラは、愛する人ボスコの元まで這いながら向かい、やっと腕をつかみ・・・そして息絶えた。ふたりの愛を打ち砕いた凶弾がどちらの陣営から放たれたものであるかは不明だった。ボスコとアドミラの遺体は現場に8日間放置されたまま、やがて埋葬される。


 そして7年後の今、銃声の途絶えたサラエボの町には平和が戻った・・・かのように見える。

ネーラ・イスミッチ(アドミラの母・イスラム教徒)
 今でも町でアドミラに似た女性を見かけると、そのあとを追ってしまいます。あの日から7年たちました。でも、どれだけ経っても時間は私を許してくれません。

 ボスコとアドミラはいま、ボスニアのリヨン墓地で永遠の眠りについている。そのふたりの墓はハートを二つ重ねたユニークなものだ。

ラーダ・ブルキッチ(ボスコの母・セルビア人)
 ボスコはアドミラのためにサラエボの町に留まりました。アドミラはボスコのためにサラエボの町を出ることを決心しました。そんなふたりの純粋な心をあらわすために、愛のシンボルであるハートを二つ重ねたんです。いつでもふたりの心が寄り添っていますように、と・・・


2000年11月10日、朝日テレビ放映より抜粋