医師団が証言「JCO被曝社員のDNAはズタズタだ」
東大病院無菌室の一ヶ月
JCO東海村事故リスト
東大病院に搬送された被爆者の大内氏は、即座に救命救急センターの集中治療室に運ばれたが、その時には大内氏の顔は被曝で真っ赤にむくんでいたという。東大病院副院長の木村哲氏が証言する。
「事故が起きたとき、とっさに顔を右手でかばったのでしょうか。救急放射線障害による放射線熱傷(やけど)は、患者の右手がもっともひどかった。ほかにも、熱傷は胴体部分の正面や、背中の右側、両足の大腿部から足先にまで及んでいました。搬送されてすぐにDNAを調べましたが、DNAはズタズタに破壊されていました。顕微鏡でそのDNAを見たときには言葉を失いました。私はその時、急性放射線障害の被害の深刻さを、改めて認識したのです。」
さらに広島大学原爆放射能医学研究所の宮川清医師は語る。
「患者の被曝量は、率直に言って生存が困難な数値でした(総体推定被曝量17シーベルト。胴体正面部分では致死量6倍の40シーベルト)。放射線障害の特徴は、免疫系を破壊し、病原菌に感染しやすくなることにあります。大内さんは一時、白血球がゼロになってしまった。また同時に血液をつくる造血幹細胞も破壊された。そこで造血機能を司る末梢血幹細胞の移植手術が必要になったのですが、白血球がゼロになってからでは移植もできません。移植細胞が大内さんの体内で拒絶反応を起こさないかどうかを調べるマッチング検査が出来ないからです」
移植手術は10月6日と7日に及んだ。ドナー(臓器提供者)となったのは大内氏の妹である。移植手術は治療の一部に過ぎない。集中治療室から無菌室に移った大内氏には10月10日に人工呼吸器がつけられた。これは気管内に直接取り付けるため、大内氏はまったく声を発することが出来なくなった。栄養分は左鎖骨付近の静脈を切開して、そこから点滴管で注入している。赤血球と血小板の輸血は現在も続けられている。
被曝から二週間が経過したあたりで大内氏の髪の毛が抜け始め、赤くむくんでいたやけど部分は水膨れが出来た。少しでも動くと水膨れがつぶれ、また時間がたつと新たに水膨れができる。この繰り返しで、大腿部は壊死状態になっている。移植手術を行った、東大病院無菌治療部副部長の平井久丸医師も証言する。
「やけどの痛みは想像を絶するものでしょう。ですから患者には強い鎮静剤を使って、意識を朦朧とさせている状態です。意識がはっきりしていると、激しい痛みで体を動かす。そうなれば、やけどで出来た水膨れがまたつぶれてしまう。いくら無菌室にいるとはいえ、その傷口から感染症の原因となる細菌が入り込むおそれがあります。そうなれば大変ですから、いまは患者さんをベットの上に半ば固定しています。一番の障害はやはり皮膚障害です。放射線によるやけどは普通の場合と違う。日を追う事に皮膚の脱落が広がり、いまでは全身の大半の皮膚が剥がれている状態です。普通のやけどなら皮膚が再生しますが、DNAが破壊されているから、再生は期待できない。しかも、皮膚移植もできません。部分的にDNAが破壊されずに残っているところがあり、皮膚移植も考えているが非常に難しい」
」
大内氏の家族たちは毎日病院に通っているが、無菌室のため面会もままならず、ほとんど意識がない大内氏の姿をガラス越しに眺めている。【『週刊現代1999/11/27号』42-44頁より抜粋要約】
●大内さん、放射線障害で下血はじまる 東海村臨界事故
東海村の臨界事故で大量の放射線をあびた作業員、大内久さん(35)が入院している東京大学付属病院は18日、記者会見を開き、放射線によるとみられる腸の障害で、大内さんに下血(腸の傷からの出血)が始まったことを明らかにした。量ははっきりしないという。根本的な治療法はないため、血液凝固を促す薬を使って止血を試みる。また、やけどの傷から大量の体液がしみ出しているため、培養した直径10センチほどの円形のヒト皮膚を、腹部と右足の2カ所に移植をしたと説明した。
大内さんは大量の体液が失われるため、1日計10リットルほどの輸血、輸液を必要としている。主治医の前川和彦教授(救急医学)は「なんとか出血が止まって欲しい。皮膚移植は体液がにじみ出るのを少しでも抑えようと試みた」と話した。【朝日新聞1999年11月18日報道】