日本原子力利権への「カー・マギー社」と国際マフィア戦略
- 「カー・マギー社」とは次のような会社であった。1937年、ロバート・サミュエル・カーとディーン・アンダーソン・マギーの二人がオクラホマ州で「カー・マギー石油」を発足、1949年サウジアラビアとクウェートの中立地帯で石油採掘を開始している。この時に利権を与えた人物がエヴェレット・ドゴリヤーという男で、ロックフェラー家にもサウジアラビアの利権を与えていた。1963年にオーナーのロバート・カーが急死しロバート・カーが事業を引き継ぐと、ロックフェラー財団の理事に収まっている。パートナーのディーン・マギーは一族のジョージ・マギーを国務次官補として政界に送り込み、そのジョージ・マギーはロックフェラー家の指示の元に原子力産業の利権奪取を開始するのである。
- 1968年2月25日、ロックフェラー家は「ロックフェラー財団」理事のラスク国務長官を日本に送ると日米原子力協定が調印され、さらにロックフェラー家がジョージ・マギーを日米経済諮問協議会の代表世話人に指名すると、1971年4月、チェース・マンハッタン銀行会長のデヴィット・ロックフェラーを筆頭とする代表団が日本を訪れる。彼らは日本の原子力産業の利権に食い込む為、代表団は彼らの次のような仲間で占められていた。
- ウォーカー・シスラー:モルガン系の原子炉運転業者「デトロイト・エジソン社」社長
- M・P・ベネマ:ユニバーサル石油会長。放射能廃棄物処理会社としてスタンダード石油カリフォルニアによって所有。
- W・マイケル・ブルメンソール:水爆メーカー「ベンディックス」社長。ロックフェラー財団の理事。
- P・E・ハガティー:テキサス・インツルメント社の会長。ロックフェラーとモルガンが共同で所有。
- C・B・マッコイ:世界的な火薬メーカー「デュポン」社長。原子力の燃料も扱う。
- これら追い風を受けて、同年4月8日、日本原子力産業会議において日本は2000年までに原子力船280隻建造の構想を打ち出す。しかしその17日後の25日、「ニューヨーク・タイムズ」紙は、日本への核持ち込みを許す日米秘密協定を暴露、日本にも原子力産業への不信感が芽生える。そして同年11月6日、アメリカはアリャーシャン列島で地下核実験を強行するのである。この1971年は1ドル360円の時代にも終わりを告げ、高度成長期にも陰りを見せはじめる。おりしも日本にはボーリングブームが到来、前年にパーフェクト第一号となった中山律子嬢の人気が急上昇「さわやかリツコさん」のコマーシャルが全国に流れた。そんな中、ロックフェラーやモルガンなどが支配する国際石油資本はOPECと協調して原油価格値上げ協定に調印する(1バーレル2ドル15セント)。石油の埋蔵量に限りがあるとするもっともらしい理由だったが、それらが真っ赤な嘘だったことを国民は後になって知ることになる。【『億万長者はハリウッドを殺す・下』130〜135頁、『日録20世紀・1971年度版』】
- カレンを殺したカーマギー社