1999/02/28、日曜
1999/02/27、土曜
湾岸戦争症候群・レアちゃんの場合
湾岸戦争症候群・セドリック君の場合
五・一五と二・二六事件、関連資料
1999/02/26、金曜
深夜早朝NHK総合テレビで『ガルフウォーベイビー・湾岸戦争の後遺症に悩むアメリカ』を再放送していた。ちょうど昨日から湾岸戦争を調べていたので、これでアメリカ側の被害状況を追加できる。さらにビル・トッテン氏も関連したファイルを載せていたのでリンクした。イラクの子どもたちが制裁戦争で命を失っている。今夜のNHK教育テレビでは海外ドキュメンタリー『国際赤十字の光と影@戦場における中立』が放映されるが、これも今月20日の日誌でナチスとの関係を書いたばかりであった。金貨にまつわるナチスと赤十字
戦争と子どもたちのことを考えていたら、『軍縮・三月号』に岡山輝明氏(都立立川高校定時制教員)の文章が目に止まった。これまでの私の漠然とした考えが、岡山氏の言葉でまとまったような気がする。以下「外国人生徒の受け入れと共生生活の創造」から、一部抜粋。
多様性の共存、教育そして戦争と差別
1999/02/25、木曜
湾岸戦争という人体実験
劣化ウラン弾の後遺症に苦しむ子どもたち
1999/02/24、水曜
↑
ニューズウィーク誌から写真追加
西川産業会長西川五郎氏の合同葬は3月17日
- 故西川五郎氏(西川産業会長)の合同葬は、西川産業など西川グループ7社の合同葬として3月17日午後1時から東京都港区南青山の青山葬儀所で。喪主は女婿で西川産業副社長の恵(めぐみ)氏。
- 西川産業の西河家は日本生命を支配する弘世家の閨閥、元13代貴族院議員にして八幡銀行社長だった西川甚五郎の娘・保子さんが弘世家に嫁いでいる。死去した西川五郎氏はその保子さんの2番目の弟にあたる。同じ一族の中にはサントリーを支配する佐治家がいる。
ドイツ・ボッシュがゼクセルを買収
- ドイツの大手自動車部品メーカー、ロバート・ボッシュと国内の燃料噴射装置大手のゼクセルは23日、資本提携関係を強化すると発表した。ゼクセルがボッシュグループを引受先とする第三者割り当て増資を行い、ボッシュの持ち株比率が31.7%から50.04%になることで、ゼクセルは子会社になる。ボッシュのアジア市場での販売強化と、精密加工など製造技術の獲得が狙いで、大手自動車部品メーカーが完全に外資の傘下に入るのは初めて。自動車産業では、国境を超えた再編が始まっており、日本の「系列」にもその影響が表れ始めた。
- 増資は4月に実施し、ゼクセルは201億円の資金を調達。コンピューター技術を駆使した燃料噴射装置の開発などに使う。ボッシュも、ゼクセルの技術を活用し、両社で経営資源を有効に使って国際競争の激化に備える。両社は今後、電子制御技術などを開発する新会社も設立する方針だ。ボッシュは売上高の9割程度を欧米市場に頼っている。売上高を伸ばすには、成長が期待できるアジアでのシェアを高める必要がある。トヨタ自動車や日産自動車、いすゞ自動車などとも取引があるゼクセルを通して販売強化を図り、国内最大手のデンソーに対抗していく戦略だ。
ジョン・ダレスとボッシュ社
森喜朗幹事長と柿沢弘治氏の接点
1999/02/23、火曜
東京都知事選立候補者、鳩山、明石、柿沢氏の同族争い
ブリジストン石橋家系図、経過報告
1999/02/22、月曜
「ブリジストンタイヤを支配する石橋家」の系図を追加
1999/02/21、日曜
系図リスト
1999/02/20、土曜
赤十字発行旅券でナチ犯罪者が逃亡、国際委が認める
- 赤十字国際委員会(ICRC、本部ジュネーブ)は17日、少なくとも10人のナチス戦争犯罪人が第2次大戦直後の南米への逃亡に、偽名で取得した同委員会発行の旅行許可証を使用したとの声明を出した。この中には、人体実験をして「死の天使」と恐れられた医師メンゲレやアイヒマン、バルビーなど著名な名前が含まれる。またローマ郊外で市民の大量殺害に関与したプリープケ元ナチス親衛隊幹部らの名前も見える。
- メンゲレやアイヒマンら著名なケースについては1992年に事実が公表されている。約50年もたってわざわざ声明を出さざるを得なくなったのは、おひざ元のスイスで、国際機関や政府はナチス犯罪者の追及に甘かったとの批判が起きたから。同国のユダヤ人向け週刊誌は「メンゲレは赤十字の旅券で南米に逃げ、60年代初めまで何度もスイスを訪問していた。どうして見逃したのか」との告発記事を載せた。赤十字国際委員会は名前を発表する一方で、「戦争直後は新大陸で新生活を望む東欧などの人が多かった。赤十字は身分証明書を失ったそういう人たち7万人に旅行証明書を発行した」と、当時の状況下で身元調査を厳密に行うのは難しかったことを強調した。また、近年まで事実が公表されなかったことについて、「(逃亡先の1つ)アルゼンチンから、ナチス関係者の偽名リストが最近届いて確認作業が可能になった。50年すぎた文書は公開するとのルールに従い、96年からは内部文書を研究者に公開している」と、隠す意図はないと弁明している。
- タイミングのいいニュースだ。ちょうど金貨にまつわるナチスと赤十字の関係について調べていた。はからずも今回のニュースはそれを裏付ける結果となった。
「どきゅめんと掲示板」がエラーを起こしています。(00:50現在)
いつも夜中の同じ時間帯にエラーになるようです。
原因は分かりませんが、朝方には復旧すると思います。
1999/02/19、金曜
自分のガラじゃない、と思いながら何気なく映画「Shall
we ダンス」を見ていた。どこか貴族趣味じみて私には合わない世界だと思い込んでいたのだ。そしてラスト、平凡なサラリーマンが憧れの美女、ダンス教師と踊るシーンで私は絶句していた。『オレはなぜ泣いているんだろう?』・・・乱舞する人々の顔、顔、顔、そこに私は亡くなった母を、父を、家族の風景を思い浮かべていたことに気付いた。父と母が若いときのままで踊っている。楽しそうに、嬉しそうに、いつしかそんな空想に耽っていた。そこには歳月のない永遠の世界があるばかりだ。働きづめだった両親の人生とは、およそ懸け離れた夢のステージで、スポットライトを浴びた二人が踊る。私はこんなに幸せそうな両親を見たことはない。ラストのない夢の中で、いつまでも、いつまでも・・・踊っていてほしい。
東京都知事選に出馬した鳩山邦夫に関連して、鳩山ファミリーの系図を書きました。むろん、まだまだこんな程度ではない華麗なる閨閥のこと、さらに追加していきます。ゴットマザーの安子さんは「兄は総理大臣、弟は東京都知事」といった鳩山家の野望を剥き出しにしていますが、財閥名門出の鳩山兄弟に国民の支持が集まるかどうか・・・
鳩山ファミリーの系図
1999/02/18、木曜
ヨルダン皇室の混迷が招く中東危機、その予兆
今月7日、ヨルダン国王フセイン・イブ・タラールは63歳で死去したが、その王位はフセイン国王の遺言どおりアブドラ王子(37)が引き継ぐこととなった。フセイン国王は元々アブドラ王子にはそれほど期待をかけることなく、弟のハッサン(51)に王位を譲るつもりでいた。しかし自分が余命幾ばくもない末期ガンとなって、やり手のハッサンに不信感を抱くようになる。この辺はアブドラ王子の巧妙な策略が側近を通じて国王にそれとなく伝えられたものと思われる。それには抜け目のないハッサンが邪魔になっていた欧米大国の思案も働いていたことだろう。坊ちゃん育ちのアブドラに入れ知恵をしながら、ハッサンは結果的に追い出される。アブドラのドラ息子ぶりは「スター・トレック」出演に大喜びしたことからも分かる。「宇宙人と渡り合えるくらいなら、複雑なアラブ外交も難なくこなせるだろう」と皮肉られている。これでヨルダンの運命は決まったようなものだ。
1977年、アリア王妃が飛行機事故で亡くなった後、フセイン国王はパン・アメリカン航空の元会長の娘リサ・ハラビーと再婚、ハラビーはヌール王妃として君臨することになる。それ以後、フセイン国王は急速に欧米諸国寄りとなっていく。湾岸戦争の際にもCIAに協力しては連合国側に肩入れしているほどであった。こうしたフセイン国王の変節ぶりの背後にはCIA、ヌール王妃、欧米大国の暗躍などがあったと思われる。まずもってヌール王妃がパン・アメリカン航空会長の娘であったという事実は、重要なキーワードとなるだろう。戦後の復興を位置づけたヤルタ会談において、チャーチル(Winston
S-Churchill)、ルーズベルト(Franklin Roosevelt)、エセル・デュポン(Ethel
du pont)に混じってなぜ「パン・アメリカン航空」の創立者コーネリアス・ホイットニィ(Cornelius
Whitney)がいたのかという謎は、彼らが皆同じ血脈で通じるファミリーであったという事実からでも解けてくる。パン・アメリカン航空の背景に連座する血脈という太いパイプが、ヨルダンのフセイン国王を呑み込んだように、アブドラ新国王も呑み込まれていくことは容易に推測できる。
ヨルダン王室写真
1999/02/17、水曜
日債銀への公的資金審査で、蔵相に検査内容を報告せず
- 金融監督庁の日野正晴長官は16日の衆院予算委員会の質疑で、昨年3月に日本債券信用銀行に対し、預金保険機構・金融危機管理審査委員会(佐々波楊子委員長=当時)が600億円の公的資本注入を決めた際、大蔵省は、松永光蔵相(当時)に「報告していなかった」と述べた。検査結果は委員会には報告されておらず、日野長官の答弁が事実だとすれば、唯一知りうる立場にあった松永蔵相までも、検査結果を全く知らずに日債銀への公的資金注入を決めていたことになる。
- 日野長官はこの日、木島日出夫氏(共産)の質問に対し、「(松永蔵相は大蔵省職員から、9月の検査について)報告を受けていない、と聞いている」と答弁した。また、「(蔵相は職員から)日債銀の関連会社の査定が甘いのではないかと報告はあり、それ(だけ)を踏まえて同委に報告した」と説明した。
- 問題の検査結果は一昨年9月に日債銀に示され、回収懸念がある破たん懸念債権が1兆1212億円と査定された。しかし、日債銀は同年5月以降「破たん懸念債権は7000億円」としていた。大蔵省も民間金融機関からの「奉加帳」増資を募る都合上、日債銀の数字を黙認していたのではないかとの疑惑があり、今国会の焦点となっている。金融危機管理審査委員会は大手など21の銀行への1兆8000億円の公的資本注入を審査・承認した。その際、大蔵省と日銀がそれぞれ申請行から入手した資料を点検し、これを受けて、松永蔵相と松下総裁が資本注入が妥当かどうかについて同委に報告する手順をとった。このため、大蔵省の検査結果などは同委には一切、報告されなかったとされる。
- 日債銀のデタラメぶりは今に始まったことではない。もう絶版になったと思うが高田茂登男著『恐るべき銀行』の本には、そのサブタイトル「日債銀・悪の構図」とある。最初に読んだときには信じられなかったが、内容はまさに悪の構図であり、そうした体質が今も変わらぬことへの憤りを感じざるを得ない。今回の公的資金審査報告を日債銀が蔵相に報告しなかったという事実だけでも、大蔵省と日債銀の馴れ合い癒着を示すものであり、検査内容を知らないまま公的資金導入を決定した蔵相の責任は重いものがある。国民はこれらを経済犯罪として大蔵省を訴えるぐらいの気構えがあっていいのではないか。一般社会では小銭を盗んだぐらいで逮捕されるが、こと政界では国民の血税を平気でバブル崩壊の張本人たる大銀行にジャブジャブ投入しても裁かれることはない。数字の単位を下げて見れば目も眩むというものだ。日債銀の不良債権額一兆云々の漢字ではなく、マスコミは数字の1121200000000円也で表現してほしいものである。日債銀に関してはあとでまとめるつもりでいる。
- クルド人がクルド労働者党オジャラン党首の解放をトルコ政府に求めて、世界で一斉に抗議デモに突入しています。
1999/02/16、火曜
元秩父セメント副社長の水田恭三氏が死去
- 水田 恭三氏(みずた・きょうぞう=元秩父セメント〈現太平洋セメント〉副社長)は、14日午前8時50分、心不全のため東京都足立区の病院で死去。84歳。東京都出身。自宅は文京区西片2の7の18。葬儀は20日午後2時から文京区向丘2の38の22の光源寺で。喪主は長男進(すすむ)氏。(時事)
- 秩父セメントは諸井恒平を創業者とする諸井一族で占められているが、その恒平の長女「三保」が大友家に嫁いで、大友家もまた秩父セメントの支配一族に加わる。その大友家の「治子」が、元日本石油社長「水田政吉」の息子「恭三」と結婚する。つまり、亡くなった水田恭三は、その妻「治子」を通じて諸井一族とは縁続きとなっている。さらに諸井ファミリーは永田家から婿養子を迎えたことから、渋沢栄一の家系である尾高家とも縁続きとなり、日本のエスタブリッシュメント(Establishment)として君臨する。
秩父セメントを支配する諸井一族
1999/02/15、月曜
- 発火寸前のインドネシアについては阿修羅さんが詳しいが、私も去年の5月に書いたインドネシアの情勢を振り返ってみた。インドネシア情勢と諜報機関のことを書いたが、背後で暗躍するCIAとKGBの動きが気になっていた頃の分析である。東チモールについても書いてあるが、ここで行われた拷問と虐殺についていずれ詳しいことを書きたいと思っている。まずは資料を集めたい。
現代の自動車界を支配する二大財閥とナチスの亡霊
- 先頃、ポルシェ(Porsche)の共同創立者ルイーゼ・ピエヒ・ポルシェが死去したが、戦争当時には自動車の天才設計者と言われていたフェルディナンド・ポルシェ(Ferdinand
Porshe)がヒトラーと共同でドイツ国民車をつくろうとしていた。その当時、やはりヒトラーと組んで軍用車を作っていたのが「アダム・オペル自動車」で、後にその一族ギュンター・ザックス・フォン・オペルがフランス往年の女優ブリジット・バルドーの3番目の夫となった。戦後、このオペル社はアメリカのゼネラル・モータースに買収されたが、そのアメリカが大々的に宣伝していたのがフォルクス・ワーゲンであった。つまりポルシェが果たせなかったドイツ国民車の夢がフォルクス・ワーゲンによって実現されていくのである。そうしたアメリカと共同歩調していたのがイギリスのロイヤル・オートモビル・クラブで、オペル社のハインツ・ノルトホフにフォルクス・ワーゲンの運営を任せるようになる。その背後には世界の自動社界を仕切っていたロイヤル・オートモビル・クラブの創設者レオポルド・ロスチャイルドがいた。
- 戦中のヒトラーのナチスとドイツ自動車の関係は、戦後の米英を代表するロックフェラー&ロスチャイルドという二大財閥の自動社界支配という図式になっていく。つまりヒトラーの夢がそのまま世界の二大財閥に引き継がれていったという図式ともなるのである。戦争当時、ドイツ・ナチス配下の企業に資金援助していた二大財閥を考えれば、連合国と敵対するドイツ・ナチスといった構図は崩れ去る。ドイツ国民車をヒトラーと共に作ろうとしていたポルシェ社は、戦後において会長Arno
Bohnのもう一つの役職がキーワードとなって再びナチスの亡霊が浮かんでくる。Bohnは同時に「ニクスドルフ・コンピューター社」の副会長でもあるが、その重役の椅子にはHerbert
Zappが座っていた。Zappは同時に「ドイツ銀行」の重役でもあり、鉄鋼会社「ヘッシュ」の重役をも兼務している。それを支配する「IGファルベン」こそ戦前戦中に世界の財閥が資金援助してきた化学トラストであり、それを利用してきたのがヒトラーであるとするなら、まさしくナチスの亡霊がよみがったとしか言いようがないのである。
関連
世界の自動車業界の合併動向
1999/02/14、日曜
- 少し模様替えしてみた。「黄金伝説めにゅー」の方も3DCGでアニメ表示を試みた。うまく表示されているかどうか、心配・・・今日は一日中ホームページの模様替えにはまってしまった。
1999/02/13、土曜
ロシア政界黒幕と大統領次女との盗聴記録を暴露
- ロシア紙モスコフスキー・コムソモレツは12日、大統領一家らを盗聴した疑いで関連企業が最高検察庁の捜索を受けたベレゾフスキー独立国家共同体(CIS)執行書記が、エリツィン大統領の次女タチヤナ・ジヤチェンコ大統領顧問らと交わした電話の盗聴記録を暴露した。ロシア政界の黒幕とされる書記が、自らを含めて脱税の恩赦をタチヤナ顧問に働きかけるなど、生々しい内容となっている。書記はタチヤナ顧問との親密な関係を利用して大統領府に大きな影響力を持ったといわれてきたが、その具体的な工作ぶりが表面に出るのは初めてだ。
【関連】
ベレゾフスキーの「クーデター計画」未遂事件
韋駄天・情報迷宮より
ロシアのユダヤ問題とスタロボイトワ暗殺の背景
上記参考「マカショフ作戦とベレゾフスキー暗殺未遂」
1999/02/12、金曜
- 1944年から45年にかけて、ユダヤ系ハンガリー人の多くはその財産をナチスに没収され、ブダペストからスイスの銀行に運ばれようとしていた。これらは『ハンガリーの金塊列車』と呼ばれ、その途中で再び高官などの略奪にあって行方が分からなくなっていた。しかし最近になってそれらの略奪品の大半はユダヤ機関のシオニスト団体に引き渡されたことが判明している。だが、その略奪品の所有権はユダヤ系ハンガリー人にあるのであって、元々彼らの財産でもある。シオニスト団体であるところのユダヤ機関が戦後、ナチスの略奪品返還を迫ってきた中で、その同胞たるユダヤ系ハンガリー人たちの財産を受け取っていたという事実はおよそ矛盾したものになる。なぜ今までその事実を隠してきたのか?という矛盾である。
シオニスト中央公文書館(CZA)の記録文書の公開によって明らかになったこれらの事実は、ユダヤ人というひとくくりにした同胞としての民族意識ではない、ユダヤ人社会の分離と対立構造を浮き彫りにしている。シオニスト団体が、ナチスと共謀していたスイス銀行に略奪品の返還を求める以上に、世界に散らばっているユダヤ系民族がその上層部シオニスト機関へ財産返還を求めるとは皮肉な図式である。
- 今年12月のマカオ返還に向けて黒社会の動きが活発化している。 復帰後マカオのカジノ利権を狙うマフィア
1999/02/11、木曜
- 今日の祝日に、やはり感慨深い我が家の歴史を振り返る。建国の祝日とは逆に火災になった厄日でもあるからだ。中学三年の私が逃げ遅れ、それを知った母が炎の中に飛び込もうとした、あの日・・・父は焼け跡に呆然と立ち尽くしていた。その両親も今は仲良く位牌となって仏壇に納まっている。私は生き残って、当時を振り返っている。紅蓮の炎は夜明け前の夜空を真っ赤に照らし、私はその炎の中で死を覚悟していた。あれは夢?いや、夢ではない確かな記憶が恐怖と共によみがえる今、私は自分の命をあることを感謝している。こんな時にでもなければ自分の命を自覚することなどはないだろうから・・・私は今日という日が火災にあった日でもあることを、これからも建国の祝日と共に思い出すのだろう。
1999/02/10、水曜
- 昨夜の『たけしの万物創世記・武器』は思ったとおりの内容であった。目新しいところでは無人機(UAV)、海のステルスと言われる「ラファイエット」、そして海に浮かぶピラミッド「シーシャドウ」ぐらいか。いずれもレーダーに写らぬよう工夫されている【追加資料・近代兵器カタログ】。しかし実際の新兵器はそんなもんではないだろう。何より電磁波兵器が何一つ紹介されていない。以前に一つだけデモ鎮圧に使用する波動砲が紹介されたことがあった。これも非殺傷兵器として安全性(?)が強調されていたが、実際には脳にかなりダメージを与える恐ろしい兵器である。もっともペンタゴンあたりが「安全な兵器」としているあたり最初から胡散臭い。兵器に安全も何もあったものではないだろう。要はより効率的に相手にダメージを与えることであって、人間の最も肝心なポイントである脳を制御不能にしてしまうことに集中されている。空軍で言えば、いきなり司令塔を破壊してしまうようなものだ。そのために戦闘機は使えないなくなって安全だと言うようなものであろう。しかも脳に与えられたダメージが回復不可能になるという点で、非殺傷兵器は通常兵器より恐ろしい兵器であることに変わりはない。見た目の外傷がないから素人目には安全に見える、という盲点を突いた兵器とも言える。
1999/02/09、火曜
- 今夜20:00〜20:54、テレビ朝日系列『たけしの万物創世記・武器』は必見。脅威の最新兵器、銃の心理学、武器が変えた歴史。レーダーに映らないというステルス戦闘機などハイテク兵器をCGを使って紹介。古来人間は道具を手にしたときから武器としても使ってきたわけで、現代は電子レンジなど兵器開発の段階で生まれてくる道具が多くなっている。コンピューターも戦争における弾道計算の過程で発展してきた。今夜の番組では最新兵器のどこまで迫っているかがポイントとなるだろうが、おそらく機密解除されたものに限られると思う。武器の心理学でいえば、むしろ兵器そのものが心理を狙い撃ちにする近未来が見えてくる。世界各国が大々的な兵器ショーを展開して売り込んでいる昨今、それが人を殺すための道具であるという認識を再確認する必要があるのではないか。最新のジェット戦闘機を『カッコいい』と思う心理にも危険が潜む。自衛隊の兵器ショーに家族同伴で訪れ、戦車の上に我が子を乗せて記念写真を撮るという、そんなスナップに日本の危うい平和が見え隠れしている。ベトナム戦争当時、日本に運ばれてくる使用済みの戦車を掃除したという人物の話を聞いたことがある。最初はキャタビラに絡まる人間の腸など内臓が絡まっているのを取り除く作業にご飯も喉を通らなかったというが、やがて神経が麻痺して平気になるそうである。何より当時としては1日2万円という破格の日当が魅力でもあったのだと言う。米兵の死体処理はもっと高かったそうだが、さすがにそれは出来なかったらしい。寸断された手足を整えるために別の死体のパーツと組み合わせて縫い合わせ、きれいに洗って防腐処置をして米本国に送るわけである。問題作を撮っている地元の某監督は、実際の戦場を自分の目で見たいがためにアフガニスタンまで行って体験している。戦車のキャタビラが兵士の死体の上を通り過ぎるときのバキバキという骨の砕ける音が忘れられないと言う。戦車の上に我が子を乗せて記念写真を撮る平和な(?)風景の、その戦車のキャタビラに人間を砕く血肉を連想する人は少ないだろう。銃器の引き金は人間の指が、その指の持ち主である人間の心が引く。そして放たれた弾丸は人間の肉体を貫通し、その人の命を奪う。その命を支えてきた家族の思い出を奪う。瞬間に訪れる死への驚愕、愛する者たちとの別離、その痛ましい心を覚知出来ないほど人間は麻痺してしまったとは思いたくない。銃の引き金に震える指の、その心の震えを覚知するなら、もはや武器などこの世にいらないのではないか・・・ひとりの人間の平和への祈り、その価値にこそ絶対性を認識すること、そのことでしか平和はやってこない、そんな気がする。
1999/02/08、月曜
- ここでは電磁波兵器の脅威を扱ってきたが、それらの全貌はペンタゴンなどの機密の厚い壁に閉ざされ、なかなかその真相は分からないところがあった。しかしその実用段階には少しずつではあるが公表もされてきている。非殺傷兵器などというまやかしの言葉を選びながら提示される電磁波兵器の実態は、それを知ろうとする人間もまた注意深く嘘を見抜く賢明さが求められているようである。合衆国の基本戦略であるところの「三つ組・triad」戦略の改変においても、その実際は恐ろしいものである。追加資料「アメリカの新戦略「三つ組」改変から導き出される真実もまた例外ではないだろう。
- 韋駄天さんのダボス会議の資料がまとまったようです。お疲れさまでした。で、早速メニューを作りました。目次を参照にお入りください。 ダボス会議・目次入口
1999/02/07、日曜
- 録画済みのビデオテープを整理している。タイトルを記録していないテープが約300本、以前はパソコンのデータベースに入力していたがそれも追いつかない。とにかくテープそのものに手書きでタイトルを記入することにした。このテープの山は私の好奇心の蓄積でもある。過去のテープを合わせると3000本は越すテープが埃をかぶっている。処理しきれないテープが部屋をひとつ占領してしまった。以前は三倍速で録画していたのでそれほど増えなかったが、パソコンで画像をスキャンするようになるとやはり標準速より劣化が目立つ。それで標準速で録画するようになってから三倍にテープが増加するようになった。こうなると情報整理に振り回されるようになる。タイトルの始めは「990112」というような日付を記入している。それから内容を記入する作業が延々と続くのである。家庭用ビデオカメラで撮った映像も多々あって、その殆どはなぜか母が写っている。それらをみんなまとめて大事にしてくれそうな親戚にプレゼントした。ビデオテープの中では生前の母がリアルに存在していて、見るのが苦痛になってしまったのだ。生前の父を映した8ミリフィルムもどこかにあるはずである。おそらく押し入れの奥深くに眠っているだろう。それでいいのだ、とも思う。良い思い出だけを心に刻み込んでいれば・・・
1999/02/06、土曜
- ヨルダン国王の危篤ですでに生命維持装置が外されたとの未確認ニュースも流れています。後継者としてはアブドラ王子がほぼ確定しているが、前皇太子の叔父ハッサンとの確執もあって混乱が予想される。国王が本当に皇太子にしたかったのはハムザ王子(18)だったが、まだハムザが若いのと王室継続の現実的な意味合いで叔父のハッサンを後継者にしていた。しかし余命幾ばくもないと知った末期ガンの国王はここにきて同族意識ゆえか、ハッサンを皇太子から引きずりおろして長男アブドラを後継者にした。ハッサンが国王になればその息子ラシド王子(19)が王位継承者となり、国王が本当に望んでいたハムザ王子が国王となることは不可能となる。とりあえず長男を国王にすることで同族の王位継承を図ったものと思われる。ヨルダンに関する資料を更新した。後で詳しく分析してみたい。
- ダボス関連資料追加= ダボスに運ばれたナチスの略奪品
1999/02/05、金曜
- 何とか「史実・黄金伝説」を復活させました。このシリーズは私の好奇心も手伝ってまだまだ続きます。
- 追加=
金貨710枚を渡された男、その背後のナチスと赤十字
1999/02/04、木曜
- コロンビアの地震で政府の配給が遅れ、市民の略奪の様子が放映された。数日の飢えに大人は略奪に走り子どもたちは「腹がへった」と泣きわめく。それとは対照的なのはアフリカ難民だ。彼らはひたすら飢えに耐え、痩せ細った子どもたちは親から与えられる僅かな食料を黙々と受け入れている。彼らの悲劇はそうした忍従ゆえの結果だとも言われている。自分より我が子へ、そして隣人へ・・・例外もあろうが、多くのアフリカ難民はそうして糊口をしのぎながら飢えに耐え、そして一気にバタバタと倒れてしまう。われわれ日本人が同じような極限に置かれたらどうなるだろうか?オヤツひとつで大きい小さいの兄弟喧嘩が始まり、モノを与えさえすれば黙ることを知っている大人たちは結果的にモノで子どもを黙らせているような傾向はないだろうか・・・かつてのオイルショックでトイレットペーパー不足のデマに踊らされ、争ってトイレットペーパーを求めた日本人の姿が全てを物語っている。北朝鮮では大人たちが食べ残す食べ物を、子どもたちが拾って食べている様子がテレビで放映された。怖ろしい世界である。そして私も例外なく、そうした子どもたちの困窮をテレビで見ながら、ビールなどを飲んでしまうのである。底なし不景気に喘ぐ最中に、長野オリンピック招致委員会が20億円にのぼる資金の使途不明金を追求されている。それに対し帳簿は焼却したと平然と言い放っている委員会の顔ぶれに恐ろしい権力の魔性を見る。こうした事実を語るだけで「自虐史観」だとする知識人まで現れている。日本民族としての誇りを持てと言う。しかし誇れる日本が今、どこにあるというのか?仮に誇れる日本をつくろうと考えるなら、まずは日本解体が先決となるだろう。汚濁に満ちた日本の支配構造を解体することなしに新生ニッポンの創生は出来まい。はじめに国ありきで、国策に異をとなえる声を封じ込めようとする動きが、このインターネット世界にも現れ始めている。過剰反応だとの反論も聞かれる今、かつて日本が辿ってきた戦争前の相克を思い出すべき時期に来ていると思う。これからやってくる未来が「いつか来た道」を辿ることで導き出される何かを示唆している。
(写真)難民の子どもたち・アフリカ編
&コロンビア地震と略奪
1999年度ダボス会議三人の主役
1999/02/03、水曜
- インフルエンザの死者が100人を越えた・・・去年の今頃は中国経由の新型ウィルスが話題になり、香港ではニワトリを大規模に処分する騒ぎとなったことが記憶に新しい。私もここで追って報告したものだが、結果的に宇宙空間に漂うウィルスに行き着いた。その是非はともあれ、もう一度検証する時が来たようである。
インフルエンザ状況1999年度
1999/02/02、火曜
- 昨夜は父の一番弟子の某老職人宅で痛飲してしまった。まだまだ現役と意気軒昂だが、なにせ仕事がない。老いを受け入れることを拒否しているような職人気質がかえって哀れ、現場では通用しなくなっていることにも気づいていない。病気も老いも人間には避けられないもの、永六輔の『子ども叱るな、いつか来た道。年寄り笑うな、いつか行く道』を思い出す。
1999/02/01、月曜
- 昨夜NHK教育テレビで放映された『ロレンツォのオイル・命の詩』は感動的だった。副腎白質ジストロフィーという難病の息子を抱えた夫婦が、医学には素人ながら治療薬を開発して多くの子供たちを救うという実話を元にした映画である。それは難病の子供を研究の対象にしながら遅々として肝心の治療が進まない、進めない医学界の障壁に矛盾を感じたゆえの行動でもあった。医学的に立証されなければ認定しないという医師と、「その間に死んでいく子供たちはどうするのだ?」という親たちの切実な願いの対立がこの映画のポイントでもある。こうしたパターンは癌治療の最前線でもみられる。『サイバーX・7号』ではオーストラリアの若い医師の卵が「誘発寛解療法」という画期的な療法で患者を救うことを見いだすが、やはりここでも医学界の権威が立ちはだかって封殺された事実が書かれてある。日本でも同様のことが起こっている。私は三年前に癌で母を亡くした体験から、癌の早期切除には危険な側面があるのではないか、という懸念が今も残っている。最近では、癌細胞は時期的に増殖が止まる場合がある、といった報告もなされている。ただし手術さえしなければ、化学療法をしなければ、という条件付きである。つまり自然治癒力が癌細胞をくい止める場合もあるというのだ。ところが現代医学では癌細胞はすぐ切除されてしまう。そうすると周囲の健康な細胞や幾重もの細い神経や血管も切り除かれてしまう。そのことの方が癌細胞より患者にダメージを与え、さらなる転移と増殖にも耐えられなくなってしまうというのだ。私の母は18年間、切開手術を繰り返してきた。最期の数年間は「レントゲンに写らなかった」という病院側の説明で、末期ガンと診断され、そして回復することなく死んでしまった。どこかおかしい?私のこうした疑問は今も消えることはない。癌細胞はある一定温度で死滅するとした温熱療法の開発医師に電話したこともあった。しかしそれも医師会の認証を得ていないという理由だけで研究の段階に留まっていた。漢方薬から抽出した成分を血清と混合して患者の免疫能力を高める療法がNHKテレビで紹介された時にも、私は京都大学のその医師に何とか連絡をとろうと必死になって探した。その若き医師は全国を飛び回っていた。やっと連絡がとれた時には「2000人もの患者を抱えて手が回らない。許してほしい」ということだった。私はその医師に誠意をみて、納得した。それは同時に母の死を受け入れることでもあった。こうしている間も癌で苦しんでいる人々がいる。そしてその大半は医師の言われるまま早期手術に踏み切っているはずだ。そうする前に少しでも事実を知ってほしい、と切に思う。躊躇することなく医師に質問し疑問をぶつけてほしいし、それを迷惑がる病院であれば別の病院を探すことも考えるべきだ。愛する人を亡くすことほど苦しいことはない。私は今でも思い出すことがある。深夜ひとり、三面鏡の前で手術の跡を見ていた母の姿を・・・その孤独と不安を。当時を振り返りながら、もう一度資料を整理してみようと思う。
どきゅめんと日誌・管理者宛
新アドレスdocument@mbf.sphere.ne.jp
旧アドレスgaziyaxc@sp.powernet.or.jp
旧アドレスは使えません