今月のリンク集
1998/12/30、水曜
来日外国人の「地下銀行」による送金約320億円を摘発
- 日本に滞在する外国人が本国にヤミのルートで送金する「地下銀行」による銀行法違反容疑事件が、この1年余りの間に全国で14件摘発され、送金額は検察庁に送検した分に限っても約320億円にのぼることが警察庁のまとめでわかった。送金先はアジアや中東の7カ国・地域にわたり、実際に送られた額は数千億円になると警察庁は推計している。来年3月、東京で開くマネーロンダリング(資金洗浄)対策の国際会議で実態を初めて公表する。
- 地下銀行で送金されるのは、不法就労に加え、パチンコ台の不正操作や薬物密売、旅券偽造、強盗、窃盗などの犯罪によって得た資金で、背後にアジアを舞台にした組織犯罪グループがあると見られている。送金先では、中国が最も多く、4事件で約159億9700万円だった。次いで、韓国が2事件で100億3800万円、タイが3事件で33億400万円、台湾が1事件で13億5700万円、フィリピンが1事件で7億円など。地下銀行は昨年6月、神奈川県警が国内で初めて摘発した。不法入国の中国人男性2人が、横浜市内の自宅マンションの一室を拠点に、携帯電話で送金依頼を受け、中国福建省の仲間にファクスで連絡。中国側で準備している資金から、指定された受取人に直接現金を届けていた。一方、国内では、外資系銀行の横浜支店に口座を開設。送金額に手数料を上乗せした額を振り込ませ、同じ銀行の香港支店に送金していた。手数料は0.5―1%。1995年12月―昨年2月の間に約126億円を送金していた。地下銀行を使うのは大半が不法滞在者。送金の際、金融機関の窓口で身元確認を求められるためで、逮捕者の中には、中国人密航あっせん組織「蛇頭」のメンバーもいた。
- こうした「地下銀行」には密航組織スネークヘッド(蛇頭)が深く関わっている。その蛇頭の配下には詐欺師集団が存在し、密航に欠かせないパスポート偽造などで稼いでいる。相場で言えばパスポート偽造5000ドル、ビザ取得代行1万ドルというところか。今回の地下銀行摘発で中継局となったのは福建省だが、ここには詐欺師集団の拠点になっているようだ。今から約10年前、1989年11月5日、福建テレビでは次のように報じていた。
- 「張南進を主犯とする十数名からなる詐欺団が、大量の委任状や契約書、十数個の印鑑を偽造し、海外での出稼ぎ労働者募集を名目に、福建省福州市台江区で詐欺を働いた。張は経済特区の厦門市に目を付けると『厦門華友工貿公司』の社長を名乗り、配下の人間を従業員に見せかけ、沸騰する出国熱を利用して『海外派遣労務者事務所』を設立した。わずか10日間で100人余りが詐欺にかかり、担保の30数万元を騙し取られた」
1998/12/29、火曜
- 広瀬隆著『漢方經濟學』光文社刊にはのっけから小渕政権の正体が暴露されている。
- 「小渕内閣じゃ、やがて八十にもなろうという末成瓢箪(うらなりびょうたん)の宮沢喜一が大蔵大臣になって、関谷勝嗣が建設大臣になった。この最悪の時代に、よりによって、最悪の総理大臣と最悪の大蔵大臣を選んだ。世間様は知るまいが、関谷の女房は、宮沢弘の娘婿の大蔵官僚、加藤家の出なんだ(注1)。労働大臣の加藤常太郎と縁続きで、加藤海運の社長一族だ。金を出す大蔵大臣と、金を使う建設大臣がこんな親近者でいいと思うか」
- 注1=「宮沢弘」は宮沢喜一の実弟(元広島県知事)、元衆議院議員の岸田正記の娘「玲子」を妻としている。弘と玲子の間に生まれた次女「直子」が大蔵官僚の「加藤秀樹」に嫁いだ。
- 「こんな見えない利権が裏にあって、宮沢一家の匙加減ひとつで公共事業の予算が組まれたんだ。宮沢が就任するなり、来年度予算では、今年度予算の11兆3000億を上回る公共事業費を組み込めと、あいつが大蔵省の官僚に指示を出したのはそういう話なんだ。そのため特別枠を作って、11兆6000億の概算要求基準を作ったのが、建設省がダムの一つや二つの建設をとりやめたって、最後はこの予算総額が日本を動かすようになっているんだ。しかも関谷の親爺といえば、造船疑惑の収賄で有罪のくせに、うやむやにした関谷勝利だ。交通部会長のあと大阪タクシー汚職がばれて、収賄容疑で有罪判決を受けたが、最後は仏様になって控訴は棄却された。自民党を離脱したあと東京産業廃棄物処理事業協会の理事となったが、あれはもともと愛媛の船会社の親方あがりだったからだ。戦前は土建会社の社長だった男で、松山港湾荷役作業の社長もやっていた。首都圏で土建屋が出す山のような産廃を一手に引き受けた協会の親分だ」
1998/12/28、月曜
- 「宮沢は、あいつのポカンと口をあいた顔を見てると、頭ん中まで蠅が出入りしているんじゃないかと思いますよ。あいつの口が金融恐慌の原因をつくってきたんだ。『税金を投げ込まなきゃ長銀は破綻する。そうすると日本から全世界に金融恐慌を起こしかねない。』なんて平気で喋ってきた。長銀が潰れたぐらいでは何も起こらない。恐慌とはカネがなくなることじゃない。関連会社に倒産が出ても、それは全部不良経営の会社であり、当然のことが起こるにすぎない。恐慌とは根も葉もない噂が原因であり、その噂を、こともあろうに大蔵大臣が国会で堂々と広めるんだから、この男が金融恐慌の火元なんだ」(広瀬隆著『漢方經濟學』68〜69頁「二・大恐慌迫る」)
- このことは宮沢喜一大蔵大臣の閨閥を調べることで氷解する。私は十年前に佐藤朝泰著『閨閥・日本のエスタブリッシュメント』という一冊の本からそのことを知って唖然としたものだった。ここには「第七章・政界の実力者、ホープたちの係累」と称して宮沢家が紹介されている。それから十年後、広瀬隆氏の『私物国家』によって日本が一握りの為政者たちによって私物化されていることが証明されるわけである。その頂点に位置するのが宮沢家でもあり、政財官界を満遍なく覆う指導的立場の人物たちの大半が同じ血脈に属するファミリーであることも系図によって明記されている。宮沢大蔵大臣が60兆とも70兆ともいわれる国民の血税をジャブジャブ大手銀行やゼネコンに投入する時、『この人は国民の困窮をよそに、諸悪の根源たる大手だけを救おうとしているのではないか?』という素朴な疑問を国民に抱かせてきた。マスコミはこうした政府の横暴に一応嘆いてはみせても、確たる証拠をもって彼ら日本のエスタブリッシュメントを追求したことが一度だってあっただろうか?日本を牛耳る一族の全貌を解明することなしに、事件の表層を撫で回すこれまでの報道のあり方も一新すべき時が来ている。これらがれっきとした経済犯罪であることを、まず確認すべきなのではないか。否応なく取り立てられる税金が、国の経済を破綻の淵に追い込んだ張本人のために浪費させられるほど無駄なことはない。これを声を大にして犯罪だと、国民が政府に向かって抗議の声をあげる時、はじめて彼らは心底から罪の意識に打ち震えるだろう。かつて勤労奉仕を強要し、若者を戦場に送り出しながら、裏では算盤を弾いてきた一連の構図がここにきてまた復活している。権力の魔性に魅入られた者たちの連綿たる圧制の歴史に終止符を打つためにも、殺されたくない、殺させない、殺さない、人間としての当然の生きる権利を固持して進むしかない。我々が政府に「税金を返せ」と抗議して返ってくる返答を予測する時、この国がどれほど犯罪的か明白になるだろう。経済的な困窮がいずれ命の悲鳴となって蔓延する時に至っても、この国が動かないのであれば、それは政権交代などという生易しいものではない国民による国民のための政府樹立が必要とされることでもある。
1998/12/26、土曜
- 「キツネ目の男」でお馴染みの宮崎学氏が取り組んでおられる『タイ偽ドル事件』の裁判も、そろそろ大詰めに入ったようである。この事件がアメリカのでっち上げであることは経過を辿れば明白であり、ために獄中生活を送る羽目になった田中義三、児玉章吾の両氏の苦衷はいかばかりかと察するに余りある。詳細は「キツネ目の男」のホームページに書かれてあるが、このたび児玉章吾氏の切々たる心情を綴った手紙も紹介されており、つい目頭が熱くなった。会社が傾きかかっている今、援助らしいことは何もできないが、一日も早く無罪放免となって戻られることを祈りたい。来年は会社にとっても節目の年、存亡をかけての正念場の年になろう。父や母の汗と涙の軌跡が滲んでいるこの会社も労苦の継続があったゆえに存続してこられた。タイでの裁判もここまでやってこられたのは、無罪を信じる支援者たちの努力の継続以外のなにものでもないだろう。私もそろそろ動き出そうと思う。
1998/12/25、金曜
- 年末スペシャルということか、昨夜のテレビでは芸能界の大御所が登場して自分の関係した女性の数を自慢げに暴露することで終始していた。爆笑に次ぐ爆笑、やりまくった自慢話がこれほど人を喜ばすとはスポンサーも鼻高々であろう。クリスマス・イブは何でも許されるかのように、大らかな日本人が浮かれている・・・何かちぐはぐなんだよ。底冷えする景気を笑いで払拭しようとするテレビ制作側の意図もあるかも知れない。しかし笑いにはそれなりの質というものもあるだろう。このことは以前にも日誌に書いたので再び引用する。
- 最近のテレビ番組に絶望を覚えるのは私ばかりではないはずだ。若いタレントが互いに頭をこづきあって大笑いしている。アメリカの『ニューヨーク・タイムズ』はそんな日本のテレビ番組を見事な言い回しで批判してくれた。「一列に並んだ数人の若い女性が乳房の間にアルミの空缶を挟んで、誰が最も早く缶を凹ますことができるかを競う。アメリカの数多くのテレビにも『バカ番組』はあるが、これほどクレージーでゼーニー(究極のバカ)で、絶望的にイネイン(空虚)なものはない。我々の知っていた、あのシリアスな日本人はどこへ行ったのか」これを受けて「週間新潮」ダイジェストでは「この批判の感覚こそ『安全装置』であり、日本のテレビ界は、根本的に批判能力を欠いている点で『底が抜けている』のである」と結んでいる。何も言う必要はあるまい。日本のマスコミはそれを承知しているだけに絶望的なのだから。
- むろん私は笑いを否定するつもりはない。むしろ人間にとって笑いは必要不可欠なものだ。戦場と化したボスニアの廃墟で、廃材を燃やしながら暖をとり、その絶望的な状況を救ったのは互いに交わす冗談であり、笑いであったという。いつ殺されるか分からない不安の中で、彼らは互いに身を寄せ合い、談笑することで心に暖をとっていた。日本の場合、テレビから流れる笑いの渦はそれらとは全く異質であり、ナンセンスで空虚な場合が多い。それは時に嘲笑であったりする。何十年も会わなかった恋人や親に再会した時のような、懐かしい笑顔が、普通に笑みこぼれることができたら、と思う。両親を亡くしてつくづく思う。一瞬一瞬の出会いが懐かしく、そう思えることがどんなに幸せであることか・・・我々は赤子の無邪気で屈託のない笑顔にそれを学ぶべきかも知れない。
1998/12/24、木曜
- 16日に開始されたアメリカの『砂漠のキツネ』作戦その四日間の攻撃を少し振り返ってみたい。その一つの目標であるバスラ精油所は出荷ターミナルが爆破されたという。ここはハンマール湖畔に面して空軍基地もある。ここを基点としてファオまで石油パイプが伸び、そこからペルシア湾へと石油が運ばれれていくルート、二つ目はバクダット経由でトルコへ向かうルート、それに並行してシリアとヨルダンに向かうルート、そしてサウジアラビアに向かうルートなど石油パイプラインが拡散して伸びている。そのパイプラインの基点とも言うべきバスラに、ペルシア湾に待機するエンタープライズなどの空母からF/A18ホーネットやF14戦闘機が、ディゴガルシア基地から飛び立ったB52爆撃機がそれぞれトマホークを発射している。インド洋上のイギリス領ディゴガルシア島の基地には2000〜3000ポンド相当の弾頭が準備されていた。そして彼らの最大の目標であるバクダットへはクウェート、バーレーン、オマーン、アラブ首長国連邦、サウジアラビアなどから米英両軍が発進して総攻撃をかけている。総じて70時間に及ぶ『砂漠のキツネ』作戦は1000回の有人爆撃と巡航ミサイル400発でイラク領内の約100の標的を攻撃したと発表されているが、これらはアメリカ側の一方的な発表であって、今後の情報を待って分析したほうがいいだろう。彼らが言う「目標は軍事施設に限られており、一般市民への被害は最小限にくい止めた」とする弁解も後にはっきり証明してもらいたいものだ。あるイラクの男性はバクダットの中心部を歩いていて被弾、病院で左足を切断されている。
1998/12/23、水曜
天皇誕生日
1998/12/22、火曜
- 13〜15日にかけて書いた「ジョン・ダレスとボッシュ社」に関連して、ニューズウィーク誌10月14日号の巻頭に「鉄鋼王のお宝をバーチャル展示」という短い記事が載っていた。これは鉄鋼王フリックの遺族がインターネットで邸内の美術コレクションを展示するというもので、ニューヨークでも人気の美術館の一つに数えられているらしい。サイトはここhttp://www.frick.org
- アメリカでは自動車部品メーカーとして知られていた「ボッシュ社」も戦時中のドイツでは兵器の代名詞でもあったように、この「鉄鋼王フリック」もただものではないだろう。「フリック鉄鋼コンツェルン」を支配していたフリックは、同時に「フェルトミューレ・ノーベル社」も支配していた。この会社は社名が示すとおりダイナマイトを発明した爆薬メーカー「ノーベル・トラスト」の子会社である。この事実は鉄鋼王フリックもまた戦争ビジネスに参与していたことを証明するものであろう。またフリックは「ゲルゼンキルヘン鉱業」も支配し、かつ「シャルロッテンヒュッテ社」の社長も兼務していた。「ゲルゼンキルヘン鉱業」はやはりドイツの「鉄鋼王テュッセン」によって、1926年に「ライン鉄鋼」と「テュッセン社」と共に合併されている。元々「テュッセン社」は兵器産業としての傾向が強く、フランスの「シュネーデル兵器」とも提携していた。これをフリッツ・テュッセンが『合同製鋼』にまとめあげ、ドイツ・ナチスを支援する一大兵器産業を形成していくのである。そのテュッセンもまた膨大な美術コレクションの持ち主であり、美術館を運営しながら、その美術指向は後にハリウッド女優へと向かいテュッセン男爵として浮き名を流していくことになる。テュッセンのスペルはFritz
Thyssenだが、同じ美術品嗜好と鉄鋼王という類似性をもつフリック(Frick)とは戦争ビジネス仲間であるだけでなく、スペルの類似性Fritz&
Frickからも先祖を辿れば同族となる可能性もある。
- またフリックが社長を務める「シャルロッテンヒュッテ社」の会長はフェーグラーだったが、彼は『全ドイツ工業連盟』の創立者でもあった。同じく同連盟の創立者にして総裁のデューズベルクはIGファルベンの創立者である。さらにデューズベルクは初期「ボッシュ社」の社長でもあり、ここに大きな輪が完成する。テュッセンが鉄鋼王として兵器をつくり、IGファルベン社が爆薬をつくると、それら工業界から資金を集めてヒムラーに手渡したのが銀行家シュレーダー男爵であった。ドイツを戦争の地獄に引きずり込んだ二人の男爵、テュッセンとシュレーダー男爵はその血塗られた手をもって現在もその一族は大富豪として君臨している。ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』にはそのシュレーダー男爵の名前も登場する。こうした背後の実態を加味して映画を見れば全く違った感想を抱くことだろう。
1998/12/21、月曜
- 「鳥がまた帰ってくると、ああ春がきたな、と思う。でも、朝早く起きても、鳥の鳴き声がしない。それでいて、春だけがやってくる・・・」【レーチェル・カーソン著『沈黙の春』新潮文庫「八・そして鳥は鳴かず」119頁】
- 国道沿いにある私の家はダンプが通るたびに微震がする。障子戸がカタカタ音をたてると、知らない訪問客は地震だと勘違いして驚いて立ち上がったりする。慣れとは怖ろしいもので、そんな様子を見るのが楽しみにしている自分がいたりする。しかも本当の地震でもダンプの振動と間違えてしまうのだから始末が悪い。それでもここは片田舎のこと、鳥たちはひっきりなしに小さな庭を訪れている。以前には米をまいて鳥を誘き寄せていたが、工場の中にまで入り、お客さんの自動車に糞を落とすようになってから止めた。鳥たちを観察していると、彼らが巧みに鳴き声を変えて交信しているのが良く分かる。食べ頃の果樹を見つけると、鳴き声で仲間を呼び寄せるのである。イチジク、柿、キウイ、ビワの実など、数少ない我が家の果樹も鳥たちにとっては貴重な食料源であるようだ。赤いナンテンの実を口にくわえて飛び立つ鳥などを見ると、なぜか嬉しくなってしまう。裏山に帰っていくその鳥に感情移入すると、腹を空かしている我が子に早くナンテンの実を食べさせたい親鳥の、その心が伝わるかのようだ。俯瞰して見下ろす鳥たちの視点で人間社会を見るとき、自然破壊も一目瞭然なのだろうと思えてくる。山の頂から町を眺めると、そこには黒いベールのようなスモッグが幾重にも重なって沈殿しているのが見える。あんな汚いところに住める人間が不思議なくらいだ。もっとも汚いからこそ人間が生きていけるのかも知れない。北欧の世界に誇る透明度をもつ湖には一匹の生物も存在しないと言う。あまりに透明すぎて、餌となる生物すら無いからだそうだ。何より人間社会はその構図において腐りきっている。国民の血税を我がものとして利権をあさる一連の指導者ドブネズミこそ、この腐臭ぷんぷんたる汚泥社会にうってつけの生物ではないか。彼らは国民を食い物にするドブネズミである。しかしながら本物のドブネズミはもっと謙虚である。彼らと一緒にするのはドブネズミに失礼であった。ある早朝の国道に鳥の死骸を見た。夕方にはもうその死骸は消えていた。絶え間のないタイヤの走行に、鳥の死骸はアスファルトの道路に刷り込まれて無くなったのだった。
- 今朝のタンクローリー車事故は橋桁から落下したもの、昼のニュースで無惨に破壊された様子が放映された。運転席にいた二名は意識不明で病院に搬送されたようだが、その一人が妹の同級生らしい。現場付近には私の知人も数人住んでいる。詳しい話を聞けるかも知れない。
1998/12/20、日曜
- 昨夜、NHK教育テレビで『沈黙の春』の著者レーチェル・カーソン女史の生涯を放映していた。私も以前に女史の文庫本を買って読んでいた。かなり化学的な専門用語も出てきて難しかった記憶があるが、彼女自身が学者で博士号を取得する寸前まで研究していたことを知り、それゆえに農薬会社の激しい抵抗にあったことを納得したものだ。「化学物質を投与することは自然のバランスを崩すことであり、虫や微生物を殺すことでいずれは人類そのものが殺されていく」とするレーチェル女史の警鐘が的を得たものであることは、昨今話題になっている環境ホルモンでもそれを証明してくれる。しかし人間社会にはどこまでもエゴが付いて回るようである。この前、京都で開催された学会において「化学物質が環境ホルモンの原因だ、などということはデタラメである。研究者たちは大袈裟に危機感を煽っている」として化学会社は強く主張、これに学者たちは「微量な化学物質でも環境ホルモンの害が人間に及ぶことは実験でも確認された」として反論している。このことは女史と会社側の論争と全く似通っている。あれから70年余も経た今日、極北のアザラシにもPCBが検出されるに及び、人類は世界的な規模での汚染にさらされている。母親の母乳からはダイオキシンが検出され、それでも深刻な事態を受け止めようとしない現状は、そのまま未来の悲劇を甘んじて受け入れることを黙認したことにもなる。プルトニウムの安全性を強調するあまり、子供たちにアニメで「プルトニウムは飲んでも大丈夫」と教える大人たちがいる限り、人類の未来の破局は約束されたものになる。小賢しい専門用語はいらない。天国と地獄の未来選択に、我々がどちらを選ぶかだけである。目先の利益に未来の展望を失い、わずかなエゴの達成のために地獄の未来を選ぶようであれば、人類は間違いなく破滅する。それはダイオキシンの猛毒以上に、精神を汚染するうえで猛毒である。母親の乳房にすがりつく屈託のない赤ん坊の未来が、その乳房の中に含まれるダイオキシンによって打ち砕いてしまうことを母親自らが自覚すべきだ。それは子供を育むはずの母性そのものがダイオキシンに汚染されていることを自覚することにもなる。芝居がかった演説だけが人類を突き動かすのではない。かけがえのない命のことを隣人と語り合う日常の波紋によって、それは達成される可能性だってあるだろう。レーチェル・カーソン女史の生涯を辿ることでも、我々人間の本当に成すべき道を示唆してくれている。テレビ番組からそのまま文字に起こしてみたい。以下、レーチェル・カーソンの生涯。
1998/12/19、土曜
- この日記が表示されている頃には新プロバイダに引っ越していると思う。以前よりは表示が速くなっているはずだ。装飾を施そうとも思ったが、ソフトを買うだけの余裕がない。それよりも内容を充実させたい。本だけはかなり読んできたと自負していたが、振り返ってみるとざっと目を通しただけで埃をかぶっている本も多いことに気付く。必要な本は手元に置いてあるが、山積みになっている。ちょうど自分の周囲に本の垣根をつくっているような光景だ。時として調べたい本が下の方にあると、取り出す時に崩れてしまうことになる。整理しない乱雑な本の有様は、自分の頭の中も整理されていないことでもある。それでも、あまり理路整然としない方がいいのかも知れない、と思うこともある。答を急がない、カオスそのままに暗中模索していくことの大切さに気がつき始めている。会社などの団体、宗教などといった組織をできるだけ遠ざけたい気持ちが強まっている。属性を切り離すとでもいうべきか、囚われない自由のありようを最近とみに考えるようになった。それは決して勝手放題を意味するものではない、自己責任においての自由のことである。このことは生涯考え続けていくことになるような気がする。
- 何とか新プロバイダに引っ越しできそうである。細々とした設定をクリアするのも神経が疲れる。ファイルを動かしているうちに、いくつかの映像ファイルが行方不明になってしまった。焦るまい、と思っても、どこかで焦ってしまう自分がいる。なぜか?テスト時間切れ間近の焦りに似ている。あれは数学のテスト、苛立ちのまま何もかも投げ出したくなって白紙で出したことがあった。がんじがらめの受験勉強、紙切れ一枚で価値が決定されてしまうことの理不尽さ。あの頃、私は親や教師の説得を振り切って走り出した。しかし実社会でも学歴差別が厚く立ちはだかっていた。あまり思い出したくない青春期、その鬱積がまだ起爆剤として私を走らせているような気がする。
- 朝、誰かがラーメンの入った大きな箱ふたつを置いていった。誰だろう?あっちこっち問い合わせても分からない。配達を間違えたのかも知れない。妹が箱ひとつ喜んで持ち去った。私もクリスマス前のプレゼントとして有り難く受け取ることにした。
1998/12/13〜15日
ジョン・ダレスとボッシュ社
1998/12/08,火曜
2000年、コンピューター暴走に備えて避難せよ
- コンピューターが西暦を認識できずに誤動作を起こす「2000年問題」、プログラムの修正は結局間に合わず、2000年と同時にパニックが始まる。その時にどんな事態に陥るか?専門家の意見も一致しない不確かさから、人々の不安をよりいっそう駆り立ててサバイバルビジネスは大繁盛である。小麦粉や砂糖のまとめ売りを行うウォルトン・フィード社は売り上げが倍増、汲み取り式トイレやソーラーパネルを販売するジェード・マウンテン社のホームページは一週間に20万のアクセスがある。「災害の達人」「質素なサバイバリスト」といった関連サイトも189にもなっている。
- ミシシッピ州の片田舎には36ヘクタールに及ぶ会員制の秘密の避難場所「セーフ・ヘブン」がある。敷地内にある181の井戸からはパイプが敷かれ菜園や飲料水として利用されることになっている。やがては発電機も備えてテレビやビデオも見れるようになるという。これらは危機感を感じている一部の人たちだけの特異な例ではなく、ごく普通の人々が非常食を買い漁っているところが特徴的である。それを煽るように「2000年問題ビジネス」も繁盛しているというわけである。こうした現象に南部貧困法律センターなどは「2000年カオス」と題したリポートで、民兵組織やネオナチなど右翼団体が危機感を煽ることを恐れる司法当局の様子を詳細に伝えている。(ニューズウィーク誌・12月9日号52〜53頁)
- 司法当局が危機感を抱くまでもなく、ニューヨーク市場の異常な株価だけでアメリカは充分に危機的状態に直面している。いつ弾けるか?いつ暴落するか?その時期が必ずやってくるという予兆を感じながら、2000年問題がトドメを刺すかのように待ちかまえている。最近NHKで連載放映されている『マネー革命』では投機的ブームの危険を暗に示唆しながらも、大筋では世界金融システムの根本的な矛盾点には何ら触れることなく、コンピューターによるプログラム売り買いで成功した例を紹介している。まるで投機に失敗したのは人間のミスによるものであり、コンピューターの指示通りにしていれば安全であるかのような印象を与えている。私にはこれほど危険なことはないように思えて仕方がない。世界中で同じように動作しているプログラムが、かえって時期を同じくして市場を破滅的な状況に追い込むような気がするのである。そこに人間の介在がないだけに、いったん破綻したその責任は誰にも問えなくなり『コンピューターが悪いのだ』と、機械に向かって呪いの言葉を吐き捨てる近未来が見えてくる。その時、多くの大衆もまた直接の原因も分からず、ひたすらパニックに陥るしかないだろう。かくして呪われるべきはコンピューターなのだと、そのコンピューターのプログラムを作った人間のことも見えなくしてしまう。そのために「2000年問題」が用意してあったと、後で気付くことになっていてもおかしくはない。そろそろソロスは(うむ、ダジャレになっている)「日本を筆頭に世界は景気後退に入る」と言いだし始めている。ロシアでの失敗がよほど応えたのか、何を今さら、である。さらに言えば先の『インフォメーション作戦統合ドクトリン』もまた「2000年問題」にむけての準備であってもおかしくはない。
- 昨夜は友人や同業者に電話をかけまくった。「何とか仕事がほしい」という私に一件だけ色好い返事、後で私はまだ松葉杖のお世話になっていることに気付いた。たた・・・どうしよう?歩けないことはないが、筋肉が萎えてリハビリの最中ではないか。おっちょこちょい、面目もない私は焦りに焦っていたのだった。台湾が好景気ということで「台湾に行くべ」と仲間を募ったりもしていた。「『ニーハオ』しか話せないのにどうすんの?」なんて言われた。それより足を治すのが先決だったのね。今日はCD−Rの注文と引っ越し先のプロバイダに申込書を送る予定。何より11月分の日計表をパソコン入力せねばならん。今週中には歩きたいけど、焦るべからず、呑気でいこう。
1998/12/07、月曜、雨
- 今『軍縮・1999年1月号』が届いた。ここにインターネットそのものを攻撃しようとする米統合参謀本部の『インフォメーション作戦統合ドクトリン』の記事が載っている。この作戦のタダならぬ危険性は以下に読んでのとおりである。これは人類への宣戦布告とも受け取れよう。
大量破壊兵器としてのコンピューター
- 10月9日、米統合参謀本部議長ヒュー・シェルトン陸軍大将(Gen.Hugh
Shelton,Chairman of the Joint Chiefs of Staff)は、『インフォメーション作戦統合ドクトリン』(Joint
Doctrine for Information Operations)なる文書にサインし、あらゆる地域指揮官にこの文書が配布されることになった。この文書の狙いは「攻撃的コンピューター戦争」の仕掛けである。これはこれまでの軍事力を上回る「破壊力」を社会全体の上に行使することの宣言である。武力攻撃を行う以前に目標国のコミュニケーション・センターを無力化してしまうように総合的「コンピューター・ネットワーク攻撃」を実施する。このことを隠すことなく、世界に向かって宣言した意味を我々は軽視してならない。これは単なるインフォメーション作戦を超えた「大量破壊兵器」(a
weapon of mass destruction)であり、強力な指揮・統制(command
and control)ソフトウェアと結びつき、当を得た教育・訓練のもとに準備され、執行されることになれば、究極的には「国の破壊」を招来させることも可能になる。こういう作戦が平和時にも危機の初期段階に投入されることになる。換言すれば、あらゆる「戦闘空間」(battlespace
)のあらゆるレベルで、戦略的、作戦的、戦術的にこのドクトリンが適用されることとなる。この新「統合ドクトリン」は、秘密部分を除きインターネット上に公開されており、目標指向の内容を知ることができる。以下、そのアドレス。
- http://www.defensenews.com.
- DefenseNewsOnline,NewsLinks,Defense
Technical Information Center
- 以下、プロバイダへの苦情ほか
- プロバイダに電話する。「どういうわけか?」というわけである。やはりハードの問題らしい。「回復させるためにハードを取り換える」と言う。「いつになるのか?」と問うと言葉に詰まっている様子「緊急の場合は試してほしい」と、ふたつばかり新たな番号を教えられる。謝罪はない、そしてそのことの方が問題となる場合が多い。『お客に迷惑をかけた』という気持ちがあるなら、まずは謝罪すべきだろう。以前に掲示板が設置してあった時には苦情が殺到していた。ところがプロバイダ側がいつしか掲示板を外し、そのまま今日に至っている。このことは暗に『苦情は受け付けない』という意志を表明したことになりはしないか。開かれたインターネットも、プロバイダの旧態依然とした殿様商売を続ける限り、いずれ淘汰されるだろう。これは私自身への自戒でもある。働く人々があっての会社であり、ある意味で長たる者は働く人々に奉仕する役割をもつ。しかしそこにもまだ問題が生じてくる。これまで同業者の様々な対話の中で考えたことは感謝ということだった。感謝されて当然だという傲慢な気持ちが出てくることもある。苦しい経営環境の中でリストラを当然のように敢行する社長がいるかと思えば、何とか借金しても従業員の生活だけは支えたいとする経営者もいる。そして本当に困っているのは後者の方なのだ。ある現場で給料が上がらないと愚痴をこぼす職人がいた。「仕事も少ないようだし、俺はいつ辞めたっていいんだ」とプロ意識を剥き出しにしている。私はそこの社長をよく知っていた。それこそ身を削るようにして金策に走り回り「従業員を路頭に迷わせたくはない」と頑張っていた。私はその社長に「あんたが思っている以上に、従業員は感謝してないかも知れないよ」と忠告したが、その社長は頑として譲らなかった。素晴らしい社長だと私は尊敬した。そしてある日、社長が倒れた。自信満々だった職人は今、無職のまま路頭に迷っている。中で何があったか知らないが、およその見当はつく。これ幸いに見切りをつけようとした職人は、実際には見切りをつけられたのだ。何処の業者を回っても就職できないその職人は見限られたのだ。そして黙々と働いてきた職人だけが会社に残った。彼らは動けない社長のために自ら慣れない外交までして仕事を取ってくる。成るようにして成った例である。
- 世間は実績だけで会社を評価しがちだ。伸びる会社があれば人は黙って集まってくる。しかしいったん会社が傾きかけると、人は蜘蛛の子を散らすように離れていく。私の会社も父が他界して以来、そうだった。ために心労のあまり母も倒れた。それでも母は死ぬ寸前まで帳簿をつけていた。その数字は今も歪んで確認さえできないが、私はそこに母の会社にかける執念を見てとっている。しからば私は何と親不孝で傲慢な男であったかと、自責の念に苦しむ毎日である。先の見えない底冷えのする不景気の中で「父よ、母よ」と亡き遺影に手を合わせ、会社存続の危機に新たな方向転換の願をかける。起死回生だと信じていても、逆風はその信念さえ揺るがしている今、孤独だけが身に染みる。夢が無いなら夢をつくりたい。人生が短い夢であるなら、その夢を自分でつくって見てみたい。MZ80Kの赤いブリキのカバーを取り付けた瞬間に感じたあのワクワクした思いは、今も変わらない。
- 父が建築の仕事に携わる一方、車輌分野に足を踏み入れようとした頃のことだった。それまで付いてきた職人たちが一斉に反旗をひるがえしたのである。みんなが離反していく中でも父の信念は固かった。そしてあの火災である。全てが燃え、消滅し、その後、父は倒れ生死の間をさまよった。しかし奇跡的に生還した父は、その夢も蘇っていた。何もかも火災で失ったかのように思えた時でも、父の心の中で夢はまだ燃え続けていた。夢とはそういうものであろう。父の夢にかける思いを理解できる今、その父はどこにもいない。そして今も、車輌分野だけは残っている。父の先見の明が今の会社を救っている。しかし今年、大手の改変で建築の仕事が完全に消滅してしまった。父が方向転換した時のような逆風が吹き始めている。深夜ひとり事務所でボンヤリしていた父がポツリと言った言葉「経営者は孤独なんだぞ」・・・その言葉が今の私には珠玉となって響いている。『どうせ一度はあの世とやらへ、落ちて流れて行く身じゃないか』父の好きだった「流転」の歌詞とダブって、火災でも消滅できなかった父の夢のことを考えている。
1998/12/06、日曜
- さっき加入中のプロバイダ、パワーネットへの苦情を書いたが、ちとキツイかなと思ってやめた。ところが今もって回復しない。土日ずっと落ちたまま、さっき一度だけ回復したのみ、また落ち続けている。考えるに、ちょっと様子を見に会社に立ち寄った従業員が、落ちていることに気付いて回復させたんだと思う。ところがそのまま帰った後、再び落ちた・・・今度は明日出勤した後でなければ回復しないだろう。
1998/12/05、土曜
- 先頃暗殺された人権擁護運動家ガリーナ・ストロボイトワ女史は、1980年代後半の反体制運動家アンドレイ・サハロフとも活動を共にしていた。11月20日深夜、スタロボイトワは自宅アパートの階段の踊り場で、待ち伏せしていた二人組に射殺された。犯人は補佐官にも重傷を負わせ、現場に堂々と銃を残して立ち去った。彼女は最近、市当局とマフィアの癒着を追求していたが、それが命取りになったようだ。サンクトペテルブルグで行われた葬儀には凍てつく寒さの中で数千人の人々が何時間も立ちつくしていた。ウラジオストク市長のビクトル・チュレプコフは「政治が民主主義を守ってくれるという国民の信頼は、スタロボイトワとともに失われた」と感情もあらわに弔辞を読み上げた。エリツィンがスタロボイトワの訃報を聞いたのは、肺炎を患って入院中のモスクワ中央病院だった。
- 彼女の暗殺以前からロシア政界には不穏な空気が漂っていた。10月にはアルベルト・マカショフ共産党議員が「ロシアの経済危機はユダヤ系住民のせいだ」と捲し立てると、ユダヤ系出身のプリマコフ首相はマカショフの暴言に強い調子で非難していた。こうしたムードに勢いづいてきたのがロシアの右翼集団だった。ネオファシズムのロシア国民統一党(RNU)は、来年12月の議会選挙までに数十人の候補者を立てると宣言した。「国民はユダヤ人銀行家の独占に抗議している」とRNUのセルゲイ・ワシリエフは言う。99年の選挙ではシュガーノフら主流政治家が、極右勢力の主張を取り入れる懸念がある。プリマコフ首相はこうした事態を重くみて「『国民愛国戦線』が非常事態宣言を呼びかけたときには、『政治的過激派』の犯罪を取り締まるため、必要とあらば治安部隊を出動させる」と応戦している。
- 西欧文化の影響を受けてきた美しいサンクトベテルブルクの街は、実際にはマフィアが牛耳る暗黒街と化している。スタロボイトワという精神的支柱を奪われた改革派議員たちは「これは挑戦状を突きつけられたと同じことだ。この国には人を殺しても罰せられない陰の勢力が存在する」として激しい抵抗感を示している。(ニューズウィーク誌・1998年12月9日号)
- こうしたロシアの現状は『いつか来た道』という感じがしてならない。日本も例外ではない。大戦前の状況と全く酷似している。それと同じことが起こるということは、過去の過ちを教訓としてこなかったことになる。過去の大戦で築かれた累々たる戦争犠牲者の死体の山に、生き残った人々は慟哭しながら「二度と同じ過ちは繰り返すまい」と固く心に誓ったはずである。その平和への誓いは歳月の流れにも決して色褪せることのない永遠なるものとしなければならない。戦争を必要悪とする「有事の際」発言が政治家の口から漏れ出す、その瞬間から戦争は息づいている。「攻められたらどうするか?」を前提として対応策を考える以前に、「戦争の起こらない平和な国」を維持するためのありとあらゆる対応策を考えることが人としての責務なのだと思う。武器をテーブルに置きながらの話し合いに信頼感など生まれようもない。まずはテーブルから武器を取り除き、そこに色とりどりの花を飾った花瓶を置こう。銃口を向ける者には、その銃口に一輪の花を挿そう。そしてその花は平和のシンボルなのだから・・・平和な心に憎しみはなく、戦争もない。そう思いたい。
- 手頃なライブビデオシステム『Trinity』を心待ちにしていたのは私ばかりではなかったらしい。手頃と言ってもアメリカで4995ドル(約65万円)だが、それでも性能からすれば従来では考えられないくらい破格の値段である。これまでテレビ番組のタイトルやコマーシャルなどで使われてきた映像と3DCGのドッキングが可能になるのである。そればかりではないプロ真っ青の機能が満載している。これが普及すれば一般の人々も才能さえあればプロと肩を並べるような映像作家が育っていくことは間違いない。このことは日本での販売を担当する会社メメックスも例外ではなかったらしく、今年五月の試作機到着の際には狂喜乱舞の大騒ぎをしている。惜しむらくは全てのテキストが英語で説明されていることぐらいで、これが日本語に訳される頃には爆発的な売れ行きを示していくだろう。ひょっとすると購買者リストに私の名前が載っているかも知れない。とりあえずスタジオを作って、地域の映像作家を志す人々のために解放することも考えられる。ホストマシンは標準的な「intel PC」ということで、私もこの機種に乗り換えることにした。これまでの3DCGソフトで作ったオブジェクトも使用可能なので、やがてはTrinity導入を考えながら当初はソフトでオブジェクトを充実させておくことも出来る。衛星放送による多チャンネルが増加の一途を辿っている現在、一般の人たちがTrinityを使って作品を売り込み、チャンスと才能があれば映像作家としてデビュー出来るだろう。これまで頭に描いてきた人それぞれの様々なイメージが演出できるということ、それがプロと遜色のない作品となる可能性があるということである。後は何を表現したいか、という表現者としての自覚だけだ。
- Trinityの基本機能は以下
- ライブD1プロダクション・スイッチャー/オンライン・エディッター/リアルタイム3Dデジタル・ワーピング・エフェクト/キャラクタ・ジェネレーター/ペイント/合成とアニメーション/ヴァーチャル・セット/オーディオミックス機能/VTRコントロール機能/VTR編集機能/クロマ・キーヤー/デュアル・チャンネル・スチルストア
1998/12/03、木曜
阪神大震災の体験談
- 貸し渋り解消になるか・中小企業40兆円融資のゆくえ