1997年七月

おーる・どきゅめんとどきゅめんと日誌

1997/07/31、木曜、晴

 『ああ、飛んでゆく、飛んでゆく!』何が?って・・・グスン、せっかく集金したオサツがですよ。私は、はっきり目撃しました。オサツに羽があるって本当だったんですね!なんと手元のオサツから見る間にニュルニュルと翼が生えてくるではありませんか。そしてアレアレという間に、さよならも言わずに飛んでいってしまったんです。薄情ではありませんか。それでも愛さずにいられない私は、正直言ってアホです。

 時々急に甘いものが食べたくなる。今月の始め、人工甘味料に脳腫瘍を起こす有害物質が使用されていると知って、しばらくは控えていたんですが、昨夜は我慢していた反動で甘いものばかり食べてしまった。有害甘味料とはアスパラテームのことなんですが、アメリカではだいぶ話題になっているようです。さっきその詳細を書き終えたのでアスパラテームの文字をクイックして飛んでください。ダイオキシンにしても、今や母親の体内、特に乳房の中から基準値を超えた量が発見されているし、極地のアザラシの体内からも検知されているらしい。地球をこんなに汚した犯人は人間であり、人間自身が有毒な物質ではないかと思えてきてしまう(してみれば私もまた例外なく黴菌の一種だな)。痛風の持病もあって、最近の私は肉類を避けて野菜ばかり食しています。そんなことをしても週末になると大量のビールが注がれるんですから、私の胃袋も悲鳴をあげていることでしょう。「まったく、何が降ってくるか分かりゃしない」なんて愚痴ったりして・・・傘なんかさしたりして、んなわけないか。

1997/07/30、水曜、晴

 とうとう夜が明けてしまった。巡回ソフトを使いこなそうと今まで奮闘していた。まだまだ分からないことばかりだ。インターネットでアップグレードもしてみたが、どうも使い勝手が悪い。今日もまた暑くなりそうだ。現場作業の仕事が迫っている。私は3D・CGで立体的に現場をパソコンで組み立てている。これはとても便利だ。角度を変え、回転させたりして、およその作業感覚をつかんでおくのだ。むむ、眠い。少し休みます。

 この不況下で廃業する店が続出しているが、あまりマスコミで取りあげないのはどうしたわけか。そうした中、繁盛するコンビニが時々噂になる。伊丹監督の「スーパーの女」ではコンビニ経営のノウハウ映画として話題になった。しかし実態はまるで違うらしい。最近問題になっているのが山崎製パンを親会社とする「サンショップ・ヤマザキ」で、利益の殆どを親会社に吸い取られて地獄の苦しみを味わっている加盟店が続出している。開店資金およそ5千万円として、家族で24時間働きどうしのうえ本部にロイヤリティー(特許権使用料)を払うと利益も出ない仕組みになっている。仮にやめる場合にも本部が買い取るのは半分の値段だという。裁判で争う加盟店も出てくるもようだ。山崎製パンさんよ、あくどい商法で儲けるのやめなさいね。私はあなたの会社のパンは食べないことにしました。関係者の方がこれを読んで抗議してもかまわないけど、こちらにも激怒している加盟店リストがありますので連絡させていただきます。マスコミ関係者ももっと人の悲鳴を聞き取らなければいけないな。なんか見ざる言わざる聞かざるの自粛が目立つんじゃないの。

 参考、コンビニでアルバイトをしている人の裏話HPhttp://www.netlaputa.or.jp/~mappy/ 

1997/07/25、金曜、晴

 カンボジアの内戦は第二首相のフン・センが武力制圧して終わったかにみえる。しかしアメリカはすでに第一首相のラナリット支持を表明しており、最悪の場合はかつてのベトナムと同じようにアメリカ軍の介入の恐れがある。そもそも事の発端は虐殺の限りを尽くしてきたポル・ポト兵士を雇ったナラリットの独裁への反発があり、ポル・ポト逮捕と選挙前という転換期にフン・センが一気に勝負に出たという推移がある。しかし民意を勝ち取ろうとしたフン・センもまた、武力制圧した時点でその独裁制を露呈してしまった。どっちもどっちといった感は否めない。フン・セン派の兵士は勝利に酔うあまり略奪するなど暴徒と化し、カンボジア国民はかつてのポル・ポトによる大虐殺の再来を予感して怯えている。プノンペン大学にはラナリット派兵士の死体が腐るに任せて放置されており、これはフン・センのラナリット派への見せしめと受け取られている。ポル・ポト裁判が行われるかも疑わしい。なぜならフン・セン自身、東部地方のクメール・ルージュの指揮官だったからだ。カンボジアの火種が国連軍を招き寄せる事態も予想される。国連と連動した武器商人たちの暗躍も始まっていることだろう。過去の資料も随時更新しながら互いにリンクしていきますので、インターネット同様、蜘蛛の巣を縫うようにして関連しつつ事の真相に迫りたいと考えています。

 アフガニスタンの情勢がBBCテレビで連日取りあげられている。反タリバン勢力がカブールを包囲、タリバン政府側はそれに応戦すべく臨戦態勢をしいているらしい。すでに国際赤十字などは退避しており、これからの戦闘で多くの市民が巻き添えになるのではないかと懸念されている。日本のマスコミでは殆ど無視しているようだが、今度の市街戦は相当大規模なものになりそうだ。地元の新聞にも国際版はあるのだが、紙面の半分にまで削られ、むろんアフガニスタンの記事は一つもない。情けない。やめてもいいんだぞ。インターネットなら何とか詳しい情報が得られるかも知れない。

 明日は須賀川で葬式、礼服の下は汗だらけになりそう。私の生まれ故郷でもある。生前の父がやっと先祖の墓を探し当てた。その名も八幡竹虎蔵・・・相撲の興行師をやってたらしい。いわゆる山師だな。明日はその虎蔵さんの墓参りも兼ねている。留守中にP&AさんからPDが届く予定。HDにしたかったが、予算の関係でそうなってしまった。しかし今日も蒸し暑かったなぁ。数日前はあんなに涼しかったのに嘘のようだ。

1997/07/23、水曜、晴

 早朝の電話に起こされる。親戚の婆ちゃんが亡くなったのだと言う。人生においては人間の死亡率は100%だ。人は必ず死ぬ。死なない人間などどこにもいない。してみれば会う人ごと『この人もいつか死ぬんだな』との想いで、一度きりの出会いの瞬間を大切に生きたいものだ。そうすると無駄なものの輪郭がはっきりしてくる。自分にとって本当に大切なものは何か?自分の本当にやりたいことは何か?そして、そのことのためだけに生きて悔いなしと言えるかどうか・・・子供の質問に「どうせ死ぬのに何故生きているんですか?」というのがあった。大人たちの殆どは絶句していた。私も適当な答えが見つからない。強いて言うなら「死ぬために生き、生きるために死ぬ」とでも答えようか。この世の何処かで誰かが死に、そして産まれてくる命がある。春に芽吹く植物が、夏に繁茂し、秋に枯れ葉となって散ってゆくように。何もかもが凍てつく冬にあって、枯れ葉の中では種子が静かに春を待っている。そしてまた春が来て、種子の芽が出るように・・・自然のそうした季節の繰り返しの中に、人間もまた存在している。人間は絶えず食物を食べては動き回っているが、植物たちは一カ所に留まったまま日光や雨の恵みを静かに享受しながら静かに成長している。それでいて彼らもまた同じ生物である。これほど神秘的なことはない。この緑の隣人たちは語るべき口もなければ、聞くべき耳もない。しかし最近の科学はようやく植物の感受性を証明しつつある。つまり見えるべき機関はなくても機能はあるということだ。般若心経の『色即是空、空即是色』は実に不可解で奇妙な経文だ。「形があるからこそ実体が無い。実体が無いからこそ形がある」とは現代科学を遙かに凌駕して逆説的だ。それでいて妙に納得してしまうのがまた不思議である。そして経文は『是諸法空相』「世の全ての存在や現象には実体がない」と続く。小馬鹿にしたような理屈だが、植物を眺めていると何となくそのことが実感できるような気がする。私は母が死んでからポッカリ心に穴が開いたような空虚な日々を過ごしてきた。ある晩、夜の庭を見るともなしに眺めていたが、闇に微かに浮かぶ菊とその香りを感じていた。昼間はあんなに鮮やかだった花も、夜の今は気配だけを残して闇に隠れている。その気配は花の存在感を昼間よりリアルに感じさせてくれるのは何故か。人は生きていても死んでも、その人格に何ら変化はないのではないか?闇に咲く花のように、この世は隠されたものがあるはずだ。それを神秘と言うべきか。まだまだ解らない。とりとめのないことを書いた。

1997/07/21、月曜、晴

 日本初のサッカー・ナショナルトレーニングセンターのオープニングセレモニー『Jヴィレッジお披露目』なる新聞の見出しを見ながら、佐藤知事がなぜ急いで非公開のプルサーマル計画懇談会を提唱したかが分かった。このオープニングセレモニーに呼応するように懇談会が設定されたのだ。知事は一連の動燃事故で見直しを口にしながら、一方ではプルサーマル計画の受入を着々と準備していたわけだ。地域住民の命と利権保身を天秤にかけながら、ついには利権を選んだ知事の心が手に取るように分かる。そもそもサッカートレーニングセンターの話をもってきたのは東北電力の荒木浩社長で、130億の提示資金に県が涎をながしたことに始まる。福島第一原発3号機のMOX利用申請と更なる増設計画、そしてプルサーマル計画と、福島県は原発立地国として全てを受け入れることになるだろう。問題はこれが県民の総意なのかどうか?ということである。マスコミや県民を締め出すような非公開の会合ひとつ取っても、それが県民の合意の元で成されているとは到底思えまい。これが総じて民主国家を掲げるニッポンの真実だとすれば、その真実は欺瞞に満ちた利権国家ニッポンのなにものでもない。安全だとしながら深刻な原発事故が続いてきた今も、その原発を受け入れようとしている佐藤知事ら県政は、県民の命を無視して危険を自ら受け入れることになる。チェルノブイリ事故は教訓とはならなかった。何十万という子供たちが放射能汚染に曝され、次々と死んでいく中にあっても、国民の血税を糧とした利権を喰い漁ることしかしない指導者とは何だろう?

 アサツユ報告を更新している。主催者の佐藤氏は全国を飛び回っている。何とか原発を阻止したい。その真意は「子供たちの未来のために」という一言にある。昨夜はテレビでオッペンハイマーを扱っていた。広島長崎に落ちた原爆の製造マンハッタン計画の責任者だ。晩年は後悔の念に苛まれたらしい。人間ならば当然だろう。しかし犠牲者は帰ってこない。二度と同じ過ちを犯すまいと誓って、オッペンハイマーは原子力の平和利用として原発建設に邁進した。皮肉にも、その原発もまた人類の脅威となってしまった。プルトニウムの語源、地獄の王プルートンはそう易々と人間が手なずけられるものではないことを教えてくれる。

1997/07/20、日曜、晴

 ある早朝のラジオから「私は若い頃、自分の脈をはかりながら『死につつある、死につつある』といつも怯えていた」という声が流れてきた。聞くともなく聞いていたが、ここまで死に臆病になれると感心すらしてしまいたくなる。声の主はキリスト教の牧師だった。それまでキリスト教はいつもきれいごとばかり言いながら、どうも生身の人間のことを考えぬ宗教だという思いがあった。唯心主義的で、肉体を汚れたものとするところにも偽善を感じていたものだった。人間だもの小便もすればウンチもする。キリストの最期だって褒められたものではあるまい。勝手に自分が神の子などとほざきながら、あげくはフンドシ一丁で十字架にかけられるみっともなさだ。だいたいが十字架で血を流しているキリストなど、世界でも一番哀れな神様ではないか。(神だったとして)釈迦だって最期には悪魔に勝利して穏やかに死んでいる。そんな想いが、この日の牧師の「死につつある」告白談で少し変化してきたようだった。何故だか分からないが、ひっとすると弱くて良いのかな?と思い始めたのだ。死を美化しない臆病さの方が信じられるような気がしてきた。私はクリスチャンではないし特定の宗教もないが、人や自然を愛する類の素朴な祈りみたいなものはある。やがて貧しき者に自ら貧しくなって献身するマザー・テレサを尊敬するようになった。オレにはできない凄いことをやっている、といった感覚だった。しかし一方では聖書を拠り所とするあまり、生命体としての人間から逸脱した宗派には嫌悪を感じる。ましてそれを悪用する統一協会などは論外だ。聖書の第二章4節「テサロニケ人への第2の手紙」には悪魔の登場をこう記されている。『自らを神の宮に座して、自分は神だと宣言する』まさにそれが現代にも通じる悪魔の正体だろう。悪魔は神を装う。神の殿堂といわれるバチカンにおいても悪魔の軌跡がある。就位33日にしてヨハネ・パウロ一世が毒殺された理由は何か?バチカンが今だその事実を認めないわけは何故?当時のバチカン銀行総裁は誰だったか・・・あのシカゴのボス、サム・ジアンカーナが送り込んだ大男ポール・マーチンクスではなかったか。ジアンカーナについては七月三日の日記に書いた。 ポール・マーチンクスは先月六月九日の日記に書いた。長くなるので、また後で書きたい。うむ、私の宗教談から少しずれたようです。

1997/07/18、金曜、晴

 突然「私の家族を探してください」なるメールを頂いて驚いている。読めば読むほど深刻な内容なので、急遽ここで取り上げることにした。結論から言えば「家族が統一協会に拉致され、裁判所や教育委員会に訴えても、居場所を知っていながら統一協会の圧力でどうにもならない」というものです。ついオウム真理教を思いだしてしまいますが、統一協会は日本の権力中枢に深く浸透しているだけに始末が悪い。日本の闇を構成する「ふたりのドン」こと、笹川と児玉も統一協会とは密接な関係にある。これに自民党が加わり、悪名高い「国際勝共連合」が設立される。ここに統一協会を母体にした右翼のドンと自民党の関係を暴露した資料を載せます。この事実は、特に若い人々に是非知って貰いたい。これらの事実関係から浮かび上がるのは、一見平和そうに見える日常を一変させるような暗黒社会の存在です。仮にあなたの家族が同様な事件に巻き込まれればはっきり分かるでしょう。ここから前述したメール相手のホームページに飛べます。心の叫びを聞いてください。明日は我が身なのです。国の主権は国民にあるにもかかわらず、この国も民主国家とはほど遠い存在であることに気づくでしょう。原発にせよ、権力の魔性を手にした一握りの為政者によって、人類は支配され奴隷化されようとしています。まだ喰うに困らない日本にあって、そのことを実感するのは難しいかも知れません。それこそ心で、心眼をもって罠を見抜く必要に迫られていると思うのです。少なくとも人間の心の悲鳴だけは聞き取れる人間でありたいと思います。統一協会のことはここでも書いていきたい。むろん圧力も覚悟している。すべては未来のために、こどもたちのために・・・

 SCSIとカードをどう繋ぐか?で、意外な発見もあるものです。HDは届いたもののコネクターがZIP用カードの規格に合わない。こりゃHDに合う新しいカードを買わなくちゃならんかな?と思っていたが、何のことはないZIPとカードはそのままで、後は交換できる専用のケーブルをHDと繋げばよい。P&Aさんのご厚意で無料で交換ケーブルを頂けることになった。得したな、嬉しいなっと。後は、ノートのメモリを拡張、補助バッテリーを入れて、株ソースの驚速95、アーク情報システムのCD革命、あと何だったかな?などなど予定しているが・・・うむ、先立つものは先立ってしまった。P&Aさん、読んでるかな?宜しくね。これでハードディスクにどんどんデータが入る。

1997/07/17、木曜、雨

 朝からどしゃ降りの雨だ。よく天気予報では「バケツをひっくり返したような雨」と表現するが、面白いとも思うが決まり文句もそろそろ変えてほしい。「プールの水をひっくり返したような雨」とか・・・どうでもいいことですね。どうでもいいことに拘っている私は、やはり疲れているみたい。ひどかったですから、数日前の過酷な仕事。その疲れが今頃になって出ている。つい一昨日の夜、市長の側近なる人物に出会った。かなり酩酊していたのでタクシーで送ったが、翌日の公務は大丈夫だったのだろうか?我々のような市民から見ると「さぞ疲れるんでしょうね」などと同情したくなってしまう。精神的な抑圧みたいなもん、何となく感じるわけです。かくいう私も疲れていますけどね。

 ついに始まったか、と思わせたのが北朝鮮兵士の越境による銃撃戦。その背後には深刻な飢餓という差し迫った状況もあるが、何より金正日書記の迷走が大きな要因になっているようだ。彼にとっては、国民の飢え以上に軍部の反乱が恐怖となっているらしい。二年前には国防大学で金正日暗殺未遂事件も発生、そうした反乱の矛先を南朝鮮問題へ向ける意図があったのではないか。国民の餓死という最悪な状況下にあって、自己の保身のみに奔走する元首ほど危険な存在はない。韓国国防省はWATCH CONDITION(情報監視態勢)を危険範囲のレベル2に引き上げて警戒しているが、アメリカは北朝鮮の軍事行動が即、大規模な戦争状態にはならないという楽観的な見方をしている。しかし、かつてアメリカがベトナムに介入しようとして意図的に偽装紛争を演出したように、ここ朝鮮半島でのアメリカの楽観は信用できないものだ。とにかく何もが起こってもおかしくはないが、何も予測はつかない不透明な状況がここにはある。カンボジアしかり、アジアには至る所で戦争の火種が燻っているという事実を常に念頭に置いておくべきでしょう。

 メモリー不足でインターネットが出来なくなった。というわけで明日2ギガのハードディスクが届くことになっている。明日はファイルの移動に時間が費やされそうだ。メモリーの容量を増やすべきだったかも知れない。とにかく際限なくファイル詰め込んだあげくの結果だ。ホームページにしてもこのままいけばすぐパンクするだろう。何かとカネがかかるわけだ。カウンターをつけていないので何人がこれを読んでいるかは知らないが、退屈はさせないつもりでいる。自分が退屈したくないせいもある。いつも心だけは動かしていたい。

 昨夜観た「ネオン・エンパイア、パクジーの野望」という映画はラスベガスのカジノを作った男の物語だが、闇の勢力が合法的(?)に一大賭博街を砂漠に現出させる過程が面白い。そこでは政治家も警察も全ての権力が汚れたカネにひれ伏す様子が生々しく描かれている。映画でもアメリカマフィアの名だたるボスが登場し、彼らの夢が砂漠に実現するまでの血塗られた抗争がリアルだ。

1997/07/16、水曜、曇後雨

 今から14年前の大韓機撃墜事件で、東京地裁は大韓航空側に一億三千万円の賠償支払いを命ずる判決を出した。当時の冷戦状況下でサハリン上空を飛べば撃墜されるのは分かっていたはず、と判断したもの。当然といえば当然の判決だが、この事件そのものにはもっと大きな謎がある。謎だらけと言ってよい。ここでは金銭的なことだけに絞るが、大韓航空はなんと総額980億円もの賠償責任保険を受け取っているのである。撃墜された007便は大韓航空がルフトハンザ航空から買い入れた中古機であり、そのどこにも四億ドルもの保険をかける理由が見あたらない。大韓航空はまるで撃墜されることを想定していたかのように、ロイズの戦争保険65億円に加入、事件後直ちに支払われている。ロイズは英国諜報機関とも密接な関係にあり、その背後関係から国際的な陰謀が浮かび上がってくる。1983年9月1日の事件直後から私なりに資料を分析してきたが、その結果、この事件の背後にはアメリカのCIAや国防省、韓国のKCIAやイギリスのロイズなどが関与する世界的な謀略が存在することが分かってきた。彼らにとっては一瞬にして散った267名の人命よりも、事件がもたらす利益の方が優先するというわけだ。仮にこの世に悪魔が存在するなら、その悪魔は彼らのような権力中枢にこそ巣くうであろう。

 また県民を逆なでするような事が起こっている。再処理工場の爆発で危機感を強めた佐藤知事によるプルサーマル計画見直し発言があったばかりなのに、今度は同じ佐藤知事が非公開の「核燃料サイクル懇話会」をスタートさせるというのだ。なぜ情報を公開しようとしないのか?住民の知る権利を閉ざしておいて、密室で何を話し合おうとするのか・・・権力の魔性は確実に浸透している。

1997/07/14、月曜、晴

 突然、詩が欲しくなった。というわけで部屋を作ることにした。とりあえず、ここ

 このところの野村、第一勧銀事件で情報誌もその余波を受けているようである。ずっと以前に私も政界往来なる情報誌を読んでいたことがあるが、スキャンダラスでなかなか面白かったと記憶している。今度は警察の肝いりで、大手金融各社による購読打ち切りが続出、かなり痛手を受けそうな気配だ。追いつめられたあげくの企業テロも心配されている。低迷する出版業界にあって月刊「現代」八月号は内部資料や大物右翼のインタビューなど興味深いものがあった。「現代」といえば1983年、サラ金大手のボス武井保雄の暴露記事を出したまでは良かったが、発行した雑誌三十万部全部が買い占められた事件があった。武井会長の知られたくない闇をうかがわせてくれる。「現代」の出版元は講談社だが、なぜかこの会社は途中で廃刊するケースが多く、今度の「ヴューズ」廃刊には購読していただけに腹が立った。以前も同じ目にあっただけに「またか」と呆れる思いだ。内容的にも優れたものがあり、廃刊する理由が分からず、どうも腑に落ちない。読んでいる読者の存在は無視してもいいのか。今回の第一勧銀による小池への不正融資三十億円の仲介者に、出版社社長が登場するが、名を木島力也といい故人だ。ハイセイコーの馬主でもある。木島は「現代の眼」なる左翼系の理論誌を出版、児玉誉士夫と親交のあった右翼出版社の西山に接近する。そして児玉から小佐野へ、日本の黒幕へと接近していく。その人脈を受け継いだのが小池だったというわけだ。ここで立花氏の書き込みを読むとさらに理解が深まる。総会屋が大手金融会社に擦り寄っていったように思えるが、野村證券など元々児玉が興したようなものだったことが分かる。その児玉を怪物にしたのが、戦後のどさくさであり、財宝を手中にした児玉機関だった。ここで笹川が登場して「ふたりのドン」闇の現代史が完結する。さらにフィリピンのマルコスや謎の山下将軍の金塊が登場すると壮大な闇の叙事詩ともなるのだろうね。少しずつ書いていきたいと思っている。

1997/07/13、日曜、晴時々曇

 自衛隊機が邦人救出の大儀を掲げてカンボジアに到着したとのこと、在留邦人の多くは「治安が回復した今頃になって何故?」という懸念を抱いているらしい。フン・セン第二首相への圧力ではないかと訝る声もある。日本人を引き揚げ、援助を打ち切るなどの政府の意図があるのではないか、というわけ。ラナリットを支持してきたアメリカへの追従とも受け取られるが、かつて自衛隊の支援を求めて来日したフン・センを考えると皮肉なものだ。ここら辺で日本政府にもカンボジアの実態を把握してもらいたいな。(六月二十日付けの日記に詳しく書いた)

 アサツユ報告が届いている。そろそろホームページに書きたいと思う。数日前に主催者の佐藤氏に電話したら奥様がでられて、東京に行かれたそうだ。明日にはカンパを送りたい。痛風も良くなったようだし、仕事の準備にかからねばならない。例によって防塵防毒マスク使用の地獄の現場だ。蒸し暑く寝苦しい夜はNHKのラジオを聴いている。団塊の世代、懐かしい曲など流れると当時が蘇ってくる。親子の相克は今も同じだと思う。私などもつい「愛さえあれば」などと口走ってしまうことがあるが、生身の人間にしてみればそれほど単純では無いとも考える。最近よく動物のドキュメント映画を観ているが、人間も生身としたら動物の野性があるはず、その野性を管理してしまうような現代ではどこかに歪みが出るのは必須だと考えるようになった。私自身を振り返ってもそう思わざるを得ない。学校でも家庭でも、私はかなり粗暴な反抗を繰り返してきた。当時は何が自分をそうさせたのかを知るすべもなかったが、今思えば生物としての命のあがきだったように思える。息子の家出寸前を発見して制止した親が「いやいや危なかった。うちの息子は跡取りだもの、勝手なまねはさせない」と笑って語ったことがある。しかし私は「良かったね」とは言えない、まして笑ってはいられない深刻なものを感じていた。親元から離れることのできない子供の野性が失われていくように、感じたものだった。またある親は登校拒否の息子に困り果て「殺してやりたい」とまで話す。そうした一連の悩みを聞くたびに、それは親のエゴではないかと思ってきた。動物の世界では親が子供を振りきるようにして独立させる場面がある。そうすることで子供が野生化し生き延びることを本能で知っているゆえの行為であろう。人間は全く逆で、親の願望を子供に託すあまり大きくなっても手放すまいとする。子供が親離れできないのは、親が子離れを拒否するからではないかと思える。淳君殺害事件でも同じような背景が見え隠れする。行き場を失った子供の野性が牙を剥く時、それがどんな悲劇を生むか、あの事件は教えてくれるような気がするのだ。「少年法を変えて死刑にせよ」なる暴言がまかり通る現代に、どんな残虐な犯行よりも血の凍るような恐怖を感じるのは私だけだろうか?

1997/07/12、土曜、曇

 痛風は侮れない。回復したかのように思ったのもつかの間、すぐ激痛に襲われてしまった。この文章はノートパソコンを腹部に乗せながら、仰向けになって書いている。最悪だ。苦くて塩辛い重曹は飲みにくく、血圧の高い私には心臓に負担がかかる。今夜は友人を呼んでビールを飲もうと企んでいる。自業自得の苦痛は当分続きそうだ。

 以前ここに書いた淳君殺害事件のことで、訂正しなければならない文章があります。犯人が事件前にホームページに「酒、鬼、薔薇」の三語一体文字を書いていたという情報は、その出所であるテレビのワイドショー関係者が事実無根であったと謝罪したようです。新聞にまで報道されたことから、私もそれを事実と受け取ってしまったわけです。淳君殺害事件にかかわらず、昨今のマスコミには先走りによる誤報や、今度のような事実の捏造が行われる失態が多いようです。かと思えば極端な自粛に走って、かえって事の真実を見えなくしている。今度のホームページの一件は、ここに当時の新聞資料を記録として残しておきます。前述のように、これはあくまでもマスコミの捏造の証拠です。

1997/07/11、金曜、曇

 痛みは残るものの何とか座ることができた。回復しつつあるようだ。四日間というもの、まるで身動きがとれなかった。動くたびに激痛、悲鳴をあげていた。精神的にも参っていたが、逆療法と嘯きながら居酒屋で酒を飲んで憂さを晴らした。頼りは大量の水と重曹、血液をアルカリ性にすることで尿酸を排出する。痛風の患者には体が頑健で我が儘な人が多いという。私はものの見事にこれに当てはまる。ビールがプリン体を含むゆえに痛風には悪い、と知りながらビールを飲んだりする。とにかくじっとしていられない性格に、動けば痛む痛風は天罰が下るようなものだ。

1997/07/08、火曜、曇

 持病の痛風再発、激痛。身動きとれず、横臥したままこれを書いている。仕事も迫っているが、どうしようも無し。仕事を投げ出すわけにはいかない。痛みに耐えての作業を覚悟している。思うままにならぬ体に苛立つ。無理な姿勢を持続してきた職業病との合併症らしい。それに不摂生が火を点けた。時折癇癪を起こして立ち上がるが、それも数分・・・治る時は波が退くように痛みは全くなくなるのがこの病気の特徴。あの悲鳴をあげていた激痛は何だったのか?と思うほど。そして忘れた頃にまた再発する。再発すれば三ヶ月は激痛に悩まされる。その間の仕事は松葉杖が手放せない辛い作業となる。ただ持病だけに、次にどんな症状が起こるか分かり、対処の先手が打てる。今もその先手を打っているつもりなのだが・・・焦るまい。こういう時にこそ人の痛みを知る絶好の機会なのかも知れない。いかんせん生身の人間と言うことを思い知らされている。

1997/07/05、土曜、晴

 立花氏がホームページで、スパイ合戦の最前線としての香港を紹介している。中国が香港を手に入れたことで、さらにスパイ合戦の新たな展開が予想されるのだそうな。天安門事件の民主運動家が日本に逃亡した時も、それを執拗に追っていたのが公安部であり、国安部(国家安全部)であった。これら中国諜報機関を総じて通称「中国特務機関」と呼ぶ場合が多い。その中国特務機関に半世紀に渡って君臨していたのが康生という男だった。この康生と愛人関係にあったのが江青、つまり毛沢東夫人であったと言われている。日本のテレビ「知ってるつもり」でも幾度か江青夫人が取り上げられたが、中国特務と江青の関係はまだ明らかにされていない。それだけ中日の微妙な政治的な背景があるということだろう。特に中国は自国の諜報機関の存在を知られることを嫌い、それだけ神経質になっている。特務のボス康生は、愛人の江青を毛沢東主席に近づけることで自らの権力を拡大してきた。1971年9月、中国から林彪の姿が忽然と消えた。後に、林彪と思われる遺体写真が発表され、ソ連へ逃亡中の林彪はモンゴルで墜落死したと付記された。これが日本では定説となっているが、真相はまるで違う。北京で会食していた林一族は軽機関銃を手にした兵士たちによって射殺されたのだった。そして、その背後には林彪が邪魔になった康生の存在があった。こんなことを書いても否定されるのは分かっているが、いずれそれが真相だったことが証明される日を願っている。どうやら中国においては事の真相を明らかにされることを好まない根強いものがあるようだ。香港の民主活動家たちの行く末を案じる所以でもある。これから彼らの身に何が起こるか?心配である。

 今届いた月刊「現代」八月号292ページに興味深いレポートが載っていた。ルポライター、北之口太氏の「フジモリを操る影の男の正体」で、あの日本大使館人質奪還作戦は国家情報局(SIN)顧問のモンテシーノスという男の筋書きによるものであったことを暴露している。元CIAの情報部員として暗躍してきたモンテシーノスだからこそ出来た襲撃だったという。人質奪回については手当初からCIAの関与が噂されてきたがCIA当局はそれを否定していた。またフジモリ自身もモンテシーノスに秘密を握られているという負い目からあったと言われている。このSINを率いる男は、前述した中国の特務機関のボス、康生のような存在であるのだろう。追って詳細を記したい。

 インターネットで世界のスパイ組織へリンクするホームページに出会った。まずはCIAに入ってみたが、はっきり言って面白くも何ともないページだった。思えば、極秘を優先する諜報組織が真実の情報を提供するはずがないのであった。中国は軍関係の資料が豊富で面白かった。最も期待していたのがイスラエル諜報機関モサドだったが、なぜか入るのを拒否された。私の操作ミスかも知れないが、ここも極秘優先ゆえのガードの高さが伺える。こうしたスパイ組織のホームページは、敵対国への攻撃記事が最も興味深いし、またそれらを比較検討すれば意外な発見もあるだろう。笑ってしまったのが日本の首相官邸ホームページだ。橋本首相のカメラ好きは有名だが、ホームページの枠をそれらのくだらない写真(失礼)によって占領されている。せめて噂されている愛人の写真などを載せてくれれば面白くなるはず、それが無理なら政治家が献金を受け取る決定的瞬間など撮ってくれれば、と半ば冗談で思うわけです。それにしても連日の猛暑に風邪もなかなか治らず辟易している。昼食時に「ウンチまで湯気が出ちゃうね」と漏らして顰蹙をかってしまった。

 今日は給料日、ツケを払うぐらいの役員報酬は頂きたい。暑い、暑い1日、ビールで乾杯だ。

1997/07/04、金曜、晴

 風邪がなかなか治らない。仕方なく、いつもの荒療治を敢行する。ありったけのニンニクと根ショウガをすりおろして熱湯で飲み、そのまま40度くらいの熱い風呂に浸る。汗が吹き出たところで縁側でパンツ一丁で夕涼みしながらビールを飲む。全身から湯気が出ているのが自分でも分かる。これで風邪は治る。癌細胞も40度くらいで死に絶えるというから予防にもなる。ただ熱湯風呂の時間を超過すると危険だ。私は三回に分けて短時間で済ますようにしている。不思議なことに夏の暑い盛りでも汗が流れて気持ちがいい。

 七月二日、アメリカが初の臨界前核実験を行った。これをアメリカは物理実験として、核爆発は伴わないので包括的核実験禁止条約(CTBT)の規制外だと主張する。しかし、臨界前核実験と言えども地下核実験の継承であり、そう言う意味ではすでにCTBTの精神から逸脱しているのではないか。5月末、アメリカ・カリフォルニア州のローレンス・リバモア国立研究所で核発火施設(NIF)の起工式が行われ、「これは地下核実験にとってかわる水爆の核実験を行うことが目的の巨大な実験施設である」とした反核団体のデモで35人が逮捕されている。アメリカは全世界に向けて核削減を訴える一方で、自国では更に強力な核兵器開発を続けるという二枚舌を露呈したわけだ。

 福島の保育園で園児43人が食中毒症状を起こしている。どうやらサルモネラ菌が原因らしいが、ここでも以前に感染症についての資料を提示したので、あらためて読んでいただきたい。

1997/07/03、木曜、晴

 今朝の新聞に、60年初頭において「CIAがマフィアにカストロ暗殺依頼」していたというベタ記事が載っている。このことは以前から噂されており、今度の場合、米国務省の解禁文書から明らかになった。それによると、CIAはシカゴのボス、サム・ジアンカーナに依頼したとしているが、ジアンカーナに関してはここでもマリリン・モンロー殺害で触れてきた。CIAはジアンカーナの側近、ジョン・ロッセリに15万ドルの成功報酬を示したが、マフィア側は経費の1万一千ドルだけを受け取ったという。ロッセリはその十年後、76年八月七日にバラバラ死体で発見され、その一年前にはすでにジアンカーナも射殺されている。シカゴのジアンカーナ一家を殺害したのは、フロリダのボス、トラフィカンテ一家と言われるが、その背後にCIAが存在していることはおよそ想像がつく。モンロー同様、知りすぎたゆえの末路と言えなくもない。その後、トラフィカンテはニューヨークのジェノヴェゼ一家を次々と皆殺しにしていくのだが、自らは腎臓病で87年に死亡している。また一連のケネディ兄弟暗殺とキング牧師暗殺にも彼らが暗躍していたが、これらの真相が全て明らかにされるのはいつのことだろうか。

 この頃、日本では皇太子と美智子妃の御成婚に国中がわき返り、高度成長期の波が押し寄せてきていた。NHKテレビでは「ひょっこりひょうたん島」が始まり、ひょうたん島は日本そのものでもあった。高度成長の波にひょっこり乗った日本は、その歌詞のごとく「ぼくらを乗せて何処へゆく?」という行き先の分からない不安も抱えていた。私の父もその波に乗った一人だった。仕事は黙っていても入ってきた。やがて父は会社を興すと業界の理事長まで上り詰め、そして不審火の火災で全てを失う悲運を味わう。高度成長期は我が家にとって天国と地獄を見せつけてくれた貴重な時代だった。そして・・・日米との始めて国際中継テレビが放送されるその日、飛び込んできたのがケネディ大統領暗殺の悲報であった。63年11月22日、ダラスに響き渡った数発の銃声によってアメリカの若き大統領の頭は吹っ飛んでしまった。オズワルドの単独犯と決めつけられたこの事件は、三十年以上もたった今もって多くの謎を残している。

 風邪をひいた。頭の中がガンガン痛み、お祭りでもしているみたいだ。こういう日が私の誕生日だったりする。私が産まれる時は産婆さんが留守をして大変だったらしい。宮沢賢治は板戸に「裏の畑にいます」という張り紙をしていたと言うが、産婆さんも裏で畑仕事をしていたという。産婆さんが来る頃には、私の頭が出かかって近所の人たちに助けられていたのだそうだ。今日のように暑い日だった。むろん私にその記憶はない。「お父さん、お母さん、初めまして。私があなた達の赤ちゃんです」と挨拶した記憶もない。あらかじめ「今日は誕生日だ。何もいらないよ」と触れ回っておいたが、『それがどうした?』で、今夜は居酒屋でひとり乾杯することになりそうだ。下り坂ですから・・・おお、時間よ止まれ!の心境。

1997/07/02、水曜、晴

 昨夜書いた日記が消えている。パソコンの操作が誤ったのかどうか知らないが、以前のように数年分のデータが消えるよりはましだと思って忘れることにする。昨日は香港が中国の領土になった日、雷鳴の中、中国は早速四千人の軍隊を香港に進駐させて力を誇示している。江沢民主席は一国二制度を盛んに強調しているが、その実、軍隊を進駐させるやり口をみていると、どうしても民主活動家への弾圧が懸念させられる。

 今日も暑かった。今日は一連の仕事を完了させたが、さらに仕事が増えてしまった。疲れが溜まらぬよう予定に余裕をもたせる。仕事に人間を合わせるのではなく、できれば人間に仕事を合わせていきたい。多少の無理は仕方がないが、無茶だけはしないようにしている。仕事が面倒になってきたら疲れてきた証拠だ。今日のような暑い日は、短い休憩時間を頻繁にとるようにする。汗の補給に清涼飲料水を大量に摂取することになる。できれば甘味料の入っていないものを選ぶようにしたい。甘味料に使われるアスパラテームは脳腫瘍を誘発するかも知れない、という報告がアメリカで話題になっている。国が認可した時点で、その検査がずさんであったと言われている。いずれ詳しく書きたい。折しも日本では抗ガン剤「塩酸イリノテカン」の副作用で39人が死亡していたことが判明した。会社側や厚生省は、副作用や死亡例などの情報すら公表していなかったらしい。今や日本は一人の少年の猟奇的犯行に躍起となっているが、エイズ血液製剤のような大量虐殺的な薬害は身近でもっと恐ろしい。