おーる・どきゅめんと &どきゅめんと日誌
1997/06/30、月曜、晴
廃棄物処理問題でも、それが地域住民の健康を脅かすのが分かっていながら、業者や行政は強引に設置を押し進めようとする構図がある。そこには必ずと言っていいほど利権が絡まっている。その利権に群がる、人の命を無視した強欲な者たちの実態を付加して、はじめて全体像が浮かび上がってくる。業者と行政の癒着は、他ならぬ利害の一致である。住民の生活を守護する立場にある地方行政機関が、利権の渦中に飲み込まれて業者に有利な特典を与える図式は、同じ問題を抱える日本全土の地方でみられる。今から七ヶ月前、岐阜の御嵩(みたけ)町長が廃棄物処理建設を巡って襲撃され、重傷を負った事件の背後にも、生々しい利権の構図があった。業者の札束による建設反対を阻止するための根回しが効果を発揮し、念願の建設が始まった矢先に柳川新町長によってストップされたのだ。業者は・・・いや、他の誠意ある業者に誤解を与えるようで申し訳ないので名指しするが、寿和(としわ)工業はこの時点でかなり焦ったはずである。それから一連の事件が起きる。ここ地元でも同じような利権の構図が成り立つ。サカタ側は、廃プラ発電毒性調査の結果を住民に知らせないまま大熊に発電施設を建設し、その灰を不法投棄したように、いわきでも同じ事が起こりうる可能性を示唆している。市議会は住民の反対が予想外に強いのと、業者の不法投棄が発覚するに及んで、矛先を返すようにやっと見直しの重い腰をあげている。私はその廃プラ発電建設予定地域の近くに住んでいる。ここから北西方向高台に予定地の好間工業団地がある。この辺りは昔、好間炭坑があった。私の住む地面の、その地下には採掘穴が縦横無尽に走っていると言われている。地震がきたら陥没するのではないかとも噂された。実際に昔、知人の父親が炭坑夫として夏井川の下を掘っていて、陥没事故で亡くなっている。その夏井川下流が廃プラ建設で汚染されるのではないかと懸念されている。
1997/06/29、日曜、晴
NHKテレビで、いわき市の廃プラ発電建設問題を扱っていた。首都圏からのプラスチックのゴミ、1日235トンを処理するらしい。急ぎ書きましたので、いずれ追加がてらまとめていきたいと思います。青文字をクリックして読んでください。これまでも、いわき市は首都圏からのゴミの不法投棄で泣かされてきた。首都圏は田舎から命の糧である食べ物を集中して消費しておきながら、その繁栄の果てのゴミを田舎に不法にぶちまけているのですね。首都の飽食にせっせと餌を与え続けたあげく、ゴミをプレゼントされる田舎の立場はないというもの。してみれば原発も巨大で、しかも危険なゴミと言えなくもない。いいかげんにせいよ!と怒鳴りたい。せめて悲鳴は聞いて欲しいよな。
1997/06/28、土曜、雨、台風八号接近中
気象庁が「この時期に二つも台風が来るのは前代未聞だ」と驚いている。前述したようなことが(台風が毎年春に来るようになる)、これから定説となるのだろう。その台風がどうやら明け方に我が地元を直撃するようだ。台風が日本列島を縦断している最中に、小六男児惨殺事件の容疑者が逮捕されたというニュースが伝わっている。容疑者は被害者とは顔なじみの中学生だという。ここに書くまでもないほど熾烈なマスコミ報道合戦が予想される。すでに「少年法の刑罰を重くせよ」といった言葉も知識人の口から吐き出されている。それで犯罪が無くなると信じることの方が恐いような気がする。うまく表現できないが、そう思う。
1997/06/27、金曜、晴、暑い!
茹だるような暑さだ。台風八号が南洋の熱風を送り込んでいるのだろう。足場の上、滴る汗が地面に落ちていく。足場を解体しながら移動する作業はスリルがある。バランスを崩せば落下する。相方と呼吸を合わせてパイプを外していく。猛暑の中の作業は苦しかった。眼下に事務所が見える。いつものことだが女性事務員が入れ替わり立ち替わり鏡に向かって化粧しているのが見える。汗まみれの私には、クーラーの利いた向こうは天国に思える。猛暑に幾度か作業を中断、休憩室でクーラーをつけるが、他の部屋のクーラーが利かないという理由で切られる。口を尖らして苦情を述べる様子が何となく滑稽だった。今日で足場解体は終わった。帰社後、汗でびしょ濡れになった下着を換えてビールを飲む。相方との話が弾み、いつしか焼酎をしたたかに飲んでいた。そして深夜、目覚めてこれを書いている。思考がまとまらないのが分かる。疲れがとれないのだ。明日も暑いだろうか?
1997/06/26、木曜、晴
今日は相方の都合で仕事を休む。連日の暑さに辟易しながらも仕事は順調に進む。その日の仕事を終えるたび、ビールで乾杯という習慣は相変わらず。そしてそのまま死んだように眠る。明日は足場解体、残る作業場は燃焼タンクの現場・・・酷暑。日射病になった過去を思い出す。命にかかわる危険がすぐそばにある。焦るまいと思う。
家族の歴史をまとめてみる。父と母の結婚と貧困生活、事業を興した頃と火災、東京オリンピック、あの頃の私は何歳だったのか?何気ない家族の風景が時代と共に変化し、そして人は死に、また生まれる。時代の移ろいに聞こえてくる音楽もある。昔の笑顔や涙の痕跡を辿りながら・・・懐かしさの内に眠りたい。
橋本首相の米国債売却発言で史上二番目のニューヨーク株急落とか、世界金融システムの危うさを感じる。1929年の世界恐慌について、当時、金融通貨委員会議長を務めたルイス・マクファデンが論評した言葉は現代への警告ともなる。「大恐慌は偶然に起こったものではない。それは用意周到に工夫され計画された事件だった。国際的な銀行家たちは人類の上に君臨する支配者たらんとして、多くの人々を絶望状態に陥れたのだ」と・・・また下院金融委員会議長を務めたライト・パットンは「アメリカにはもう一つの政府がある。それは国民の合意によらず、国民の手の届かないところにあって、無制限な力を持つ『連邦準備政府』である」と述べている。今度の橋本発言も、そうした視点で考えると興味深いものになる。
1997/06/21、土曜、台風一過の晴天・・・暑い!
今年はエルニーニョ温度上昇の影響で、梅雨入りに台風が連続してやってくるのだそうな。これまでの「例年並み」という言葉は死語になる。秋の台風が、春に移動したわけだ。それに加えて増加した二酸化炭素の影響で、干ばつと洪水という極端な気象が起こりやすくなる。日本の場合、梅雨入りに台風というダブルパンチが洪水の被害拡大を予想してくれる。一方で秋の乾期には台風が来ない。冬が暖かくなる。暖房がいらなくなるので良さそうに思えるが、南方の蝦によるマラリア蔓延さえ予測されるのだそうだ。ぽっかり開いたオゾン層も加わって、青い地球は瀕死の状態にある。昔の歌に「誰が私をそうさせた」というのがあった。地球をこんなにしたのは人間以外に考えられぬ。してみれば人間は、地球という生命体にとっては害虫以外の何者でもなくなる。地球の寄生虫としての人間、オゾン層の穴から降り注がれる有害紫外線は、有害どころか人間害虫を駆除してくれる殺虫剤でもあろう。この寄生虫は恩知らずで悪賢い。地球から餌を与えられているにもかかわらず、かってに自然を開発してはコンクリートという瘡蓋(カサブタ)で覆い、人間以外の生物を農薬で殺し、あげくは互いに憎みあって戦争すら引き起こしてきた。これほど自分本位で欲望に満ちた害虫は人間以外に見あたらぬ。もはや地球は人間寄生虫によってボロボロに食い尽くされてきた。しかも、地球が死ねば自分も死滅するという当然の帰結さえ知らんぷりをしている。知っていながらやるのだから確信犯だ。いや、地球が死ぬにはまだ早すぎる。人間が自滅してこそ地球は本来の命を取り戻すのだ。地球にこびり着いた人間というカサブタはやがて剥がされるべき運命にある。それは地球がブルン!と一瞬身震いするだけで事足りる。その時なんだ、人間が「地球も生きていたんだ!」と気づくのは。昔々、人間という害虫が地球にはびこっていた時代があった。最近の発掘調査でその全貌が明らかになりつつある。彼らは悪臭放つゴミの山から次々と発見されている。
立花隆氏のホームページに神戸の小六児童殺害事件についての文章が載っている。彼は「神戸新聞に送られた声明文は犯人のものではないのではないか」という疑問を呈している。読めば「なるほど」と頷かせられる点がある。事件を面白がった第三者による者の手紙だと言うのだが、それもかなり事件を詳細に分析して書いた知的な頭脳の持ち主だと推測している。知的好奇心の固まりのような立花氏が言うのだから、おそらくそうかも知れない。警察は容疑者を五人に絞っていたそうだが、その全員に手紙を出した形跡がなく、捜査は振り出しに戻ってしまったらしい。立花氏の推測が的を得たものであるなら、いったん声明文のことは白紙に戻し、文字に関しては被害者の口にくわえられていたメモに絞るべきだろう。何より犯行以前に犯人らしき者がホームページに書いたといわれる三語一体文字の方が大事だ。その重要性は、まだ犯行が行われていないゆえの予告的な重要性だ。そこから「酒鬼薔薇」が派生して被害者の口にあったメモへと続いてきた。要はそれを書かせた犯人の手であり、その手の持ち主である犯人の心であろう。マスコミも結果的な事件の残忍性を強調するあまり、いたずらに恐怖心ばかりを先行させてきたきらいがある。結果以前の犯人の心に辿り着くような心理分析を行わない推測が、かえって犯人の「見つからなければいい」とする罪の意識すら失わせていく危うさを感じる。警察の捜査はかなりもたついている感が否めないが、その焦りが誤認逮捕とならないことを祈りたい。
明日になりますか、広瀬隆氏と藤田祐幸氏が、いわき市の文化センターで「福島原発は安全か?」をテーマに午後から講演をします。言いだしっぺの私は仕事の準備でどうしても行けない。会社を軌道に乗せるためには仕方がない。 車両分野は私が口を出すまでもなく、工場から溢れるほど仕事が入っている。それも今のところ、ですがね。この前の仕事ではすでに別の業者が食い込んできているのを知ってますから、我々零細企業はうっかりすると捨てられる覚悟でいる。来週からの仕事もそんな緊張感の中で準備しているわけです。それを終えた時点でアサツユ主催者の佐藤さんと接触したいと思っています。原発が人類の未来を破壊しかねない危険がある以上、それに向かって挑む佐藤さんのような人を黙殺することはできない。私はそれを陰で支えたい。友人の忠告「何の得がある?」どころではない、必然的に何もかも捨ててもやる覚悟になる。すでに圧力は陰日向に感じている。ここで好き勝手に書いていること自体、会社経営からは全く逆のことをしているわけですから・・・最初から覚悟はしている。そういう意味で私は明らかに経営者失格です。新着のアサツユ報告もそろそろまとめなくては・・・疲れてはいけないね。
1997/06/20、金曜、台風七号直下
堅い話が続いたところで息抜きします。あるテレビドラマでお墓の名前を調べるシーンがあったんですけど、その墓には「金田正俊」と書いてあるんだ。で「カネダ・マサトシ」でしょ。ここまでは面白くもなんともないんですけど、そこで若い女優が「これって『キンタマオトシ』とも読めるわね」と呟くんです。私は一瞬おいて大笑いをしてしまいました。「金玉、落とし」だもんね。ドラマでは誰も笑わないのが余計おかしくて、涙をこぼして笑ってました。そう言えば何かの生トークで大竹マコトが突然「口いっぱいの金玉」と口走り「ざまあみろ、放送禁止用語も生中継じゃどうしようもねぇだろ」と結んだ時には拍手喝采をしてました。人間って、言ってはいけないことを言いたくなる変な性癖、ありますよね?んなもの無いか・・・私にはあるんですけどね。子供の頃「今日だけは笑っては駄目」と親から注意されていたにもかかわらず、親戚のお葬式の神妙さがおかしくて笑いが止まらなくなってしまったことがありました。笑っちゃいけないと思えば思うほど涙流して笑ってしまう。中にはオナラしながら笑う人もいて、また笑っちゃう。私の友人は酔っぱらってチャックしながら立ちしょんべんしてました。おっと、話が下ネタへ偏ってきたところでやめときましょう。
そろそろクリントン大統領も失脚する、いや失脚させられる頃ではないかな・・・あくまで推測ですけど。このところの流れからアメリカ政治のパターンが教えてくれる。ちょうどウォーター・ゲート事件の時のようなスキャンダラスな幕引きが予想される。次期大統領は自動的にゴア副大統領が引き継ぐのでしょうが、このゴアとてそんなに任期が長く続かないような気がする。予想もされなかった意外な展開というか・・・新世紀の幕開けにふさわしい大きなドラマを期待する私の幻想かも知れない。
香港返還が間近に迫っています。その式典に中国が人民解放軍の配備を要求している。これは当然予想されていたことだが、中国の露骨な力の誇示とも受け取られかねない。特に香港在住の平和&民主運動家たちにとっては脅威であり、亡命を余儀なくされるかも知れない。そして、おそらくそうなるだろう。彼らに限らず、日本に不法侵入してくる一般中国人もまた増加しており、これがいつ難民流失へと発展するかも知れないという危惧がある。すでに盲流という言葉も出てきているが、香港返還、北朝鮮の飢餓と軍部の動き、南沙諸島を巡る利権、中国と台湾の対立など不安な材料が揃いすぎている。こうした火種が燻っているところに世界の兵器もまたここ東南アジア一帯に結集しており、何より世界の資金が鰻登りに流れ込んでいる危険である。つまり仮にニューヨークあたりの株暴落が収拾できない事態に突入すれば、当然それは一瞬にして東南アジアに波及することは明らかだ。すれば世界の投資家はいっせいに資金を引き上げ、世界恐慌にまで発展しかねない現代の金融システムの危うさ・・・のことである。お手本は世界恐慌から戦争に至った1929年10月24日の、暗黒の木曜日だ。専門家は「五十年前の出来事を現代に当てはめるには無理がある」と笑う。しかし、その専門家がバブルの崩壊を予想できずに、多くの投資家を煽った事実は忘れたとでも言うのだろうか。いたずらに危機感を煽るわけではない。事実を照らし合わせた分析の結果なのだ。その不安が的中しなくとも、専門家の楽観がもたらす悲劇の方が大きいし深刻だ。バブル崩壊の責任は誰がとったか?醜い当事者同士の責任の擦りあいから、結果的に何の関係もない我々国民の血税がバブルの尻拭いに使われたのではなかったか・・・それだけではない、政府も銀行も日本を牛耳るあらゆる支配層にギャングが浸透していたという事実をもって、我々は恥知らずな支配層の単なる奴隷でしかなかったことに気づかされるのである。さらに悲劇なのは、そうした権力者を選んでしまったという日本国民の悲劇である。絶望することはない。一見華やかな見栄に彩られた張りぼてニッポンの未来は、その根底に国民の良心が必要であったことを知っただけでも希望はある。政府官僚にそれを望む無駄を知っただけでも・・・
1997/06/19、木曜、晴
カンボジアにおける一昨日の銃撃戦はロケット弾も飛び交う激しいものだったらしい。第二首相フン・セン派の警察長官ホク・ロンディ氏が攻撃を仕掛け、第一首相ラナリット派の護衛二名が死亡したと伝えられている。この護衛というのはおそらく元ポル・ポト兵士だろう。二大与党の対立がここにきて露わになったわけだが、第一、第二双方の首相は共に「護衛同士の諍い」だとしている。しかし現場には警戒態勢が敷かれ、武装警察部隊が続々配置されていることから、これが単に護衛同士の争いに止まらぬ組織的なものであることは明らかだ。現に警察長官ホク氏は「私には戦う用意ができている」とまで言明している。そんな中でポル・ポト氏の降伏が取りざたされているが、ポル・ポト派本部でも彼を裏切り者と決定している。どっちに転んでもポル・ポト氏の処刑は免れまいが、それでポル・ポト派の完全な消滅にはならない新たな展開が起きている。すでにラナリットは千人以上の防衛隊を組織しているが、その一割が元ポル・ポト兵士である。当然、正規の防衛隊に不満が生じ、今度の警察長官の蜂起はそれを狙ったものだとも考えられる。来年の総選挙に向けてますます緊張感が漂うだろうが、仮に内戦が勃発すればラナリットにとってはかなり不利になる。実際に軍部を牛耳っているのが第二首相のフン・センであり、プノンペン南の基地にはフン・センの1500人の警護部隊が待機している。武器も豊富だ。ポル・ポトがカンボジア国民の憎悪の対象になったように、今度はラナリットが裏切り者の独裁者として葬り去られるかも知れない。
何が起きても不思議はない状況の中で、意外などんでん返しが展開される懸念もある。かつて24年前に突然カンボジアに爆弾を浴びせ、ポル・ポト派に武器を調達してきたアメリカの存在である。当時フン・センはベトナムから武器を調達していた。そのベトナムは旧ソ連から武器の支援を受けている。米ソ冷戦構造は消滅したと言われているが、こと兵器ビジネスに関しては変わらない。殺し合うのはカンボジアの同族だ。このチャンスを死の商人たちが見逃すはずはない。アメリカが、フランスが、ロシアや中国が、そして西ドイツやインドまで、ありとあらゆる兵器をインドシナやカンボジアに売り込み、殺戮に殺戮を繰り返させてきた背景を忘れてはならないと思う。従って、敗北しかねないラナリットが逆に大国の支援を取り付けて勝利する可能性も残されているわけだ。最悪の場合は国連部隊が登場するだろう。平和部隊という大儀を掲げながら、その実、死の商人たちから買った殺戮兵器を装備するグローバルな軍隊。あのパナマ侵攻で何が起こったか?彼らが片っ端から現地人を生き埋めにしていった事実はどう隠蔽されてきたか?あの湾岸戦争で何が起こったか?帰還兵士の子供に奇形が多いのは何故か?アジアの同族同士が対立するような構図を誰が作ったのか?
昼のニュースでは、ラナリットがポル・ポト派と交渉しているとして、フン・センが非難しているようだ。これではオヤジのシアヌーク殿下も墓場の影で泣いているだろう。せっかく民主政治の基礎を築いて息子に継承したのに、二百万人も虐殺したポル・ポト派を相談相手に選ぶラナリットは墓穴を掘っているとしか思えない。なぜラナリットがポル・ポト派に固執するかは謎になっているが、実はポル・ポト一族とカンボジア王室が血縁で結ばれているという事実がある。1904年に在位したシソワット国王の系列からロト一族の娘が加わっているのだが、そのイトコにサロト・サルという人物がいる。ポル・ポトの本名がサロト・サルであったから謎は解けてくる。さらにシアヌーク殿下の王妃モニクはフランス人であるが、なぜかその出生は明らかにされていない。フランスとカンボジア王家の隠された関係が明らかにされなければ謎の全貌は解けない。いつの日か、その全貌が明らかにされる時、今起こっている不可解な謎も証されることになるのだろう。ラナリットはそのモニク王妃の実の息子ではなく、第一夫人ノネン・カノル王妃が本当の母となる。ラナリットの政治的な暴走は、そんな生い立ちにも原因があるのかも知れない。現在ラナリットは「ポル・ポト派と縁を切らなければ戦うしかない」とのフン・センの最後通告を突きつけられている。そのフン・センは、かつて来日して自衛隊の派遣を要請した男である。日本政府はその辺の事情が分かっているのかどうか、疑わしいものだ。カンボジア事情の背景を知ることなく、へたに動くと大変なことになる。
そろそろホームページを再構成すべきかも知れない。面白いとの反響も頂いたが、日記からリンクする形式では過去の資料が埋没しかねない。かなり資料も貯まったことだし、時々必要な資料を取り出せるようリストを作りたいのだね。それと、過去の日記に追加したい事項も多々あり、更新に更新を重ねるしんどい作業になりそうだ。某大手のリンク登録も済ませたし、これから千客万来と願いたい。自分の本業もかくありたいね。とほほ・・・おっと、大事なことを忘れていた。今朝の新聞・・・新聞。
福島原発の立地町、双葉町の岩本忠夫町長(68)が何と「プルサーマル計画よりも先に、福島第一原発7、8号機の増設を先行する」という姿勢を打ち出している。「もんじゅ」や「東海村再処理施設」の事故で、国民の多くが原発の危険性を認識しつつあるという最中の発言だけに、今やその人格すら疑わしくなってくる。それは同時に、地域住民の命を危険に曝してもかまわない、という岩本町長の人間性そのものが問われるということだ。佐藤知事でさえ、頻発する事故を配慮して原発設置の見直しを表明したばかりではないか。この人は元々社会党の県議として、当初は原発反対の立場だったと記憶している。それが、町長選挙のためか、突然変節して町長におさまってきた。電力会社が絶対安全を口にする中、幾度となく福島原発は事故を起こしている。後で詳しく書くつもりだが、福島第一原発4号炉には歪み矯正をした原子炉が納められている。つまり製造の過程で原子炉が歪んでしまった。それを矯正したわけである。この危険の意味は大きいものがある。脆性破壊といって、ちょうどコップが厚ければ厚いほど僅かな傷だけで、熱いお湯を入れれば内外の温度差が大きくなり、そしてひとたまりもなく割れるのに例えられる。それも一瞬に起こる。分厚い鉄板で頑丈に造られる原子炉の安全性がものの見事に裏目に出る。こうした予想される危険を岩本町長は全く無視しているわけだ。仮に取り返しのつかない大事故が勃発すれば、岩本町長は真っ先に責任をとってくれるのだろうか?いや、責任をとろうにもとれない悲惨な地獄が末代まで延々と続くことになる。こと原発に関しては双葉町に限ったことではなく、いわき市など周辺住民をも巻き込む問題である。よって、双葉町を中心とする周辺地域の枠を広げ、そこに住む人々の意見をも考慮すべきなのだ。この件では言いたいことが山ほどある。山ほどあって言葉がつかえて出てこない。
今日の日中は暑かった。朝は逆に肌寒くなる。脆性破壊ではないが、この温度差が私を爆発させたのかも知れない。書いても書いても書き足りない爆発状態だ。完全に沸騰している。少しは仕事もやらねば・・・
1997/06/18、水曜、曇
BBCニュースでポル・ポトが投降したらしいとの未確認情報を報じている。ポル・ポトは先週、腹心の部下ソン・センに反逆罪で死刑を宣告、家族共々処刑したばかりだ。ポル・ポト自身は点滴を打つほどの重病で、逃げ切るのは難しいとされていた。ポル・ポトが虐殺してきた何万人という人命を考えると、これからの死刑宣告は免れないと思う。国王シアヌークの民主政策を継承するかのようにみえたラナリット第一首相も、今では暴君と化し、ポル・ポト派の兵士を護衛につけるなどでカンボジア国民の不信をかっている。昨夜もラナリット派とフン・セン第二首相支持派が互いに銃撃戦を展開して二人の死者が出ている。(紛らわしいが前述のポル・ポト派幹部ソン・センと第二首相のフン・センは別人だ)いずれにせよ、ポル・ポト派が崩壊してもカンボジアの血なま臭い内戦は避けられない情勢になってきた。そもそもカンボジアがこのような悲劇的な内戦状態になったのはベトナム戦争終結の1973年に、アメリカがカンボジアに介入してカンボジア全土を爆撃したからである。今やアメリカ政府やマスコミはポル・ポト派の非道を盛んに訴えているが、そのポル・ポトに武器を渡してきたのがアメリカであることを考えれば実におかしなことだ。現在、こうした欧米諸国の兵器売り込みは東南アジア全土に渡って行われており、ためにいつ戦争が起きてもおかしくはない緊張状態を形成してしまった。仕掛け人としての欧米大国の死の商人抜きにしては解明できない構図であろう。彼らの目的は同族相戦わせるために兵器を調達し、その利益を貪りながら、疲弊した国のあらゆる利権をも手にする支配のことである。
ディスカバリーチャンネル「ノヴァ」で三年前の、1994年1月17日に起こったロサンゼルス地震の記録フィルムを流している。そのロス大地震の一年後、奇しくも同じ1月17日に阪神大震災が起こる。あの日、私の母は癌の手術後の肺炎併発に陥っていた。そんな中、知人が突然やってきて「おい、テレビをつけてみろ」と言った。それどころではないと思ったが、テレビに映り出されたのは地震後の神戸の街だった。その街から高く上る黒い煙が不気味だった。そして電話が鳴り、病院から母の危篤を告げられ、私はそのまま病院へと駆けつけた。母はベットで喘いでいた。やがて原因が分かり、母の一命が取り留められるのを確認して帰宅すると、そのままウィスキーをがぶ飲みして泣いた。こんな時に酒なんか飲んでいる場合でないのはよく分かっていた。連日、母への心配から、緊張感が極度に高まっていたのだ。その後、神戸は大規模な火災に発展し、結果的に六千人もの犠牲者を出してしまった。母の絶望的な末期癌と、神戸大震災の悲劇とが私の頭の中で交差し、まるで悪夢をみているかのようだった。それから十ヶ月後に母は亡くなった。
ロス大地震では計測計が吹っ飛び、計測不可能となった。しかしその後の処置は素早く、余震を計測して震源地を突き止め、予め組んでおいたシステムによって救助活動が敏速に行われている。死者は57名に押さえられたと記憶している。一方、日本では、ロスの高速道路がいともたやすく崩壊している様子に、東大教授の片山恒雄氏が誇らしげに「日本の場合は世界のどこにも例をみない先端的な防災システムで守られている。あれくらいでは日本の構造物は壊れない。何と言っても地震に対する知識レベルが高い」とまで言い切っている。その一年後の同じ日に日本の高速道路は崩壊し、死者六千人を出す。日本は明らかにロス地震を対岸の火事と軽視していた。むしろ、あの時を教訓とすべきだった。しかも日本はその後の防災対策で最も大きな失策をしている。まずは電力会社の復旧活動の早さが裏目に出た。地震で寸断された電線に電気を流せばどうなるか?災の主な原因がそこにあることを、今もって電力会社は否定している。それでは実験をしてみれば分かりそうなものだが、ひたすら否定し続ける姿勢は責任回避としか思えない。その責任を問うのではなく、今後の防災対策への教訓として活かされるべきなのだ。それでなくては死者が浮かばれまい。そして消火活動である。あの時、ヘリコプターを動員して消化剤を撒けばかなりの効果があったはずだ。そういった疑問に「消化剤は有毒な物質が含まれているため見合わせた」と政府は答えている。しかし後に専門家が「消化剤に有毒な物質は含まれていない」と言うに及んで、政府の嘘が発覚する。素人でも分かるのが、海の水をヘリで汲んで消火すればいい、ということである。これも政府は「ヘリの風がよけい火災を広げる恐れがあった」としている。しかしアメリカではすでにプールの水をヘリで汲んで消火する方法が定説ともなっている。大量の水が火災を鎮火してしまうため、風の影響は封殺されるのだ。瓦礫の中で助けを呼ぶ声が至るところで聞かれたあの当時、それらの人々が火で焼かれていく現実を想う時、ひとりの生身の人間として、政府の失策を今後の教訓にしてもらいたいと切に願わざるを得ない。
神戸大震災を想うたび、私は母の断末魔の喘ぎが聞こえるような気がしてならない。そしてその喘ぎは震災の犠牲者六千人の喘ぎと呼応して、日本全土に響きわたっているような気がするのだ。死者は黙して語らないどころか、その悲痛な心の叫びは、心ある生身の人間には共鳴して永遠なるものだと考える。
1997/06/17、火曜、薄曇り
最近、灯りの消えている馴染みの居酒屋、心配になって女将に電話する。息子が交通事故で大腿部を骨折、入院してしまったのだと言う。気落ちして、しばらくは店を休むつもりらしい。別に命にかかわる事故でもないし、骨折ですんだのは不幸中の幸いかも知れない。若いんだから回復も早いはず、治療すれば治る怪我だし、前向きに考えれば気落ちすることもない。そんなことを話している内に、女将の声も段々弾んでくるのが感じられた。私の馴染みの居酒屋は三件あるが、ここが家庭的で一番安い店である。5千円以内で安心して飲める店はここぐらいだ。いわき市内の飲屋街は北の白銀、南の田町に分かれている。若い時分はよく田町で酒を飲んでいた。恋愛も喧嘩も、青春の一部は夜の飲屋街で浪費したようなものだった。当時は小名浜からよく漁船員が飲みに来ていた。遠洋から帰った時など、胴巻きに三十万円くらいの札束を差し込んで、豪勢に飲んでいたものだった。チンピラも店から店へ、みかじめ料などを公然と集めていた時代、喧嘩が起きないのは不思議なくらいだ。つまり喧嘩も日常茶飯事で、それに慣れるというのも変な話だが、警察沙汰にはならない暗黙の掟みたいなものがあった。しかし漁業規制などで漁船員の懐も寂しくなったあたりから、バブルの高騰で客筋が入れ替わる。この頃から飲屋街の酒代も高くなりだし、私も場末の居酒屋へと離れて行くようになった。そしてバブルの崩壊で飲屋街は今、瀕死の状態にある。いろいろあった。これからもいろいろあるだろう。また、いろいろあって良し、とする人生でありたい。
1997/06/16、月曜、晴
翻訳ソフトと格闘している。安いソフトだから無理もないが、とにかく融通がきかない。アメリカのチェルノブイリ事故を扱っているホームページに飛ぶが、意味不明の訳文に四苦八苦させられる。そんな中で私も日本語を英語に訳してメールまで出してしまったが、あれを読むのに苦労しているアメリカ人を想像して苦笑する。
衛星放送で映画「エレファントマン」を観た。奇形ゆえに偏見にさらされる主人公だが、その精神性は誰も犯しがたいほど崇高なのですね。いつしか欲望の虜となっている自分が恥ずかしい。そうありたいという願いとは裏腹に、人は自分の悪癖に悩むものらしい。釈迦は弟子に人生の何たるかを教えるために墓場に連れていったという。当時のインドの墓は、遺体を野ざらしにする自然葬が多かった。肉体が徐々に腐食して骨だけになっていく様子を、釈迦は毎日のように弟子に見せたらしい。肉体の儚さは浮き世の儚さであり、死ぬべき必然を伴った人間の限界をも教えてくれる。死は醜悪な外見とは対称的に、厳然として崇高で精神的な関門かも知れない。エレファントマンはその最期に醜悪な肉の衣を脱ぎ捨てて、新たに精神の昇華を求めて旅立ったかのような印象を、私は受けた。マザーテレサは路上で餓死していく人々にキリストの姿を見たという。そのキリストに仕えるように、彼女は世界の最も悲惨な人々に救いの手を述べ、仕えてきた。その彼女が来日した時、日本での感想を次のように述べている。「物が豊かに満ちあふれている国。でも心の貧しい国」・・・
1997/06/15、日曜、晴
小六男児殺害事件で犯人がホームページに「酒、鬼、薔薇」の三文字を表示していたらしい。事件前のことと言うから、ほぼ間違いなく犯人でしょう。一連の事件推移をみると、犯人はどうも自己顕示欲が強いようですが、これが命取りになるかも知れないな。むしろ逮捕されるのを自ら願っているような、自暴自棄で自虐的な雰囲気が伝わってくる。謎かけゲームが単なる遊びではない、命を賭けた死のゲームを展開することで生きる緊張感を保っているような気がする。しかも、その脆さを覚悟の上で自分を窮地に追いやり、絶体絶命の綱渡りを楽しむしかない絶望を感じる。
死のゲームの最たるものは戦争ですが、イタリアの独裁者ベニト・ムッソリーニもまた巧みな演説で戦争の綱渡りをしてきた。最期には銃殺され、愛人と共に肉屋の鉤で逆さ吊りにされる。そのムッソリーニの次男ビットリオ氏が12日、81歳でこの世を去ったという。「無防備都市」のロッセリーニ監督、「道」のフェリーニ監督らと映画製作に関わり、独裁者の父とは逆にイタリア映画界の貢献者として高く評価されていた。そのムッソリーニ・ファミリーの意外な展開とイタリア映画界の相関図を広瀬隆著「ハリウッド大家族」から抜粋する。
私はフェリーニの「道」が好きで、何度も繰り返し観たものだ。アンソニー・クイン扮する大男ザンパノが綱渡りの芸人を殺してしまう。目撃者は知的障害の女ジェルソミーナだけ。事故に見せかけて始末するザンパノ、そこからザンパノの本当の地獄が始まる。殺された芸人に密かな恋心を抱いていたジェルソミーナの心に決定的な異変が現れる。その異変に生活のままならなくなったザンパノは、無慈悲にもジェルソミーナを置き去りにして逃亡する。時を経て、ザンパノは自分が捨てたジェルソミーナが死んだことを知る。それを忘れるかのように酒を浴び、喧嘩して、辿り着く夜の浜辺。怯えたように空を仰ぎ、崩れるように慟哭するザンパノ・・・全ての罪がザンパノの心を捕らえて離さない悔恨。残酷な人生模様に流れる美しい主題曲ジェルソミーナ。唯一の希望は、殺された曲芸師がジェルソミーナに語る言葉「こんなちっぽけな石ころでも何かの役に立っているんだよ。君もきっと何かの役に立っているんだ」石ころを押し抱くようにして見つめるジェルソミーナの表情が印象的だ。
沙羅双樹、通称ナツツバキの花が咲きかけている。純白の花弁がうつむきかげんに佇んでいる。ふと母を思いだした。死んでも死なない何かを、花が教えてくれるような気がした。
1997/06/14、土曜、晴
英日翻訳ソフトが届いた。まずはアメリカに飛んで、いろいろ試してみる。やはりそのままの翻訳ではスムーズに読めない。何とか意味を理解できるまで思考する必要がありそうだ。試しにチェルノブイリの事故についての資料を翻訳してみた。手直しして読めるようにするまで骨が折れる。ついでに別の日英翻訳ソフトで私のホームページの一部を英語版にしてみる。むろん日本的な言い回しは表現できない。英語としての文章が果たして成り立っているのか、不安だ。とりあえず原発資料だけを英語に翻訳する予定だ。
昨夜、スナックのママからさんざん批判された。「あんたは口先だけで原発反対と言うけど、何もしてないじゃないの」云々・・・。ママの言わんとするところは、目に見えるような行動で示せということらしい。街頭で演説するとか、政治家を動かすとか、鉢巻きをしてデモをするとか、パフォーマンスを伴わない運動は無意味だと言わんばかり。何か違うんだよなぁ。日常的な会話にこそ原発問題は浸透していくべきであって、底辺の静かで確かな人間の心のうねりみたいなものが世の中を動かしていくと思うんだ。正義を振りかざして声高に自己主張するのは危険でさえあると考える。かつての15年前の私がそうだった。某組織に属しながら、それが正義だと刷り込まれたまま奔走してきた。その結果、組織に利用されたにすぎない絶望感を味わうはめになった。私はその組織にとって消耗品にすぎなかった。冷静に分析すれば、悪魔が神と名乗るような組織に動かされてきたのだった。権力者が正義を口にすることほど恐いものはない、と知った。それから一切の集団を遠ざけるようになった。孤立しながらも暗中模索の道を選んだ。それが絶対だとは思わないし、むしろ絶対とするものを疑いたくなる。人それぞれで良し、私は結果的にこうなっただけだ。「口先ばっかり」というママの批判を受けながら反論せず、黙ってカネを支払い帰ってきた。
1997/06/13、金曜、晴後薄曇り
アサツユ報告が届く。カンパが遅れ、まことに申し訳が立たない。今度の仕事で少しまとまったカネが入る。それを予定している。昨日の仕事の後遺症で体調がすこぶる悪い。しばらくは日中に外を歩けない。太陽の日差しが刺激となってしまうからだ。せいぜい夜に居酒屋で飲むぐらいのことになる。このずっしりと重い疲れによって会社は成り立っている。生きている限り、いつでも戦闘態勢だ。地べたに這いつくばっても生き延びてやる。
今度の小学生惨殺事件では多くの日本人を震撼させているようだ。同業者の社長が「実はオレも生首を見たことがある」と言い出した。最初は冗談だと思ったが、話を聞くうち事実と分かり背筋が寒くなった。二十年前、駅のホームで飛び込み自殺を目撃したと言う。切断された首が、眼を開いたまま線路の間に転がったのを見たらしい。恐くてそれ以上は聞かなかったが、その場に居合わせる偶然の確率を考えた。そう言えば、この社長と一緒にいる時に何度か事故現場に遭遇している。
社長の運転で現場に向かう途中、後ろから強引に追い越すタクシーがあった。見ると、運転手が怒ったような凄い形相で、何と対向車線に飛び出した。とたんに衝撃音と共に大破するタクシーが目撃された。正面衝突だった。どうやら鞭打ち症ぐらいで済んだようだったが、私はあの時の狂気に満ちた運転手の表情が今でも浮かんでくる。事故は起こるべくして起こった・・・正面衝突を覚悟していたようなところがあった。運転手を激怒させるような出来事が最初にあって、ために常軌を逸脱するような自殺行為に走ったのだろう。当時はいろいろ考えを巡らしたものだが、日常的に起こり得る心の危うさのようにも思えた。
もう一つは前述の社長が我が家を訪れた時に起こった。やはり凄い衝撃音が響きわたったのだ。外に飛び出すと、乗用車が電柱脇の堀に入っているのが見えた。運転席を覗くと、若い男がハンドルに顔を伏せていた。額から血が流れている。ドアを開けようとしたが壊れて開かない。人が集まってきたので、力を合わせてようやくドアをこじ開けた。そのとたん、運転していた若者が「ああ、もうお終いだぁ!」と叫びながら車から飛び出してきた。それこそ電柱にぶつかっていれば命はない、お終いになっていたはずである。若者は泥酔していた。その時の若者の叫びは、酔っぱらい運転で裁かれる自分の不遇を嘆いたものだった。人を轢かないだけ不幸中の幸いと言うべきだろう。人間とはこんな時にも自分のことしか考えないものかと、しばらく考えさせられた。
世間を騒がせている今の惨殺事件でも、その惨さ以前に、犯人の末期的な心の空洞がある。人が人で無くなるほどの空恐ろしい空虚な心がある。そこに至る責任を全て他に転化するところに、さらに罪深い人間の原罪があるように思えてならない。そうした自分本位が、他人を傷つけても自分は痛まないという錯覚を生む。心の葛藤が無い、枯渇した愛が犯罪を生む。それは日常的に私たちの心に潜んでいる危険かも知れない。事故を起こした若者が「もう、お終いだぁ」と叫んだように、自分で自分を絶望させてしまった犯人がいる。裁かれるべきは犯人の肉体ではなく、心の絶望そのもののような気がする。
1997/06/12、木曜、晴
内部の仕事完了。外部は来週からになる。助っ人の二人、まるっきり対照的な仕事ぶり。冗談ばかり連発して動かない奴、寡黙にコツコツと働く人。人それぞれだが、やはり誠実さが基本だと思う。手伝ってやっているという傲慢な者ほど隙をみては手を休め、仕事への向上心がある者ほど感謝しながら働く。雇う側にも同じ事が言える。自ら先頭を切って仕事に取り組まなければ人は付いてこない。
掃除のおばさんが変わった。今度来たおばさんは楽しい人だ。休憩時に世間話をする。三年前に亭主をガンで亡くしたと言う。私の母も二年前にガンで死んでいる。そんなことから話が弾む。四人の子供全部女ばかり、今度その末っ子が結婚することになって全部片づくらしい。「そういう話はもっと早く聞いておけば良かった。オレがその娘さんを貰っていたかも知れない」と言ったら大笑いする。
ひとり、孤立している人がいる。幾度となく所長と口論していた彼を知っている。理由のほどは知らないが、仕事には潔癖な人格者であることだけは分かっていた。上司に堂々と異論を唱えるにはそれだけの理由があったことだろう。他の作業員から一人離れて寂しそうにしているのを見ると気になって仕方がない。窓際に飛ばされたという感じがする。上司に睨まれ、同僚は離れていく。思い過ごしかも知れない。世の中には理不尽なことが多すぎる。これだけ大手になると利権を巡っての生臭い話も伝わってくる。どんなに汚い手を使っても、それを手に入れたら勝ちだとする生々しい現実を知らされる。まさに「悪い奴ほどよく眠る」世の中だ。蓮は泥の中に咲く。今は孤立して悩んでいる彼もまた蓮の花に似ている。いつかそれとなく話を聞いてみたい。