1997年四月


日誌暦

内容

1997/04/30、水曜、曇後雨

 株価が二ヶ月ぶりで1万9000円台を回復したそうで「おめでとう」と言うべきか「もう、いいかげんにしなさいよ」と忠告すべきか、ニューヨーク株など史上2番目の上げ幅とかですっかり舞い上がっていますね。これを待ち望んでいたのが大蔵省あたりで、これから公的資金の自主運用に拍車がかかるでしょう。国民は老後生活の安定を望んで国にカネを預けているのに、そのカネを株につぎ込んで博打をする政府・・・おかしいよなぁ。政府は(郵政省&厚生省)公的資金の運用を、結果的に信託銀行に委託するわけだが、そのために株価は「人為的な上昇」という仕手戦的な様相を呈する。大蔵省は民間の仕手戦を監視しながら、実は大蔵省自らが公的資金運用で仕手戦をやっていることになる。これが93年のバブル崩壊で行われ、やがては年金の支払い不能という最悪の事態を招くことになる。すでに日本経済の基盤が音をたてて崩れ去ろうとしている。そしておそらく、いやかなりの確率で、ある日ニューヨークの株が暴落し、それが世界に波及し、日本経済がトドメを刺される時、それこそ国民の血税が再び使われようとする・・・そして日本の指導層は誰も責任を取ろうとはしないのだ。

 最近、凶悪な事件が頻発している。そこにはカネのためにいともたやすく人が殺される図式が見える。私の亡父は戦後の高度成長期に会社を興し、ために多忙のあまり家族そろって食事をするのもままならなかった。両親の共稼ぎがあたりまえとなり、子供がひとりで留守番をする鍵っ子という言葉も生まれていた。やがて日本が経済的な豊かさを手にしたあたりから、その頃のツケとして心の空洞が表面化したように思える。個室にひとりで残された子供の異変が次々と報告される。子供が親をバットで殴り殺し、親が子供の首を絞め殺す。病院にかつぎ込まれる子供の体内からボールペンや茶碗が発見されると言う不可解な事例もあった。レントゲンに映ったそれらの異物は、子供が寂しさのあまり自ら肛門に注入したものであった。生きる実感が保てない子供の悲しい所作でだった。小学生が次々と自殺した頃にも、大人たちはバブル沸騰期で欲望を燃焼させ、そして今日の底なし不況が待ち受けていた。もはや経済的な豊かさすら望めない今、贅沢に慣らされてきた子供たちがこれからどうなるか?都会では少年少女たちが体を売ってまで贅沢を維持しようとする風潮が定着しつつある。また阪神大震災を契機に、ボランティアに生きがいを見いだす若者も続出した。それは絶望が希望を見いだしてくれるという典型的な例である。常につきまとう人間の光と影だが、影が暗くなればなるほど光りも又それに相応して光り輝くものだということを信じたい。とりとめのないことを書いた。


1997/04/29、火曜、晴

 何もしない、誰とも話さない、ただ庭を眺め、黙々と食事をし、生きることだけに生きていた、そんな休日。だが心は絶えず揺らぎ、変転しながら永続している。我を忘れ没頭することで保ってきた生きがいも、空を流れる浮き雲にふっと心を奪われた瞬間、言え知れぬ空洞が待ち受けていた。透き通るような青空の彼方、漆黒の宇宙空間のありようが心の空洞を映し出している。わけの分からぬふわふわした何か、全身から抜けていく気力に身を任せて、全ては無であるという喪失感にめまいする。そんなとき、一杯のワインは何よりの救いだ。麻痺した魂に響く心のざわめき、成るようにしか成らなかった青春の日々を反復しながら、ただ今を生きている存在そのものだけを認識する。取り返しのつかない過去も、暗中模索の今も、ひたすら予測のつかない明日に向かって流れていく・・・そのままでいい私が、そのままで流れていく。


1997/04/28、月曜、小雨

 社会保険の職員がたずねてくる。「今月分も宜しく」と愛想を振りまく。「これまで無理をして納めてきたのに、今日はわざわざ受け取りにきたのけ。ちゃあんと納めるから取りに来なくてもよかっぺや」かく言う私に、職員は苦笑しながら「いやいや受け取りに来たんでないのよ。なるべく早めにということで・・・」と、あくまでも腰が低い。「早めにってか、んで早めに無理して納めた社会保険はどうなってんだ?おれらが年くってほんとに面倒みてくれる保証はあんのか?」「まあまあ社長さんよ、そうイジメねで。社長さんの絵、見に来ただけだがら。絵、どこにあんの?」「絵だって?おれの絵褒めても社会保険はちゃんと取るんだっぺ?ん?」・・・社会保険が家計簿の苦痛になっているのは私だけの会社ばかりではあるまい。それでも無理して期日までには納めているのに何故いちいち催促するのかと、つくづく思う。

 年金福祉事業団は95年度の累積赤字を1兆112億円と公表しているが、これは我々の厚生年金など公的資金を債券や株で自主運用したあげくの果てである。私たちの世代までは何とか僅かばかりの年金を貰えても、それ以後の世代はおそらく無理だろう。社会保険を催促されるたびに、そうした質問をしても「分からない。国に聞いてくれ」の一点張り、だから頭にくるのだ。社会保険の実状を説明しない(できない?)職員が、それが規則だからと否応なくカネを取り立てる自体おかしいと言うのだ。以前は社会保険事務所と口論して暴言を吐き、取引銀行から注意されたりした。それからすれば私は穏やかになったと言うべきか・・・


1997/04/26、土曜、晴

 政府はついに「脳死は人の死」として可決してしまった。これらの決定の背後には、臓器移植を合法化したいという意図があることは明白であろう。一応「臓器売買は禁止する」という移植法案の骨子はあるが、何のことはない「本人の臓器提供意志があれば、死後に臓器摘出が許される」ということであって、臓器を受ける側にとってはかなりの経済負担を強いられる。ここでの最大の問題は「人間が勝手に人の死を判定する」ことへの疑問である。脳機能テストによって、機能停止がみられても脳細胞が果たして死滅しているのかどうかは分からないことがある。脳死の断定が脳機能テストに依存している現在、いずれは回復するかも知れない臓器提供者を殺しかねない危険性があるのだ。最近では脳低体温療法で、脳の温度を下げれば脳は冬眠状態に陥り、徐々に回復する事例が相次いで報告されている。この件に関しては立花隆氏がインターネットで詳しく説明しているのでここに載せます

 もう一つの問題は臓器移植手術の完成度が確立していないことでろう。移植された臓器は、その患者の生体にとっては異物とみなされ、それを排除すべく免疫細胞とリンパ球キラーT細胞が移植臓器に猛烈な攻撃を開始する。ここで医師はたちは免疫系に操作を加えるべく、薬(免疫抑制剤)を投与する。問題はこの免疫抑制剤でシクロスポリンの登場によってようやく生存率が50%を越え、改良後には80%を越えたとも言われている。このシクロスポリンは「魔法の弾丸」ともてはやされ、臓器移植の革命が起こった。しかしその副作用もあり、患者の大半に腎臓障害が現れ、高血圧、痙攣などまだまだ安全性は確立されていない。むしろ臓器移植の初期の段階で、免疫細胞が移植された臓器を殺してしまうことの危険性の方が大きい。

 世界で最初に腎臓移植に成功したとされるフランスのジャン・ハンバーガーは臓器移植の光と影を見越して言う。「自然の法則に従えば、遺伝的欠陥をもった子供は悲劇である。これは公正でないと人は考える。そして人は、この不正を正して欲しいと医学に求める。それが行われる。これもまた、自然と自然の不正と残酷さに対する私たちの勝利である。しかし、このような征服行為は賭けでもあるのだ。遺伝的欠陥をもつ子供が自然のままに死ぬのを遮ると、そのような患者が成人になり、結婚し、子供を産むことで、そうした欠陥がますます増えていくことは避けられないのだ」と・・・


1997/04/24、木曜、晴後曇

 正午前、友人から電話あり。息子が某専門学校の試験に落第したとのこと、甘やかしすぎたとしきりにこぼす。子供の頃から欲しがるものは何でも買って与えてきた。それが高校を卒業する頃になっても続いている。パソコンが欲しい、自動車が欲しい、みんな買ってやった。ところがこのところの不況で仕事もままならないのに、息子は自分の進路を決めかねている。そんな悩みを打ち明ける。「息子の進路ぐらい息子自身に決めさせろよ」つい私の口調も荒くなる。息子だって、仕事が少なくなって困っている親の姿を見ているはずだ。そんな親からカネをねだる息子ならいない方がいい。自立させることが先決だろう。今夜、飲む約束をする。私の言うことははっきりしている。


1997/04/23、水曜、曇

 日本時間午前5時半頃、リマの日本大使公邸にペルーの特殊部隊が突入したとの第一報が伝わる。ペルーでは午後3時半の白昼、武装グループも不意を突かれて一気に殲滅させられた。その後のマスコミの報道ぶりで多くの人々はテレビに釘付けになっただろう。気になったのは日本政府が事前に何も知らされていなかったのに対し、アメリカ政府はすでに前日から正確に電撃作戦を把握していたことだ。テレビの映像を注意して見ると、特殊部隊に混じって黒いマスクをすっぽり被った少数のグループがいる。憶測にすぎないが、彼らこそアメリカが極秘に派遣した特殊部隊の一団ではないかと思われる。顔を知られてはまずい連中であることだけは確かだ。赤十字国際委員会が毎日差し入れていたポットにも盗聴器が仕掛けられ、バイブ付きのポケベルで連絡を取り合っていたらしい。突入時にも、人質になっていたペルー軍少将がホウキの隠しマイクでゴーサインを出したと言われる。衛星も駆使されたというから、これはアメリカの援助なしでは成しえない作戦だったといえる。おそらくアメリカの軍事衛星が使用されたのだろうが、その機能は驚異的なものがあり、特定の車を停止させる信号も備えられているといわれる。すでに基地では公邸の実物大のセットで救出訓練が行われていたとも報道されている。ペルーのテロ対策訓練は凄まじいものがあり、犬を殺して取りだした腸を首に巻いて、血に動じない兵士を作るプログラムまである。この事件を契機に、日本もテロ対策を口実とした警察及び公安、自衛隊などの強化を図ることになるだろう。

 フジモリ大統領がなぜこのような強硬政策をとったのか、その原因にフジモリの側近スキャンダルがあるようです。インターネットで公表されている近況をここに載せます


1997/04/22、火曜、曇時々雨

 会計をよそに三時間も庭を眺めていた。奥のヤマツツジが見えるように、手前の沈丁花を剪定する。濃いピンク色のツツジの下に白いアヤメに似た可憐な花が咲いている。地面の雑草に混じってタンポポの黄色が点々と鮮やかだ。それにもまして新緑の葉の何と多様なことか。形や艶が種類によってみんな違う。散りかけたボケと咲きかけているツツジの紅い花を仏壇に飾る。思えば母も小さな体を折り曲げてよく庭の手入れをしていた。私は雑草が生えようと自然に任せる主義で、よく母と口論したものだ。スズメ蜂の巣を取る取らないで衝突したこともあったが、自然のままがいいと言う私に「まったくおまえには呆れるわ」と母が憤慨した。その母が亡くなった翌夏、私はスズメ蜂に腹を刺された。その痛みで母の忠告を思い知った。

 「趣味の園芸」番組キャスター須磨女史も同じようなことを手記している。「花は可愛がると咲いてくれるとも、いじめると咲くともいいますよね。また、手間をかければかけるだけ応えてくれるとも、放っておいたほうがいいともいいます。考えてみると不思議・・・どっちなんでしょう?」うむ、ホントどっちなんでしょね。何もしなかった花は可愛がった花より貧弱だったという実験結果もあるらしい。私の好みではあるが、いつも美しい須磨女史は花に例えればなんの花になるだろうか。既婚とも伝え聞くが・・・いや、そんなことはあるはずが、あるのか?残念。何が?・・・さて?

 「元気か!」突然の大声に驚いた。友人が仕事の途中で立ち寄ったのだった。しばし庭を眺めて談義、植物に詳しい友人にそれぞれ名前を教えてもらう。話の途中で原発の話を持ち出す。協力を約束、手元の資料を手渡す。彼が帰った後、庭を眺めて気づいた。ついさっき教えてもらった植物の名前の大半を忘れていたのだ。


1997/04/21、月曜、薄曇り

 伊丹監督のホームページ「マルタイの女」に再度お邪魔する。ここに監督が暴力団に襲撃された様子が、監督自身の日記によって詳しく紹介されている。読みながら、私が体験したこととダブってくる。当時の映画「ミンボーの女」がどれだけ暴力団の弱点を突いたかという証明でもある。監督に無断で申し訳ないが、ここに紹介させていただく。長文ながらリアルな迫力が伝わってくる。

 立花隆氏のホームページに読売新聞のコラムについて触れている。「国連はアメリカの国益のために利用する」というベーカー元国務長官の言葉を怒りをもって紹介している。湾岸戦争にもアメリカは国益優先に事を進めてきたが、日本はその国連に(アメリカに)2兆円もの献金をしてきた。アメリカは当初から国際貢献など考えてはいなかったのだ。ベーカーははっきり断言する。「国連は米国の国益を促進するための多くの手段の 一つにすぎない。国連は米外交政策の目的ではなく、手段なのである」

 ベーカーは国益などと言っているが、正確に言えば一握りの多国籍企業であり、軍産複合体とそれを支配する特権ファミリーではなかったか。湾岸戦争で戦った多くの兵士が属するアメリカ国民ではなかった。立花氏は触れていなかったが、ベーカー自身かなりの資産家であり、大量の殺戮兵器を送り出してきた軍需企業のファミリーに属している。ロックフェラーのユニオン・パシフィック鉄道と、モルガン財閥のウェスタン・ユニオンの支配者であり、かつてのトルーマン政権下で国防長官をつとめたロヴェット一族と同族でもある。ベーカー一族は「ベーカー法律事務所」を通じてアメリカの影の支配者、巨大財閥に有利な弁護を引き受けながら、自らも財閥の仲間入りを果たしていたのである。瀕死の軍需企業が湾岸戦争で再び息を吹き返してきた背後には、ベーカーらの暗躍があった。自国の国民を兵士として戦地に送り出しておきながら、一方では殺戮兵器を量産して大儲けをする。ベーカーは国益などと言う資格すらないのだ。湾岸戦争でアメリカの大企業がどれだけ利益を手にしてきたか、いやアメリカだけではない、彼ら死の商人たちは互いの利益を目論みながら広瀬氏の「地球のゆくえ」から一部抜粋してここに載せます


1997/04/20、日曜、晴

 縁側で朝日を浴びていたら、弟と妹夫妻が来る。弟は東京でビルの清掃会社を営む。公共の仕事も厳しくなっていると言う。かなり憤慨している。茶を飲むまもなく、郡山の親戚まわりに向かう。「帰りにまた寄る」と言っていたが、おそらく夜になるだろう。ゆっくり話もできないはずだ。ロープで吊られたブランコに乗っての現場写真を見たことがあった。危ない商売だと思ったものだが、その方がゴンドラを使うより安全なのだそうな。事故を起こすのは大抵ゴンドラで、ワイヤーが外れたりするらしい。ちょっと傾いただけでもゴンドラに乗っている作業員の衝撃は大きく、心理的にもショックの度合いが強いのだと言う。かつてゴンドラが乗用車の上に落下した事故があったが、作業員と運転手は即死だった。乗用車が大破した写真をフォーカスで見た記憶がある。私も足場から落下したことがあるが、思い出すたび背筋が寒くなる。そう言えば、昨夜のNHKテレビで窓伝いに移動する窓拭きロボットが紹介されていたっけ・・・金銭的な余裕さえあればの話だな。

 不況で首が回らないという同業者の悲鳴を頻繁に聞く。政府の「緩やかな景気回復」とは裏腹の悲惨な現実がある。実際にそこかしこで店じまいをする現象が起きている。地元との共存をうたい文句にしている大型店も、実際には地元の小売店を食いつぶしているのが現状だろう。地元銀行には釣り銭だけを用意させて売り上げは夜間金庫に寝かせておく。翌日には売り上げが東京本店に送られていく仕組みだ。社員も本店から出向する。これで共存とは片腹痛いというものだ。そんな大型店を後押しする政府もまた同じ穴のムジナであろう。95年の政治資金収支報告が過去最高の1859億円なのだと言う。将来何になりたいか、という子供へのアンケート調査で「政治家になりたい」が多かったらしい。その理由は「オカネが儲かるから」・・・子供たちにも政治家は割のいい商売と映っているのだね。

 地元の脱原発グループの活動が本格化してきた。東京電力の荒木社長と福島県知事の佐藤知事に直接ハガキで「プルサーマル計画阻止」などを訴えようというもの。友人知人に応援を頼むが意外な反応が返ってきて考えさせられる。原発に全然関心がなかった知人に渡した一冊の本が、その知人をして脱原発賛同に変えたこと。商売では愛想の良い同業者が、原発を口にしたとたん態度を硬化させて無視したことなど・・・口では平和などと美句麗句を言う友人が実際の行動となると逃げてしまう。その常に冷静知的な友人が「あんたは熱くなりすぎるんだ」と忠告するから「情熱家と言ってほしいな。さしずめあんたは傍観者だね」と切り返してしまった。「子供たちのために」という一点だけでも何かをしなければ、そんな友人もいて千差万別の人間模様を体験した。


1997/04/18、金曜、晴時々曇

 「日本はまるでママのエプロンに必死でしがみついて離れない幼児のように、アメリカに依存したがる」と言ったエコノミストがいる。同感だ。「アジアの紛争を予防するための沖縄基地だ」と言いながら、一方ではそのアジア諸国に大量の兵器を売りつけるアメリカは、むしろかえって緊張状態を増長しているのではないか。今年だけをみても、1月には台湾がアメリカに発注した200基のパトリオット・ミサイルが配備されはじめている。そのアメリカに日本は2735億円もの思いやり予算を献上し、横浜の上瀬谷基地米軍住宅建設には約500億円の血税を使おうとしている。日本国民のウサギ小屋を尻目に、政府は米兵のために一戸あたり5000万円の優雅な生活を保障するのだ。そこまで貢いで依存しようとしても、果たしてアメリカは日本を防衛できるのだろうか?バブル崩壊後の経済破綻に喘ぐ国情を無視してまでアメリカに貢ぐ日本は、アメリカにとっては願ってもないカモでしかあるまい。


1997/04/17L木曜、薄曇り

 昨日、友人の好意で屋根の修理を安く終えた。カネはいつでもいい、と言われたが明日には払うつもり。善意に甘えてばかりもいられない。この不況でみんなが苦しんでいる。困っているときはお互い様、昔も今も人情は変わらないのだと思いたい。夏になれば見積分の仕事が一気に入ってくる。それまでの辛抱だ。

 体調いまいち、頻繁に母の夢をみる。亡くなってから一年も経過しているのに、私の心の中では歳月と共に母の面影が大きくなっていくようだ。何故だか分からない。夢の中で元気な母に会い、目覚めてなお母の不在が信じられない朦朧とした感じが続いている。あの阪神大震災で家族を亡くした人々も同じ想いなのではなかろうか・・・しかも彼らは一瞬のうちに家族を失うショックを体験している。そう簡単に忘れることはできないはずだ。いつか、落ち着いたら神戸に旅しようと思う。

 特措法(米軍用地特別措置法)が成立した。成立したと言うより「強引に成立させられた」と言ったほうがいいだろう。沖縄県民が「差別だ」と激怒するまでもなく、これは沖縄県民の意志を問うことなくして決定された人権侵害問題でもある。決定された瞬間、傍聴席の反戦地主たちが抗議の声をあげ、議事妨害として警視庁に連行されてしまった。これを妨害というなら、私有地の権限を奪う政府は泥棒と呼ぶべきだろう。この国は泥棒に有利な法律を勝手に作ってしまうほど堕落してしまったのか。傍聴席には女性のかたもおられたが、彼女が泣きながら引きずられる様子に心が痛んだ。


1997/04/15、火曜、薄曇り

 伊丹監督の最新作「マルタイの女」ホームページを覗いた。面白い。タイトル名が何を意味するのか分からなかったが、警察が被害者をガードすることの隠語、特定の人物に対して保護する意味らしい。監督自身の襲撃事件が映画を作るきっかけになったらしいが、この人は転んでもただでは起きない人だ。父君も有名な監督だった。あの「無法松の一生」のシナリオも、息子(今の伊丹監督)の体の弱さを心配して、それを影で助けてくれる無法松のような人間を想定して書かれたという。前の伊丹監督の作品「静かな生活」のホームページもあった。これはノーベル文学賞を授与した大江さんの作品の映画化であるが、伊丹監督と大江氏はイトコ同士だという。最近何かと気になる監督のひとりである。

 県内で少年たちによる「おやじ狩り」で重傷をおった事件があった。ムシャクシャしてやったと言う。折しも、今日の大阪では妊婦への襲撃事件が起きている。母親は助かるようだが、胎児は死んでしまったらしい。犯人の青年は「幸せそうだから」という理由だけで面識もない主婦を襲っている。いずれも面識もない人間を発作的に襲っている。この二つの事件に共通しているのは価値観の喪失だと思う。人間の命が尊ばれない、現代の世相を如実に現してもいる。こうした理由なき犯罪の背景には、自分が生きていることの理由さえ見失っている悲惨な現実がある。心の喪失だ。死刑を宣告された幼女殺人犯の宮崎被告は、死刑を宣告された瞬間にも無表情だった。そこには自分の命でさえ価値を見いだせない喪失感が漂う。私には、彼ら個々の人間が異常なのではなく、日常にぽっかり口を開けた心の空洞に喪失してゆく人間の命が見え隠れする。日常という仮面の中で崩壊していく心の問題は、例外なく私たちに共通したものであるように思う。


1997/04/14、月曜曇後雷雨

 午前三時、ようやく「アサツユ報告」をホームページに書き込む。書き込みながら大河原多津子さんの「夢と現実」の文章に惹かれる。これはいつでも現実になりうる夢であり、いわき市に住む者にとっては他人事ではない。仕事柄、地元の風向をネットワークで調べているが、風は決して低気圧に向かって吹くのではなく、海岸近くでは乱気流となる場合が多い。仮に福島原発が爆発したとしたら、その影響は予想もつかない方向に広がっていくことになる。東海村の爆発ではその二日後に大河原宅に取り付けたアラームが鳴ったという。私もそろそろアラームを取り付けることを考えている。知人が独自に開発したアラームで、電話回線を通じ全国規模で即座に集計できるようになっている。支援の要請をすればいつでも駆けつけると言っていた。以前はそれまで考えなかった私も、脱原発の運動が大きなうねりとなっている今、どこにでも連絡が取れる支援体制を確立すべきかも知れない。夜明け前にこんなことをしている私は、あんがい生きがいを感じていたりする。


1997/04/13、日曜、晴

 1日ずれて日記を書いていることに気づく。仕事にでかけようとして、日曜日だと知った時の意外な解放感みたいなもの。何にもしない、ぼんやり過ごす1日。ただ庭の新芽だけを眺めていた。隣のおっさんがひょっこり現れて縁側で話をしたりした。少しのワインを飲みながら、庭に植える花の話しをしながら、ふいに近所で起きた鉄道自殺の話しになる。日差しに影を射したように、おっさんが腕時計をしきりに見ている。のんびりしていられない様子にこっちまで訳もなく焦りが出てくる。おっさんが帰ってから、鉄道事故のあったところまで散歩してみた。あたりはすっかり暗くなっていた。昔からここではよく事故が起きている。桜も殆ど散ってしまった。車と人でごったがえす桜の山のどこにも居場所がないような気がして、そのまま帰ってきてしまった。途中で買ったタバコも落として・・・

 テレビで尾崎豊の生涯を放映していたのを何気なく見ていた。痛々しい青春の軌跡に、世代は違っても重なる共感が確かにある。既存の価値観に馴染めない違和感は、世代を越えたものだろう。偽らざる無垢の心を保ち続けようとすればするほど、いつしか自己の心を直視なければならない孤独を体験することになる。揺れ動く心の変動に耐えかねては、それを支えるべき価値観の喪失に悩む日々・・・自分をごまかせない悲劇は、そのまま貴重な青春の証だと信じたい。私は漠然とでしか、そんな抽象的な考えでしか人生をとらえられない。尾崎豊の短い放熱の青春に触れたせいか、今夜はラジオから流れる落語にも笑えない。


1997/04/12、土曜、晴

 昨夜、夜桜見物に出かけるはずが馴染みの小料理屋に寄ってしまった。久しぶりで合った顔見知りの客に握手を求められる。日本酒をご馳走になる。相手のご機嫌な様子にこっちまて気が休まる。客が引けた後、女将とカラオケ、時間を忘れる。帰りにもう一件、ここでも馴染みの客あり、大いに飲む。そして今朝、二日酔いの頭に会計担当の妹の声が響く。「昨日の夜、飲みに出かけたらしいけど幾ら使ったの?」はて?

 「信徒の友」5月号のページをめくる。三浦女史の「生かされてある日々」は中断されたまま、病状が悪化したのではないかと心配する。体が弱っているため口述筆記の日々と聞いている。あの大作「銃口」もそんな苦労の中から生まれた。対談のコーナーで「やすらかな死」の著者、川越厚(院長)氏の言葉に惹かれる。

 「死を受容した生き方とはどういう生き方なのか。僕は死を認めて、残された時を希望を持って生きる、そういう生き方だと思うんです。ただ見つめて、絶望して『どうせ俺は死ぬんだから』、というのは受容した生き方ではないでしょう」

 私にとっても耳の痛い言葉だ。しかし希望をもって生きたくても、その希望を見失っていたらどうするのか?そんな疑問がわいた瞬間、その答えも本誌の傾向からおよそ想像がついた。つまり信仰ということ。私はその信仰すら見失っている。折しも本誌では映画「マイケル・コリンズ」を紹介している。この映画の背景はプロテスタントとカトリックの血なまぐさいテロ抗争である。同じキリストを信仰する者同士がなぜ殺し合わなければならないのか?そこのところが本誌でも解説されていない。実在の主人公が31歳で頭を撃ち抜かれて死ぬまでを、映画はひたすら忠実に再現しているだけだ。信仰があれば希望もって生きられる、のであれば、この映画はその逆を露呈しているのではないかと思ってしまう。信仰ゆえのテロ抗争であるなら、むしろ信仰がなければいいのでは・・・どうなんだろう?湾岸戦争でイラクのフセインは「聖戦」という言葉で国民を煽ったことは記憶に新しい。神の名の元には戦争さえ許されるのだろうか?分からないことばかりだ。


1997/04/10、木曜、晴

 今日なぐり込みに来るはずだった昨夜の恫喝者は来なかった。思えば彼は酔っていたのかも知れない。酔った勢いで私を脅しながら、夜が明けてから後悔したのかも知れない。むろん来たら来たで住居不法侵入罪で訴えるつもりではいた。電話さえも来ない。拍子抜けした。でも、こんなことになる一因に、私の荒れていた若い時期があったことは否めない。いつかそんな半生を書きたいと思っているが、やはり青春の貴重な時間を無駄にしてしまった後悔の念がある。

 母には本当に苦労をかけてしまった。「余計なことに首を突っ込むな。おまえが飛び出していくたびに背筋がさむくなる」と言われたものだった。今では母の遺影を見るたびに「ごめんね」を連発しているが、妹は「父ちゃんの位牌にも頭を下げなさい」と笑う。ふたつ並んだ親の位牌、「冷や酒と親の意見は後で効く、さればとて墓に衣は着せられず」そんな諺を思い出した。

 仕事が切れた。やはり不況ゆえか・・・どうにかなるさ、でいいか。いいのか?いいさ!


1997/04/09、水曜、晴

 夜、脅しの電話あり。盛んに私を恫喝する。背景に某広域暴力団の影、慣れているとはいえ疲れる。数年前のトラブルが尾を引いているのだ。思ったことを言うだけでこれだけ脅される。以前には殺すとまで言われたことがあった。現場に行けば足場が壊されていることもあった。それでも警察沙汰にはしたくなかった。それをいいことに又脅しが始まる。

 かつては度胸の良さから逆に幹部にかわいがられたこともあった。幾度となく交遊を誘われるが全て断ってきた。何かあったら助けになるぞ、と言われているが今だかって頼んだことはない。自分に降りかかる火の粉は自分で振り払うのが信条だ。始末に負えないのが半ヤクザ、チンピラヤクザだ。バックのあることをいいことに、強引な手段でもめ事を起こす。ひとりでは何もできない臆病者が群をなす。

 今度の恫喝でも相手の出方しだいではこっちも考えねばならない。思えば悪党に嫌われる私はむしろ幸せなのかも知れない。これで命でも取られるものなら最高の至福だね。問題は自分の臆病だ。やられる前にやってしまいかねない咄嗟の行動は臆病ゆえだから・・・とことん被害者のままいられるかどうかだ。これには度胸がいる。

 強がりを言ってもどこかで死を恐れる弱い生身の自分がいる。鍵をかけて閉じこもりたい衝動にかられる。それでも自分の心にだけは鍵をかけられない。ワインを飲んで、歌をうたって、寝てしまおう。


1997/04/08、火曜、晴れ

 アウンサンスーチー女史が海外に送ったビデオLLLLの中で、女史が民主化の協力を呼びかけている映像があったそうだ。女史は絶えず軍政の監視下に置かれ、軍の諜報部員らがその一挙一動を監視しているといわれる。それだけ国民に与える影響を、軍政側が恐れているということにもなる。世界的な人権団体アムネスティは、人権改善を訴えた人々が昨年だけでも二千人が拘束されたとして、ミャンマーの軍政を非難している。これは88〜90年の民主化弾圧以来の最悪な事態だと言われている。このような時の山口大使の妄言がどれだけ無神経なものかは想像がつく。

 四月に入ると学校のイジメが急増するらしい。イジメられた生徒の親が学校に指導をあおぐと「ウチの学校は平等をモットーとしているのでイジメはない」と言われるそうだ。そもそも人間が一様に平等などと言うこと自体おかしな話だ。生まれた環境から違うし、生徒それぞれの資質も違う。むしろその違いを認めることから対話すべきではないか。息子が不登校で悩んでいる知人がいる。殺してやりたい、とまで言う。学校に行きさえすれば安心する親心の背後には、親の世間体しか見えてこない。世間体が悪いと何度も言う。「行きたくないならそうさせればいい、その代わり親は子供を決して見捨てない辛抱が必要じゃないかな」と言ったら驚いていた。そして急に「変なこと言うね。学校にさえ行ってくれればと思っているのに、それでは逆じゃないか」と怒りだす。数日後、電話をしたら「やっと学校に行くようになった」と喜んでいる。前から欲しがっていた自転車を買ってやるかわりに学校に行くことを約束したらしい。取引したのだった。もう話をする必要もない、そんな虚無感のまま電話を切った。そしてまた不登校がはじまったと風の便りを耳にした。


1997/04/07、月曜、雨

 今届いたばかりの軍縮5月号を開いている。司馬遼太郎の「われわれは人間の集団を生物の次元で考えねばならない時代にきている。反体制運動もしかり」云々が紹介されている。反原発運動なんかも、人間の命にかかわることから生物の次元であるし、共産vs資本主義のような思想対立はもはや過去の遺物となった感がある。政治もまた国民のためのものであるという当然のことも、悲しいかな党利党略に明け暮れる現在では完全に忘れ去られている。生身の人間であるということすら忘れがちだ。国民の悲鳴を無視するような政治は狂っているのだ、異常なのだ、ということを再認識すべき。

 同志社大学の浅野健一氏がミャンマー(ビルマ)日本大使の妄言に憤慨している。山口洋一大使は浅野教授のインタビューに際し「アウンサンスーチー女史は外国のメディアに取り上げられて調子に乗っている。軍政はスーチー女史を牢屋にいれることもできるが、混乱を避けて慎重に行動しているのだ」との主張を展開した。大使とも思えぬこうした妄言は果たして日本政府の意向を代弁したものなのだろうか?何より山口大使の人格すら疑わせる発言であろう。こうした恥ずかしい人物を大使に選んでしまった罪は、日本政府にもあることは確かだし、大使という権限を考えると危険でさえある。

 昨夜、同業者の従兄が来て「ガソリンを入れながら車中の従業員と官僚腐敗の話をしていたら、スタンドの青年が突然割って入り『日本人は大人しすぎるんだ。黙ってないでもっと主張すべきだ』と言われて驚いたよ」と笑って言う。その青年の気持ちが直に伝わってくるようだった。欧米などでは論客相手が沈黙することは敗北を意味するらしい。最近の学校では生徒が自己主張するあまり授業ができない授業破壊なる現象が起きているという。行き過ぎの感もあるが、私には時代の流れから当然のようにも思える。終戦後の物不足からの延長にある私などの世代では、何か主張すれば生意気だと封じられ、時には鉄拳制裁さえ待ち受けていたものだ。笑うのも憚られる信じがたい時代であった。戦後アメリカはディズニーの映画を世界中で放映して回ったことがある。笑い転げる子供たちの記録映画の中で、日本の子供たちだけは正座して表情を崩さない。これには欧米人たちも異様に思ったことだろう。現代では小学生が教師の授業を集団でボイコットする事件も起きている。教師のみなさんも大変だとは思うが、それを秩序とかいう安易な方法で解決できるとは思えない。

 何かが変だ。言葉にはできないが実感している様々な出来事・・・それこそ司馬遼太郎の言う「生物の次元で考えなければならない」ことなのかも知れない。


1997/04/06、日曜、雨

 昨夜、松ケ岡公園の桜に対面する。五分咲きというところか、今日はすでに七分咲きになったとニュースが伝えている。日を追って開花が進んでいる。満開まで間近、散っていくのも早いのだろう。「咲いた桜になぜ駒つなぐ、駒が動けば花が散る」坂本龍馬のつくつた唄、明治維新の礎となって散った若い命を惜しんだ唄だと伝えられている。これを元芸者の女将に謡わせると空気が変わる。小料理屋は突然池田屋となり、新撰組が飛び込んで来そうな錯覚に陥る。

 庭に桜を植えたい。はらはらと桜散る中で、桜の花弁が浮かんだ酒を飲み干してみたい。沈丁花の小さく細かい無数の花弁が雨に叩かれ、散り、一方ではボケの赤い花が咲き始めた。ここかしこで草木が芽生えている。冬の間は殺風景だった庭も、春になると眠りから覚めるように次々と芽を吹き出してくる植物。早朝の靄の中で、朝露に濡れる草花を眺めていると時間を忘れる。かつて詩人たちは創作に行き詰まると森の中に入ったという。ベトナム戦争の帰還兵が社会に溶け込めずに森に隠れる現象も、何か自然の癒やしを感じさせる。

 友人からもらった沙羅双樹(しゃらそうじゅ)、通称ナツツバキにも芽花がついている。お釈迦様は満開の沙羅(原始仏典ではサーラ、サンスクリット語でシャーラ)の木の下で亡くなったという。しかし日本で言われている沙羅双樹とは別種で、本物は繁茂する大樹でその花は可憐で小さな花弁が無数になってついている。聖書にもたくさんの草花の名が登場するが、キリストを裏切ったユダはイチジクの木で首を吊った。イチジクの木にはよくカミキリムシが巣をつくる。葉は血圧を下げる民間薬に用いられるとも聞く。母は毎年そのイチジクの実を砂糖と一緒に鍋で煮詰めてジャムを作った。母亡き後、取り手のないイチジクの実にスズメ蜂が群がり、私は腹を刺された。巣は取り払ったので今年は大丈夫だろう。


1997/04/05、土曜、雨

 明日6日、NHKテレビでスペシャル「闇の暴力・企業舎弟」21:00〜21:50を放映する。院内感染と偶然が重なりますが、今度の場合も先に「ヤクザ・カンパニー」という本を紹介しています。ここに本を紹介してあります。以下TVガイドの説明です。

「暴力団対策法が施行されて五年、オモテでは会社組織を装いながら、ウラでは法律スレスレの方法で利益を得、組に金を上納する経済ヤクザが増えている。バブル崩壊後の不良債権化した物件の交渉権を手に入れて、安く物件を売りさばきながら利益を得る【損切り】という手法が企業舎弟たちによって頻繁に行われている」

 当たらず触らずのNHKらしい番組だが、実態はそんな生易しいものではなかろう。彼ら企業舎弟たちは暴力団の準構成員たちで占められており、黒幕は彼らを指示している闇の紳士と呼ばれる者なんだね。本当のことを書かないマスコミの限界なんだろうが、今までマスコミは一度たりとも覚醒剤の製造現場の場所を報道しなかったように、やはりタブーは厳然として守られている。NHKのタブーにもいつか触れてみたい。

 これを機会にウラ社会のタブーにも触れたいけど・・・東映のヤクザ映画なんてもんじゃないからね。一応、本を紹介します。第三書館の「ヤクザ」、これを書いたのは外国人で今も暴力団関係者から狙われているそうです。それだけ危険度の高いリアルな本です。お馴染みの政治家も続々登場します。

 ご承知のように、私はこのホームページを体験版で書いているのですが、どうもいろいろ制限があって使い勝手が悪い。せめて訪問してくれた人のカウントだけは取りたいな。むむ、こうしている場合ではなかった。まだ確定申告まとめていない。会計事務所から催促されていたんだっけ。ちなみに私が使っている会計ソフトは「社長さんのシンプル会計」、そのバージョンアップ・ソフトを使ったら何と数字がはみ出して合計が見えない。何度苦情を言っても「そんなことはあり得ない」だって。しつこく食い下がって調べてもらったら「そういうこともあるそうです」とやっと認めてくれた。で「新しいソフトを送ってほしい」と言ったら「そちらのソフトを送ってください」だって!・・・面倒なので送らないままだけど、電話代はどうしてくれるんだろう?何より顧客への対応まずいんじゃないのか。

 前にも他の店でとらぶったことあるけど、ソフトのバグを「自分で治してください」と言われたときには唖然としたっけ。ある店では間違って二度会員カードを渡しておいて、私が帰った後「困るから返しに来てください」と電話が来た。遠出してやっと帰ってきたので「そっちで取りに来てくれ」と言ったら「困ります」の一点張り、「困ってんのはこっちだ!」と怒鳴ってカードを二枚とも破ってゴミ箱に捨ててしまった。ここの店、たびたび安売りのチラシを出す。確かに安い、安いんだけど買うことはできない。あれ?何の話だっけ?


1997/04/04、金曜、曇

 アサツユから手紙が届いた。最新版をここに入れます。いつもながらテキスト文にするのに苦労する。あっと言う間に時間がたつ。空腹を抱えながら夢中になっている自分に気づき、夢中になれるだけ幸せなんだとつくづく思う。それでないと夜の繁華街を彷徨う自分がいるだけ・・・寂しいのだ、と自分を慰める卑怯な心も同居している。夜の街を流離うたびに懐も寒くなる。何より翌朝の虚脱感がたまらない。妹の風邪がだいぶ回復しつつあり、ために現金の行方を詰問される。嘘は通用しない、数字の怖さを知る。数万ばかり寂しさゆえの心に消えた。飲んだくれはコップの中の小さな死を飲み干す、いわば自殺行為を繰り返しているにすぎない。(あくまでも私のことです。ハイ)


1997/04/03、木曜、曇

 テレビドラマ「院内感染」を観た。以前にここでも書いたことがある。ドラマではMRSAに感染して死んだ少年の母親が病院側を訴え、敗訴する。これは実際に起きた事例を元にドラマ化したもので、実際には病院側が認めて勝訴している。確かクリスチャン系の病院だったと思う。病院側がMRSAを認めるのは希で、ドラマのように敗訴するのが普通である。ドラマでは製薬会社と病院の癒着にも触れていたが、新薬を厚生省に認めさせるための臨床試験が問題となっている。副作用によって死亡する可能性があるからだ。そのへんの事情もあらためて調べてみたい。MRSAの感染経路を調査するのは困難で、ドラマでも看護婦が「私が移したのかも知れない」と悩むシーンがあった。看護婦のMRSA検査も社会保険がきかず、感染経路の調査に至っては数億かかる場合もあるという。どこにでもある細菌が病院の薬によってさらに強くなり、耐性をもって患者に襲いかかる恐怖は、そのまま現代医療のあり方が問われているかのようだ。


1997/04/02、水曜、曇

 事務を任している妹が風邪でダウン、様態が悪化してきたので病院に入院、今、点滴を打っている。何とか良くなってほしい。このところ、いわきを中心に猛威をふるっているインフルエンザらしい。今までの薬が効かない、薬品耐性のある新型ウィルスということで、今後の体力が勝負だろう。早く良くなってほしいと祈るばかりだ。

 ソフトもダウンした。ついにホームページ作成ソフト体験版の期限が過ぎたのだ。全く受け付けなくなってしまった。ソフト会社に市販ソフトを注文しようとしたら今日は休み。仕方なくほかの体験版を探し、ようやくこれを書いている。システムが若干違うのか、前のファイルを立ち上げたら奇妙な表示がいくつか現れた。それでも何とか使えるようだ。これとて体験版、制限されている。htmファイルでは太い文字に交換されている。これぐらいは仕方あるまい。

 ニューズウィーク誌の最新号、キング牧師の息子が犯人とされたアール・レイとCNNの生放送に出演、レイの無罪主張に牧師子息がそれを信じたという。私もこれまでの分析からレイは無罪だと信じる。今から三十年前に起きたキング牧師暗殺は、ケネディ兄弟の一連の暗殺同様、立証すべき証拠が次々と消滅するといった奇々怪々な事件でもあった。キング牧師はメンフェスのホテル二階で狙撃されたのだが、狙撃現場付近にはレイの指紋が付いた銃が置かれてあったために、レイは強引に犯人にされてしまった。現場付近に住むある女性は有力な目撃証人とも言われていたが、ある日突然精神病院に強引に隔離されてしまった。今は老婆となっている彼女が生存しているのかどうか・・・現在、オリバー・ストーン監督がキング牧師の伝記映画を制作中だというが、少しは真実が解き明かされることを祈りたい。権力の魔性が牙を剥くとき、一個人の人権がいかにいともたやすく侵害されてきたかを知ってほしいね。以前にまとめたテキスト文があるはずなので、いずれ詳しく検証してみたい。(購読者は気づいているでしょうが、こうしたベタ記事を載せるニューズウィーク誌も、実に右に偏ったマスコミであることを思い知らされますなぁ。ちょうちん雑誌の腐臭ぷんぷん、毎度のことだけど)


1997/04/01、火曜、晴

 自動販売機で買うタバコがちゃんと10円値上がりしている。消費税5%も いずれは諦めと共に日常的に定着していくんだろうなぁ。そしてやがては消費税 10%がやってくる。政府は、いきなり10%にすれば国民の反感をまともに喰 うから段階的にあげよう、と狡猾な戦略をたてる。国民が「ま、これくらいなら 仕方ないか」と考えるだろう線をうちだす。いきなり煮え湯にぶちこんでは熱く て飛び出すだろうから、程良い湯加減から徐々に熱を加える。気がついたときに は煮え湯の中で死に体になっている国民。放射能でもダイオキシンでも基準値す れすれの毒性だから大丈夫と思わせる。その蓄積が問題であることなど知らせて はいけない。子供にはプルトニウムを飲んでも安全だというアニメを見せ、放射 能肌着が健康に良いことをアピールする、すでにこうしたことが広報などによっ て実際に起きている。
 何のかんの言っても日本は平和だよなあ、と思わせておく。ばれたら幹部共 々土下座してひたすら謝罪のポーズをとれば、人情に厚い日本国民は許してくれ る。とにかく考えさせてはならない。そんな支配層の目論見が見え隠れするよう だ。

 昨夜、飲み屋の女将と戦争の話をした。女将はロシアに異常なほどの敵愾心 を抱いている。満州を引き上げる際にロシア兵に強姦されたからだ。「日本兵も おなじようなことやったんだ」と言っても聞き入れない。それほど心の傷は深か ったのだね。敗退する多くの日本兵を苦しめたのは飢えでもあった。人間が飢え るとどうなるか?それは他の生物同様、共食いが始まる。ある東南アジアの僻地 では、腹をすかした数人の日本兵が現地人を襲っている。つまり喰ってしまった 。自分の親が鍋で喰われてしまう様子を、その娘たちが目の前で目撃していた。 そういう話が今になってようやく伝えられるようになった。女将は「そんな話聞 きたくない」と顔をしかめる。
 そうなんだ。人間はいまわしい過去を忘れたいがために事実さえ否定してき たんだ。いつしか過去の戦争は風化され、腹が満たされ欲望が解き放たれる時代 になって、また戦争を肯定するような風潮が出てくる。戦争は死と向かい合うだ けに、その中で生きる残酷さがもろに露呈される。人殺しが正当化され、共食い までしなければ生きられない戦争の本当の恐ろしさが伝えられていない。むしろ 死が唯一の安楽となるような戦争というもの・・・私の父もそのことについては 沈黙したまま死んでしま そういう話が今になってようやく伝えられるようになった。女将は「そんな話聞 きたくない」と顔をしかめる。 チた。