●三幸建設工業元会長の四元義隆さん死去
四元 義隆さん(よつもと・よしたか=三幸建設工業元会長)は、6月28日、老衰で死去、96歳。葬儀は親族で済ませた。
右翼国粋主義者が政財界要人を暗殺した1932(昭和7)年の血盟団事件に連座し服役後、近衛文麿、鈴木貫太郎両首相の秘書役を務めた。戦後も吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘の各氏ら歴代首相のブレーンともいわれた。
★第3部−2 査問事件/不屈の再建史考
【1932年(昭和7年)】
3.5日、血盟団事件が発生している。井上日召らが率いる「血盟団」が「一人一殺」のスローガンを掲げ、前大蔵大臣井上準之助、三井合名会社理事長団琢磨を暗殺した事件であるが、東大(法学部の四元義隆、田中邦雄、文学部の池袋正*郎、久木田祐弘)、京大(田倉利之、森憲二、星子毅)、国学院(須田太郎)らが加わっており、左派運動への学生の大量傾斜とは別の意味で世を震撼させた。
これにつき立花隆氏は次のように述べている。「日本では、左の側から共産党が革命を起そうとしていたが、右の側からも国家改造を唱える国家革新運動が盛り上がり、左右両翼の革命運動が競い合う形になっていた。共産主義革命が、下からの大衆的蜂起による革命を目指していたのに対し、右からの革命は、クーデターによって上から一挙に国家改造をはかることを企図していた。その中心理論として北一輝の『日本改造法案大綱』があった」(「血盟団と安岡正篤」)。
★反軍拡・利権阻止の石井紘基議員はなぜ刺殺されたのか。2002−10−25
2002・11・29週刊金曜日
石井紘基議員刺殺犯伊藤被告はなぜ三幸建設工業と?
四元は、服役中に「組繊には核心があり、会社には社長、国には首相がいる。どんな組織でも、その一人の決断と指導力の出来、不出来で栄えもし、滅びもする」と考え、出獄後、近衛文麿、鈴木貫太郎両首相の秘書をつとめた。戦後も吉田、池田、佐藤各氏ら歴代首相の知遇を得た。
戦後歴代内閣と深く関係し、安岡正篤らとともに元首相・中曽根康弘の陰の指南役とも言われた。中曽根氏は著書で、四元義隆氏(93)という人物を「政治相談役」としている。中曽根氏は首相になる10年余り前から四元氏のもとへ通い、首相在任中は官邸にも招いた。
日比谷で幣原内閣打倒を叫ぶ7万人集会が開かれ、鳩山一郎が右翼の児玉誉士夫と組んで反共演説をぶつという、全土騒乱の時代であった。この時代に、幣原内閣の秘書をつとめていたのが、数々の週刊誌で「東京二信用組合救済計画を仕組んだ男」と噂されてきた右翼の政商・四元義隆であった。
四元は、三幸建設工業を経営する社長として、政財界に隠然たる勢力をもつ大物右翼とされてきたが、鈴木進とは戦前からの知り合いで、鈴木進・紳介親子が経営する安全信用組合の理事にも就任していた。それは、安全信用組合が、創業時から三菱財閥によって経営されてきた金融機関だったからである。つまり、幣原喜重郎の妻は、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の娘であった。
まず三菱財閥の岩崎家があり、その娘ムコ・幣原喜重郎の秘書が、のちの政商・四元義隆であった。そのため、四元が三菱財閥の安全信用組合の理事に就任した。また、幣原喜重郎の息子の姪が、鈴木紳介と結婚したため、鈴木が理事長となって、高橋治則と共に95年に逮捕されることになったのである。
「、、、電力会社は、平岩外四が電事連の会長をつとめた時代に、電気料金の甘い利益だけを吸いあげようとする無責任な企業方針を推進することになった。
平岩外四は、泉井事件では石油公団の顧問やアラビア石油の監査役として暗躍している。また東京二信組破綻事件では、右翼の政商・四元義隆と密談してイ・アイ・イ高橋治則の救済に暗躍したと噂された通り、表の顔とは別に、明らかにいま述べた三菱軍事財閥の小番頭役をつとめ、院政をとりながら日本の裏の世界で動いてきた。、、、」「日本最大の官僚組織・電力会社と軍需工場・三菱重工・広瀬隆著」
★裏金集めにタッチせず 小島盛治氏から百条委が事情聴取-2004年2月1日 高知民報
自民党県議団が橋本大二郎県知事へのダメージを狙い仕掛けた「選挙資金疑惑」を調査している「県議会・坂本ダム等に関する調査特別委員会(百条委員会)」は1月22日、県東京事務所で橋本大二郎県知事の1期目の選挙の会計を担当していた小島盛治氏(80歳・横浜市在住)から事情聴取しました。聴取には百条委の各会派から8人が赴き、日本共産党と緑心会から牧義信議員が参加しました。
小島氏は笠誠一氏との関係について、戦前「一人一殺」を掲げ血盟団事件に連座して投獄され、戦後は田中清玄につながる超大物右翼、中曽根康弘・細川護煕元首相らの指南役として政界に影響力を行使した四元義隆氏や、橋本知事の父・橋本龍伍元厚生大臣に笠誠一氏とともに師事していたと証言。「笠氏は単なる友達ではなく恩人だ」と強調し、これまでも笠氏と一体になって橋本知事以外の様々な選挙にも関わってきたと述べました。
【私的めもらんだむ】
9時
広島は6日、59回目の「原爆の日」を迎える。被爆60年の来夏に向け、核兵器のない世界の実現に向けて歩む1年が始まる。
広島市中区の平和記念公園では午前8時から、「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(平和記念式)が開かれる。被爆者代表や39都道府県の遺族代表ら約4万人が参列する見通しだ。
式典では、秋葉忠利市長が平和宣言を読み上げ、被爆60年の来夏までを「記憶と行動の1年」にすると宣誓する。小泉純一郎首相も4年連続で出席し、あいさつに立つ。
被爆者健康手帳を持つ人は3月末現在、全国で27万3918人。前年より5256人減り、平均年齢は72.46歳になった。
改めて我が心に誓う。原爆投下のこの日を心の起点と成し、命尽きる最期の日まで反戦の志を貫き通すことを・・・そうでなければ人間は、何のために生まれてきたのか?平和記念式典に相応しくない邪悪な為政者が白々しく平和を誓うとき、もう二度と過ちを繰り返さない以上に、もう二度と為政者には騙されまいと誓うのだ。平和を装いながら戦争を引き寄せる為政者たちの欺瞞の企みを見抜け。黙祷と自戒の我が心の起点、今日という原爆の日。
【視聴予定】
21時
00 NHKスペシャル 復興・原子野から立ち上がった人々▽米軍航空写真が語るヒロシマ驚異の再生▽復興課長の闘い NHK総合テレビ
アメリカ国立公文書館で被爆直後の広島を撮影した航空写真が多数見つかった。原爆の威力を測るために写された極秘資料だ。細部を検証するとそこに見えてきたのは、廃虚で懸命に生きる人々の姿だった。被爆から人々はどのように立ち上がり復興を成し遂げたのか、その道のりをたどる。 放射線によって人々は次々と倒れ、「広島には七十五年草木も生えない」と言われた。しかし人々は焼け跡に種をまき、焦げた材木を組み立てすみかを造り、生き抜いた。被爆の二年後、アメリカは再び広島の空を飛び、詳細な写真を撮影した。そこにはたくましく再生している広島が写し出されていた。
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