鈴木善幸元首相が死去
鈴木善幸(すずき・ぜんこう)元首相が19日午後9時15分、肺炎のため東京・新宿の国立国際医療センターで死去した。93歳だった。自宅は東京都世田谷区経堂3ノ10ノ6。通夜は21日午後6時から、密葬は22日正午から、いずれも東京都港区西麻布2の21の34の長谷寺。喪主は長男、俊一氏。自民党は別に党葬を予定している。
1911年岩手県下閉伊(しもへい)郡生まれ。戦後2回目の47年衆院選で、旧岩手1区に社会党から出馬し初当選。以後、連続16回当選した。49年の衆院選で民主自由党(のち保守合同で自民党)に移り、60年に発足した第一次池田内閣で郵政相として初入閣。官房長官、厚相、党総務会長、農相などを歴任した。
80年6月の衆参同日選のさなかに大平正芳首相が急逝したことを受け、大平派の大幹部だった鈴木氏が急きょ首相に就任。激しい党内抗争が続く中で「和の政治」「話し合いの政治」を掲げて党内融和に尽くした。
内政では行財政改革に取り組み、81年3月には土光敏夫氏を会長とする第二次臨時行政調査会を設置。同年の訪米に際し「日米同盟関係に軍事的意味は含まない」と発言し、伊東正義外相が辞任する騒ぎにも発展した。
自民党総裁選に再出馬確実とみられていた82年10月、突如退陣を表明。90年2月の衆院選で地盤を俊一氏(前環境相)に譲り、政界を引退した。
【私的めもらんだむ】
12時
19日に死去した元総理大臣・鈴木善幸を中心とした系図を作ったが、これまでの系図の中では特に興味深い系図だと思う。だいぶ省略した系図なのだが、それでもこの一枚に三人もの総理大臣が収まってしまう。そして、そこに登場する人物が全て同族なのだ、と考える時、その肩書きの重要性から特権階級による私物国家ニッポンの全容が浮かび上がってくる。昨日の通夜では麻生太郎総務大臣も列席していたはずだが、彼が善幸氏の娘・千賀子さんの夫なのだと、考え合わせる人は何人いただろう。想像を逞しくすれば、日本薬品工業を支配する堤家=小川家と、エスエス製薬令嬢と結婚した小泉家を想起して、その利権構図と関連性を思い浮かべることも可能だ。系図の面白さはそこにある。今回の系図で省略せざるを得なかったことに関しても、引き続き公表していくつもりだ。
【視聴予定】
19時
30-00 クローズアップ現代 中国”日本語人材”を育てろ =NHK総合テレビ
家電製品や携帯電話、カーナビゲーションなどソフトウェアの開発を、中国人エンジニアたちが担い始めている。
舞台は中国大連市、彼らの武器は豊富なIT知識と流暢な日本語。先ごろ、大連市が整備した「大連ソフトウェアパーク」には、60を超える海外のIT企業が進出しているが、その3分の2は日本企業。ほとんどが合弁の形での進出だが、中国側のパートナーとなるのが、中国最大のIT開発企業「東軟集団」である。この企業が送り込むエンジニアは多くが中国の工業系大学院を卒業し日本語も堪能な社員たち。彼らは日本の社員の半分より安い給料で同じ働きをするという。東軟集団は大連市の協力も受けて5年前、日本語を第一外国語とするIT専門大学を設立、日本向け人材の大量養成も始めた。
東軟集団の野望と、大連市の戦略に迫る。
(NO.1949)
スタジオゲスト: 関 満博さん(一橋大学大学院教授)
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