04/07/21 (水)
28〜30℃、南西よりの微風

【私的めもらんだむ】
6時
 午前6時半現在で室内気温28℃、なのに予報では23℃とある。いつもながらその著しい格差に、気象庁の怠慢さえ感じる。もっと気温が高いはずの内陸部ですら予想気温24℃とある。これでは予報とはならない。今日も最高気温は36℃を越す勢いになるだろうし、今日の予想最高気温29℃を報じる気象庁は最初から信じないことにした。(気象庁は1996年に新たなスーパーコンピューターを用いた1ヶ月先の数値予報を出してきた) で、私の気温予想を最上部に記した。日本は確実に亜熱帯に突入しつつある。というか、もはや亜熱帯そのものであろう。魚場は北上し、かつ沿岸から離れている。海も陸も、これまでの旬の産物は様変わりすることだろう。季節のメリハリもはっきりしないまま、いつしか適応能力のある人間は異常気象にも慣れ、亜熱帯を例年なみと呼ぶのだろう。
 昨日の酷暑は東京で最高気温39℃を記録し、これはフェーン(foehn)現象ゆえだと説明された。風が山腹を吹き上がるときは100メートルにつき0.5℃下がり、逆に吹き降りるときには1℃上がるのだそうだ。この0.5℃の上昇気温率と、山腹の標高を計算すればおよその予測は出来るというわけだ。何より東京都会の人工物環境がより気温を上昇させたことは否めまい。大地をコンクリートで固め、クーラーを稼動し続けていれば、それだけで都会は熱帯地方となる。路上面では45℃ぐらいになっていたはず、人間の生物生存環境としては限界点である。建物に入れば肌寒いほどクーラーが効いている。その温度差10〜20℃が人間の自律神経にダメージを与えることは容易に想定できよう。人間の集る都会そのものが異常気象の原因となってしまったようだ。寒ければ服を着る、暑ければ服を脱ぎ、汗を出すことによって体温調節をはかる・・・貧乏人の私などの方がよほど自然体に生きているような気がする。

10時
 8時頃から作業にかかり、9時半までに荒研ぎとサーフェサー吹き付けを終える。あとは例によってパテ修復と水研ぎの繰り返し、そして仕上げ材の下吹き、上吹きで完了となる。やれば何とかなるものだ、と実感。これで納期まで間に合うだろう。しかし・・・晴れの予報のはずが、にわかに曇ってきた。工場内が薄暗くなってきている。これから傷を拾って修復という細かい作業が待っているのに、これでは傷が見えない。曇っているため気温は朝の28℃のまま推移している。仕事にとっては、猛暑であれ曇るよりはマシだ。せめて曇っていても明るい曇り空であってほしい。

14時
 なんと正午前には雨まで降り出した!・・・天気予報大外れ、の中での悪戦苦闘はつづく。午後1時半、最後の仕上げを完成させる。と・・・よくよく見れば角の部分の吹き付けが足りないことに気付く。細心の注意を払いながらも、ちょっとした油断が張り詰めていた神経をズタズタにする。泣き出したくなるほど些細なミスだ。これで最初から全面吹き直しとなった。しかし表面乾燥まで待たなければ手直しにかかれない。というわけで待ち時間帯にこれを書いている。雨のおかげで湿気が多く、修復のための吹き付けが早過ぎるとカブレを起こす。ちょっとした天候具合の差が、こういう精密な仕事では大きな影響が出てしまう。雨さえ降らなかったら順調に進んだものを・・・と思いつつも、こうした障害があればこその職人技ではないか、と自戒する。カブレを防ぐためにコンプレッサーの水を抜く。湿気を含んだ空気がタンクに溜まり、そのまま吹くと材料と水分が混じってカブレを起こすのだ。

【視聴予定】
19時
30-00 クローズアップ現代 電動車いす・事故多発の実態 =NHK総合テレビ
電動車いすに乗った老人の事故が急増している。事故件数は毎年、200件以上に及ぶ。しかも、この数は氷山の一角。警察が集計する交通事故以外の崖からの転落などの単独事故が含まれていない。今年はすでに10人が亡くなった。
事故急増の背景には、視力や判断力が衰えた高齢者が操縦することがあるが、何よりも、福祉機器メーカーがこぞって市場に参入、介護保険の適用で利用者が一気に15万人に達していることが大きい。 毎日4キロ先の銭湯に通う途中、踏切事故で亡くなった船橋市の男性、ガードレールもない急斜面の山道を知人との交流のために上り下りして転落死した大分の女性・・・。
超高齢化時代、一人暮らしの老人が"自分の足"を求める中で発生した二つの死亡事故を追う。
(NO.1948)

スタジオゲスト: 鈴木 春男さん(自由学園学部長)

21時
15-00 その時歴史が動いた 世界遺産・熊野の森を守れ、百年前の奇跡の環境運動▽哲人・熊楠の抵抗 =NHK総合テレビ
 世界遺産に登録された熊野の山林は、二十世紀初頭、壊滅の危機にあった。それをぎりぎりのところで救ったのが博物学者・南方熊楠だった。熊楠が行った日本初の自然保護運動を描く。 当時、明治政府は富国強兵のため、地方の神社を統合することで森の膨大な樹木を伐採し、近代化に利用しようとする「神社合祀(ごうし)令」を実施していた。熊野の深遠な生態系とその恩恵によって人々が暮らしていることを肌で知る熊楠は、日本で初めて「エコロジー」の概念を提唱し、政府の方針に異議を唱える。熊楠の訴えは、やがて日本各地からの共感を得ていく。


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