ルワンダ関連年表

1914/10/04,大正3/10/04
ドイツ軍が、ルワンダのキセニイを奪取しようとしたベルギー軍を撃破する。
1916/04/20,大正5/04/20
ベルギー領コンゴのベルギー軍がルアンダ・ウルンジ(ルワンダとブルンジ)に進攻する。
1921/03/15,大正10/03/15
ドイツ領東アフリカのルワンダ・ブルンジがベルギーの委任統治領となる。
1959/09/14,昭和34/09/14
ツチ族の穏健派がルワンダ民主連合を結成する。
1959/10/09,昭和34/10/09
ルワンダで、フツ人民解放党が結成される。
1961/01/28,昭和36/01/28
ルワンダの暫定政府が王制を廃止する。
1962/07/01,昭和37/07/01
ルワンダが独立する。
1994/04/06,平成6/04/06
ルワンダの首都キガリの空港で、ルワンダのハビャリマナ大統領と隣国ブルンジのヌタリャミナ大統領の乗った専用機が撃墜される。
1994/04/07,平成6/04/07
ルワンダで、前日大統領が墜落死したことから市街戦となり無政府状態となる。女性の首相らが殺害される。
1994/04/21,平成6/04/21
国連安保理がルワンダPKO要員を10分の1に削減することを決議する。
1994/04/29,平成6/04/29
ガリ国連事務総長が、ルワンダに平和執行部隊派遣などを勧告する。
1994/05/13,平成6/05/13
国連のガリ事務総長が、大統領暗殺以来混乱が続いているルワンダの難民保護のためにPKO第2次国連ルワンダ支援団(UNAMIRII)を新たに設置することを安保理事会に勧告する。
1994/05/21,平成6/05/21
ルワンダで、反政府ゲリラ「ルワンダ愛国戦線」が首都キガリの国際空港を戦闘なしに制圧する。
1994/06/22,平成6/06/22
国連安保理が、市民が虐殺の危機にあるという理由で、フランスのルワンダへの軍事介入を承認する。
1994/07/04,平成6/07/04
内戦の続くルワンダで、反政府ゲリラ「ルワンダ愛国戦線」が首都キガリ全域を制圧する。
1994/07/05,平成6/07/05
首都を制圧したルワンダ愛国戦線が、トワギラムングを首相に新政府樹立を明らかにする。
1994/07/19,平成6/07/19
ルワンダで、小数派であるツチ族主体の勢力が勝利し、新政権が発足する。
1994/07/20,平成6/07/20
ルワンダ内戦による避難民の中にコレラが蔓延し、数千人以上が死亡する。これ以後もコレラによる死亡者は増え続ける。
1994/07/29,平成6/07/29
ザイール東部国境ゴマにルワンダ内戦による120万人の難民があふれ、難民キャンプでは2万人がコレラで死亡する。アメリカ国防総省が、ルワンダ難民の救援策強化の一環として米兵200人を派遣すると発表する。
1994/08/20,平成6/08/20
ルワンダ難民が増えたため、ザイールが国境の橋を閉鎖する。しかし難民は次第に増加する。
1994/08/21,平成6/08/21
ルワンダ駐留のフランス軍が完全撤退する。
1994/11/03,平成6/11/03
ザイール・ゴマのキブンバ難民キャンプで、日本の非政府組織(NGO)であるアジア医師連絡協議会が借り上げているトラックがルワンダ難民に強奪され、自衛隊が要請を受け武装して緊急出動し救出する。
1994/11/11,平成6/11/11
陸上自衛隊のルワンダ難民救援隊が、穴に落とされたルワンダ難民の救出活動を行う。
1994/12/15,平成6/12/15
陸上自衛隊ルワンダ難民救援隊が、ゴマからの撤収を開始する。
1995/01/27,平成7/01/27
国連のガリ事務総長が安全保障理事会に、ルワンダPKO部隊の派遣を断念し、代替案として国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が派遣する数十人の治安維持監督要員を採用する報告書を提出する。
1995/04/21,平成7/04/21
ルワンダの難民キャンプで難民同士の争いが起きたため、これを静めようとした政府軍兵士が発砲し、フツ族の難民2千人以上が死亡する。
1996/02/16,平成8/02/16
ザイール軍が、ルワンダ難民が住むブカブのキャンプを包囲し、難民帰還を促す威嚇作戦を開始する。
1996/03/08,平成8/03/08
国連の安保理事会が、PKOの「国連ルワンダ支援団」の撤退を9日から始める決議案を全快一致で採択する。
1996/05/30,平成8/05/30
タンザニアのアルーシャで、犠牲者100万人をだした1994年のルワンダ大虐殺を裁く国連の犯罪特別法廷の初公判が開かれる。民兵組織「インタラーメ」のルタガンダ被告(37)は罪状認否で無罪を主張する。
1996/10/29,平成8/10/29
ザイールとルワンダの両軍が、ザイール東部の町ブカブとルワンダ国境の町チャンググの国境地帯で激しい砲撃戦を交わす。
1996/10/31,平成8/10/31
ザイール議会が、ルワンダ、ブルンジ、ウガンダの周辺3ヵ国と外交関係を断絶する動議を可決する。
1996/11/02,平成8/11/02
ザイールで、ルワンダ軍がゴマに進攻し、ザイール軍がゴマ市街の支配権を失い敗走する。
1996/11/15,平成8/11/15
ゴマの西12キロのムグンガ難民キャンプで難民を人質にたてこもり、ツチ族武装勢力と戦っていたフツ族系のルワンダ旧政府軍と過激派民兵が、キャンプを放棄する。フツ族難民10万人がルワンダに帰還するため大移動を開始する。
1996/11/23,平成8/11/23
ザイールのゴマで10月末、ツチ族系武装勢力の攻撃を受けて山に逃げたルワンダ難民4000人が3週間ぶりに大挙して人里に出てくる。
1996/12/06,平成8/12/06
ザイール東部の拠点都市ワリカレに、フツ族民兵の人質とみられる約10万人のルワンダ難民が到着する。
1997/12/11,平成9/12/11
ルワンダ北西部ムデンデの難民村が前日夜からこの日の未明にかけて武装集団に襲撃され、ツチ族住民231人が虐殺される。
1998/04/24,平成10/04/24
ルワンダの首都キガリのサッカー場など5ヵ所で、国内法廷で死刑判決が確定した22人の死刑囚に対する公開処刑が行われる。
1998/09/04,平成10/09/04
1994年のルワンダ大虐殺を裁くために国連が設置したルワンダ国際犯罪法廷がタンザニアのアルーシャで開かれ、ジャン・カンバンダ元首相(42)に終身刑を言い渡す。