冷戦下の80年代に「強いアメリカ」の再生を目指し、対ソ強硬路線の末に緊張緩和を実現させた米国のロナルド・レーガン元大統領が5日午後(日本時間6日未明)、カリフォルニア州の自宅で死去した。93歳だった。老人性痴呆(ちほう)症の一種であるアルツハイマー病への理解を得ようと、94年に自らこの病の初期段階であることを公表していた。
ベトナム戦争やウォーターゲート事件、経済競争力低下などで自信を失っていた米国民に、その楽観主義で自信を回復させ、一時代を画した。日米関係では、対ソ強硬路線を積極的に支持した当時の中曽根首相と「ロン・ヤス関係」を築き、日米同盟関係を強化した。
ブッシュ大統領は5日夜、パリで「米国の歴史で最も悲しい時だ。偉大な米国人の人生が終わりを迎えた。レーガン氏はその偉大さで米国中の尊敬を集め、その優しさで米国中の愛を獲得した」と語った。
地方ラジオ局のスポーツアナウンサーを経て37年に映画界入りし、西部劇など約50本の映画に出演した。民主党左派として映画俳優組合委員長を長年務めたが、50年代半ばから共和党保守派に接近し、62年に共和党員に転身した。
66年カリフォルニア州知事に当選し、2期8年務めた。80年に3度目の挑戦で共和党大統領候補に指名され、ブッシュ氏(現大統領の父)と組んで民主党のカーター大統領に圧勝し、81年1月に第40代大統領に就任した。84年はモンデール元副大統領を破り、89年まで2期8年を務めた。
外交・安全保障では、ソ連を「悪の帝国」と呼び、「軍拡には軍拡で」という強硬路線で臨み、西欧へのパーシング2ミサイルの実戦配備に踏み切った。その後、ソ連の改革派ゴルバチョフ書記長との87年の首脳会談で中距離核戦力(INF)全廃条約に調印。89年、ブッシュ米大統領(現大統領の父)とゴルバチョフ氏によるマルタ島での冷戦終結宣言につなげた。
一方、83年には左翼政権が実権を握ったカリブ海の小国グレナダに侵攻するなど、軍事力への信奉は際立っていた。
経済は「小さな政府」を目指す新保守主義路線をとり、大幅減税や財政支出削減など「レーガノミックス」と呼ばれる政策を実施。しかし、国防予算の急増などから財政赤字を在任中に3倍近くに増やし、米国を債務国に転落させ、財政と貿易収支の「双子の赤字」を残した。
94年11月には、国民にあてた手書きの書簡の中で「世間のより深い認識を促すため」として、自らアルツハイマー病であることを公表。最近はナンシー夫人のこともわからなくなっていることを夫人が認めていた。
【履歴】
モルガン家支配の「ゼネラル・エレクトリック」のPRマンとして出発、同社傘下の「US硼素(ボラックス)」に入社する。ロックフェラー家支配「スタンダード石油」と利権を分け合う石油王ヘンリー・サルヴァトーリやユニオン石油の後ろ盾で政界進出。モルガン家支配「ベル電話西部」の支社パシフィック電話の支援でカリフォルニア州知事となり、同社に20億ドルの利益を与える政策実施。モルガン&ロックフェラーを後ろ盾とするフーヴァー研究所からのメンバーをブレーンとして大統領に就任。
1985年米ソ首脳会談でレーガン大統領に随行したメンバー
●ジョージ・シェルツ国務長官、「ベクテル社」(世界一の原発建設会社)社長
●ドナルド・リーガン首席補佐官、「メリル・リンチ」(世界一の投資銀行)会長
●ロバート・マクファーレン補佐官、10年前のキッシンジャー秘書
●ポール・ニッツ顧問、巨大投資銀行「ディロン・リード」副社長。(同社はロックフェラー財団理事長が社長だった)
【関連】
★「世界最大企業ベクテル、企業支配拡大に戦争という口実」、ヴァンダナ・シヴァ
★大韓航空機撃墜事件の疑問、ゴルバチョフの沈黙、シュルツの命令
以下、抜粋
米国太平洋艦隊の救助船は、大韓機の緊急事態をキャッチして、墜落予想地点に向かったが、その数時間後にシュルツ国務長官からの命令で救助活動を断念して帰還させられた。中止命令は全く意味不明の理由によるものだった
【レーガン大統領、関連年表】
1981/02/18,昭和56/02/18 アメリカのレーガン大統領が経済再建計画を発表する(レーガノミックス)。
1981/03/30,昭和56/03/30 レーガン大統領が学生に狙撃され、重傷を負う。
1982/11/13,昭和57/11/13 レーガン大統領が対ソ制裁禁輸の解除を発表する。
1983/03/23,昭和58/03/23 レーガン大統領が、宇宙兵器を含む核ミサイル攻撃防御システムの研究・開発の戦略防衛構想(SDI)を指示する。
1983/04/23,昭和58/04/23 レーガン大統領が「スターウォーズ演説」を行う。戦略防衛構想の端緒となる。
1984/04/26,昭和59/04/26 アメリカのレーガン大統領が中国を訪問し、両国関係の安定継続で一致する。
1984/10/30,昭和59/10/30 レーガン大統領が貿易関連包括法(オムニバス法)に署名する。
1985/05/05,昭和60/05/05 レーガン大統領が、旧ナチス武装親衛隊員の埋葬されている西ドイツのビットブルク軍人墓地を訪れる。欧米のユダヤ系市民が抗議のデモを行う。
1986/01/07,昭和61/01/07 レーガン大統領が、前年末のローマとウィーンでのテロにリビアが関わっていたとして、リビアとの経済活動を停止する。
1986/03/20,昭和61/03/20
アメリカ下院がレーガン大統領が提案したコントラ援助を否決する。
1986/07/16,昭和61/07/16 アメリカのレーガン大統領が、訪米中のパキスタンのジュネジョ首相に対して、核兵器を保有した場合は軍事・経済援助を停止すると警告する。
1986/08/01,昭和61/08/01 レーガン大統領が、ソ連向け穀物輸出にも政府援助を認める。
1987/10/26,昭和62/10/26 アメリカのレーガン大統領が、対イラン経済制裁措置を発表する。
1988/05/29,昭和63/05/29 レーガン大統領がソ連を訪問する。戦略核兵器、地域紛争問題などを話し合う。
【私的めもらんだむ】
10時
5日に死亡したレーガン(Ronald Reagan)元大統領とは何者だったのか?一般メディアが報じたがらない事実にこそ、その正体の糸口があるようだ。ちょっと調べただけで、アメリカ国民のための大統領ではなく、超財閥のための利権屋大統領としてのレーガンが浮き彫りになってくる。追って調べたい。
まだミッコが産んだ子猫を見ていない。前の体験上、覗けば親猫が別の場所に子猫を隠すことが分かっている。ここはミッコが自ら子猫を咥えて披露する日を待つしかない。楽しみだ。かつ扶養家族が増えることへの負担も思い知らされることでもあるが・・・
いま、昨日仕上げた製品を見てきた。雨漏りが心配だったから・・・で、見事にやられていた。数滴、くっきりと表面に水滴が意思表示していた。コンパウンドで修復にかかるが、僅かな凹凸は消えず、ペーパー400番と1200番を使って表面を研磨する。それでも一旦仕上げた艶のある表面では水滴の痕跡は消えることはない。9匹の猫が私を察知して一斉に鳴き喚く。煩い!でも、どうしよう?せっかく仕上げたのに・・・全面吹きなおしするにも雨漏りが怖い。雨が憎い。猫が鳴き止まない。猫が憎い。安い単価が憎い。焦る自分が憎い。貧乏が憎い。張り詰めた神経がプツンと切れそうだ。ああ、そうだ・・・そんなときこそ思い出せ。あの火災を・・・父は全てを失って、また蘇えったではないか。その証がオレの居るこの工場ではなかったか?!・・・今のオレはたった数滴の水のために自暴自棄になっている。それが何だというのだろう。納期は明日だ。まだ時間は残されている。
11時
雨が止んだ。すぐ修復にかかりたい気持ちを抑えながら、どうすべきか?考えている。監督も見逃すであろうミスを、オレは許さない。それほど小さなアクシデント・ミスなのだから、かまいっこない・・・とする自分の卑怯を許さない。なら、やり直せばいいではないか?・・・しかし、また雨漏りしたらどうするのだ?厚塗りすれば今度は表面にヒビが入りかねない。さあどうする?そんな自問自答を繰り返している。
昨日は自分の仕上げた製品を眺めながら、ピカピカに光る艶の照り具合に満足していた。それが今、一転して懊悩する心に変わっている。厄介な自分の心・・・産まれたばかりの子猫の鳴き声が、隣室から微かに聴こえる。小さな命の小さな小さな声・・・そろそろ猫に餌を与えなければ・・・疲れてはいられない。
16時
いつしか寝入ってしまったようだ。昼のようだが、今日の昼か明日なのか?目覚めても時間の感覚がつかめない。どうやら修復での仕上げを終え、片づけをしてそのまま自宅で眠ってしまったようだ。途中、妹が来たようだったが、あれは夢だったのだろうか?・・・いや、あれは夢ではなく、蚊取り線香があるから、夢ではない。妹が持ってきたアンパンを食べ、蚊取り線香を買って来てもらったのだ。ぼんやりした意識の中で、まだ夢のつづきを見ているようだ。工場には仕上げたばかりのベースがあるはずだ。ピカピカに光って、明日、監督が引き取りに来るのを待っている。
【視聴予定】
21時
00 たけしのTVタックル 大荒れ年金国会反省会強行採決&乱闘&牛歩ハマコー三宅が議員に(秘)愛のムチ
-テレビ朝日
北朝鮮や年金改革法案など、現在の日本の問題点を討論する。評価が分かれた小泉純一郎首相の再訪朝。今後の対応によっては、七月に行われる参院選への影響も大きい。七月十一日までに小泉首相は何ができるのか。拉致問題解決への今後の課題を話し合う。また、北朝鮮をめぐるアメリカや中国の動きにも注目。アメリカ軍の対北朝鮮作戦とは一体どのようなものなのか。日本の選択すべき道についても考える。さらに、終盤を迎えた年金改革法案審議の行方についてもトークを繰り広げる。
|