04/05/21 (金)
14〜20℃、北〜西よりの風、台風2号関東接近中(太平洋沖)
デモ空爆で亡くなったパレスチナ人犠牲者たち
ラファ難民キャンプでイスラエル軍に殺された12歳のWaleed Abu Gamarの葬儀。彼はデモ行進への空爆で亡くなった。 同じく、デモに参加して殺された12歳のWaleed Abu Kamarの葬儀で、嘆く親族たち。
同じく、デモ参加者たちの死体安置所での光景。 左に同じ・・・
ガザ南部地区で、イスラエルのアパッチ攻撃ヘリがミサイルを発射した瞬間。 デモ行進に参加したパレスチナ人の遺体に、自分の親族を発見して嘆く男性。
火災(上、左)に駆けつけたパレスチナの消防士を、戦車で拒むイスラエル軍。 5/19、 ヘブロン(Hebron)南部Yatta村において、パレスチナ人を標的に狙うイスラエル兵。
僕たちは殺されていく

Killing Us
ムハンマドQ
Mohammed Q
2004年5月16日
Rafah Kid Ramblesより

 ラファの人たちと家々に対するイスラエル軍の暴虐きわまりない攻撃
 は依然として続いている。この3日間、ラファ難民キャンプのブロッ
 クO地区とイブナ地区、それにゲシュタ地区一帯は、イスラエル占領
 軍の軍事行動のターゲットになり、激しい攻撃にさらされた。公表さ
 れた軍事行動の理由は、先日、エジプトとの国境近くでAPC(装甲人
 員搬送車)もろとも爆破されたイスラエル兵の遺体を「探すため」。
 軍のラジオ放送によれば、この尊敬すべき無垢で純粋な兵士たちは、
 他の部隊とともに「ピクニック」に出かける途中だった──国境に近
 いブロックJ地区の数十軒のパレスチナ人の家を壊して地表から撤去
 するために出かけていった「だけ」だという。
 
 15人を殺し、100人以上に怪我を負わせ、100軒以上の家を壊して
 跡を更地にし、一帯のインフラ設備にたいへんな損傷を与え、そうし
 て今朝早く、イスラエル軍はラファから引き上げていった。引き上げ
 るに当たって、住民たちには、「われわれはまもなく戻ってきて、こ
 の一帯の家屋破壊作戦を再開する。日曜の夜には、絶対にこのあたり
 に残っていないように」と告げた。
 
 これを伝えてくれたのは、ラファに住む友人、フィーダだ。
 ロンドンにいる僕には、言うべき言葉もなかった。でも、今朝、僕は
 ラファの親族からの電話で起こされ、信じられない知らせを聞かされ
 ることになった。「気をしっかり持って聞いてね。これは私たちの運
 命なのだから。昨夜、あなたのいとこのアシュラーフがシャヒード *
 1になったの」この言葉を聞いた途端、全身が震え出し、両の目から
 涙が溢れ出してきて、眠気は一気にどこかに行ってしまった。何が起
 こったのか詳しく知ろうと、僕はじっくり話を聞いた。そして、ひと
 とおりの話が終わるころ、僕の頭の中にはいつのまにかレイチェル・
 コリーの記憶が浮かびあがってきていた。ラファで一緒に活動をして
 いたレイチェル。いっぱいに広がる陽光の中で、平和な手段で、パレ
 スチナ人一家の家を破壊から守ろうとしていた時に、イスラエル軍の
 ブルドーザーに平然と押しつぶされたレイチェル *2。
 
 いとこのアシュラーフは37歳。3人の子ども──12歳のハサン、8歳
 のムハンマド、4歳のアハマドの父親だった。昨晩、拡声器を使って
 大声で怒鳴りながらラファのあちこちを走りまわっていたイスラエル
 兵たちが、突然、アシュラーフ一家と、同じ一画に住んでいる数十の
 家族に対して、イスラエル軍はこれからこの通りのすべての家を破壊
 するので10分以内に立ち退くように、と命じた。みんな、殺される
 のを恐れて、白い旗を振りながらそれぞれの家から退避していった
 が、アシュラーフは、妻のサハール、義妹のアズハールとともに家の
 前にとどまり、戦車の兵士らに、何とか家を壊さないでほしいと頼み
 はじめた。
 
 自分の家の戸口で、子どもたちの家を守るために、3人はむなしい交
 渉を続けた。兵士たちは、ヘブライ語を話そうが話すまいが、いずれ
 にしても「情け」という言葉を知らないようだった。アシュラーフ
 は、とうとう、こう言ってしまった。「おれの家をブルドーザーで壊
 すと言うのなら、まず、おれたちを押しつぶしてからにしろ」と。彼
 らはそうした。操縦者がブルドーザーを前進させ、アシュラーフと妻
 と義妹を家の中に押し込んで、そのまま、3人と家の中にいた子ども
 たちもろとも、家を破壊したのだ。朝になって住人たちが集まり、何
 とかアシュラーフ一家を助け出そうと必死に瓦礫を取り除いていっ
 た。アシュラーフはすでに死んでいた。妻のサハールは病院に運ばれ
 たが、きわめて危険な状態にある。ただ、子どもたちだけは奇跡的に
 一命をとりとめた。あとでイスラエル軍が出したプレス・リリースで
 は、軍は、自分たちには責任はない、兵士たちには一家の姿が見えな
 かった──そう主張している!!!(レイチェルを殺した時と同じ
 だ)
 
 僕は今、自分がラファにいないことが悲しくてたまらない。そして、
 今朝、もう少しあとになって、ラファのアネスから、もっと悲しい知
 らせを聞かされた。イブナ地区に住むアフマド・ラドワンという17
 歳の若者がイスラエル兵の銃弾数発を浴びて殺された。アフマドは、
 去年、トム・ハンドールが子どもたちを助けようとしていた時にイス
 ラエル軍のスナイパーに頭を撃たれた直後 *3、トムを何とか安全な
 場所まで運ぼうとした僕たちに手を貸してくれた若者のひとりだっ
 た。ラファの人たちに対してなされた残虐な行為の数々……。僕には
 何も変えられなかった。僕には、そうしたことが起こるのを止めるこ
 とができなかった。それはわかっている。ただ、せめて、銃と分厚い
 装甲壁の奥に隠れた殺人者たちに、2つだけ聞きたい。
 
 1)君たちにとって、僕たちはどんな存在なんだ?
 
 2)こちらが人間であることをわかってもらうには、どれくらい大
 声で叫ばなくてはいけないのか、どのくらいデカい必要があるのか、
 服に何色の目立つ色が入っていなくてはならないのか、正確に教えて
 ほしい。これまでに同じような「偶発的な」ニアミスがあって、殺さ
 れずにすんだ人がいたのなら、君たちを前にしても大丈夫な「一線」
 ははっきりしているだろう?

【私的めもらんだむ】
9時
 犠牲となったパレスチナ人の写真をまとめながら、虚しくなる。殺し、殺されていく人々・・・なぜ?こんなことが、平然と、国家にかかれば堂々と、人殺しが正当化されて、起こるのだ?!と・・・全く仕事が途絶えたわが身を振り返りながら、破局へと向かう人類の未来をリアルに感じ取っている。日本では自らの命を絶つ人が、いまパレスチナで殺されていく人々より増加している。それでも、悲痛の度合いはパレスチナ人のほうが遥かに大きいのだろう。自らを殺す人々と、殺されていく人々の違い・・・殺されるのは嫌だ、殺すのはもっと嫌だ。そんな生物としての反吐が出るような嫌悪感が、殺す側、イスラエル兵には伝わらないとでも云うのだろうか?愛する者が肉片となって飛散する。その肉片を掻き集める悲痛はいかほどか・・・毎日のように寄せられるナブルス通信に目を通しながら、どう考えていいのか?分からない放心・・・まとめようとしてもまとめられない、写真が、私の心が、飛散する。傍らにはメス猫たちが6匹丸まって寝息を立てている。ただ生きることだけに生きている彼ら・・・人間はどうだ?ただ生きること、それを許さない国家が、他国に干渉しては自国の兵力を投入している。何と云う非人間性!何と云う大いなる矛盾・・・かと思えば、連休を海外の別荘で過ごしたと満足げに語る日本人がいる。さぞ満足だろう。
 一昨日ふいに現れた同業者、生活保護を適用されたのだと・・・それで千円貸してくれと・・・千円と云わず、これから外で飲もうと、なけなしの生活費を掴んで夜の街に出た。初めての店「おでん屋」の暖簾をくぐれば、そこの女将が同期生という奇遇。懐かしさに酒も進み、気が付けばすっからかんの二日酔い男が自宅でぶざまに倒れている。これは誰だ?空虚な自分の脱け殻がただ転がっていた昨日・・・今日は雨、雨・・・台風2号が太平洋沖をもうすぐ通過するらしい。今日の闘い・・・自暴自棄・・・最近私がもっとも恐れている敵が、自分であるという、認識。こいつをねじ伏せなければ、前に進めない。
15時
 監督から「これから部品持って行く」との電話があってから、1時間以上も待っている。おそらく社長が持って来るのだろうが、仕事に対する真摯な姿勢が問われるところだ。下請けだと侮っているのではないか?元請けばかりが苦しいのではない。下請けだって必死に生きている。社長であろうが、鏡を見たら険悪な自分の顔・・・ニコリと笑おうとしたが表情が引きつった。台風一過、真っ青な日本晴れ・・・と思っていたら、また曇ってきた。今日のオレの心のようだ。どうにもならないところで、どうにかしようと足掻いている。それでも、どうにでもなれ自暴自棄だけは避けたい。
 待ちあぐねてタバコを買いに行ったら、その途中で社長の車と遭遇した。手で合図を送り、帰ってきたら部品1個、ロータップの蓋が置いてあった。1000円に満たない仕事、パテ付けして上吹き仕上げ、乾燥待ち時間を考慮しても二日はかかる。『やってられるか!』本音をねじ伏せる。『どんな仕事でも誠意を込めて』・・・良心という奴・・・が、まだオレにも残っていたらしい。台風が雨雲を吹き払ったあとの澄み切った青空・・・顔で笑って心で泣いて、ひとりぼっちの流れ星・・・流れ流れて何処へゆく。
19時
 今日を振り返って『かなりやべえ』自分の心理を知る。これじゃ自滅するようなものだ。「誠意ある仕事」たって、仕事そのものが無いに等しいのだからお笑い草、というものである。ま、こう不景気では落ち込むこともあるさ、・・・反省、反省・・・で、教訓は?・・・分からん。その分からん朕がまたウィスキーを飲み出している。極度に薄めた水割り、ほどんと酔えない。残り少ないウィスキーを舐めるように飲んでいる。
 パレスチナに関する動画を創り始めた。素材を集めながら、少しずつ加工していたものだ。現実と向き合うことの実感がほしかった。生身の人間として、いかに現実が耐え難いものであろうと、頭を振り払っても現実は厳然として立ちはだかっている。そもそもオレの信条は逃げないところにあったはずだ。末期癌の母と共に、父の亡きあと、何とか会社の借金は返してきたではないか・・・と自分を癒す。
22時
 今日は「私的めもらんだむ」が長文になった。今夜、知人と電話しながら、落ち込みの原因がおぼろげながら分かってきた。昨夜来、日誌にアップするパレスチナ人の犠牲者写真を収集していたのだが、どうやらそれが原因みたいだ。ここで貼り付けた写真以外にもストックしてあり、延々とそうした写真を眺めていれば気分も落ち込むというものだ。といって中止するつもりはない。もっと気を強く持ちたい、と思う。



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