筋弛緩剤投与事件2000、資料

2001/07/16の日誌から
 昨日のテレビ朝日系列・スクープ21での「独占告白仙台・点滴殺人事件で元院長が初めて語った衝撃事実」は、まさに衝撃的な内容であった。筋弛緩剤を投与したとして殺人未遂及び殺人罪に問われている事件で、ここにきて元院長の告白によって無実である可能性が限りなく大きくなってきたのだ。現在、守被告は女児11歳と1歳の二人と男児4歳、それに45歳の男性ら計四人の件で殺人未遂、また89歳の下山雪子さんの死に対しては殺人罪で起訴されている。北稜クリニック元院長・二階堂昇医師は当時を振り返りながら「雪子さんの死因は心筋梗塞であり、筋弛緩剤マスキュラックスが投与された症状ではなかった」と証言する。二階堂医師は呼吸困難に陥った雪子さんの元に駆けつけ、酸素吸入で一時的に呼吸が戻ったことを確認している。筋弛緩剤が投入されているなら、筋肉が弛緩しているために呼吸が戻ることはありえないのだと言う。しかし、雪子さんの死因が「心筋梗塞によるもの」とした二階堂医師の診断は「すでにモノ(マスキュラックス反応)は出ている」とする検察に拒否された。
 また風邪で入院した45歳の男性には二階堂医師自身が往診し、抗生物質ミノマイシンを処方した。その男性患者の様態に異変が生じたとき、二階堂医師は抗生物質ミノマイシン投与によるアレルギーと診断、その処置を施して回復に向かった。これも検察庁は「すでに筋弛緩剤マスキュラックスが検出されている」として、二階堂医師の「抗生物質アレルギー」の診断そのものを拒んでいる。
 さらに女児二名と男児一名に関する筋弛緩剤投与疑惑も、検証すればするほど検察の取り調べの矛盾点が明らかになる。鑑定では女児の血液(1cc当たり)からマスキュラックス25.9ng(ナノグラム)/mlが検出されたというが、この程度の濃度にするには500ccの点滴容器の中にマスキュラックス4mgのアンプルを20〜30本を投入しなければならない。手当に奔走する医師や看護婦の隙を狙っても、それは無理というものだろう。しかも筋弛緩剤マスキュラックスは非常に代謝が早く、48時間以内の血液中では全く検出されなくなる。210分後に鑑定したとされる女児の血液から検出された25.9ng/mlのマスキュラックスも、そのことで言えば30本以上のアンプルを使用しなければならない、という矛盾がまた出てくるのである。さらに検査当局は一週間後に採取したとされる血液からは20.8ng/mlのマスキュラックス成分が検出されたと言うが、これが事実だとすれば途方もない量のマスキュラックスを投与しなければならず、これはどう考えても不可能だ。
 この事件の特異性は「果たして筋弛緩剤が投与されたのかどうか?」という、事件が本当に起こったのかどうか?という曖昧さにある。したがって警察官に取り調べを受けた守被告もまた混乱したまま「自白を強要された」のであろう。この事件の唯一の物的証拠は血液鑑定のみであり、その鑑定そのものに濃厚な疑惑が浮かび上がってきている今、警察や検察側の捏造による冤罪疑惑という新たな展開になってきた。それを検察は「状況証拠のみでも守被告を有罪にできる」と意気込んでいる。無実の人間をかくも罪人に仕立て上げようとする検察とは何なのだろう?裁判の過程で血液の再鑑定が求められているが、これまた鑑定にあたった大阪府警科学捜査研究所では「検体は鑑定で全て使い切ってしまった」という。犯罪捜査規範では「血液などの鑑識にあたっては裁判などの再鑑定の可能性があるため、検体の一部は保存し、再鑑定のための考慮をはらわなければならない」と定められている。
2001/07/17の日誌から
 昨日の日誌に続きになるが、守被告が殺人罪で起訴されている下山雪子さんの件で、もう二例ほど筋弛緩剤ではなかったとする証言を付け加える。二階堂医師の証言よれば「モニターには心筋梗塞特有のST上昇の波形を示していた」という。通常はSの波は高くTの波は低く表示されるのだが、低いはずのTの波形も心筋梗塞になると高くなって現れる。緊急に呼び出された時に二階堂医師が見た心電図は、まさにそのT波が上昇した心筋梗塞を示す波形であった。筋弛緩剤が投入されていれば、心臓筋も弛緩してしまいST波も現れることはない。さらに雪子さんは下顎(かがく)呼吸の症状も出ていたという。呼吸困難が続くとその最後には顎を上げて呼吸をしようとする。弛緩剤が投与されていれば、顎が弛緩して下顎呼吸すらできないことになる。酸素吸入で一時的に呼吸が回復し、ST波が上昇して心臓異変を示し、下顎呼吸によって下山雪子さんは死亡した。これらは全て心筋梗塞の症状を呈するものであり、筋弛緩剤投入後の患者には決して現れない症状である。これらの事実を全て否定して、検察はあくまでも筋弛緩剤マスキュラックス投与によるものだとして守被告を状況証拠だけで有罪にしようとしている。こんな横暴が許されて良いわけがあるまい。
2004/03/29
<筋弛緩剤事件>30日判決 「一生十字架背負う」設立者語る
 点滴中の患者が相次いで呼吸困難になり、意識不明になった。仙台市の北陵クリニック(閉院)で00年に起きた筋弛緩(しかん)剤混入点滴事件。患者の急変は「医療従事者による犯罪」なのか、それとも「院のミスを隠すためでっち上げられた冤罪(えんざい)」なのか。殺人、殺人未遂計5件の罪に問われ、無実を主張する准看護師、守(もり)大助被告(32)=求刑・無期懲役=への判決が30日、仙台地裁(畑中英明裁判長)で言い渡される。初公判から2年8カ月余り。「医療への信頼」を揺るがした事件は大きな節目を迎える。だが患者や家族の苦悩はなお深く、クリニックの責任も深く刻印されたままだ。
 クリニックを実質的に運営したのは、設立者でもある半田康延東北大教授(58)だった。妻は副院長として急変現場に何度も立ち会った。
 患者の急変原因を筋弛緩剤ではなく薬の副作用などに求める弁護側は「急変への不適切な対処が重体や死亡につながった」と副院長に矛先を向けた。「思い悩んだ副院長が被告の仕業だと思い込み、見込み捜査が始まった」とも主張した。
 「既往症の急変なら予想がつく。あんなに早く急変し、亡くなるなんて(普通では)絶対に考えられない」と教授は反論する。だが、こうも自問する。患者の命を預かる医療機関として、なぜもっと早く急変患者の多発に歯止めをかけられなかったのか――。「私と妻は一生、十字架を背負っていかなければなりません」
 事件後、妻は精神的なダメージとメディアの目から逃れるため県外の小さな町に移り、専門医の指導で社会復帰を目指した。今は大きな民間病院で小児科医をしている。
 守被告の公判は今年2月の結審で155回を数えた。うち約80回を半田教授は傍聴した。「裁判は(刑事訴訟法に基づく)方法論の話だから、結果がどうなるか分からない。でも、みんなが納得できる判断を示してほしい」。そう願う。
 クリニックは事件の翌01年閉院し、その後売却した。運営法人だけは残し、財産配分をせずに被害者への補償を優先させているという。今月31日には、意識の戻らない女児(当時11歳)と家族から損害賠償を求められた訴訟の和解が成立する。【棚部秀行、野原大輔】(毎日新聞)