04/03/20 (土)
2〜7℃、南よりの微風
臆病のススメ、平和な日常の反復についての一考

 かつて私は反原発を訴え、ある人から「あんたは口先ばっかりで、具体的には何にもしてないじゃないか。反原発を云うならそれなりの運動を展開してみろよ」と批判されたことがある。その時は落ち込んだものだが、あとで『具体的な運動とは何を指すのだろうか?』と自問してみた。反原発グループに参加して「原発反対!」などとプラカードを掲げて拳を振り上げることなのか?おそらく彼はそういう声高に主張する運動のことを云っていたのだと思う。現に、少数派だがそうして頑張っている人もいる。私も彼らにはそれなりの尊敬の念を抱き、かつ話も聞いてきた。だが、正直なところ、どうしても拭いきれない違和感があることも確かだ。「反原発闘争!」と声高に主張すること自体、内気な私は躊躇してしまう。日々の生活を考慮すれば、保身と言い換えてもよいだろう。つまり、臆病なのだ。若い頃の私ならつゆ知らず、今の私はこれ以上の極貧は飢え死にを意味する。反原発のリーダーに「とにかく収入が殆ど無い。カンパしたくても出来なくなった。どうすればいいんですかね?」と相談したこともある。その返事はこうだ。「それは困りましたね。でも頑張ってください」・・・はっきり云って、頑張ってもどうしようもないことがある。頑張れないのに、頑張れと云われても、何に頑張ればいいのか?努力が足りない、のか?・・・むろん諦めてはいない。絶えず自分の可能性を試みてもいる。人生はカケッコだ。負けずに走れ。ゴールは間近だ。人を押しのけて走れ、走れ!・・・そういうのに疲れたんだよね。後ろから迫ってくる人に「お先にどうぞ」と云っているうちに、いつの間にかビリになっていたりする。そういうのって敗北者なのだろうなあ。
 小津監督の反戦思想のことをずっと考え続けている。反戦を声高に云うのではなく、日常の平凡な生活の反復をもって平和な心の大切さを描き出す。小津映画はアメリカでも密かなブームになっていて、観客が「OZU映画は心を穏やかにしてくれる素晴らしい映画だ」と語っていたことが印象的だった。誇張のない淡々とした日常を描きながら、それを観る人の心に染み入ってくる平穏な心のこと・・・これはまさしく反戦映画ではなかったか?そんな想いが一連の「わが心の原風景」の動画素材づくりに繋がっている。それは同時に激情しやすい私への戒めでもある。今日の素材、野外用蛇口は終戦後をイメージしている。敗戦後の焼け跡、何もかも失われた心の空洞を癒すための水、その一滴こそ戦後ニッポン蘇生の始まりではなかったかと・・・反復する水滴の音に心の原風景を感じてもらいたい、そんな私の想いが込められている。私はいざ戦争になれば銃を取ってしまいかねない自分が怖い。私の命に向けられた銃口に怯える自分が、殺される前に銃を撃ってしまうだろう、そんな自分が怖い。だから戦争前夜直前まで反戦の意志を貫きたい。自分に向けられた銃口には一輪の野の花を活けよう。私は臆病だから、自分の命が人に奪われるのが嫌だから、悲鳴に似た想いで日常を淡々とした平穏な心で送りたい。

【視聴予定】
21時
サイエンスミステリーそれは運命か奇跡か!?〜DNAが解き明かす人間の真実と愛〜II 肉体年齢100歳の少女運命の少年との悲恋▽絶滅寸前世界最小民族ある怪死をめぐる謎▽無限の記憶をもつ男の流転▽涙の再会の裏に恋愛遺伝子(フジテレビ)
 運命とは何か、生きるとはどういうことか、という根源的な問いをもって、生命の設計図・DNA(デオキシリボ核酸)にスポットを当てる。司会・所ジョージ、水野真紀。 「第一章」。ある日、突然、すべての記憶を失った人物とその家族の闘い。そして、無限の記憶を持つがゆえに苦悩する男性の生涯を、DNAの不思議な力と併せて描く。「第二章」。人はなぜ異性を好きになり、子孫を残そうとするのか。恋愛感情に深くかかわるDNAについて取り上げる。「第三章」。ミャンマー奥地に住むタロン民族。かつては百人ほどの集団だったが、今では数人しか残っていないという。DNA分析により、タロン民族激減の理由に迫る。「第四章」。遺伝子の突然変異によって、約十倍近い速度で年老いていく少女・アシュリーと家族の姿を追う。


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