2004/2/28-ハイチは無政府状態に |
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27日のポルトープランスでの混乱に巻き込まれて殺されたハイチ市民。 |
27日、左と同現場に子どもが立っている。 |
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アリスティド大統領は首都ポルトーフランスにおいてバリケードを設置した。 |
27日、大統領官邸周辺を護衛する大統領支持者。 |
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【視聴予定】
21時
00 世界・ふしぎ発見!「サハラ12000年の記憶…砂に眠る大画廊」 地底に太古の泉?迷宮都市に潜入
リビアから不思議な岩絵と、サハラ砂漠の環境の変化の壮大な歴史をリポートする。ミステリーハンターは末吉里花。 一八五〇年、ドイツ人探検家ハインリッヒ・バルトによってサハラ砂漠の奥地でおびただしい数の岩絵が発見された。しかし、岩絵発見の報告はヨーロッパでは受け入れられることはなかった。それほど素晴らしい表現力を持つ人々がサハラに暮らしていたとは考えられなかったからだ。だが、一九五五年、ローマ大学のチームによって岩絵の存在が明らかになった。岩絵を分析すると、サハラ砂漠はかつて緑に覆われ野生動物が暮らしていたことや、緑が減って砂漠化した様子などを読み取ることができる。
22時
00 ETVスペシャル「私は憶病者・ロシア人のプラハの春」 68年赤の広場でチェコ侵攻に反対した8人の市民35年目の真実▽ロシアパリに8人の勇気を問う詩人の旅
「圧倒的な武力を持っているからといって、他国に侵略していいのか」絶対的な戦力の違いの中で終結に至ったイラク戦争。世界の構造が起こした新しい戦争は、国家と個人の根源的な問題を突きつけた。
その問題にどう対じし、個人はどうふるまうべきか、そのことを考えつづけてきた人たちがいる。
ロシアの詩人、ユーリ・キムが、2003年夏、旧友を訪ねて旅立つ。一篇の詩「臆病者」を携えて。そこにはこう書かれている。
「臆病であればすべてが保証される。誰もおまえを捕らえにこない。正当化も言い訳もできない。子供たちに馬鹿にされても仕方がない」
キムは35年前、ひそかに反ソビエト体制を語り合う知識人の輪の中にいた。そのとき、プラハの春をじゅうりんするソビエト軍のチェコ侵攻が、プラハの地下放送によって伝えられる。知識人たちはひとりひとり悩み考える。そして8人が1968年8月25日、赤の広場にプラカードを持って立ち、抗議の意思を表明する。しかし多くはそれに参加せず沈黙を守った。ある人は、無駄な抵抗だと思い、ある人は家族に引き止められた。キムも参加を思いとどまる。それぞれの選択は、その後の人生を分けた。
赤の広場に立った8人は5分後に逮捕され、家族と離されて、シベリアへ送られる。彼らの名誉は今もって回復されず、知識階級としての立場を永遠に失った。一方参加しなかった人たちは、それまでどおり、大学などでの教職を確保し、やがて、社会主義崩壊のときには全面に立つ。
キムは参加しなかった自分とのかっとうを続け、やがてみずからを臆病者と断じる。プラハの春から35年。今自分自身の選択をどう振り返り、新しい時代状況をどう受け止めるのか。キムはそれを問う旅に出て、今は露、仏、に分かれて暮らす人々と対話を重ね、国家との関係、個人の勇気とは何かを見つめていく。
【私的めもらんだむ】
13時
仕事中はアマゾネス(メス猫)軍団を家の中に入れる。隔離でストレスが溜まっていると判断してのこと。これより工場に向かい、ベース三台一気に仕上げにかかる。
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