04/01/13 (火)
西よりの強風
百年前、万物の生命反応を実験してみせたベンガルの科学者

 今から百年以上も昔、1901年5月10日の英国王立研究所で行われた「金曜講演会の夕」では、1人の初老の科学者が講演の締めくくりを次のように言葉で結んだ。
「ご覧になったとおり、金属と筋肉の疲労曲線は何と似ていることでしょう!こういう現象のなかでは物理現象と生理現象の境界線など引けるわけがないのです。つまり、物体と生物との絶対境界線はない、ということです。私は実験の過程でそれらの中に万物の統一性にある一つの相に気付きました。光のさざ波の中にに震えている塵埃、私たちを取り巻く生きものたち、その頭上に輝いている数多(あまた)の星たちといった万物をそのうちに担っている統一性のことです。そのとき初めて、私の3000年前の先祖がガンジス河のほとりで宣言したお告げの意味が少しだけ分かったのです。それは次のような言葉でした。---全てこの宇宙の変化する多様性の中に1のみを看取する者たち、この者たちにみ永遠の真理は帰属し、余の何人にも、他の何人にも帰属することなし---」

 この科学者はまさに「金属にも生命がある」と断言しているのであり、それを実験で証明してみせたのであった。金属が生物として認知されるという常識を覆す彼のこうした成果は、植物にも知覚能力が存在するのではないか?といった研究過程で結実したものだった。当初、彼の研究は予想したように、権威ある学者からは剥き出しの敵意と嘲笑をもって迎えられた。彼の研究が認められたかのように思えた1901年での講演も、再び謂れのない弾圧で葬り去られた。そのとき、今度は植物学の権威リンネ協会が彼の実験を目の当りにして驚く番だった。
 1902年2月21日、彼は友人タゴールに次のような手紙を出している。
「勝ちました!大勢の敵対者に挑む覚悟で、私はたった一人で壇上にあがりました。しかし15分もすると、なんと会場は拍手喝采が鳴り響きつづけたのです!協会書記のハウズは、私の研究論文から欠陥を見つけ出そうとしたが無駄だったと、話してくれたくらいです」

 カルカッタ大学に隣接するインド科学寺院の中央には「この寺院はインドに誉れと、世界に幸いをもたらし給もう神の足元に奉納されしものなり」という銘が刻まれているが、その入り口には彼が英国王立協会やリンネ協会で証明して見せたところの実験機器が展示されている。あまりに時代を先取りした百年前の一人の科学者、その人の名をベンガルの偉大な科学者ジャガディス・チャンドラ・ボース卿という。



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