04/01/04 (日)
西よりの強風
波瀾万丈04新春SP 中曽根康弘…全告白、その1
議員引退の真実▽三島由紀夫事件▽フセインと会った日▽極秘任務ロン&ヤス
以下要約抜粋

 昭和30年に中曽根がした二つのこと、原子力の平和利用と天皇制を元にした首相公選論。昭和31年日ソ共同宣言への批判演説問題、国会での速記記録から削除されたものの、読売新聞が全文掲載。昭和34年、41歳にして第2次岸内閣の科学技術庁長官に任命。お飾りの大臣ではない、政治家の真の姿がそこにあった。ヨイショ

N(中曽根)=この当時、アメリカの原子力は軍から民間に渡したんですね。それを目の当りにし、これは日本もやらねばならんと思った。そして昭和29年、国会で3億3500万円の原子力研究平和利用予算を突如出して、三党合意で通させた。
F(福留アナ)=現時点では電力でみましても33パーセントを原子力に頼っているわけです。中曽根さんの中ではこういう結果になることを分かっていらっしゃたんですね。ヨイショ
N=そうです。このままでは日本は農業国家になってしまう、そう予感しましてね。(農業国家の何が悪いんじゃい?)昭和30年に原子力平和利用のための法律を通した。八つの原子力法案を通したのは画期的でしたね。(自画自賛)
F=国民生活に密着したところでは台風のことも研究されていましたね。
N=台風を途中で方向を変えることは出来ないかと考え、台風の途中で大きな爆発力を生じさせることを思いついた。(まさか核爆発ではないだろうな?) そうすりゃ台風の方向も変わると思った。そういうことを研究してみろと云ってやったんだが、とてもダメだということになった。(スタジオ内、大爆笑) 私は日本を世界の一等国にしたいと思ってそういうことをやってきたんです。
(つづく)
 日本テレビ=読売新聞らしいヨイショ番組ではある。


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