1月、今年初頭は北朝鮮問題から始まり、フィアット会長のジョバンニ・アニエリ死去、その過程でイラクの不正融資事件へと続いた。
2月、のっけからスペース・シャトルの爆発事故が起こると、ブッシュのイラクへの攻撃警告も日増しに脅迫的な様相をおび、それに反発して世界各地での反戦デモも活発化していた。
3月、ブッシュはイラク開戦への最後通告を突きつけ、21日にはついに首都バグダッドへの大規模な空爆に踏み切る。それに反応して世界各地の反戦デモがさらに激化し、東京でも4万人規模の反戦デモが行われた。「No
War!」の声が全世界に響き、私も連日のように涙を流しながらそのときの記事と写真を載せたものだ。
4月は、殆どイラク戦争の経過ばかりを書きつづけていた。不況のあおりで仕事が途切れる中「オレは何をしているんだろう?」という自問自答を繰り返しながら、それでもこみ上げてくる反戦の想いに突き動かされていた。
5月、イラク戦争終盤、復興や石油利権の分配計画が始まったが、今度はインドネシアのアチェが再びきな臭くなり、日本への石油ルートが寸断されるのではないか?と心配している。
6月、猫族の死がつづいた。同居人たちの小さな死にも悲嘆する自分のナイーブな心に、自分自身が分からなくなっていた。いつもは猫たちの勝手気ままな行動に翻弄され、癇癪を爆発させては箒をもって追いかけているのに、瀕死の猫を付きっきりで看病してしまう私は・・・そんな自己矛盾の最中に、人間どもの正当化する戦争にも憤慨している。
7月、ゆう水の可能性に希望を見いだしていた。自然はそのままで人間を幸せに出来る奇跡を有している。他人を睥睨したいとする欲望さえ持たなければ、お金など無くても幸せになれるんだ、と・・・戦争の愚かしさを分かっていながら、人殺しを正当化する人間の原罪を考えていた。
8月、バグダッドで国連爆破勃発、テロの脅威を理由にさらに激化する報復戦争・・・自作自演の疑念が芽ばえている。テロと名指しする側こそテロ国家そのものではないのか?
9月、痛ましい戦争現場より、その背景を重視している。映画「7月4日に生まれて」からはなまみの人間としての兵士の苦悩を再確認した。中東を覆う欧米諸国の金脈の流れは、戦争以前から戦争を準備する利権の臭いがしていたことなど・・・戦争をビジネスとする紳士たちの魔性をみていた。
10月、イラク復興計画の巨大利権が浮き彫りになる。殺戮を終えたあとの復興処理という巨大利権に欲望を露わにする奴ら・・・自衛隊派遣をちらつかす我らが首相の独裁性に危険を感じていた。
11月、総選挙、これまで棄権していた私も今度ばかりは投票した。結果、コイズミの存続が決まった時点で、この国の未来が暗澹たるものになったことを実感する。いつか来た道、戦争前夜、国民の理性を押し流していく熱狂に悪寒を覚える。
12月、自衛隊派遣が本決まりとなり、先遣隊がイラクに向かう。ああ、バカなことを・・・そしてイランの大地震、犠牲者3万人に達しようとしている今、最終的には5万人との予測も出ている。累々たる屍に悲痛な遺族の嘆き・・・神の沈黙・・・それでも祈らずにはいられない人々・・・
明日の正月元旦も私にとっては単なる貧乏の延長にすぎない。いま猫族だけが幸せそうに寝入っている。明けては猫族10匹勢ぞろい「今年もよろしくニャン!」で登場したい。
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