03/10/28 (火)
金正日総書記の側近、金容淳書記が死去
金容淳(キム・ヨンスン)労働党書記 【ソウル=豊浦潤一】北朝鮮の朝鮮中央通信は27日朝、同国の金正日(キム・ジョンイル)総書記の側近、金容淳(キム・ヨンスン)労働党書記(69)が26日午前5時、死去したと報じた。同党中央委員会と最高人民会議(国会)常任委員会の「訃告」として伝えた。
 これによると、金書記は、6月16日の交通事故により長期の入院治療を受けていたという。金書記は、対韓国、対日関係を中心に北朝鮮の対外関係を担当した人物で、権力序列は推定21位。朝鮮アジア太平洋委員会委員長や祖国平和統一委員会副委員長も兼任していた。
 金書記は1934年生まれ。90年には党中央委員会国際担当書記に選出された。1990年9月、日朝国交正常化交渉の早期開始などをうたった自民、社会、労働党の「3党共同宣言」に自民党の故金丸信元副総理、社会党の田辺誠副委員長とともに署名。1991年2月には、自民、社会党の招請を受け、労働党代表団を率いて訪日するなど日本とのパイプ役を果たした。
 1992年1月には、ニューヨークでカンター米国務次官と初の米朝高官会談を行った。平壌で2000年6月行われた金総書記と金大中・韓国大統領との南北首脳会談にも同席。韓国の林東源・国家情報院長とともに「南北共同宣言」の文案作りにあたった。
 金書記は、8月の第11期最高人民会議代議員選挙で再選が伝えられていたが、動静報道は、6月13日、黄海北道のヤギ種畜場を現地指導した金総書記に同行したのを最後に途絶えていた。(読売新聞)

 金正日総書記の側近中の側近といわれる金容淳(キムヨンスン)労働党書記の死亡報道は、その死因の謎を含めて、様々な憶測がなされている。死因となった交通事故の原因が、地方での飲酒運転によるものとされていることは、まず考えられない。公務中には運転手が代行しているはずだし、労働党書記である政府幹部が自ら酔ってハンドルを握ること自体に無理がある。崖から転落して頭を強打したなど、まずもって有り得ないことだ。そこで考えられるのが、2001年3月14日の金容淳逮捕事件である。
 容疑の詳細が伝えられないまま逮捕されたこの事件も、発表直後から様々な憶測を呼んできた。この時の逮捕が、今度の金容淳死去にリンクしていることは容易に推測できよう。「数種の釈然としない点」というだけで摘発された金容淳容疑者も、数日後には国防委員長も兼務する金正日総書記の特別指示によって釈放されている。このことは金正日の疑心暗鬼を想像させてくれる。公式の場でも金容淳を傍らから離さなかった金正日に、金容淳に関する何らかの疑惑情報が伝えられ、なおかつ金容淳を信じたいとする心の葛藤があったのではないか?それは多分、金正日の私的な部分に触れたもののような気がする。
林ドンウォン統一部長官
 北朝鮮の対南事業の長としての金容淳は、韓国の林東源(イムドンウォン)統一部長官との密接な折衝を通じる過程で、互いの信頼感が生じていた。林東源氏は金容淳逮捕の際にその救出に過大な尽力をしてきた。今回の金容淳労働党書記死去の報に、最も嘆きかつ失意している人物でもあろう。韓国財閥からの援助という交渉に携りながら、いつしか「北朝鮮の財閥」との云われるようになった金容淳を、金正日がその政権維持の障害として恐れるようになったとしても不自然ではない。憶測の域を出ない現時点では、その憶測を確かな事実をもって裏付けていく作業が必要になろう。

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