03/10/02 (木)
Joseph Raymond McCarthy虎の尾を踏んで追放されたマッカーシー?
 1950年2月、米国内の赤狩りを呼びかける演説を経て、翌3月には本格的なマッカーシーの赤狩り、通称マッカーシズム旋風がはじまっている。それから五年後の12月2日、「マッカーシー問責決議案」が採択され、マッカーシーはあっけなく敗北する。委員会はマッカーシーの反撃を許さなかった。これまでマッカーシーの赤狩りに追従してきた上院議員たちが、一斉にそっぽを向いたのである。マッカーシーは利用され、踊らされ、そして捨てられた。ハリウッド映画界から問題提議の根を絶つために、マッカーシズム旋風は効果的だった。何より、国民を考えさせてはならない、という権力者にとっても・・・
 エリア・カザン監督作品「エデンの東」は、その原作者スタインベック(John Ernst Steinbeck 1902-1968)の父親の名グロスシュタインベックが物語るように、ジェームズ・ディーン(James Byron Dean 1931-1955)演じる主人公の背景にはアメリカ国内で苦境に立たされる当時のドイツ人が描かれている。スタインベックもまたドイツ系移民だったのだ。エリア・カザンも当然こうした背景は認識していただろう。カザンは映画「波止場」において主人公のマーロン・ブランド(Marlon Brando 1924-)を不正に立ち向かわせ、袋叩きにあいながら傷だらけで権力に挑みかかる青年を創出させて観客の喝采を浴びた。そのカザンはマッカーシーの恰好の餌食となった。何より彼の細君モリーが米国法曹界に君臨するサッチャー家の令嬢だったのも皮肉な運命だった。権力の象徴ともいえる鉄道王ヴァンダービルト家に通じる大財閥の家系と結ばれながら、一方ではギリシャ系移民としての自分をスタインベックの「エデンの東」に照らし合わせることの自己矛盾に悩んでいただろう。これがマッカーシー旋風の渦中で、彼カザンがハリウッドの仲間を裏切った背景であった。
 しかし、猛威をふるったマッカーシー旋風も終盤にさしかかっていたのを、当のマッカーシーも何ら気付くことはなかったようだ。終わりは不意打ちのように始まった。その時、マッカーシーの矛先は陸軍長官ロバート・スティーヴンズに向かっていた。彼が虎の尾を踏んだ瞬間だった。一般にスティーヴンズは織物業者として知られていた。マスコミもそのように報道し、国民もまたそのように認識させられていた。しかし、彼の正体はGE(ゼネラル・エレクトリック)の重役にして、「ゼネラル・フーズ」の重役、「パンアメリカン航空」の重役という肩書きに隠されていた。GEはモルガン財閥の総本山、「ゼネラル・フーズ」の社長は、ロックフェラーの金庫「チェース・ナショナル銀行」の取締役でもあった。審問会でマッカーシーに勝利した陸軍長官スティーヴンズは、GEの社史にしっかりとある風景が刻印されている。彼が審問会を終えて向かった飛行場には、GEの重役陣がずらりと並んで勝利の凱歌をあげたのである。マッカーシーの反撃を許さなかった首席補佐官シャーマン・アダムズは、のちにネルソン・ロックフェラーを大統領に担ぎ上げることになる。
 マッカーシーが赤狩りの爆弾演説を行った1950年の2月、その前月1月にはトルーマンが水爆の製造にゴーサインを出していた。GEはプルトニウム製造を手がけるハンフォードの工場をデュポンから引き継ぐと、水爆の量産を開始させている。ハンフォードの工場は長崎に落とされた原爆の、そのプルトニウムを製造していたのだ。そして、水爆製造の陣頭指揮をとっていたGEの重役、ロバート・スティーヴンズ陸軍長官にマッカーシーは食いついた。赤狩りを煽ってきた彼らが、今度は逆風に脅かされはじめたのだ。マッカーシーは獲物を捕捉するだけのハンターにすぎなかった。それまで後押しをしてきた彼らが、1954年の「マッカーシー問責決議案」でマッカーシーを葬った背景には、そのようなわけがあった。審問が終ったあとの閑散とした会場で、マッカーシーは両腕を広げて放心したように呟いたという。「いったい、私が何をやったというのだ?」 操り人形の糸を手繰り寄せる者は誰もいなかった。マッカーシーという操り人形は、その糸を切断され、崩れ落ちるように捨てられたのである。

マッカーシズム
(アメリカMcCarthyism)アメリカの共和党上院議員マッカーシー(Joseph Raymond McCarthy)の活動に代表される極端な反共主義およびこれと関連する一連の思想・言論・政治活動への抑圧。俗に「赤狩り」と呼ばれ、あまりに狂信的で過激な運動であったのでしだいに反発を買い、一九五四年一二月、上院の問責決議がなされて下火となった。
スタインベック
(John Ernst Steinbeck ジョン=エルンスト―)一九三〇年代を代表するアメリカの小説家。経済恐慌の時代にあって強い社会的関心に支えられた作品を数多く残す。代表作に「怒りの葡萄」「エデンの東」、短編集「長い谷間」。一九六二年ノーベル文学賞受賞。(一九〇二〜六八)



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