小猫の鳴き声が煩くて眠れない。現在午前2時、腹立ちまぎれにこれを書いている。誰かが私の工場の前に小猫を捨てたのだ。近寄るとフーッと威嚇して逃げてしまう。反対方向の国道に逃げれば車に轢かれる。それを見越して迂回して近付いたのだが、今度は隣の工場に逃げ込んでしまった。ひっきりなしに車が出入りする隣のこと、車に轢かれやしないかと心配している。どこの誰だか知らないが、私のところに捨てれば育ててくれると思ってのことだろう。それならそれで直接私に手渡せばいいものを、工場前に捨てられたのでは捕獲すら困難だ。無責任な飼い主に腹が立ってならない。雨が降り出している深夜の今、小猫もずぶ濡れになっているはずだ。
何もかもが嫌になる。たかが捨て猫などかまうもんか、と思い込もうとしても、探さずにはいられない自分であることも知っている。そんな自分も嫌になる。近所の人々が寝静まった深夜、雨の中で懐中電灯を持って捨て猫を探す私・・・夜明けまでそんなことを続けるだろう私のことを、飼い主は思ってもいないだろう。今頃すやすやと寝入っているはずだ。飼い主のこの無責任、手前勝手さを私は許せない。
捨てられた小猫は、先月死んだばかりのグレィの小猫によく似ていた。気性の激しいところまで似ている。夜が明けたら、うちの猫族たちを離そうと考えている。そうすれば捨て猫も猫族には寄ってくるかも知れない。車の行き来が少ない早朝が勝負だ。もう車に轢かれた猫を見たくない。雨が本降りになってきた。私の心も捨て猫のようにずぶ濡れになりそうだ。
命がみえにくい世の中、無機質の心ばかりが冷たく、固く、溢れている。捨てられる命だけに自分がみえる。
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