03/09/05 (金)


 アルカイダ渦中のウサマ、その腹違いの兄サレム・ビンラディンは1988年テキサスで飛行機事故死している。ブッシュが、テヘラン大使館アメリカ人釈放を条件に武器の提供を約束したのがイラン・コントラ武器密輸事件であった。その密談にパリまで行き来するのに使われたのが、サウジ国王ファハドの息子ムハマンド所有のBAC1-11というジェット機であったが、その飛行機でサレム・ビンラディンは事故死したのだった。武器密輸にはサウジとエジプト経由でイランに運ばれるという三角貿易が利用されたが、これにはビンラディン・グループのビンマーフーズ家が深く関わっていた。つまりはサレムは知りすぎていた、というわけである。
 最も知りすぎていた男と云われていたウィリアム・ケーシーは、CIA長官辞任直後の1987年6月5日に死去、墓場まで秘密を持っていった。それ以前にはイラン・コントラ事件の秘密を暴露したロバート・マクファーレンが自殺未遂を起こしている。そんな渦中にあってのサレム・ビンラディンの飛行機事故死だった。そのサレムとウサマ・ビンラディンの父親ムハンマドは1968年に自分が操縦する飛行機が墜落して死亡していた。サウジ建設業界の大富豪ビンラディン家はその後、経営陣から離れていたが、1972年に長男サレムが一族を代表して経営者に返り咲いた。サレムが7万ドルを二代目ブッシュに投資した背景には、イラン・コントラ事件とビンラディン・グループの共同事業のパートナーたちもいる。四年前に死去したエジプト建設業界の頂点に立つオスマン・アハマッド・オスマン、投資事業で莫大な資産を築き、そのため日夜暗殺に怯えるレバノン首相ラフィク・ハリリ・・・彼は次回の「サウジアラビアの銀行」で登場願おう。

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