やみ、慰めのない暗黒、それは日々の生活の恐ろしい循環のことだ。(略)
思索に悩まぬものは朝の起床や飲食を楽しみ、そこに満足を見いだし、べつに変更を欲しない。(略)
真の生活の瞬間---そのきらめきが人を幸福にし、時間の感情を、全体の意義と目的とについてのいっさいの考えとともに、拭い去る瞬間。(略)
もし永遠の幸福とか天国とかがあるとすれば、それはそのような瞬間の妨げられぬ継続でなければならない。またこの永遠の幸福が悩みと苦痛の中の浄化とによって得られるものとすれば、いかなる苦悩も苦痛も、避けられねばならないほど大きくはない。
ヘルマン・ヘッセ著『春の嵐(ゲルトルート)』152〜153頁
悲惨な戦争の渦中にあっても、人はその暗黒を日々の生活において実感するのだろう。昨日食した一握りのパンが、今日は食卓から戦争が奪い去って、いまは何も食べるものが無い。そうしてパンの粉くずに蟻が群れているのを、茫然自失しながらテーブルを眺めている。かくして占領軍が激しく玄関の戸を叩くように、受けいれざるを得ない敗北は個々人の生活をまず打ち砕くのだ。
しかし、本当の戦争は、すでに戦争前にも始まっているのかも知れない。いつか来た道・・・不況に職を失い、途絶えた収入の中にも戦争の火種は燻りつづける。それでも税金はしっかり搾り取る無慈悲で冷酷な国家によっても、人は耐えがたい苦痛にその心を国家に委ねかねない、なまみの人間の脆さ、危うさ・・・ヘッセはそこに「永遠の幸福は悩みと苦痛の中の浄化とによって得られる」ことを示唆する。
仕事がないから収入がない、収入がないから何も買えない。「食べものは店に豊富に並んでいるのに、小銭しか無いから即席ラーメン1個だけ買ってきた」と笑う同業社長、哀しいよ・・・そして、それが偽らざる現実なんだ。悩みを浄化すればそんな苦痛も和らぐのだろうか?厳しいよ・・・それに惨酷だ。「海外旅行に行けるほどまだ日本は豊かなんだ。日本人よ、甘えるんじゃない」とテレビで怒っていたアナリスト、最後に「コイズミさんには断固として大改革の大鉈をふるってほしい」と締めくくった。私は夢をみているのだろうか?腐り易い生ゴミは早めに処分しましょう、そんなチラシにすらドキッとしてしまう。
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