03/08/11 (月)
 グレィという小さな命を看病しながら、この世の全てにおいて無意味なものはないのだ、という想いにかられる。この世の全ての命が自分に関連づけられ、その命の連鎖に自分も連なっているのだと・・・しかし、死を間近にした命は、この世のそうした命の連鎖から解き放たれ、今度はその全ての未練を捨てていかねばならなくなる。それは無意味というのではなく、むしろこの星に生きてきた心の過程が凝縮され、漆黒の虚空へと旅立つための準備が成される・・・何も無い漆黒の空間への旅立ち、抱えた心だけが自分の手荷物だ。その裁きは自分の内にあって、虚しさの果ての峻厳たる聖域に見守られている。それは、自分の内なる潜在意識が目覚める瞬間だ。かつて生かされていた星での疑問はここで氷解する。ああ、そうだったのか!と・・・その時には、成すべきことをしてこなかった悔恨にも襲われることだろう。
 神の不在を嘆き懊悩せる魂の持ち主は、それゆえに救われるべき権利を得たと仮定しよう。そして、その仮定はリアルだ。この星においては、差し出される救いの手にさえうっかり触ってはならない。偽善を見抜くは我が潜在意識にしか有り得ない。漠然とした自分の良心とかいうものの、その潜在意識の中に隠されている魂の契約のことだ。
 グレィが纏わりつくように飛ぶ蝿を追い払う。弱々しく前足で空を切りながら・・・ああ、死期が迫っていることをグレィは感じているんだ。そんな中で、私は勝手な妄想に心を泳がせている。さっきスポイトで食塩水を与えた。三日間に及ぶ小猫の闘病は、看病で疲れる私の心に妄想を生じさせた。それを私は聖なる夢想と思い込ませよう。あと一日で「ゆう水」が届く。それまでグレィには生きててもらわねばならぬ。11時40分現在の夢想。
 
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