イラク開戦2003
03/04/06 (日)
米軍が首都完全包囲と報道 バスラ陥落も間近か

 【ワシントン6日共同】米CNNテレビは6日、米軍当局者の話として、米軍がイラクの首都バグダッドを完全に包囲したと報じた。従軍記者も、米陸軍と海兵隊がバグダッドと郊外を結ぶ「すべての道路を制圧した」と伝えており、5日に市内に進攻した米軍は6日、首都包囲網を築いたことになる。
 CNNはまた、南部の都市バスラの陥落も近いと報じた。この日、同市中心部に入り、開戦以来最大の攻撃を行った英軍が、イラク軍の組織的な抵抗を受けていないことを根拠としている。
 米軍は、首都郊外の国際空港を足場に威力偵察を続ける陸軍第3師団に加え、南部からは海兵隊、北部からも空挺(くうてい)部隊と特殊部隊がそれぞれバグダッドに向けて進攻した。(共同通信)
<イラク戦争>米特殊部隊の車列を誤爆、10人死亡 米軍戦闘機

 イラク北部クルド人自治区で6日午後(日本時間同日夜)、米軍戦闘機がクルド人武装勢力と米特殊部隊の車列を誤爆し、少なくとも10人が死亡した。英BBC放送などによると、誤爆があったのは北部の主要都市モスルとキルクークの中間にあるマクムール付近とみられ、8〜10台の車両が隊列を組んで進んでいた。(毎日新聞)
反体制派第一陣が南部に−イラク

 【クウェート市6日時事】イラクの反体制組織、イラク国民会議(INC)は6日、INCの部隊「自由イラク軍」第1陣700人がイラク南部の要衝ナシリヤ近郊に到着したと発表した。指導者のチャラビ議長も加わっている。部隊は米英軍の指揮下に入り、人道支援物資分配や治安維持に当たるという。 (時事通信)
身も凍る銃撃戦に遭遇 従軍邦人記者初の首都入り

 【バグダッド6日共同=儀間朝浩】突然の連射音だった。「パン、パン、パン」と乾いた音が背後から響いた。イラク兵の狙撃だ。「ダダダッ」。米兵が自動小銃で応戦、激しい戦闘が始まった。「ゴー、ゴー(進め、進め)」。指揮官が絶叫する。自走砲の発射音が耳をつんざいた。
 6日、米陸軍第3歩兵師団の第110砲兵大隊とともに、日本人従軍記者として初めてバグダッド西部に入った。イラク軍の大きな抵抗もなく、「歓迎」するそぶりの住民を沿道に見ながら、国際空港の北側を進んでいた時だった。
 記者は同僚のカメラマンとともに装甲車の屋根に乗っていた。イラク側からの銃撃をかわすものはない。とっさにあおむけになるのがやっとだった。
 音がものすごい。これまで米軍の砲撃の現場は見てきたが、戦闘の真っただ中に身をさらされたのは初めてだった。
 恐ろしかった。身体が凍り付いた。あおむけの姿勢の頭を時折、ほんの少し上げて一瞬、あたりを見回すことしかできなかった。
 「反対側に気を付けろ、あの建物、あれだ、あれだ」。進行方向左側への銃撃に集中していた時、装甲車の中から兵士が叫んだ。
 右手のヤシの林の中にイラク軍の倉庫らしい建物が見えた。用水路を挟んで約100メートル先だ。再び小銃の連射音。左右両側への銃撃が続く。記者の横には上半身だけをさらした兵士が小銃の銃身を左右に振っている。
 150メートルほど先でイラク軍の軍用車両が燃えているのが見えた。道端にイラク人とみられる2人が倒れていた。無残な姿に動きはない。
 交戦は午前11時(日本時間午後4時)すぎから約50分ほど続いた。終わっても、時間の記憶は薄い。
 黒焦げになったトラックや小型バス。破壊された戦車の上には手袋をした兵士の片腕が見える。道路上には、身をそらせるようにあおむけになったイラク兵の死体もあった。
 畑の中のイラク軍装甲車から炎がまだ上がっている。ようやく装甲車の屋根で身体を起こした。背中が汗でびっしょりとぬれていた。
 部隊が少し進んだ後、中年の男女の無残な死体を目にした。記者には服装などから民間人にしか見えなかった。しかし、米兵は「彼らは戦闘員だ」と言い切った。
 この交戦での両軍の死傷者数は不明だが、相当数のイラク兵が死亡、砲撃の激しさなどからみて、民間人の巻き添えも多数あったとみられる。
 交戦が始まる前は、沿道の市民が車列のすぐそばまでやってきた。笑顔を見せ、手を振る者もいた。装甲車から米兵が携帯食を投げると、少年たちが駆け寄って拾った。
 しかし、途中の民家の並ぶ道路でも、青いズボンをはいた男性の痛々しい死体を見た。民間人だったように思う。何人のイラク人の死体を沿道で目にしたことか。
 3差路では、住民らしい男性が白い車の運転席の窓から硬直した顔で手を振り、兵士ではないことを必死に訴えていた。そのすぐ後ろでは、車のドアが開き、路上に男性2人が倒れていた。(共同通信)
<イラク戦争>米空軍、首都上空を24時間監視 地上作戦を支援

 米CNNテレビによると、米陸軍第3歩兵師団は6日午前、イラクの首都バグダッドに偵察行動として進撃し、イラク側と激しい戦闘が続いている。米空軍は地上作戦を支援するため首都上空からの24時間監視を開始、南部のバスラでは英軍が市中心部に進撃したと伝えられ、フセイン政権の基盤は確実に弱体化している。(毎日新聞)
<イラク戦争>亡命イラク人部隊、住民蜂起工作で南部に 英紙

 6日付の英紙サンデー・タイムズによると、亡命イラク人部隊がフセイン政権に対する住民蜂起のきっかけを作る工作のため5日、米軍輸送機でイラク南部に入った。この日の第一陣は数百人だが、最終的には数千人規模が“参戦”するという。

 同紙によると、米政府が4日までにこの作戦を承認した。反体制組織の連合体、イラク国民会議(INC、本部ロンドン)のチャラビ代表をリーダーに「自由イラク軍」を名乗っている。チャラビ代表自身も5日夜、イラク南部に空路到着する。

 作戦は、ベトナム戦争で心理作戦を担当したテッド・スティール退役米軍大佐が指導。「米ミズーリ州の雑貨商やロンドンのナイトクラブで用心棒をしていた人たち」(同紙)も参加し、バスラなど南部の各都市に紛れ込んでゲリラ的活動を通じて「蜂起をけしかける」という。(ロンドン共同)(毎日新聞)
米軍、首都に連日進攻 南西部の確保目指す

 【ワシントン6日共同】米CNNテレビによると、米陸軍第3歩兵師団は6日午前(日本時間同午後)、前日に引き続きイラクの首都バグダッド南西部に進攻、偵察活動を再開した。
 首都南西部に米軍の拠点を構築するため、一部地域の確保を目的とした行動とみられる。拠点確保に成功すれば、米軍の首都包囲網は一段と強化され、イラク軍側はさらに窮地に追い込まれることになる。
 CNNによると、米軍部隊は市内の共和国防衛隊兵舎などを標的に攻撃を加えているが、同防衛隊側も激しく応戦しているという。進攻した米軍部隊の規模などは不明。首都南西部では米軍機による空爆も行われた。首都からの住民脱出も続いているもようだ。
 米地上部隊は5日、首都周辺の主要幹線道路を封鎖し、米空軍も地上作戦支援のため首都上空の24時間監視を始めるなど、米軍は陸と空から首都包囲網を一層狭めた。(共同通信)
<イラク戦争>米軍、首都中心部から西へ抜ける 姿見せる目的

 米空軍のレニュート少将は5日夜、カタール・ドーハの米中東軍司令部で記者会見し、米英軍がこの日バグダッド南部から中心部に進攻、西部に抜けたと述べた。中心部への進攻を昼間に実行した目的を「市民やイラク指導部に米英軍の姿を見せる」とした。

 レニュート少将は、米陸軍第3歩兵師団が1号線を使用して南部から進入、イラクの共和国防衛隊と交戦しながら、中心部から西部へのルートを取ったことを明らかにした。「米英軍はバグダッド近郊から、いつでもバグダッド市内のどこにでも展開できる状態にあることを示し、イラク指導部の統率力のなさを示し、市民へのメッセージにする」と作戦の目的を説明。市内の状況について、一部の市民がトラックなどで避難をしているものの、大量の難民の発生はないという。

 また、フセイン大統領の出身地であるティクリートに米特殊部隊が進入。潜伏している可能性があるイラク指導部を捜索しているとした。さらにバスラ、ナシリア、カルバラなどの地域指導者が米軍への協力の姿勢を示していることを明かした。

 4日に制圧したとされるバグダッド国際空港(サダム国際空港を改名)は、空港の基本機能は維持しており、2本の滑走路のうち1本がまもなく使用可能になるとした。(毎日新聞)
<イラク戦争>米大統領演説「解放者として歓迎されている」

 【ワシントン斗ケ沢秀俊】ブッシュ米大統領は5日朝、週末恒例のラジオ演説を行い、米英軍がイラクの民衆から「解放者として歓迎されている」と自信を示した。

 大統領は「連合軍は今週、(イラク)南部を解放し、クルド軍と協力して北部戦線を開いた。ナジャフの町では、空てい部隊が解放者として歓迎された」と順調な成果を述べた。

 また、イラク精鋭部隊の共和国防衛隊が「イラクの民衆を殺し、戦争捕虜を処刑し、民間施設に隠れている」と指摘、「これらの行為は戦争犯罪であり、彼らは戦争犯罪者として扱われる」と警告した。(毎日新聞)
<イラク戦争>米軍がバグダット侵攻、だが「終わりはまだ遠い」

 米中東軍は5日、イラクの首都バグダッド郊外に展開していた米軍の地上部隊が同市街地に侵攻したと明らかにした。地上部隊はその後、市内から撤収したとされる。米側はイラク兵約1000人が死亡したと明らかにした。米中東軍は今後も市街地に侵攻を繰り返す方針を明言しており「威力偵察」の一環とみられる。(毎日新聞)

クルド人民兵と米特殊部隊、キルクーク付近まで進軍

 【テヘラン=久保哲也】AFP通信は5日、クルド人武装勢力「クルド愛国同盟」(PUK)筋の話として、PUK民兵と米特殊部隊が同日までに、イラク北部要衝の油田都市キルクークまで約5キロの地点まで進軍した、と伝えた。(読売新聞)