小泉首相の母の芳江さんが死去
小泉純一郎首相の母、小泉芳江さんが2001年10月30日午前11時20分、呼吸不全のため神奈川県横須賀市内で死去した。93歳だった。自宅は同市三春町1ノ1。葬儀・告別式は11月2日午前11時から同市本町1ノ4のプラザヨコスカで。喪主は長男の小泉首相。香典、供花などは受け取らない。
芳江さんは逓信相を務めた故又次郎氏の娘として同市に生まれ、元防衛庁長官の故純也氏と結婚。二男四女をもうけた。又次郎氏から首相まで三代にわたり小泉家の政治活動を支えた。
関連サイト【小泉首相プロフィール(首相官邸)】
どきゅめんと日誌2001年5月から
●小泉新総理と薬剤業界
この月の12日の日誌には、総理の小泉家と都知事の石原家が親戚であることを書いている。以下、抜粋した。
小泉純一郎新総理の小泉家と、石原慎太郎都知事の石原家が、実は縁戚関係にあったということを調べているが、手元に資料がないため途方に暮れている。それでも断片的に入ってくる情報もあるので、何とかまとめたいと思っている。小泉氏の離婚歴は広く知れ渡っているようだが、その相手はエスエス製薬の創業者・泰道照山氏の孫娘・宮本佳代さん、青山学院卒の令嬢だということである。離婚の原因は裕福な家庭に育ったゆえの彼女の我がままで、極端な浪費癖などで小泉氏を悩ませていたらしい。また小泉家は親子三代に渡る政治家を輩出、姉三人妹一人という家庭環境の中、彼女の育った環境とは全く異質なために馴染めなかったことも原因の一つと考えられている。彼女が21歳、小泉氏が36歳の時に結婚したが、破局は五年後にやってきて離婚したというわけである。結局、長男と次男を小泉氏が引き取り、その後の慰謝料でも小泉氏は困り果てていたという。一説では彼女の一億円という慰謝料請求に苦慮、横須賀の屋敷を抵当に何とか払い終えたとのことだ。「もう結婚は懲り懲り」という小泉新総理の胸中も分かろうというものだが、金持ち令嬢の我がままにはよほど懲りたようだ。彼の父親・小泉純也氏は防衛庁長官、祖父・小泉又次郎は逓信大臣・衆議院副議長を歴任していたが、祖父の又次郎は沖仲仕からのたたき上げで、背中には彫り物がありイレズミ大臣と呼ばれていた。その祖父と坊主頭の小泉少年が一緒に写っている写真を見た記憶があるが、普通の家庭にはない雰囲気が感じられたものだった。石原慎太郎の奥さんと縁続きになっているとのことだが、インタビューで石原知事は知らなかったと笑いつつも「親戚となれば彼のためには何でもする、という気持ちはある」と応えていたのが印象的だった。そして、おそらくそうした場面は出てくるだろうし、またその通りになる予感がしている。
少し補足すれば、文中の小泉総理の祖父「小泉又次郎」とは母方(小泉芳江さん)の祖父であり、総理の父親・純也氏にとっては義父ということになる。つまり純也氏は小泉家に婿入りしたということになろうか。石原慎太郎・東京都知事の石原家とは、その夫人が小泉家と縁続きだということであった。当時はそれに石原知事が「親戚となれば何でもする」と呼応していたが、それが息子・石原伸晃が行政改革担当・規制改革担当大臣として小泉内閣の推進力となって実を結んでいる【石原伸晃プロフィール】。イレズミ大臣との異名を持つ祖父の又次郎と、その孫(現総理)が並んで写っている珍しい写真もある。乱雑な本の中のどこかにあるはず・・・見つかったら転載したい。