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リベリア大統領チャールズ・テイラー(Charles
Taylor)
モロンビアの大統領官邸で記者団の質問に答える。 |
リベリア:内戦激化 首都で市街戦の恐れ
【ヨハネスブルク城島徹】リベリアからの報道によると、反政府武装勢力のリベリア和解民主連合(LURD)が19日、首都モンロビア中心部から10キロ以内まで進攻して政府軍と激しく衝突、首都を部隊とした市街戦に突入する恐れが出てきた。数万人の民衆が逃げ惑っており、周辺諸国や米国は早急な部隊派遣が求められそうだ。首都近郊に布陣していたLURDは18日から一気に攻勢をかけ、政府軍が首都防衛の要として死守していた首都中心部から10キロ地点の橋脚を攻略した。国連主導の平和維持部隊の展開まで国外退去しない意向のテーラー大統領に揺さぶりをかける狙いとみられる。内戦終結に向け、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は近く1500人以上の部隊をリベリアに派遣予定だが、米国はテーラー大統領の出国を部隊派遣の条件とする構えで、米国を中核とする国連主導の平和維持部隊の展開にはさらに時間を要するため、ECOWASが緊急措置として部隊派遣を決断する可能性が強まっている。[毎日新聞7月20日]
リベリア内戦の終結に向けて何故LURDが追い打ちをかけるような攻撃を仕掛けるのか?
その理由はやはり13年前のドゥ陸軍曹長の暗殺にあるのだろう。これによってNPFL議長の地位を強固にしたテイラーが後に大統領となった経過がある。先住民のこの時の怨念が内戦をこれまで引きずってきたものと思われる。元々はアメリカの奴隷解放によって流れ込んできた移民たちが、先住民を追い出すようにしてリベリアは建国されたのだ。テイラーが退去するからといって、おいそれと消えるような怨念ではあるまい。仲介役のECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)はドゥ陸軍曹長の暗殺後、暫定政府首班としてソーヤー新大統領を立てたが、これにテイラー率いるNPFLが反対、繰り返される内戦・・・その7年後にテイラーは晴れて大統領となったが、あいかわらず内戦は繰り返されてきた。テイラーの辞任が確定した現在、アメリカがいつ平和維持部隊を派遣するのか、長引けば長引くほど戦闘は激しくなるばかりだろう。
7年前のリベリア在住の難民は12万人程度だったが、隣国シエラレオネは難民1万6千人が7年後には40万人にも膨れ上がった。これまでリベリア難民は主にギニアに流れることが多く、ためにギニア在住の難民総数は55万人にも達していた。次いで東に隣接するコートジボアール36万人、ガーナ11万人、遠くはナイジェリアへとリベリア難民が流れている。当然ながら、リベリアのテイラー大統領が国外に退去して政変が沈静化すれば、周辺国に散在していたリベリア難民は帰国することになる。そのときには平和維持軍もリベリア難民逆流入の対応に追われることになる。ちなみに1997年8月現在、国外リベリア難民は47万9000(コートジボアール21万、ギニア23万5000)となっている。【参考=リベリア難民・死傷者】 先住民が帰国すれば移民派たちへの風当たりも強くなるだろうし、最悪の場合は復讐による虐殺も起こりかねない。それを平和維持軍が阻止しようとすれば、内戦対立の発端となった奴隷解放まで遡って、憎悪の矛先がアメリカ主導の維持軍に向けられる懸念も出てくる。テイラー大統領が失脚したからといって、そう簡単にリベリアに平和が戻ることにはならない。
【関連サイト=アトリエIV. リベリア内戦史資料】

歴史は、じつのところ、だしぬけに痙攣をおこしたわけではない。発作はとうの昔にあった。重篤の病は昔からつづいていた。人々の怨念はつとに臨界量に達していた。それなのに、多くの論者たちが、悲劇というものをはじめて目撃したかのように、さもわざとらしく驚き嘆き怒ってみせたのである。それは、みずからの言説の破産を認めたくないからである。ないしは、相も変わらず、米国史を世界史と区別し、世界史に優先させて論じる過ちを犯しているからだ。無間地獄はとっくの昔からあった。われわれが子細にそれらを見ようとしなかっただけなのだ。【辺見庸「単独発言〜私はブッシュの敵である」12頁より】
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