大型台風が接近中らしい。それより早く、ニッポンにはベッカム台風が上陸した。キャーキャー大変な騒ぎである。この熱狂的な歓迎ぶりは我がコイズミ首相就任当時に酷似する。我が家にも不況というの大型台風がジワジワ接近している。入荷の際の監督の話では「商品が捌けない」のだと云う。さっき入荷したばかりの製品も、来月の分の先送りなのだと・・・私の漠然とした予感もここに的中した。今年4月に次ぐ最大のピンチである。それに元請けが運転資金の融資が受けられないとなればアウトだ。「おたくが駄目になるまえにウチが倒産しているよ」慰めにも何にもならないことを放心したように云う監督、すでに休業状態の我が社には空虚な言葉にしか聴こえない。それでも、入荷を早めにして何とか下請けに仕事を切らさないよう配慮してくれる、監督のその誠意だけはしっかり受け止めようと自戒する。それでないと人間などやってられない。人間の土壇場を演出するのが資金難という状況であれ、登場する出演者の面々はそれぞれ心ある命をもったナマミの人間だ。リストラの波及で過労死か衰弱死か、二者択一の選択余地しか残されていないような悲惨な現状で、コイズミ支持率アップはどう解釈すればよいものか。ベッカム来日、東南アジアツァー含めて1日2億円というふざけたシナリオを画策した大企業スポンサーに、キャーキャー熱狂するミーハーが、それを笑顔で司会するテレビ局に、高額なギャラをもらっているであろう本職を忘れた著名なゲストが、オペラ鑑賞で観客に直立不動で君が代を歌わせるコイズミ某に、うっかり歌ってしまう観客が「感動した!」と独裁者を喜ばせているんだ。勝手に感動してろ。このクソ暑いのに熱狂して蒸気なんか出してられるか。オレは嫌だね、と背を向けるぐらいの人間がいてもいいだろう。13時現在、気温28度、湿度68%、無風とこの蒸し暑さは嵐の前の静けさか・・・
さっき従兄がお付きの職人を引き連れて来訪、そして不自由な足を引きずって帰って行った。脳幹破裂で奇跡的に回復した同業社長の従兄のことである。心配して来てくれたのは承知しているが、いまだ社長としての心構えをたれる従兄には弱冠の抵抗をおぼえる。もう私は社長ではない。一個の人間にしかすぎないし、そう扱ってもらいたいものだ。それ以上でも以下でもない、ただの人間としてでしか私は対応しない、出来ない。オヤジの威光という効力はとっくに消えた、捨てた。比較されるのは尚更ごめんだ。水戸黄門じゃあるまいし、そんなものは迷惑だ。そのへんのところを分かってくれない。古株の職人らがこれを聞いたら激怒するだろう。私のオヤジの威光とはそれほどのものであることも承知している。だからこそ本音を云いたいのだ。
昨夜、テレビで俳優・石原裕次郎の追悼番組をみた。私の思春期においても裕次郎映画には大きな影響を受けてきた。彼はインテリ・ヤクザが似合う俳優だったと、勝手に思っている。無法な闇社会に単身乗り込み、殺し殺されていく悲哀に共感もした。そして、それと同じような悪の図式が日常にあり、それらに歯向かえばどんな圧力を受けるかも、日本人なら地元の噂として少しは耳にすることもあるだろう。裕次郎を慕う渡哲也の義理堅さは今も変わりなく、羨ましいと思う半面、その世界が何ら現実の不条理葛藤とは関係のない芸能界にとどまるものであることも認識している。私などはキャー!ステキとは成らない、醒めたところでみている。裕次郎映画が斜陽化した後の渡哲也主演「人切り五郎シリーズ」は、実在のモデル藤田五郎の獄中手記が発端となっている。それゆえに新鮮だった人切りシリーズも、回を重ねるごとに脚色に無理が出て、やがて自然消滅している。終戦直後神戸の台湾ヤクザと山口組の銃撃戦は、その藤田が戦闘機から外した機関銃をぶっ放すといった派手なものだった。映画のタイトルは忘れたが、これも日活で映画化されたはずだ。おりしも昨夜はクローズアップ現代で、府中刑務所を特集していた。覚せい剤中毒が完治しないまま出所してしまうことへの不安感は、悲惨な事件として現実のものとなっている。一連の北朝鮮関連報道においても、覚せい剤密輸の実態がこれだけ報道されていながら、年々増加の一途をたどるのはどうしたわけか?別ルートを含め、そこには我々一般国民が知らされていない事情があるとしか考えようがない。不条理なこの世界に辺見庸氏のススメ「だらしのない不服従」を真剣に考え始めている17時現在の私心。
|