03/05/30 (金)
 今朝方、産まれた子猫が鳴きつづけている。ミッコは自分のお産に驚いてか、子育てを放棄したまま逃げてしまった。ミルクでも飲ませないと子猫が死んでしまうような気がして、後でスポイトで飲ませることにした。今日は仕事もないので、どうやら子猫に付きっきりになりそうだ。おーい監督、仕事待ってるぞぉ!来月には入るというが、その間の時間的空白がけっこう苦しい。庭には木の剪定のため組んだ足場が建っている。この足場はそのままにして、少しずつ拡張していこうと計画している。出来れば、もっと高く組んで高見の塔を組み立てたい。その天辺に旗を立て、双眼鏡で近所周辺を眺めたりするのもいい。ライブカメラで流したらどうか、とも考えている。猫が外に飛び出したときには追跡も出来る。いわば子供の陣地のようなもの、そんな遊び心を大切にしたい。子猫の鳴き声が途切れるたびに傍のドンブリを見ている。産まれたばかりの子猫をタオルで包んで、ドンブリの中に入れているのだ。この子猫の名を「ドンブリ」とすることに決めた。へその緒はチロが食べてくれたが、オッパイはやろうとしない。自分の子供でない限り、オッパイはやらないようだ。ミルクを飲んでくれればいいが・・・ミッコのお腹にはまだ二匹ぐらい居るはず、心配だ。ふと、自分は何をしているのか?我に返るときがある。いつの間にか体の上に乗っている猫たちの重みに目覚める朝に、死ぬときもこうして猫たちに看取られるのだろうか?と、可笑しな想像をしている。午前5時50分現在。
 ミッコがいつの間にか子猫「ドンブリ」を咥えて行った。こういうときは自然に任せる、というか猫の本能に任せた方が良いようだ。これで一安心、午後から猫用の小屋をつくる作業に入る。縁側から90センチほど庭にせり出すだけの小さな小屋だが、周囲を金網で張るためけっこう手間がかかる。その金網がなかなか配達されない。苦情の電話を入れ、ようやく配達してくれたが、こちらが挨拶しても反応がない。領収書を書くにも20分もかかり、あげくはサインを求められた。帰りがけ「ご苦労さま」と言っても最後まで無表情だ。何なんだ?同じ地区でありながら配達料1000円も取るは、挨拶なしの無愛想でよく商売をやってられるもんだ。この不景気に殿様商売は通用しないぞ。かと思えば「今日は暑いですね。猫ちゃんは元気かな?」と近所の馴染みの店主が愛想良く御用聞きにやってくる。漬物など必ず一品ぐらいはサービスしてくれる。この格差は大きい。
 小屋はパイプ足場でガッチリ組んだ。台風が来てもビクともしないはずだ。以前、ベランダを角材でつくったことがあったが、台風で一日にして崩壊したことを思い出した。一人作業のため鉄パイプは重くて危険なので、屋根の一部だけ角材を使用することにした。途中、また持病の足が痛み出し、堪えきれないところで作業を中断した。残念だが仕方がない。どうやら明日は台風らしい。自宅屋根の雨漏りを修理するのが先決というもの、雨が降らない明日の午前中までに修理したい。
 夜、どういうわけか母の手術当日を思い出した。Vサインを出して手術室に入る母を鮮明に覚えている。さぞ苦しかったろう、心細かったろうと、それにも増して私の不甲斐なさを責めている。もう忘れてもいい頃なのに・・・忘れられない母のこと。母の苦痛が私の心に乗り移ったかのように、苦しい。親不孝な自分はもっと苦しんでしかるべきだと・・・潜在意識の何処かでいつも声がしているようだ。手術室で切り刻まれる母の無惨を、その苦痛を、不安を、私は今頃になって実感している。まるで自分が切り刻まれているかのようだ。こんな夜には誰の言葉も慰めにはならないことも知っている。ただじっと苦痛に耐えるしかない。夜はいつまでも続くことなく、やがて夜明けが来ることを自覚していればこその苦痛だ。ひたすら耐えるしかない。
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