03/05/26 (月)
このサル・ゲールに反対する
「途上国や最貧国を舞台に展開される国家テロリズムは、テロ撲滅どころか、貧者と弱者の内面に、新たな憎悪と怨念を結晶化させ、ひいては反国家テロ組織を無限に増殖させていく。いま極めて危険なのは、米欧日各国とも、根絶すべきテロリストの概念を、無制限に拡大しつつあることである。9.11テロ以降、米欧日列強は、逆上のあまり、国民国家の装いさえうち捨て、法治ではなく、もっぱら国家暴力による異分子の統制・管理という方向に歩みつつある。米英両国の報復戦争では、当初の<軍事目標のみの攻撃>という約束がしばしば破られ、精密誘導兵器による<誤爆?>も相次いでおり、民間人の死傷者は時と共に増える一方である。これはまさに強者による弱者への殺戮でしかない。フランス人のいう現状のサル・ゲール(汚い戦争)は、米国が軍事的目的を達成して成功裡に終わるのではなく、世界的反戦行動により、終結に追い込むべき筋合いのものである。戦争当事国は、このいささかも道義のない軍事攻撃を即刻完全停止すべきであり、我々は攻撃が続く限り、強く反対の声をあげなければならない。問題は小ブッシュの云う<米国の側につくのか、テロリストの側につくのか>ではない。いまこそ、国家ではなく、爆弾の下にいる人間の側に立たなくてはならない」---(辺見庸著「単独発言」37-41頁より要約抜粋)
 昨夜の日本テレビ系列「ドキュメント,03」では米軍の落としたクラスター爆弾で足が不自由になったアフガン少年エヘサノーラ君(9歳.)へのインタビューが紹介された。そのアフガン戦争当時、少年は7歳だった。
「アメリカがタリバンと戦ったから、僕がこんな目にあったんだ。アメリカが責任を取らないなら僕が同じ目にあわせてやる。カブールもイラクもアメリカがやったんだ。飛行機は基地じゃなくて、僕らの家の前に爆弾を落とした。僕が水を運んでいたら、アメリカの飛行機がいきなり頭の上を飛んできた。目の前に爆弾を落とされて、僕は叫びながら近所のおばさんの家に逃げたんだ。外へ出ると、あたりはみんな燃えて、破片だらけだった」
---それでもアメリカを恨んじゃいけないよ。報復は報復を呼ぶだけなんだ---
「それなら、なぜアメリカは報復したの?それに、戦争ならなぜ僕たちの家に落とすの?基地はあっちだよ、あっちに落とせばいいじゃないか」

 質問をした初老の日本人男性の、その息子も9.11テロ事件で命を失っていた。だからこそ憎しみでは解決しない戦争のことを分かってほしいと願う。最後に「君と同じくらいのアメリカ少年がここにやってきたら、どう思う?」との問いに、少年は「僕と同じ目にあわせてやる」と云ってのける。無理もない、と思うべきか?それとも、それでも報復はいけないと、執拗に説得すべきなのか?足に喰いこんだクラスター爆弾の破片を取るために、1回の手術だけで公務員給料二ヵ月分の治療費を払いつづけなければならぬ生活苦よりも、さらに痛々しいのは少年の心を支配するアメリカへの憎悪の念だ。
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