自然のことを考えている。自然な生き方とはどういうことか?地球の自然ということでは、生物的にも人間は自然から離れては生きられない。自然からの恵みを糧として日々食事をしながら、一方ではその自然を人間に都合のいいように改造してきた。人間にとって開発や改造は自然破壊でしかない。利便性を追求すればするほど、人間は自然からかけ離れた存在となり、地球の生態系を壊す害虫となってしまう。自然の中の不自然な存在としての生物人間、そんな環境で人間本来の自然な生き方を追求すること自体無理なのかもしれない。自然の恵みであるはずの食物に添加物をまぶし、経済効率を図る過程で加工される食物は不自然なものとなる。自然が命を育むうえで最も必要とされるなら、不自然はその命を脅かすものと考えられよう。人間が害虫と呼ぶべきものは、自然環境のうえから不自然というべきものではなく、人間の利便性を阻害するゆえに害虫と呼び、かつ駆除してきたのではなかったか。自然破壊者としての本来の意味のからして、人間は真っ先に駆除されるべき害虫となってしまった。問題はこの史上最強の害虫を駆除する天敵が、今のところ見つからないことだ。この害虫は生物学的見地からも全くかけ離れた奇妙な連帯体系を示している。自然界の法則性を見出しては、その全てを自分たちのためだけに利用し、かつ種族間においては強力な武器をもって威嚇しあう。またその集団において紙切れを互いに渡しあっては独特のコミュニケーションを図る。何もかも不自然だ。自然の中でしか生きられないことも十分知りながら、自然を汚し、汚した自然を喰らうまでの人間は、自分の欲望を満たすためだけに生きているかのようでもある。
眠れない深夜に、数日前に産まれたばかりの子猫の鳴き声が、微かに聴こえる。もう少しすれば自分で歩いて、その姿を現すだろう。その時までは、そっとしておこう。人間に生まれた私も、猫と人の差はあれ、同じ地球上に誕生した命ということでは同一だ。人間社会から弾き出されたという思いに囚われている、今の私にとって、おまえたちは我が子のようだ。去年生まれた子猫たちは大きくなって、トイレに行くにもゾロゾロ後を付いてくる。来年にはおまえたちもそうなるだろう。私を筆頭に、猫族たちの行進が延々とつづく。何処へ行こうか?もしも空を飛べたなら、そのまま大空の彼方へ飛び立とう。子猫の鳴き声が聴こえる。小さな、小さな、命の気配・・・
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